決行

 私の反抗心が折れたことで、塩尻家の方針が満場一致で決まった。


 スマホから『は、は、は、は、は、は、は、は、は、は、は』という、相澤の乾いた笑い声が流れる。


『一時はどうなることかと思ったけど、塩尻一家が表面上は仲直りできそうで良かったよ。……さっきは冷たいことを言ってしまったけど、僕、君たち家族のことが結構好きなんだ。威厳のあるお父さん。しっかり者のお母さん。成績優秀なお姉ちゃん。夢へ向かって一生懸命に努力する弟……。もし僕の家族が生きていたら、こんな感じだったのかなって思わせてくれる。そんな君たちの生活を、もう少しだけ見ていたくなった』


「では……もう一度チャンスを……?」


 恐る恐る口にした父に、相澤は『うん、あげるよ』と答え、続ける。


『よく考えると、君たちには僕のやりたいことに付き合ってもらっているんだもんね。もし僕が自分の家族をよみがえらせることができたのなら、君たちを付き合わせる必要なんてなかったわけだ。僕のわがままを聞いてもらっていることをちょっぴりだけ考慮するよ。それに、塩尻一家をまた壊そうとしている仁美ちゃんも、考えを改めてくれたみたいだからね。もう一回だけチャンスをあげる』


「あ、ああ、あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」


 父はしっかり、はっきりとした声で感謝を述べながら、頭を何度も下げる。


 しゃがんで泣いていた賢太郎も、うずくまっていた母も、父が持つスマホを目掛けて四つん這いですり寄った。そして父と同じように「ありがとうございます! ありがとうございます!」と、繰り返し頭を下げる。


「相澤さん! 俺、ヤソブでナンバーワンの人気漫画家になります! いや、ヤソブだけじゃなくて、世界で一番売れてる漫画家に!」


『ああ、君ならなれるよ、賢太郎くん。僕がバックアップしてあげよう。来年には、君の作品がヤソブの巻頭カラーを飾るんだ。単行本は完結までに300巻は出そう。それと並行して全世界で映画化。漫画の発行部数でも、映画の興行収入でも世界トップになる……。うん、素晴らしい目標だ』


「私は早く腕を治して、家事を完璧にこなします! 家族みんなが自分の夢を叶えることに集中できるよう生活面のサポートをして、相澤さんの理想どおりの家庭作りに貢献します!」


『いいね。でもあせりは禁物だよ、陽子さん。無理せず、ゆっくり治療してね。お金はいくらでも出すから、ご安心を。もしいつまで経っても治らなければ、腕を切り落として義手にしちゃおうか。火炎放射器とか、チェーンソーとかを搭載したかっこいい義手にさ』


 賢太郎と母、それぞれの決意表明に対して相澤は意気盛んに返答していく。どれも現実的とは思えないいびつな答えだが、相澤なら実現してしまうのだろう。


 挙げ句の果てには父まで、


「私は相澤さんに心から気に入っていただける絵を描きます! まがい物ではない、本物の、億単位の値が付く傑作を!」


 と言い出す。


『哲也さんの傑作、待っているよ。……作者が死ぬことで芸術品の価値が上がることもあるけど、そんなことはさせないでね』


「も、もちろんです!」


『それと、これは僕の持論だが、父親の最大の役割は家族を守ることであり、そのために必要なのはお金だけじゃない。勇敢さも必要だと思うんだ。いつだったか、きたならしい駄犬だけんを蹴り飛りばしたときのように、家族に降りかかる火の粉を勇敢に払いけてくれたまえ。いつまでも塩尻一家が、上っ面だけでも幸せな家族として暮らせるように』


 相澤の言葉に父は、テストで百点を取って先生に褒められた小学生のように「はい! もっともっと頑張ります!」と、はきはきとした声で返事をした。もうこの父は、父親ではない。塩尻家の父親は、相澤だ。


『みんなありがとう。気持ちはしっかりと受け取ったよ。あとは、仁美ちゃんだけだね。切れかけた関係を修復するためにも、改めて君の気持ちを聞いておきたいな。できる限りポジティブなものを頼むよ。何かやりたいことはあるかい?』


 相澤が口にした「関係」とは、きっと私たち家族間のものではない。私たち家族と相澤との関係。操り人形と、その操者そうしゃとをつなぐ糸のことだろう。


 私が断ち切ろうとした糸に、自ら絡まっていく……気持ち悪い。蜘蛛の巣に絡め取られた蝶になったかのようだ。だが拒否すれば、今度は絵里がこの怪物の餌食になってしまう。それだけは絶対に避けなければならない。


「私は……仕事を見つけます。父や賢太郎のように、生き甲斐を感じられる仕事を。……そして絵里と、対等な友達として再会します」


『よろしい。仕事探しの条件は以前、哲也さんから伝えたとおり。フルリモートで家にいながら働ける仕事ならどんなものでもいいよ。候補の会社が決まったら、また哲也さん経由で教えてね。すぐに内定を出させるよ。もし働きたい会社がリモート不可だった場合も教えてくれるかな? リモートワークができる環境を整えさせるから』


