よく見える目

河村 恵

肩におかれた手

「ちょいと面白い話を聞いたんだがね」

「なんだい」

「人間の目ってのはな、逆さに映っているらしいんだよ」

「なんだよ、おかしなこと言うな」

「いやいや、ピンホールカメラを思い出してみな。あれも逆さに映るだろ」

「へえ、そうかい。ってことは、俺たちみんな、地球にぶら下がって生きてるってことか」

「まあ、足で地べたにつかまってる吊り下げ人形みたいなもんだ」


二人は笑い合った。だが男が急に真顔になり、声を落とした。


「お前、松乃って女を知ってるか」

「……いや、知らねえ」

「おかしいな。実はな、隣町に“よく見える目”を持つ旦那がいてな、俺は生まれた時から目が悪いから欲しいって冗談で言ってみたら、『死んだらお前にやろう』って約束して、先月ぽっくり逝っちまった」

「へっ、まさか」

「俺もたまげたんだがな、本当にくれたんだ。それがこれだよ」


男は懐から巾着を出しだ。

その中を覗くと眼球がたしかにあった。血管がまだ赤黒く残り、湿った光を放っている。


「やめろ! そんなもん持ち歩くな!」

「しっ、大声出すなって、落としちまうだろ。さっそく手術して左の目に入れてもらったんだが、これがよく見えるんだ。看板の字も、向こうの峠の茶屋の娘の顔までな」

「冗談じゃねえ」


もう一人の男は吐き捨てたが、顔色は青ざめていた。


「ところで、本当に松乃を知らんのか」

「……だから知らねえって」

「ふん。じゃあ最近、肩が凝っていねえか?」

「……ああ、半月前から妙に重い気がするんだが、それが、松乃って女とどんな関係があるんだよ」

「教えてやろう。お前の後ろに松乃が立って、肩に手を置いてるんだよ。この目にしたら見えちまったんだよ」

「ふざけるな! 早く追っ払ってくれ!」


男に背を向け腕組みをした。「まいったな」うっかり声がこぼれた。

振り返ると、男がなにやら神妙な顔をしている。見えない誰かと話しているかのように頷いている。


「なあ、松乃さんはこう言ってる。お前さん、一緒に死のうとしたのに、自分だけ逃げたなって」

「あ……あれは……仕方なかったんだ」

「だからな、いつでもお前の首を締められるように、肩に手を置いてるらしい」


首筋に冷たい指の感触が走り、男は悲鳴を飲み込んだ。


「だがな、惚れた男の首を締めることはできねえ、松乃さんは悩んでいたんだがよ、死神に頼んでお前の寿命の蝋燭を借りてきたそうな。今、お前の隣に蝋燭を持って立っている」

「やめろ……蝋燭の火を吹き消されたら、命が尽きるってやつか……」

「そうだ。今にも息を吹きかけようとしてる。松乃さん、最後にお前に気づいてほしくて、俺に頼ってきたってわけだ」

「松乃、俺が悪かった、許してくれ」


部屋の空気が凍りついた。

かすかな吐息が耳元をかすめる。


「待て、待て! 名前…待てったら、消すな!」


男が必死に叫んだ直後、ふっと闇が揺れた。


目を閉じ、恐る恐る開けると、何も変わっていない。

だが、隣にいたはずの男が口を開けたまま倒れていた。


「おい! しっかりしろ! なんでお前が」


ころん、と蝋燭が地面に落ちた。

そこには俺ではなく男の名前が刻まれている。


一瞬、地団駄を踏む松乃が見えた気がした。

その時、背後から冷たい腕が絡みつき、首を絞めつけた。姿はない。


――懐かしい香りが鼻をかすめた。


「……わかった、松乃。悪かった。俺も行くから、許してくれ」


呻きとともに崩れ落ちる。

二つの体が重なり合い、そのまま動かなくなった。


――死んだら俺も良く見えるようになってな。

  一つだけ教えてやる。

  肩が重いときゃ、誰かに手を置かれてるのかもしれねえか

  ら、せいぜい徳を積んで気をつけるんだな。  (完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

よく見える目 河村 恵 @megumi-kawamura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