4-5 敵と少女と有限世界

 それから、エイリとジンはたったの二人だけで世界を進んだ。

 まずは東へ進むこと丸二日。

 川を越え、森を抜け、草原を抜ける。緩やかな弧を描く小さな丘を越え、鬱蒼とした林を抜け、時折香る旧文明の色が残る大地を通過する。

 ただただ前へと進み続ける。

 大きな荷物はない、食料も自分たちで狩らなければならない。

 だけれど少女は何の憂いもなく、ただただ前へと視線を伸ばす。

 その先にある、為したいことを為すために。



「なぁ、エイリ。やっぱりあの話信じてるんだよな?」

「あの、村のおばあさんに聞いた話のこと?」

「あぁつかそれ以外に何かあんのか?」

「そうだね、うんないよ。信じてるっていうか、嘘だろうとほんとだろうと、アタシは構わないかな。どちらにしてもアタシは自分でそれを確かめたいから」

「お前は……、そのためにわざわざこんなことをしでかしたってのか?」

「そう、そうなんだよね。こればっかりは自分でも不思議なんだけど、でも……。そう求めずにはいられなかったんだ」


 北へと進路を変更した二人は大地を駆けながら言葉を交わす。

 頬を指す外気は冷たく、街にいたころよりも環境は苛烈さを増していく。

 それでも少女には引き返すなどという選択肢は存在しえなかった。


「にしたってよ……」

「巻き込んで悪かったけど、ここまで来たんだもん最後まで付き合ってよ」

「もとよりそのつもりだけどさ……」


 森を避けるように進路を取りながら、二人は進む。

 一人は迷い、それでも少女を一人きりにしないが為に。

 一人は選び、信じたものの行く末を確認するために。

 どちらが良い、どちらが悪い、とそういった話ではなくただ二人には目的がある、それだけだった。

 川を越え、湖をしり目に、野を進む。幸い水源は豊富だったし、食肉にも困らなかった。

 焦りがないとは言い切れなかったがそれでも二人は目的を違えることなくただただひたすらに前へと進む。

 北に進路を変更してから丸二日ほど経って、初めてエイリの顔色が変化した。


「雪か。街じゃ滅多に降らないし……、寒いな」

「そう、だね」


 声はか細く、目は伏していた。


「どうしたんだよ、急に」

「何でもない」

「んなわけないだろ。今はエイリ、お前と俺しかいねぇんだから、そういうの隠すな」

「悪かったよ。ゴメン、でも本当に何でもないよ。ただね、アタシは雪が嫌い。それだけなの」


 エイリの言葉にジンは、「そうかよ」とだけ呟いて意識を前へと集中し直す。

 それからまた丸二日ほど、今度は雪に塗れた大地を駆けた。

 凍えるような寒さで、獣は前よりもずっと減り、前へと進む時間が狩りの時間に圧迫される。

 けれど、それでもエイリの決意は鈍らない。

 ただ黙って前へと進む。


 そして――、

「海……、それと城だよな」

「やっぱりあったんだね。コレがあるっていうことはつまり……」


 言葉を交わしたエイリは薄っすらと打ち震えるように笑った、それを見るモノはいなかった。


「それで、どうすんだよ?」

「決まってるよ。中に入る」



 城、それは巨大なもので白銀一色の大地に似つかわしい荘厳さだった。

 まずかなり広い、規模としては街の中央特区と同等だろう。

 建造物は旧文明の中世ファンタジーに出てくるような豪奢さと、それから不思議とそれにはそぐわないような歪さを同居させている。


「にしても、すげぇわ」

「ジン、一応止めるときは入り口に寄せて即発進できるように今とは逆向きに止めておいて」

「了解、何があるか分かんねぇもんな」


 エイリは無言で頷き、応じるようにジンもまた首肯する。

 目の前にある巨大な扉を二人は両側から押し開ける。

 ぎぎぎぃと重いドアが重苦しい音を立てて開口される。

 外観とは違い、内装はがらんとしていた。


「ほう、まさかここに来客が来るとはな」


 真広いホールのような玄関口の中央に豪奢に飾り立てられた椅子に鎮座している男が一人。

 その男は右手で頬杖をついて左手に霧のような水晶玉を乗せていた。

 黒い髪、浅黒い肌、眼光だけが真っ赤に輝く大男。

