霧の街 後日談

次の夜、変わらず街灯の灯りの下でページをめくる。クライマックスに差し掛かるその本『霧の街』では、主人公の少年は実は幽霊だったとわかる。そして幽霊だと気がついた少年は家族に別れを告げる。そして…ページをめくるその瞬間、街灯達が消えてしまう。まだ夜の暗闇が残る公園が朝霧に包まれる。


「あぁっ…!」


小さく声が漏れてしまう。そして何とか読もうと本に顔を近付けたり離したり四苦八苦していると、朝霧の中から少年が現れる。昨日と違いこちらに気付いているようだった。


「おばさん!」


そう言って少年は走って近づいてくる。


「おばさん!昨日は何で突然消えたんだっ!?」


そう言って顔を近づけてくる少年は肩で息をしているようだった。どうやら走って来たようだ。


「さぁ何でかしら?」


笑って誤魔化して、持っている本に栞を挟む。それを見た少年は「何を読んでんだ?」と聞いてくる。


「霧の街って小説。なかなか面白いわ」


そう言って緑の表紙を優しく撫でる。


「おばさんは何でこんな暗い中で読んでんだ?」


そう言われて深くため息を吐いて、少年の頭を本の背表紙で軽く小突く。


「女性をおばさんと呼ぶのはやめなさい。男の子は女性を尊重しなくてはならないの」


少年は小突かれた頭を擦りながら目を逸らす。


「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ…」


「お姐さんよ」


女性は鋭く言い放つ。少年は少し身動ぎし、恥ずかしそうに「うん…」と答える。その後、少年は隣に座り朝日が昇るほんの僅かな時間を共に過ごした。


「君は何で早起きをしているの?」


少年は白んでいる山向こうに目を向けながら、足元に転がる小石を蹴飛ばした。


「僕、家が嫌いなんだ…お父さんもお母さんも、いつも喧嘩ばかりで…」


少年は虚ろな目で転がっていく小石を目で追っていく。


「テストで100点とっても運動会で1位をとっても…2人は僕を見てくれない…2人なんか居なくなればいいのに…」


そう言って少年は俯いてしまう。


「そっか…それは辛いね…今、君の両親はきっといっぱい、いっぱいなんだと思うよ?」


「いっぱい、いっぱい?」


少年は涙目でこちらに顔を向ける。


「そう、体調が良くなかったり、上手くいかないことが起こったり、そういう事が続くと大人の人でもいっぱい、いっぱいになってしまう」


そう言いながら女性はベンチから立ち上がり前へ歩き出す。


「だから、君は少し待っててあげなさい。今は辛いかもしれないけれど、きっと上手くいく。それに…」


そう言って、背を少年に向けていた女性はこちらに振り返り、山向こうから昇る朝日に負けない位の素敵な明るい笑顔を向ける。


「もう、朝よ」


そうして、公園の朝霧は少年と共に消えていく。今日も小説を読み終えることは出来なかった。女性は公園の外へと歩き出し、“また”大きな音が耳元で聞こえた気がした。




「こんばんは」


また街全体が静寂に包まれる、薄暗い朝霧の中から少年が現れる。女性は本に栞を挟んで閉じる。


「こんばんは。今日も早いのね」


少年はこくんと頷いて隣に座る。


「お姐さん。僕、待ってみる。お父さんとお母さんのこと…」


「そう」


正直、上手くいくとは限らない。両親が自然と仲直りすれば1番良いのだろうが、少年にとっていい結果になるとは限らない。それでも…


「きっと、いい方に向かうわよ。君がこんなに悩んでいるんだもの。神様は見ていてくれるわ」


そう言って本の表紙を優しく撫でる。それを見た少年は口を開く。


「お姉さん、ぜんぜん本進んでないね」


「え?」


少年が本に挟まる栞の位置を指差した。


「昨日もここだったよ?」


確かにおかしい。昨日も一昨日も少年にあってから同じ所を読んでいるような気がする。いや、その前もさらにその前も同じ所を読んでいるような気がした。持っていた本がベンチの下へと落ちる。


