妄想娘とひさかたの闇ー八門の女神ー

裏桔梗

第1話 妄想娘見参

 夕暮れ時、全ての大路おおじの街灯にあかりがつく。

 北門からは武具の気配が漂い、南門では太鼓や笛の音色が響いた。 石畳に落ちる影は長く伸び、中央の巨大な穴は沈黙のまま口を開けている。深淵なる闇の底に、瓦斯ガスの光が届くことはない。子どもたちは、そこへ近づくことすら禁じられていた。

 さりながら、誰もが知っている。

 この街は、あの闇に魅了され、あの闇に生かされているのだと。


 冒険者たちが集う、エイトゲーツ(八門)。

 街の中心の大穴から、八つの大きな通りが放射状に広がり、それぞれの先に門を築いて、街の名の由来となった。

 領主は大聖母教会の司教だが、実際は住民たちの自治都市である。ギルドと呼ばれる職能集団が、司法・行政に類した役割を担い、街を動かしていた。


 そしてプリンちゃんは、かわいらしい女の子である。

 栗色の短い髪を揺らし、小柄な体でらんらるんらとスキップしながら、北の大門へ続く石畳を歩く。良家の小間使いらしく、品の良い外套ケープに上着のボタンも一番上までしっかり閉め、くるぶし丈のスカートには裾へフリルが施されていた。

 しかし、この目抜き通りの北大路――通称・羅刹らせつ街は、命知らずの腕自慢が集う、冒険者ギルドの所在地。夕暮れ時も相まって、プリンちゃんのようなわらべには似つかわしくない。

 通りがかった者が一様に、プリンちゃんを目で追い、或る者は険しく睨みつけた。

 案の定、柄の悪そうな二人組が近づいてきて、因縁をつける。

 プリンちゃんは、夕闇で視界が悪いせいか、指先でまなこを拭うと、それから、じっと彼らを見つめた。


「おい小娘、道を間違えたか」

 長剣を背負った男が、プリンちゃんのあごをつかんで顔を覗き込む。刹那せつな、ぺっとプリンちゃんは唾を吐きかけた。反射的に剣士が拳を振るうが、プリンちゃんは翼でバランスを取り、遠くへ飛びのく。だが、その着地点を見越して、投げナイフが飛んできた。

 刃は風を裂いて、プリンちゃんの太ももをかすめる。

「ぐああああああ」

 絶叫し、もんどりうって転げまわる。

 剣士が、顔にかけられた唾を防具の袖で拭きながら、いまいましげにに近づき、ナイフを拾った。

「誰かあ」

 プリンちゃんの助けを求める声が、通りに響く。

 聞きつけた何人かの者が近づいてくるが、プリンちゃんの姿を見るや、さもありなんという顔で去っていった。

 背中の翼、頭部の角、臀部でんぶの尻尾、それらは魔族サキュバスの特徴だった。


「おまえはこんなところに来ちゃダメだろう。売春宿から逃げだしてきたのか」

 剣士は、プリンちゃんの栗色の髪をつかみ、路地裏へ連れ込んだ。

 いやがらせか、ナイフを投げたシーフ風の男が、後ろから彼女の尻尾を握る。サキュバスの尻尾は敏感だ──というのは、愛好家の間では有名な話だ。

「こんなスケベな恰好しやがって」

 プリンちゃんの髪をつかんでいた剣士が、先ほど拾ったナイフでシャツを切り裂く。

 尻尾に執着していたシーフは、そのままプリンちゃんのお尻を抱え込んだ。

「げに哀れな淫獣よ」

 剣士が、陶酔した目で叫ぶ。

──やめてえ!

 喘ぎとも悲鳴ともつかないプリンちゃんの叫びが響きわたるが、助けにきてくれる人は誰もいない。絶望に打ちひしがれ、彼女の瞳から涙が零れる。

 それでも男たちは容赦なく、プリンちゃんを無慈悲に押さえつけた。


 魔力抑止のコンタクトを、プリンちゃんは嵌める。

 目の前の路地裏では、柄の悪い二人の男が下半身を無防備にさらして、くいくいっと腰を動かしながら、謎のダンスを踊っていた。

 サキュバスの魔眼だ──特に異性に対しては、強力な効果を発揮する。

 プリンちゃんに完全魅了された男たちは今、彼女のいけない夢想と同じ光景を共有していた。


「んっ」

 プリンちゃんは再び目を閉じ、ぺたんと内またに座ったまま、仙骨から股間を経て下腹部へと至らせた、細長い自分の尻尾を抱きしめる。そして、まるで愛の神様へ熱心に祈る修道女のごとく背中を丸め、ぶるぶる、ほどなくしてため息と共にふっと脱力した。


 プリンちゃんが、よいしょと勢いをつけ立ちあがる。

──いけない、人がいないのを良いことに、また致してしまった。きっと、リュシアンに怒られる。でもね、サキュバスの見せられる幻覚なんて、いけない妄想のあれやそればかりで、かけてるこっちも欲情しちゃうの、分かるよね?

 勇ましい竜や獅子を出現させ、おいはぎどもを追い払えれば恰好良いのだけれど。


 男たちは、いまだへらへらした笑みを浮かべつつ、虚空に己の小刀を振るっている。

「……さすが冒険者、腰にキレがある」

 プリンちゃんは変に感心しながら、処分をどうしようかと悩む。自分のせいだが、幻覚を共有させ過ぎた。これは、ちょっとやそっとじゃ起きそうにない。

 とりあえず、男たちのポケットから財布を取り出し、全て抜き取ってから返した。たんまり持ってるじゃないか。やおら、ポケットから取りだしたハンカチで湿り気を拭うと、剣士の頭に載せた。せめて、受け取って。


「あそこでおじさんたちが変なことしてるー」

 プリンちゃんは、ひょこひょこ何食わぬ顔で表通りへ出ると、人の好さそうな冒険者を捕まえ、路地裏を指さした。


©Urakikyou(裏桔梗)2025

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