 表情も顔つきも骨格も、足の大きさも、何もかもがエイリたちが知っている人間とは違って見えて、だというのに目の前の大男はどうしようもなく人間にしか見えなかった。


「して、お前たちは何用だ?」


 気怠そうにエイリとジンへ問いかけた。

 二人はドアを閉めることなく屋内へと入って、それから男へと近づいて、軽く頭を下げる。


「この世界の壁の中の街に住んでいる、エイリです」

「同じく、ジンです」

「ほう、我に会いに来て真っ先に自己紹介とは珍しいな。が、生憎我には名乗るほどの名がなくてな、すまんが許せ」


 くかっ、と喉を鳴らして名もなき男は嗤う、いかにも楽しそうに。


「用、というほどでもないのですが……。端的に言って、アタシはあなたに会いに来ました。そして聞きに来ました、あなただけが知っているであろうこの世界のことを」


 エイリの問いかけに、ジンは苦虫をかみつぶしたような表情を作りつつも黙して頷く。


「ほう、ますますもって面白い。我を殺しに来たものはいざ知らず、我に世界を教えろと? よい、興が乗ったぞ、エイリにジンよ。話そうか、我の知る世界のことを」


 高らかな笑い声と共に名もなき王は宣言する。


「さて、何から知りたい? 望むだけ答えようぞ」

「あなたは、一体何者ですか?」


 間髪を入れず、エイリは問う。


「我か、我は世界を破壊するためのシステムの一部、といったところか。前までの世界では『魔王』、とそう呼ばれていた存在よ」

「魔王、ですか……」

「破滅の体現者とも、世界の寿命を終わらせるものとも、災厄の変革者とも、呼ばれていたがな」

「それってつまり、あなたは世界を終わらせるためだけの存在だって、そういうこと、ですか?」


 答えを聞いたジンは確認するかのように問い直す。


「然り。我は終わりそのものよ」

「それでは、なぜ今も世界はこうして滅んでいない、のですか?」


 肯定した男にエイリはなおも問い続ける。


「なぜ未だ滅んでいないか、か。当然の疑問だな、まずはハッキリさせておこう。今からでも我がその気を出せば半日でこの世界を滅ぼしつくせる」

「……っ」


 宣言にジンは息をのむ。彼の生存本能はその言葉が嘘や出鱈目、こけおどしなんかではないと芯から理解した。


「そのうえで、我は知りたいのだよ。この世界の人間がどれだけ強かに生き延びるのかを」


 余裕があるからこその好奇心。


「あんたにとって、あんたにとって俺らは……ッ!」


 ジンの言葉と体をエイリは遮る。


「興味……。つまり、特別な意味はないと、そういうことですか?」

「それはそうだろう。我は人の姿をとってはいるが、だからと言って我を人と同列に語られるのは心外よ」

「あなたは人ではない、と?」

「先ほども言ったであろう、我は終わりを知らせるシステムのようなものでしかない。そんなものに情などあろうはずもなかろう?」

「それでも好奇心や恣意はあるのですよね?」

「痛いところをつく。そうだ、我はシステムではあるが自由裁量は持っているよ」

「なるほど、自由裁量……。それじゃあこの世界についても聞かせてもらえますか?」


 少女は望む答えを手に入れるために、思考を捻る。


「よかろう、好きなだけ答えようぞ」

「この世界は、一体どうなったんですか?」


 どう聞いたものか、と思案したエイリは結局端的にそう問いかけることにしたらしい。


「ほう、面白い着眼点だな、エイリよ」

「面白い、ですか?」

「あぁ、面白いよお前は、我にそんなことを問いかけてきたのはそなたが初めてだからな」


 大男は満足げに喉を鳴らして笑みを作る。


「それで……、」

「そうだな、この世界は……、どう表現したものかな。……、異界化しているんだよ。世界を汚染しているといってもいいな」

「世界を汚染している……?」

「そうだ、異界化している。いや、我がさせているのだがな」

「それはどういう意味?」

「この世界にはもともと無かったはずのものがあるだろう?」

「耐性エネルギー……」

「そうか、貴様たちは『あれ』をそう名付けたか。それはな、我から溢れ出した異界の力よ。つまり、魔王と呼ばれた我から滲み出した、いうなれば魔力。それがこの世界を侵食し汚染して、作り変えている」

