【印税8000万円】の息子は天才ラノベ作家なのだけど、書籍タイトルが『メス母奴隷』なので絶対に自慢できない

神伊 咲児@『異世界最強の中ボス』書籍化

【印税8000万円】の息子は天才ラノベ作家なのだけど、書籍タイトルが『メス母奴隷』なので絶対に自慢できない

「は、8000万円……」


と、体を震わせたのは左近寺 綾芽。38歳。2児の母。張りのある白い肌と、端正な童顔は、彼女の努力と苦労の結晶である。

『美人すぎる主婦』という異名が、彼女の自慢だった。

近隣では20代の未婚女性と間違われることも稀ではない。

職業はチャンネル登録者30万人を超える人気配信者。ジャンルは自己啓発系の恋愛指導。

そんな彼女が今、自宅のリビングで、スマートフォンを握りしめながら、人生最大の屈辱と戦っていた。


スマホの画面には、国内最大手銀行のアプリ。通帳に記帳された最新の数字、それは紛れもなく──8000万円。


「はぁ……もう、何度見ても慣れないわね」


ため息をつく。もちろん、それは嬉しさではない。

苦々しさと、どうしようもない諦めと、そして途方もない恥だ。


この金を生み出したのは、彼女の息子、左近寺 理久斗、17歳。

高校生にしてラノベ界のカリスマとなった天才作家だ。

彼の処女作は、ジャンル異例のミリオンを突破し、売上は天井知らず。振り込まれた8,000万円は、その印税の一部に過ぎないという。


息子が天才で成功者であることは、親として誇らしいはずだ。当然、自慢したい。

だが、綾芽にはそれが絶対に、絶対に、絶対にできなかった。


全ては、この金を生み出した、恥知らずな書籍のタイトルが原因である。

彼女は息子のミリオンヒット作を手に持ってプルプルと震えた。


『メス母奴隷をわからせる〜俺の青春哲学は間違っているだろうか?〜』


パシィィッ!! と、床に叩きつける。


「こんなもん、人様に言えるかぁ!」


綾芽はその場にしゃがみ込み、額に手を当てる。


「くぅ〜〜」


20代に見えるその美しい顔が、初めて38歳という実年齢以上の疲労感をにじませた。


『メス母る』。


略称でさえ地獄だった。

書店に並んでいる息子の本は、さながら彼女の人生を晒し上げる公開処刑だろう。

そして、その処刑台の脇には、8000万円という賄賂が置かれている。


綾芽は深く悩んだ。

この大金は息子の才能の結晶だ。

しかし、なぜ息子はこんなにも母親に異常な性的倒錯せいてきとうさくを抱くような作品を書くのだろうか?


本の内容を読む限りは哲学的な家族愛がテーマだと書かれている。

だが、タイトルや挿絵は透け透けの下着姿をした自分——にちょっと似ている。

とにかく母親は完全にアウトだ。


──もしかして、私に鬱憤が溜まっている?


綾芽には思い当たる節があった。

父親とは次女の楓が生まれた時に死別している。

理久斗が3歳の時である。

不慮の交通事故であった。


綾芽はシングルマザーとして二人の子供を必死に育ててきた。

生活費を稼ぐためにがむしゃらに働いた。

配信者の仕事が安定するまでは、とてもプライベートな時間なんてなかった。

子供達が「一緒に遊びたい」と言っても仕事を優先してしまったのだ。

寂しい思いをさせてしまったかもしれない。そんな思いが彼女を行動させる。

それは過去の贖罪であった。

そして、理久斗の作品の倒錯は、私の美しさへの屈辱の裏返しなのではないか、という恐れ。

彼女は覚悟を決める。

息子の性的な欲求を、この手で、包み込んであげなければ! と。

息子の部屋の扉をノックする。


「ちょっといい?」

「ああ……」


気のない返事はいつものことだ。理久斗はイヤホンをしながら執筆に集中していた。


「理久斗……」


理久斗はヘッドホンを外し、無表情に母を見た。


「何?」

「あ、あのね。その……い、一回だけよ……」


綾芽は恥ずかしさで顔を赤くしながら、そっと口を尖らせて息子にキスをしようとした。


「キ、キスだけだよ……ん」


瞬間。

理久斗の顔に、明確な嫌悪感が浮かんだ。


「気持ち悪いな……。やめろよ。何歳だと思ってんだよ?」


拒絶された。しかも、心底汚らわしいものを見るかのように、冷たく突き放される。


「……え?」


綾芽の頭は真っ白になった。

汚らわしい? 私が、気持ち悪い?

この美貌を保ち、若くあり続けた私が、息子に「何歳だと思ってんだよ」と、老いを突きつけられた?


「もしかして、理久斗は……私を嫌っているの?」


親の私を嫌がらせるために、この本を書いた?

