5.狐を化かす

 怜司は息を止め、痛みに耐える。

 脂汗の止まらないその痛みに、内臓に入れ墨を施されているのではと思う。

 「苦しいか?」

 狐は嘲笑うように言った。

「辛いであろう? 苦しいであろう? もうすぐだ、もうすぐで楽になれる。しかし、それまでにもっともっと苦しくなる。どうだ? 早く終わりにしてくれと思うか?」

 怜司は応える気力もなく、ただじりじりと締め付けてくる痛みに耐えた。

「どうだ?」

 狐が煽ってくるのはご愛嬌、と思っていたが、ここまで痛いとさすがに怒りが湧いてきた。

 ――祓ってやろう……。

 人の痛みを面白がる悪霊を、生かしておいてよいはずがないのだから。

 仲間を待つか、自分でやるか。幸いなことに、この狐は怜司の目に見える。

 祓うのは簡単だろう。

 そうは思ったものの、やはり痛みに耐えるので精一杯で、それ以上、身体を動かすことが出来ない。頭も朦朧としてきた。

 ――情けないな……。

 遺書でも残しておけばよかったと、激痛の中で後悔する。

 その時だった。

 部屋の扉が開いて、眩しいほどの白い光が差し込んだ。

 後光に照らされ、黒く浮かび上がった人影は、着物を着た女性のようだ。

 彼女は部屋の中へ足を踏み入れる。

 その足取りは杓子定規で、ロボットのようだ。

 怜司の前まで来ると、彼女は口を開く。

「あてくしは土御門妙子つちみかどたえこと申す者なり。安倍晴明の血を引き継ぐ者」

 スピーカーから流れ出たような女の音声だ。

 等身大のロボットにスピーカーを付けて音声を流す……。

 ――あいつらの考えそうなことだな……。

「長い時を経て、再びこうして会うことになろうとはのう? 狐よ」

 一方、の狐は、この女のロボットを本物の人間だと認識した。

「貴様、あの無様な陰陽師の末裔か!」

 咆哮を上げる。

「貴様、我輩に喰われにでも来たか!」

「醜くなったのう、狐よ」

 ロボットは抑揚のない口調で言う。

「怨念に囚われしその姿、稲荷大明神は失望のあまり、野を焼き尽くそうとしているほどだ」

「貴様、嘘を吐きおって! 稲荷大明神など知らぬわ!」

「かつて、貴殿ら狐は高潔なるを体現していた。その高邁こうまいさは、お稲荷様の第一の従僕にふさわしいものであった。かの鳥羽上皇を惑わした麗しの玉藻前でさえ、九尾であることを見破られてもなお、気品を失わずに毅然としていたと、我が門下秘伝の古文書には記載がある。

 それがどうしたことか、あの高貴なる狐が、このような醜い存在にまで堕ちたとは。あの世で眷属が泣いているぞ」

 狐はしゅるしゅると息を巻き、吠える。

「醜いのは人間だ! 人間が醜いのだ!」

「寡黙な佇まい、全てを見透かしたような瞳。妖狐だと知ってなお、人は狐に虜となった。それに比べ、貴様のなんと醜いこと」

「よくぞ言うた。では聞くが、貴様に我輩の苦しみがわかるのか?

 娘を喰われた恨みが?

 醜いと言えば貶めることが出来ると勘違いしているのではないか?

 我が眷属を高邁なると言ったな? その高邁なる存在を喰らい尽くしたのは人間なのだ。

 どちらがより醜いかは、明らかであろう」

「生きとし生けるものは全て、生かし生かされ、六道輪廻を巡る。

 やがては救いを得て極楽浄土へとゆく。

 この世で起こる全てのことは森羅万象のごとく、なんの疑いようもないほどに、あるがままのこと。

 一万年に一度の僥倖は舞い上がるには値せず、百万年に一度の災厄も、憎み怨むには値しない。

 それを理解しない、貴殿が醜いのだ。

 安くも怨霊となり下がった、この薄汚い狐よ」

「なんだと?」

 狐の声音が変わった。本気で気分を害したようだ。

 ロボットの音声は続く。

「醜いものはこの世にいない方がよいのだ。

 どうせなら、この世に存在する全ての狐を、ぐちゃぐちゃに踏みつぶし、木っ端みじんになった肉を固めて泥団子のようにして、地獄の窯の中へ放り投げてやればよかったかのう」

「……貴様」

 狐はシューシューと黒い息を吐く。

「呪い殺してやる!」

 途端、怜司は喉の奥からせり上がってくるものを履き出した。

 それは黒い塊だった。

 黒い塊は床を這い、ロボットの口元まで上り詰めるとその中へ入っていった。

「よし掛かった! チャンス!」

 明るい声とともに、ミリンと颯真が部屋の中へ入ってくる。


「なんまいだーぶつ、なんまいだーぶつ、なんまいだーぶつ」

 二人はお祓いを始めた。


「おのれ……おのれ……」

 狐は喘ぐ。

 ロボットごと、金色の光が狐を包み込む。

「こんなもので……我輩を……どうにか、出来るとでも……?」


「なんまいだーぶつ、なんまいだーぶつ、なんまいだーぶつ」


「おのれ……おのれ……」

 狐の声はだんだんと苦し気になってゆき、小さくぼそぼそと消えそうになってゆき、そして。

 ぽんっと、蒸気が立った。

 金色の光が消え、ロボットの真ん前に黒い石が転がり落ちた。

 成仏、完了。


「悪霊退散、完了だね」

 ミリンは笑顔で言い、黒い石を拾い上げた。

 横たわったままの怜司を振り返り、黒い石を掲げる。

「これ、いる?」

 怜司は首を横に振った。

「いらね」

 ミリンは口の端をにやりと持ち上げる。

「ね、言うこと、あるでしょ?」

 怜司は眉を顰めた。

 正直、信じていた。

 怜司が今いる場所は、おそらく強い結界の中だ。ミリンはここまで強くは張れないから、知り合いにでも頼んだのだろう。

 怜司を結界の中に運び込み、狐が逃げないようにする。

 そしてロボットを使って狐を煽り、狐をロボットの方へ移動させる。

 そしてロボット丸ごとに対し、祓いの術を行う。

 狐は祓われ、怜司は助かった。

 怜司は心のどこかで思っていた。待っていればいいと。

 自分はなにもしなくていいだろうと。

「……ありがとう、ございました」

 心のこもっていない言い方だが、ミリンは嬉しかったようだ。

「どうも、いただきました!」

 にっこりとと笑った。


「いやぁ、それにしても面白かったなぁ、狐とお喋りする怜司さん」

 颯真がいじるように言う。

「俺にもお礼、言ってください」

 怜司は、颯真のその言葉は無視した。

 


 

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たちかわ悪霊退散キッズ 万波あすか @asuka_manba

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