「それは……ッ!」


 ジンは驚愕し、あの出来事を思い出した。そう、ジンはまさに世界が変質するその瞬間に立ち会っている。


「どうやらそちらのジンは覚えがあるようだな」

「あれは、お前がやったのか……!」

「それは違うな。我はあくまでここにいるだけよ。ただそれだけでさえ世界を作り変えてしまうほどに強力なシステム。それが我、たったそれだけの話よ」


 悪気や悪意どころか、意思さえ介在しない。だというのに世界を飲み込むほどの圧倒的な強靭さ。それがそれだけがこの男の本質。


「それはあとどの位で世界を飲み込むの?」

「さてな、そう長くは掛かるまい。何せあとはもうこの大地だけだからな」


 男はいう、この列島をすべて飲み込めば世界はすべて魔力と呼ばれる新たな力を受けいれた別種のモノへと成り代わると。


「止める方法はないのかよ!?」

「然り、ある」


 ジンが食って掛かるように吠え、男は笑いと共に肯定する。


「ただ、それを貴様が達成できるとは思えないな」

「ん――ッだと!」

「ジン、抑えて」


 ギリと奥歯を噛み砕かんほどに力を込めたジンをエイリがなだめすかす。


「けどっ!」

「貴様に俺が殺せるか?」


 口角を挙げて、それはそれは愉悦に満ちた表情で魔王と名乗った男は問いかける。

 刺すような、ひりつくような、狂想がそこに確かに介在す。


「――――っ!」


 彼我の差が分からぬほどジンは弱くも愚かでもない。


 だけれど、

「それでも引いちゃいけない、そんな気がする!」

「ジン」


 猛るような宣誓に男は実に愉快そうに笑みを浮かべ、エイリは少年の肩を掴む。


「エイリ止めるな!」

「武器も持たないでどうするの」


 振り向いたジンにエイリは右手用のベニツバキの柄を差し出す。


「悪い使わせてもらう」


 ジンはそれを迷わずに引き抜くと、向き直って構え正面の大男と対峙する。


 だが――、

「ジン悪いけどアタシはこっち側。だからどうしてもそうしたいっていうならアタシのことを踏み越えて」

 ジンを追い越したエイリが真正面に立ちはだかって構えを取る。


 そう、コレが、これこそがエイリの望んだ一つの答え。


「エイ、リ? 一体どういう……?」

「もう一度言うね。ジン、私はこっち側なの。この世界はね完全に不完全過ぎる。だから、一度どちらかに統一されないといけない。そうじゃないと誰も、誰にも幸福なんて訪れないよ。だから、悪いけどアタシはこっち側」


 エイリの宝石のような深緑色の瞳は、だけれど鮮やかに褪めていた。


「アタシと戦いたくないなら、悪いけど一人で帰って。アタシを倒してでもこの人を殺したいならそうするといい。だけど、ジンにそれが出来る? アタシを殺してこの人も殺す。それがジンに出来る?」

「エイリ――ッ!」


 叫び声と共にジンの体は飛び出した。四の五の言っている場合ではない、そう彼は直感していた。


「ほう、いい覚悟だ」


 男のつぶやきは剣戟によってかき消され、直後鮮やかな蹴りを喰らったジンの体が数メートルも弾き飛ばされた。

 ダッと、追撃のためにエイリが駆けだす。

 それは類稀な刃合わせだ。白と紅、姉妹刀はエイリによって分かたれて、エイリとジンが殺し合う。

 エイリにとっては予定調和。

 ジンにとっては青天の霹靂。

 ただ答えは決してしまった。だから二人は刃を交える。


「エェイィリッ!」

「叫ぶなんて余裕あるね」


 勢いを殺し切り、体勢を整えたジンは一歩分の踏み込みで攻勢へと転じ真っ赤な刀身を振りかぶる。

 対してエイリはその刃を『受けなかった』。

 受け太刀をする素振そぶりから鮮やかに手首を返しての完全ななし。

 受けの技術とは一線を画する返しの技術。二刀流で防御主体だったこれまでのエイリとは全く趣向の違う流れるような一閃。

 そのままならば完全に首が飛ぶ。それほどまでに精彩な返しの一撃。

 だが、刃はジンへと届かなかった。


「悪いけど、こっちも全力だ――ッ!」


 首筋に障壁が展開され、それがエイリの凶刃を阻んでいた。

 間髪を入れずに切り返し、それから展開した障壁を操りエイリの動きを抑え込もうと動く。

 行動は迅速だった。

 だが、それでも処理速度で押し負ける。


(クソッ、速ぇ!)


 剣と耐性エネルギーによって生成した力場による挟撃。

 実戦で使うのは初めてとはいえ、その手数は熟練の戦士でさえ捌ききれないであろう。だというのに、エイリはそれを時に受け、ときに躱し、あまつさえ返す。

 剣戟と同時に背面へと力場を形成して逃げ場をなくせば、一歩すんでギリギリに間合いを詰めて刃の直撃をそらし、返しの一撃にタイミングを合わせて障壁を生成すれば、完全に読み切っているかの如く柄頭を打ち込んでくる。

 明らかに人間の知覚速度を超えているとしか思えない挙動。


 そして何より、

(あの衣服の下にはLMスーツがある。剣じゃ胴を抜けない――ッ!)

