4.昼間のうつつ
俯瞰風景のようだ。
お焼香の薫りのする葬儀場。
壇上には、堅実な顔つきをした壮年男性の遺影が置かれている。
風景が変わった。
六畳一間で、数人が、クローゼットの服を段ボールにしまったり、床に散らばった空のペットボトルをビニール袋に入れたりしている。
作業をする男女の落ち込んだ雰囲気から、
故人の住んでいた部屋の片付けをしているのだとわかった。
部屋の隅っこでぼぉっとしている少年が、
「なんでおじちゃんは死んじゃったの?」
と無邪気に言った。
死を悼むという文化をまだ知らぬ、天真爛漫な少年。
「ねぇ、ねぇ、なんで?」
ペットボトルを片付けていた男が手を止めて、少年に向かってしぃと人差し指を立てる。それでも、少年はなんでなんでと、口止まない。
「いいか」
男は少年に向き合った。
「人が死ぬときは二種類あってな、運命か決意か、どちらかなんだ。
決意の死は崇高だ。
おじさんは崇高だったんだ。
自分の力で、確信と意志を持って選んだんだ」
少年はポカンとする。
年月を重ねた人間の喋る言葉は、幼い子にはぴんと来ない。
男は構わずに続ける。
「でもなぁ、俺は決意の死を許さないことにしているんだ。
人はな、生きてて当たり前って顔をして生きてないといけない。
生きるためならなにをしたっていい。
死ぬときは、不意に死ぬんだ。
あらまと思いながらぽっくりか、無念無念でしょうがないって死ぬんだ。
それが運命だ。そうでなくっちゃ、いけない」
「……わかんない」
素直に告げた少年の頭を男はポンと叩き、「おまえも片付け手伝いな」と背中を押す。
俯瞰風景は、そこで終わった。
怜司は瞼を開けた。
ここはどこだと視線を泳がせる。
障子窓から光が差し込んでいる。
漆喰壁で家具はなく、自分はかび臭い布団の上に寝かされている。
木の床はほんのりと土臭い。
体の節々が痛み、腹が重い。
……腹?
と思い、怜司は手を伸ばしてシャツを捲った。
そこには、狐の頭部があった。
怜司は全てを思い出し、息を吐き出す。
――やらかした。
悪霊相手に気を緩めた。
祓い師失格だ。
「貴様、まだぴんぴんしておるでないか」
狐が喋る。
「どうだ? 我が呪いは苦しいか? 辛いか? もう終わりにしてくれと思うか?
よいぞ、泣きついてみればよい。
温情をくれてやる我輩ではないがな」
怜司は全身の倦怠感を感じた。泥沼の底にいるみたいだ。
大きな牧草ロールに押しつぶされているかのように重い。
体を起こすことが出来ず、腕を動かすので精一杯。
情けなさと同時に、姿形を見て言葉を交わせるこの狐怨霊に親近感が湧いた。
「……怨み続けるって、疲れないか?」
怜司が尋ねると、狐は「なに!?」と、ひげをピクリと動かした。
「どうせおまえの恨みって、仲間を喰われたことなんだろうけど、もうそいつら、人間の血肉になってるんだ。喰った方の人間だって死んでる。
もう戻って来ないよ。
喰われたやつは、もう元には戻らない。
もう何年、恨み続けてる? 何百年だ?
もういいかって、思わない?」
「なにを言っても無駄だぞ。貴様はもうすぐ、我が呪いに身を焼き尽くされ、苦しみながら死ぬのだ」
「別に懐柔する気はないけど。
……そうだよ、おまえのせいで身体がだるくって辛いんだ。
いいだろ、紛らわせるのに少しくらい、話をしたって」
狐は笑い声をあげる。
「良いだろう。死にゆくおまえに、面白い話をしてやろう。
――精霊のいる森があり、我輩もそこに暮らしておった。
森に、人の子がよく遊びにやって来た。
そやつらは我らの姿を見て言った。
おいなりはんやで、拝みましょ。
と、不格好な頭をぺこぺこと下げておった。
人の子は祠をつくり、我らを祀った。
そのころは楽しかった。我輩には妻と子どもがいた。
そのうち人の世に災厄がおとずれたらしい。
人の子の様子がおかしくなった。
皮が骨に張り付いたような見てくれになり、腹だけがぽこりと膨らんでおった。
ぽてぽてと歩き、草葉を食っていた。
人の子は、我らにぺこぺことしなくなった。
ばかりか、我らに向かって鉈を振り下ろすようになった。
我が妻と子らは鉈に引き裂かれ、赤い血肉は人の子が喰らった。
川は赤く染まり、森からは精霊が消えた。
人の子らは鹿神をも喰らった。
蛇神をも喰らった。
すべてを喰らった。
兎も狸もいなくなった。
森は彼、力尽きた我輩は、生まれ変わった。
生まれ変わると人の世が変わっておった。
市には我が眷属の肉が露わになって置かれていた。
我輩を拝む人の子はいなくなった。
人の子は己が生のために我が眷属を喰らうのだった。
我輩は人の子を呪い殺すことに決めた。
幾人もの陰陽師が我輩に立ち向かい、封印とやらを施されたこともあった。
しかし封とは時が経てば緩むもの。
我輩は封じを破り、また人の世で人の子を呪い殺す。
これからもな。
今日は、おまえだ。
――どうだ? 面白いであろう?」
怜司は「別に、よくある話だ」と気のない返事をした。というより、痛みが尋常ではなくなってきており、単語を発するだけでも息が上がりそうだった。
狐は気分を害したようで、
「なに!?」と忿怒の表情を浮かべる。
「人の子は当たり前のように肉を喰らった。
なぜだ!? そうまでして生き永らえても、ついには命尽きたのではないか?
我らを殺戮したところで、ついには皮と骨になり果てたではないか!?
だったらなぜ喰らった!?
なぜ我らへの感謝を忘れてまで、生き永らえようとしたのだ!?」
そうか、この狐は人から感謝されて嬉しかったんだな、と怜司は思った。
「……ごめんな……」
怜司は消えそうな声で言った。
「人の子は……生きてて当たり前みたいな顔して……生きていなきゃ、いけないんだ……なにをしたって……いいんだ……」
狐は「詭弁を!!」と吠える。
怜司は表情を歪めた。
頭が割れそうなほどに痛い。頭蓋骨を粉々にしたくなるくらいに。
体が重い。身体をぐちゃぐちゃに潰したくなるくらいに。
眠りたい。この痛みから逃れるために。
――決意の死。
怜司の脳裏に、かつて聞いたことのある言葉が浮かんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます