その後。


 生家に戻った弘幸は、本家と対等の力をつけ始めた分家の人々や閣下に協力してもらって、息子に人間らしい生活を送らせるよう、父親を説き伏せた。また、家出前に息子が隔離されていた離れを取り壊すことや、天気と体調が良い時ならば息子を庭で遊ばせることも、父に了解させた。 


 他にも、雑菌を運んでくる他者から息子を隔離したがる父親の目を盗んで自由に出入りできるようにと、馴染みの大工に頼み込んで息子の部屋に秘密の抜け道を作ってもらいもしたし、父親が禁止するまでもなく、学校のほうから「そんなに体が弱いのならば来なくてもよい」と言われてしまった息子のために、父が用意した見張り役の男たちを彼の教育係兼友人として味方に引き入れたりもした。 

 見張りのフリをしながら息子の教育係となった男たちは、元はといえば父の会社で世界中を飛び回っていたような者ばかりだったから、知識も経験も人並み以上に持っていた。彼らの話は、息子を夢中にさせた。彼らも彼らで、目を輝かせて自分の話を聞いてくれる息子が可愛くてしかたがないらしく、いつのまにか、弘幸以上に息子の教育に熱心になっていた。


「最近では、私でさえ舌を巻くような議論を彼らとしていたりするんですよ。あの子は、天才かもしれない」

「親馬鹿、ここに極まれりだな」

 家に戻ってから5年ほど後、訪ねるたびに息子を自慢するようになった弘幸を、閣下が笑う。 

「仕事のほうは、どうだね?」

「無能ななりに、なんとか頑張っています。私だけ父に追い出されたら、息子に会いに行けなくなってしまいますから」

「それが、一番大変そうだな。いっそのこと息子に仕事を習ってはどうか? ところで、宝珠の使い方がわかったような気がするよ」

 『今さらだけどね』と、閣下が頭を掻く。彼は、あれから文献を調べたり、方々に訊いて回ってくれたりしたらしい。


「宝珠が収められている桐箱の箱書きから推測するに、『国見』に使われていた祭具ではないかということだ」

「国見って、支配者が高いところに登って、自分の国を見渡すっていうあれですか?」

 国見は、万葉集などにもその記述があったと弘幸は記憶している。たしか、その国の王が 自分の国を一望することで、秋の豊穣や国の繁栄を予祝する一種の祭事のことだったはずだ。同じように土地の持つ力を活性化させる意味合いがある祭事もしくは行事としては、薬狩りと歌垣がある。国見というと、その土地の王が行う厳粛な祭事、薬狩りというと、その土地の民や貴族が行う娯楽に近いものだというイメージがあるが、それは単なる弘幸の思い込みかもしれない。春に行われるものらしい。花見のルーツともいわれる。


「そう考えると、宝珠は、為政者たる者がお持ちになる御品だったのだろう。だけども、いつしか、この宝珠そのものが最高権力者の証として認識されるようになったのかもしれない」

 だが、宝珠は、もともと祝福するためにある宝物であると思われる。 

「だから、人々の権力争いに嫌気がさした宝珠は、自分の意思で逃げ出したんじゃないかな。弘幸のような、大きな家に生まれていても、その権力に何の興味もなく戦いに向いてなさそうな人のところにね」

 だけども、逃げた宝珠を見た人々は、宝珠が王にふさわしい者を選んだのだと思ったに違いない。

「おかげで、人々はますます宝珠を欲しがるようになってしまった」

「そして、宝珠を巡る争いが絶えぬことや、死者になってもまだ権力に固執し宝珠を追ってくる人間の浅ましさをを憂いた誰かが守り刀を作った。……というところですか」

「ありえそうな話だろう?」

 閣下は身を乗り出すように弘幸のほうに体を傾げると、「なあ、せっかくだから、やってみないか?」と誘いかけた。

「は? なにをやろうとおっしゃるのですか?」

「だから、国見の真似事を、だよ」


 東京の市街地をなるべく広く見渡せる高台はどこであろうかと閣下と話し合った結果、駿河台あたりがよろしかろうということになった。

 次の日の朝早く、ふたりは、あらかじめ地図であたりをつけておいた場所に向かった。国見の真似事をするといっても、具体的に何をしたらよいのか、ふたりとも実はわかっていない。『とりあえず上から下を見下ろせばいいのではないか』とか、『万葉集から、それっぽい歌を歌ってみようか』程度の適当過ぎる方針しか立ててこなかった二人だが、実際に街を見下ろす場所に立ってみると、不思議なぐらいに厳粛な気持ちになった。


「焼野原だったのにな」

 閣下が言う。

「どこもかしこも真っ平らで、黒く焦げていて、なにもなかったのに……」

 それが戦争が終わった途端に急ごしらえのバラックが次々に立ち始め、今では、それらのバラックがまた、日々新しい建物に建て替えられている。大きなビルも、増えてきた。当節流行りの復興節ではないが、ここから見える東京は、どっちをむいても屋根ばかり。その屋根の下のひとつひとつに、人が暮らしている。


 戦争で、大切な人を失った人もいるだろう。 

 身ひとつで焼け出された人もいるだろう。


 でも、みんな生きている。 

 深い深い悲しみを抱えたまま、それでも生きて、前に進もうとしている。  


 奇跡などに頼らなくても、人間は、こんなにもたくましい。

 地道に自分の手や足を使って、これほどの奇跡を起こしてしまう。



「すごいよ。ほら、見てごらん」

 弘幸は、背広のポケットから宝珠を取り出すと掌に乗せ、眼下の街を見せてやるかのように腕を伸ばした。 閣下が、ここから見える限りの場所で暮らす人々に畏敬の念を示すかのように、大きく二回、手を打ち合わせた。


 朝の空気をキリリと引き締めるような柏手に合わせて、宝珠が、まばゆい光を放ち始める。それは、この地に暮らす生きとし生ける者すべてを祝福し応援するような、優しく強い光だった。

「今の、見たか?」

「見ました」

 目を真ん丸にして宝珠を凝視しながら、閣下と弘幸は、小さいのだか大きいのだかわからない奇跡の瞬間を目撃したことを確認しあった。 


 そして、願う。


 どうか、この地に暮らす人々が、二度と悲しい目に合わないように。

 彼らと、これからこの地に生まれるであろう彼らの子供や孫たちが、幸せでありますように。


 いつまでも、笑って暮らしていけますように。






 

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