 私は「はい」と、小さな声で答える。不本意だが、そう答えるしかない。私はまた相澤のおもちゃになることに決めたのだから。


 こんな形で絵里を救うことになるとは思わなかった。


 スマホから、ぱんっと手を叩く音が鳴り、相澤の声が続く。


『よし、では仕切り直しといこう。これより新生・塩尻一家の幕開けだ。また僕を満足させる幸せな家族を演じてくれ。早速、明日やってもらいたいことがあるんだ。これは、幸せな家族なら絶対にやっていること。でも、君たちはまだやっていないことだよ』


 このおぞましい怪物からどんな要求が飛び出してくるのかと身構える。


『僕ね、川辺でバーベキューを楽しんでいる家族が見たい』


 川辺でバーベキュー……ごく普通のことだ。確かに、幸せな家族の休日の過ごし方として定番中の定番。私たちも十五年ほど前にはよくやっていた。だが、この家に来てからはまだやっていない。


 家族総出で暴力団の事務所に殴り込みに行かされるくらいのことを覚悟していたから、きょを突かれた気分だ。


『バーベキュー用の道具を買うお金は、これまでどおり僕が用意する。君たちは明日の午前中までに道具を揃えて、昼から始めてくれ。場所は川のすぐそばで、自然豊かなところだとベストかな。あと、動画の撮影を忘れないようにね。川がしっかり映るように。最低でも六時間はやり続けてほしいな。僕も長い時間楽しみたいからね。動画データは日付が変わる前までに送ってくれると助かるよ』


 バーベキューをやるよう命令されていることに違和感はあるものの、やるべきことは至ってシンプルだ。川辺でわいわいと肉や野菜を焼き、その様子を撮影して動画を相澤に送る。難しいことは何もない。


『そういうことで、よろしく頼むよ。楽しみに待っているからね』


 相澤はそう締めくくった。まだ通話は切れていないが、スマホから彼の声は聞こえてこない。これ以上、相澤からの要求はないようだ。


 私は安心し、ふぅっと息を吐く。父と母と賢太郎は、微笑みながら顔を見合わせた。私が反抗したことで相澤の怒りを買い、無理難題をふっかけられる……という事態にはならなかった。


 これから先もこの程度の要求が続くのであれば、家族と仲が良いふりをしてやり過ごせる。


 相澤が思い描く「幸せな家族」の定義は相変わらず不明なままだが、こいつは話が全く通じないわけではない、ということは分かった。もしまたこいつの意に添わないことをやってしまったとしても、事情を話せば理解してくれる可能性がある。今回だって相澤は、私たちへの支援を事前通告なくやめることだってできたはず。でもそうしなかった。お気に入りのおもちゃなら、壊す前に言い訳を聞くくらいの温情は持ち合わせているのだろう。ならば、いくらでもやりようはある。私はまだ自分の命を取り留めておける。生きていれば、この家から、そして相澤から逃げ出すチャンスを見つけられるはず……。


 そんなことを考えていたとき、「ビュオオオオオオッ」と音を立てながら吹く強風で窓ガラスが揺れた。


 相澤という脅威に気を取られて、私は忘れていた。人間よりも遥かに強大な力を持つ、恐ろしい別の脅威が迫っていることを……。


 “日本列島に接近中の台風十八号は勢力を保ったまま、二日後の九月七日昼頃に関東地方に直撃する予想です。東京都内を中心に、大雨による河川の増水や土砂崩れなどが考えられます。七日は不要不急の外出を控え、頑丈な建物の中で過ごすようにしてください”


 テレビで天気予報を伝えていた女性キャスターの声が脳内で再生される。


 明日は台風十八号が関東に直撃する九月七日だ。しかも、相澤がバーベキューをやるよう指定した時間は昼。予報どおりなら、明日その時間の都内の天気は大荒れであり、川は氾濫はんらんしているだろう。


 そのことに気付いているのは、家族の中で私だけのようだ。父も母も賢太郎も、「明日はバーベキューだぁ!」「たくさん肉を焼きましょう!」「楽しみだなぁ!」と、スマホの向こうにいる相澤に聞こえるようわざとらしく、幸せな家族を演じている。


 明日の昼に川辺でバーベキューをやるなど危険極まりない。自殺行為だ。台風十八号が関東に直撃することを相澤は知っているのだろうか? もし知らずに指示したのであれば、他の過ごし方に変えてもらうか、延期してもらうしかない。


 私の口から確認しなければ……。


「あの、相澤さん、バーベキューですが、明日は」


『雨天、決行』



<了>

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台風BBQ一家 ジロギン2 @jirogin_2

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