大いなる捕食者(プレデター)

斑猫

ああ諸行無常

 彼女が暮らしているのは、女だらけの世界だった。母の腹から生まれ落ちたのちに出会ったのは、同時期に生まれた姉妹たちであり、独立してからは母の姉妹や従姉妹たちがそこここをさまよっていた。

 もしかしたら、曾祖母や祖母の姉妹もいたかもしれないし、逆に姪やその娘などもいたかもしれない。彼女には、彼女たちにはそんな事は些末な事だった。何しろみんな、鏡映し(彼女たちは鏡を知らないが)かと思うほどに似ているのだから。

 但し……彼女たちは全く同じだったわけではない。身にまとう鎧が、彼女らにささやかな個性をもたらしていた。と言っても、実はその鎧も、周囲の治安情勢によって、デザインが変化しているだけだったのだが。


 捕食者がそこここにいる事は、彼女もひしひしと感じていた。妹か従妹か姪か娘かは定かではないが、ともかく若い娘たちのまとう鎧が、年長者たちよりもとげとげしくなっていた。

 それに何より、少し前に顔を合わせた相手が姿を消し、鎧の残骸だけが辺りに散乱しているという状況を何度も目の当たりにした。仔を生んではひっそりと死ぬことを繰り返している彼女たちではあるが、それにしても最近は頻度が多いのではなかろうか。


「牙を持つ悪魔が、最近は増えたもんだからねぇ」


 彼女の疑問に応じてくれたのは、ここいらの中でも最年長の仲間だった。血筋で言えば彼女の祖母の姉に当たるらしい。彼女も相手もあずかり知らぬ事であるが。


「最初はあたしらよりも小さいから、脅威でも何でもないんだ。だけどいつの間にか、あたしらの食事や何やらを掠め取って肥り出して、いつの間にかでっかく育っちまう。最終的には、牙だけであたしらよりも大きくなるんだよ。

 ああそうだとも。そうなったらあたしらには太刀打ちできない。娘たちも、姉さんも、仲の良かった友達だって、あいつらに喰われたよ」

「そんな……」


 悪魔と言う言葉に怯えつつも、彼女は勇気を奮って年長者に問いかける。


「どうすれば、悪魔に太刀打ちできるんですか」

「……鎧を尖らせるしかないね」


 年長者の言葉とつぶらな瞳には、拭いきれぬ諦観が浮かんでいた。


「しかし鎧を尖らせたからと言って、あたしらが悪魔を斃せる訳じゃあない。せいぜい、喰われるのを防ぐ……」


 年長者は、最後まで言い切る事は出来なかった。今しがた話題に上っていた大きな牙の悪魔が、頭から生やした牙でもって、年長者の身体をがっちりと捉えたからだ。年長者の悲鳴が、鎧が軋む音が伝わって来る。

 それでも彼女は何もできなかった。悪魔から逃れるために、ただただ飛び上がって回避するのがやっとだった。


 彼女の背に鎧が生えたのは、年長者が喰い殺された直後の事だった。彼女たちは生まれた時から鎧をまとっているが、ずっと同じ鎧に身を包んでいる訳ではない。成長期は何度も新調するし、大人になってからも時折新調する。

 旧い鎧を脱ぎ捨てて、新しい鎧を新調したのは、きっと仲間が喰い殺されるのを目の当たりにしたからなのかもしれない。それまでは、鎧の残骸を見かけては「誰かが喰われたんだな」と思っていただけだったのだから。

――長老はああ言っていたけれど、鎧の棘で悪魔に一矢報いる事が出来るかもしれない。

 彼女は食事もそこそこに、あちこちをさまよった。仲間たちから変な目で見られたが意に介さなかった。ともかく憎き悪魔を探し出し、闘おうという気概に満ち満ちていた。

 その願いが聞き入れられたのか、彼女は悪魔を見つけ出した。年長者の言う通り、牙だけで彼女の身体と同じ大きさだ。頭や、細長い胴体の巨大さは言うまでもない。

 恐ろしい……彼女は身がすくみ、鎧が軋むような錯覚すら抱いた。子供はいざ知らず、経験を積んだ大人ですらなすすべもなく喰われてしまったのが何故なのか、彼女には解ってしまった。

 それでも彼女は、悪魔へと向かって行った。既に娘たちはいる身だ。もしかしたら、娘の娘もいるかもしれない。それならば、心おきなく闘おうではないか。

 悪魔の顔へと突進した丁度その時――悪魔の身体がふっと浮き上がった。それと共に、彼女の身体も一緒に巻き上がる。何か強い流れが、悪魔と彼女を捉えたようだった。

 先程とは逆に、下方向に押さえつけられる感触があった。悪魔が戸惑ったように奇妙な動きで前進しているのが見える。

 だが次の瞬間には、悪魔は姿を消した。悪魔の周囲が薄暗くなったかと思うと、丸くて黒いナニカに吸い込まれたのだ。

 悪魔が、私たちを食い物にしていた悪魔が消えただと……! 

 しかし彼女が感慨に耽っている間に、巨大な暗雲はこちらに近付いてきた。

 そして彼女もまた、暗雲の先端にある黒々とした闇の中に、吸い込まれていったのである。


「おー、やっぱり生餌の方が、金魚の餌なんかよりも食いつきが良いな」

「ちょっとお兄ちゃん。を金魚が食べるのは良いけれど、棘のあるまで食べちゃったじゃない」

「え、そんなのいたのか。気付かなかったよ」

「気付かないだなんて、ミジンコが可哀想じゃない……」

「まぁでもさ、ミジンコなんて無尽蔵に繁殖するんだから、別に良いじゃないか。しかもさ、こいつらって殆どメスばっかりで、単一生殖するんじゃあなかったっけ」


 へらりと笑う兄に対し、妹は小さくため息をついた。しかし次の瞬間には、兄の視線は妹の顔ではなく、目の前にある水槽に向けられている。

 妹もまた、黙って水槽を眺めた。

 水槽の中には、数匹の金魚(ランチュウの稚魚)が泳いでいた。そして兄が採取したボウフラとミジンコを捕食した金魚は、さも満足げな表情で口を動かしているのだった。

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