「お姐さん!?」


少年が心配そうに顔を覗き込み、オロオロしている。


「大丈夫…ちょっとクラっとしただけよ…」


そう言って落ちた本を拾い上げると栞がはらりと落ちる。少年がそれを拾うと公園の朝霧が晴れて朝日が昇る。少年は栞を持ったまま誰も居ない公園に立ち尽くす。




少年はお姐さんに栞を返すために、いつもより早起きをする。外は朝霧がまだ出ておらず、朝とは程遠い。街中は街灯達が煌々こうこうと灯りをともし、いつもより明るいのに何処か不安にさせる様な夜だった。足早に公園へ向かう。公園付近は早くも霧が出ており薄暗い。少年が走ると電柱下で綺麗な花びらが舞い上がる。


公園に入るとお姐さんはいつものベンチに腰を下ろし本を読んでいる。近づくと本から目を離し、こちらにニコリと笑った後に困った顔をする。


「こんばんは。でも少し早過ぎない?」


「これ使えないと困ると思って…」


そう言いながら、綺麗な青い栞をポケットから取り出す。


「ありがとう」


女性はニコリと笑い栞を受け取って、本へと挟む。栞は昨日より前のページへと挟んでいた。


「お姐さん…」


少年はベンチに座ることなく、女性の前で言い淀む。


「どうしたの?」


2人の真上の街灯が僅かに明滅し、夜の霧が濃くなったような気がした。少年は意を決したように言う。


「お姐さんはどうして、同じ所を何度も読んでるの?」


女性は驚いた様に綺麗な青い瞳を見開いて、口を開くが言葉が出ずにすぐに閉じる。そして持っている本の表紙を愛おしそうに撫でる。


「この本は…死んだ父からもらったものなの」


そうして女性は白くて細い、しなやかな指で栞より先のページを開く。


「私は…この本を読んで、父に感想を伝えたかっただけなの…」


女性は静かに、残り僅かなページをめくる。少年はただ黙ってそれを見る事しか出来なかった。


最後のページ、少年は大好きだった家族に別れを告げて、旅立って行く。そうして霧のかかった街は霧が晴れていく。

本を閉じて膝の上へ置く。


「父は生前から本が好きだった。本は心にかかる霧を晴らしてくれるって…」


いつの間にか夜霧は朝霧に変わる。山向こうは白んでおり、もうじき日が昇るだろう。


「面白かったわ。でも、少し子供向けだったかもね」


そういう女性の目には朝露あさつゆの雫が光って見える。


「お姐さんは…これからどうするの?」


少年は分かりきったことを聞いてみる。


「お父さんに私はもう大人なんだよ?って文句を言ってやるわ。もう少しいいチョイスがあったはずよ」


女性は目尻の朝露あさつゆの煌めきをハンカチで拭き取って、手招きをする。近づくと女性から本を渡される。緑の表紙のその本は『霧の街』。


「あなたにあげる。私にはもう必要ないみたいだから」


女性はベンチから立ち上がり、夜より黒い艶やかな髪がふわりと揺らぎ、もうすぐ昇る朝日と対照的だった。


「私はそろそろ行くわ。朝はまだまだ薄暗いんだから、車には気をつけなさいね?」


「わかった。本ありがと!」


女性は振り返り、少年に爽やかに笑いかける。そして背を向けて歩き出す。

街中の霧達が集まって彼女を包む。その光景は白いワンピースを着てるようにも見えた。そして朝日の光が山向こうから降りてきて、彼女は光を昇るように消えていく。


静かになった朝の公園に少年と本だけが残される。ランドセルを背負い直して学校へと向かう。


おわり

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霧の街の小さな秘密 完全なる蛇足 マスク3枚重ね @mskttt8

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