 狙うならば首、手首より先、ひざ下、それ以外には刃筋が通らない。


 差はもう一つある。

 ジンとエイリの目的の差だ。

 ジンはあくまでエイリを行動不能にし、そのあとで後ろで見物している大男を斬る腹積もり。対するエイリはどうだろう、座った目つき、乱れぬ呼吸、迷わぬ刃筋。

 自らの目的のために友人を手にかけることを厭う様子は見受けられなかった。


「なぁ、エイリ! お前なんで――!?」


 斬撃を交え、あくまでも攻勢を取り続けながらジンは訊く。

 回答は冷徹なる眼光だった。

 ジンの知らないエイリがそこにいる。

 少女は敵対者に対して決して迷わない、決して驕らない、決して妥協を許さない。それが為すために必要だと判断すれば自己の想いなど、意識の沼の底へと簡単に沈めることが出来る。

 何よりそれがエイリがこれまで生き延び続けてきた所以(ゆえん)。


(くそっ、ダメだッ!)

「悪ぃけどさ、命以外は保証できねぇぞ……」


 固い靴底の一撃をベニツバキの刀身で受け止めたジンは苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨て、それからエイリの体を押し返す。

 直後、ジンは薄く弱い力場を同時に三つ生成する。一つ一つの硬度はとても低く、エイリの一太刀を受けきることさえ出来はしない。

 がそもそもにおいて、


「その腕、ねじ切らせて貰うぞ」


 形成した三つの力場はエイリの左腕、肩、肘、手首を抑えている。

 LMキリッドメタルスーツは外からの衝撃にはめっぽう強い。だからジンにはこうするしかなった。生成した力場を回転させてエイリの左腕を丸ごとねじ切る、それしか方法がなかった。成功すればエイリの腕は一生使い物にならなくなる、だからこれまで踏み切れなかった。

 けれど、そんな甘い考えではエイリを止められないと、そう悟った。

 だからジンは、左腕を突き出し手のひらをグッと握り込む。制御用の最後のトリガーを引く。

 血がほとばしった。

 体制は大きく崩れ、鮮血が床を濡らす。


「ジン、あなたも知ってるはずだよね。アタシはネクストだよ」


 NGネクストジェネレーション、通称ネクスト、耐性エネルギーに対して強い抵抗遺伝子を持ち普通よりも身体能力に優れる新人類。

 GP、ギフトパス、遺伝子そのものが耐性汚染にさらされた結果通常とは別種の新たな能力を獲得した新人類。その超常能力はすべてが耐性エネルギーによって引き起こされる。

 


「使い方を間違えちゃダメだよジン」


 ジンの右目へと深々とした切り傷を与えた張本人は、体勢の崩れた彼の右肘の腱へと透くほどに鋭利な刃を突き立てる。

 からんと音が響いた。

 直後にエイリはジンへと最後の追撃を仕掛ける。

 崩れ落ちようとする少年の正中線へと――いっそ驚嘆に値するほどに重く美しい――蹴りを叩き込む。


「――て。……っ!」


 小さなつぶやきは、入り口のバカでかいドアへと激突した衝撃音にかき消された。

 エイリは地に転がったベニツバキを拾い上げ、それから両の刃を鞘へと納める。


「それでエイリ、貴様は我をどうするつもりだ?」

「別に何も……。ただ強いて言えばアタシもこの世界の行く末には興味がある、それだけです」

「くく、クハハハッ! 面白いな、貴様は本当に面白い。我に媚びへつらう悪人などは見飽きたが、貴様のような奴は初めて見たぞ。我に与するつもりも、何かおこぼれに与ろうとすら考えずただ行く末を眺めたいなどとは……!」

「アタシは、この絶望に塗れた世界が変わり切るところが見たい。ただそれだけ……、もしそれを見届けられたら魔王、あなたの寝首を掻くかもしれない」


 玉座に座ったままの大男と対峙して、それでもなおエイリは表情一つ動かさない。


「気に入ったよエイリ。思う存分、思うままにここにいろ。貴様にはその権利を与えてやる」

「それじゃあさ、魔王様一つだけお願いしてもいいかな?」

「訊こう」

「アタシにあなたを名付けさせて?」


 その日高笑いと共に世界の敵には名前が付けられた。


 END

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有限世界と耐性少女―encroachment― 加賀山かがり @kagayamakagari

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