6
あれから…… 戦争が終わってから、三十年が経った。
その後、弘幸は暇を見つけては、あの日と同じように国見の真似事をした。閣下が一緒の時もあれば、そうでない時もあった。
地方への出張がある時にも、彼は必ず宝珠を持って行った。要件を済ませると、彼は地図を片手に、その地、あるいはその地に近い戦争の被害地を見下ろせるような高所を目指した。沖縄にも行った。その際、装飾性が高い物とはいえ武器には違いない飾太刀は、置いて行くよりほかなかったが、心を強く保ってさえいれば太刀の守護なしでも数日間はなんとかなることを、彼は経験から覚えた。心配した閣下が伝手を頼って手に入れてくれたお守りを持たせてくれてからは、旅先で怖い経験をすることもなくなった。
宝珠と共に高台から街を見下ろすだけの行為に、何の意味もないかもしれない。あの頃、空襲などの犠牲となった人々を進んで守ろうともせず、命のない宝物の疎開作業に明け暮れていた自分の罪の意識を軽減するためだけの行為かもしれないことも、弘幸は自覚している。自己満足に過ぎないかもしれないと疑いながらも、弘幸は国見の真似事をやめられなかった。なぜならば、宝珠は、その後も、光を発し続けたからである。
最初の時ほど眩い光を放つことはなかったが、弘晃が高い場所から街を見せてやるたびに、宝珠は彼の掌の中で淡い光を発した。それだけではない。発する光が弱くなった代わりに、宝珠は、自らが発する光の強弱に合わせて音を発するようになった。音のほうは、時折話しかけてくる飾太刀の声と同様に、宝珠を手にしている者にしか聴こえないようだったが、弘幸には、宝珠が笑っているようにも歌っているようにも感じた。
ところで、終戦の年に生まれた彼の長男も、今年で三十歳になった。
相変わらず病弱で一年の大半を療養に費やしてはいるが、今でも、ちゃんと生きている。それだけでも大変ありがたいことなのに、彼は、この春、彼が長年密かに想い続けていた(……ということを弘幸はまったく知らなかったのだが、妻は、『私は、ずっと前から気が付いていましたよ』と得意がっている)女性と結婚することができた。病弱ゆえに結婚をためらう息子に業を煮やして、彼女のほうから望んで嫁に来てくれたのだ。
そして、昨晩、息子が父親になることが判明した。
出産予定は来夏だということだったが、今のところ嫁の自己診断に過ぎないとかで、今朝、妻がやたらと張り切って嫁を病院に連れて行った。
「でも、間違いないよな?」
社長という特権を最大限に利用して、ふたりが家に戻ってくるまで自宅のリビングで待つことに決めた弘幸は、ポケットから小さな桐の箱を取り出し、箱の中にあった宝珠を掌の上に乗せた。
嫁の胎内に赤ん坊が宿ったと思われる頃から、この宝珠は、なにやら嬉しげに光っていた。高い所に登ってもいないのに何故に光るのかと案じていたが、今から思えば、宝珠は、とっくの昔に彼女の妊娠に気が付いていたのだ。
「だから医者に診せるまでもなく、紫乃ちゃんのお腹に赤ちゃんがいるのは確実だよね? 生まれてくるのは、男の子かな~? 女の子かな~?」
弘幸は、誰にたずねるでもなく呟いた。すると、『 男 ダ 』という声が頭に浮かんだ。宝珠を守る飾太刀の声である。飾太刀の声を肯定するように、宝珠がきらめいた。
「そっか~男の子か~~ ……って、なんで教えてくれちゃうんだよ?! 生まれてくるまでの楽しみにしようと思っていたのに!」
「お父さん? どうかしたんですか?」
飾太刀の保管されている部屋の方角に向かって文句を言いながら振り返った弘幸を、部屋に入ってきた息子が不思議そうに見ている。息子が現れたことで、宝珠は速やかに光るのを自粛した。
「いいや、なんでもない。ちょっとした独り言だよ」
弘幸は誤魔化し笑いを浮かべた。
「それより、風邪はどうなんだい? 寝てなくてもいいの?」
「昨夜、びっくりしすぎたせいでしょうか。風邪がどっかに行ってしまったようで、今日はかなり調子がいいです。ところで、それ」
弘幸の向い側に腰を下ろした息子が、興味深そうに弘幸の掌の上の宝珠に視線を向ける。
「地球ですか?」
「あ、やっぱり、そう見えるかい?」
弘幸は、珠を陽に透かすように持ち上げた。
今では目にする機会も増えたが、1972年にアポロ17号の乗組員が撮影に成功したという地球の写真が公開された時、弘幸は本当に驚いたものだ。
ザ・ブルー・マーブル ―― 青いビー玉 ―― と名付けられた写真に写る地球は、弘幸が地球儀や地図を見て想像していた以上に碧く、地球儀には描かれることのない筋状の白い雲にふんわりと覆われており、彼が守る宝珠とそっくりな姿をしていた。
「でもね。この瑠璃の珠は、アポロが宇宙を目指す前からあったんだよ」
「瑠璃? あ、本当だ。ガラス玉かと思ったら、天然石を削り出して作ったものなんですね?」
息子が、弘幸が差し出した宝珠に顔を近づけた。
「細工に使うにしては混合成分である白い部分が多かったために、こんなふうに地球っぽい見た目になってしまったんですねえ。偶然とはいえ、本当にそっくりですね」
「偶然ではないかもしれないよ」
ニヤニヤしながら、弘幸は宝珠を布で優しく包むと、箱の中に収めた。だいぶ墨が薄れてはいるが、その箱には、「ルリ ノ クニタマ」という箱書きが小さく残されている。ルリは、瑠璃――すなわちラピスラズリ。クニタマは、おそらく国魂という字をあてるのだろう。国魂とは、土地には精霊や神のような存在が宿っており、それらが土地の豊穣や興廃にかかわっていると信じた人々が、それら――つまり土地神を表すために使ってきた言葉である。