8000万円の印税は、私への呪いだったのか?

それならば全て辻褄が合ってしまう。息子に対する不信感で頭の中がいっぱいになる。


「俺の描く愛は、もっと普遍的で崇高なものだ。身体的で刹那的な欲求に結びつけるなよ」


と、理久斗は椅子から立ち上がった。


「今日さ。渡そうと思ってたんだ。ほらよ、これ」


理久斗が差し出したのは、誰もが知るヨーロッパの老舗ハイブランドの紙袋だった。


「今日、母の日だろ」


綾芽が震える手で紙袋を開けると、中には最新モデルの美しいバッグが入っていた。


「えっ……? こ、こんな高い物……どうしたの?」

「お小遣いで買った。印税が多く入ったからってお小遣い多めにくれたろ。それにこのバッグは、俺の作品のテーマである『普遍的な母への愛』を表現するために最適な品なんだ」

「ふ、普遍的な……愛?」

「家族愛……。普遍だろ。こういうことは、一番お世話になった人にやるもんだからさ。いつもありがとな」

「わ、私を嫌ってたんじゃないんだ……」


綾芽は瞳を涙で潤ませた。

理久斗は心底呆れたように言う。


「つーか、息子が母親を愛してるのは当然だろ。俺の作品は、刹那的な欲望を売り物にしてるんじゃないんだからさ」


理久斗は、息子が母親を愛するのは普遍の真理であり、キスや性的な行為に結びつけること自体を「気持ち悪い」と感じていたのだ。

その瞬間、綾芽の頭の中で一つの結論が出た。


──この子、大人だ!

私よりよっぽど健全で、人格者だった!

そういえば、『メス母る』は家族愛が丁寧に表現されていて、読者からは高評価だった。

つまり、売るために仕方なくやったと! 私の美貌を商売にしただけと!


「じゃあ、次巻はもっとマシなタイトルにしてよ。お願い!」


理久斗は再びニヤリと笑った。それは、ラノベ界のカリスマの顔だった。


「ああ、もう見本が届いているよ」


理久斗が差し出したのは、次巻の献本だった。

表紙には、羞恥に歪んだ美女のイラストが描かれている。その面影はどことなく綾芽によく似ていた。

タイトルは──。


『メス母を孕ませる〜俺の調教哲学は間違っているだろうか?〜』


パシィイイイイイイッ!!


綾芽は、再び書籍を床に打ちつけた。



「なぜそうなるぅううッ!!」



特にサブタイトルの『間違っているだろうか?』のくだりはなんなの!?

いちいち問い掛けないでほしい。絶対に間違ってるよ。近親相姦を想起させる変態タイトル!

もう嫌だ。


「こんなもん、人に自慢できるかぁあああああああッ!」


綾芽は絶叫しながら部屋を出ていく。


結局、息子はマザコンであり、表現者として自分を弄ぶ変態なのだ。

それが綾芽の結論だった。


一体、誰に似たのやら?

きっと、死んだ父親に似たのね……。

と、悲しみにくれながら、鏡台に向かい、いつもの二十代に見える笑顔を張り付けた。

配信機材の電源を入れる。


わぉ。同接1万人からのスタートか。悪くないわね。



「はーーい。ラブアドバイザーの左近寺 あやめです。今日は自分の子供と結婚する方法を伝授しちゃいますね」



一方、妹の左近寺 楓(14)は、兄に冷たい態度を取り続けていた。


「はいこれ。欲しがってたろ」


と、理久斗は彼女にクマのぬいぐるみをプレゼントした。

楓はそれを受け取ると、礼も言わずに小さく頷いてからトテトテと自分の部屋に篭る。

理久斗はそんな妹を見て腕を組んだ。


うーーん。嫌われてるなぁ……。


理久斗には意味がわからなかった。

彼女の誕生日には欠かさずバースデーケーキとプレゼントを用意するし、それ以外でも色々と彼女が欲しがっていそうな物は購入するようにしている。

それなのに、あんなそっけない態度なのである。

小学生の頃はよく勉強を教えていたのだが、最近はめっきりそんなこともなくなった。


反抗期なのかな……? ふふふ。難しい年頃だよ。


楓は自室で出版社から届いた段ボールを開ける。

そこには来月に初出版される献本が入っていた。

タイトルは──。


『お兄ちゃんが好き好き大好き。結婚したい』


彼女の書籍には、兄の「普遍的な愛」を拒絶し、自分だけのものにしたいという「排他的な愛」の哲学が丁寧に書かれていた。

彼女は先ほどもらったクマのぬいぐるみを抱きしめながら、『メス母る』を読み返す。


お兄ちゃんの愛は哲学で崇高。でも、私の愛はもっとストレートに、お兄ちゃんを独占する愛だ……。

カバーイラストを見て目を細めた。


「負けないんだから……」



おしまい。

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