箱書きの文字は、いつの時代かの守り人が、この宝珠と地球との類似性に気が付いて、自分の知る言葉を使って書き残したものだと思われる。あるいは、そもそも瑠璃からこの珠を削り出した誰かは、初めから自分の住んでいる星に似せた珠を作りたかったのかもしれない。だからこそ、あえて、白い混ざりものが多い瑠璃石が宝珠の材料に選ばれたのかもしれない。
もちろん、これは弘幸の推論にすぎない。古代の人々は宇宙から地球を見たことがあるはずがないから、宝珠と地球が似ているのは、ただの偶然である可能性のほうが高い。だけども、この宝珠は、『願いを叶える珠』だと伝えられていた。 『命を繋ぎ育む珠』だとも言われていた。伝えられているにもかかわらず、この珠は、人間の要望に個別に応えることはしないし、できない。
一方、科学が発達するにつれて、宇宙人なる生物は、どこの星にも気軽に存在しているわけではなく 私たちが住んでいるこの星こそが、唯一生物の生存に適した星なのではないかと疑いたくなるほど類まれなる環境を有した星だということがわかってきた。
この星に生まれたからこそ、私たちは生きられる。そして、生きている限り、私たちは自分の頭で考え、自分の手と足を使って未来を作り出す――自分の願いを叶える機会を与えられている。自分の頑張り次第では、大きな奇跡を起こすこともできる。あれほどの敗戦から立ち直った、この国の人々のように。
個別には何もしてくれないけれども、この星は、多くの命を分け隔てなく愛し生かしてくれる。多くの人の願いを叶える手助けをしてくれる。
宝珠と地球。
見た目といい、そのありようといい、偶然で片付けるには似すぎていやしないだろうか?
「ところで。あらためて、おめでとう」
弘幸は、宝珠を収めた箱を膝の上に戻すと、昨晩大騒ぎし過ぎて言い損ねていた祝いの言葉を息子に伝えた。
「ありがとうございます」
若干血色が良くなった息子が、照れくさそうに笑う。
「でも、まだ、ちっとも実感が湧きません。こんな調子で、僕に父親が務まるんでしょうか」
「初めから父親の自覚がある奴なんて、ほどんどいないと思うよ。」
息子の不安を弘幸は笑い飛ばした。
「とりあえずは、子供の父親は自分だってことだけを忘れなければ、なんとでもなるって」
「そんなこと……」
「当たり前だって思っている? でもね、これがなかなか難しいんだよ」
少なくとも、一度は逃げ出した生家に戻ることを決めるまでの弘幸は、その認識が希薄だった。息子の身になにかあったら弘幸の父親のせい、さもなくば父が盲信している老婆のせいだと、自分が親として負うべき責任まで、自分以外の誰かに擦り付けようとしていた気がする。
「どんな理不尽な状況下にあっても、逆に、どんなに恵まれた状況下にあっても、子供を育てる最終責任者は親だよ。でも、だからといって、『誰にも頼るな、独りで育てろ』と言っているわけじゃない。むしろ逆だ。子供に困ったことがあったら、君自身の問題として、誰にでも相談すればいい。そうすれば、みんなが知恵と力を貸してくれる。お父さんの時は、みんなに世話になった。だから、君が父親になった時には、お父さんも、この家のみんなも、喜んで協力するよ」
『 守リ人 ノ 息子 ヨ。 我モ 赤子 ノ 健ヤカナ 成長ヲ 見守ロウ。 カツテ ソナタ ノ 成長 ヲ 見守ッタ ヨウニ! 』
守りの飾太刀までもが高らかに宣言した。宝珠も太刀に同調するように、楽しげに歌う。
驚いたのは息子である。
「あれ? え? 今、誰か、笑った? それより、何か、言いました?」
息子が、見えない声の主を探すように、キョロキョロと視線を動かした。
「きっ、気のせいじゃないかな? 僕には何も聞こえなかったけれども」
宝珠の入った箱を両手で隠しつつ、弘幸は必死に誤魔化した。と、同時に困惑もしていた。
(宝珠の歌は、守り人である自分にしか聞こえないはずなのに)
飾太刀にしても、いつも守り人である自分の頭に直接話しかけてきた。
(でも、待てよ? 順当にいけば、宝珠の次の守り人になる可能性が一番高いのは……)
弘幸は、まだ不思議そうに部屋の中を見回している息子を見た。
(まさか、次の守り人は……)
「お父さん?」
「な、なんでもない」
キョトンとしている息子に、弘幸は勢いよく首を振った。
「お母さんたちが病院から戻ってくるまで、まだ時間がありそうだから、そのへんを散歩してくるよ」
家からほどんど出られないくせに、今や会社にとってなくてはならない存在となった怜悧な息子から余計な追及をされる前に、弘幸は、宝珠と一緒に、そそくさと家から逃げ出した。
どこへ行こうかと束の間迷った後、家のすぐ横の坂道を上り始める。坂の上にある公園に行ってみようと彼は思った。あの公園からでも、街を一望できる。せっかくだから、浮かれ気味の宝珠に、久しぶりに街を見せてやろう。
そして、祈ろう。
生まれてくるすべての命を、この星が愛してくれますように。
生まれてくる子供たちが、どんな逆境にあっても立ち上がる勇気を忘れないでいてくれますように。
次の世代へと命を繋いでいけますように。
いつまでも、そうありますように。
この星によく似た碧い珠と共に、彼は祈り続ける。
(『星は謳う』 END)
星は謳う 風花てい(koharu) @koharukaze
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