4-4 少女と少年は脱走す
「なぁエイリどこに向かっているんだ?」
「足を取りに、ね」
エイリたちが向かっているのは中央区の西側の外れにある、通称は『耐旧システム課』と呼ばれており、長ったらしい正式名称を『耐性エネルギーと旧文明の遺産を利用した新システム構築研究室』という大型の建物だ。
ゆっくりと白んできた空はさすような冷たい外気を伴っていて容赦がない。
「取りにって、それはあれか? 許可でも取ってるのかよ」
「許可が下りてるように見えるの? したらばジンは大間抜けだと思うけど」
「いや、だよなぁ。なぁエイリ、ほんとにやめた方がいいんじゃ……」
「無駄だよ。アタシはもう止まる気なんかコレッぽっちもないんだから」
エイリは言い切る。レンガ造りの大きなガレージを前にしてそれでもなお一辺の迷いもないらしい。
「アタシが一人で中へ入ってそれからゴーストシステムを奪ってくるから……、そのあとは運転お願い」
「はぁっ? おいおい、ちょっと待てって!? 奪ってって……」
ジンはその言葉に驚きをあらわにする。当然だ、そこまでいけばそれは完全に街への叛逆としかとることが出来ないのだから。が、そもそもにおいてジンは知らない、エイリが既に政務塔へと機密情報を盗みに侵入しているということを。
驚くジンには目もくれずに、エイリはタッと駆け出して赤いレンガ造りの建物へと侵入していく。
その動きは手馴れたものだ。まずは窓へと近づき、壁に張り付いて内側の様子をそっと伺う。中が無人であることを確認し、ふっと息を吐き出して二枚のガラス戸の接点近くへと思い切り裏拳を突き立てる。
早朝に似つかわしくない激しい破砕音が辺りに響き渡った。
それを遠くで見ていたジンは思わず少女の名前を一人ごちた。
「それじゃ、ミッション開始っ」
浅く笑い、ポケットの中からペンライトを取り出し明かりをつけて口へと咥える。
かちゃりっと外から窓のカギを開けたエイリはさっとそれを開けて中へと侵入していく。
資料室らしいその部屋のドアへと素早く近づき、内側から鍵を開錠して廊下へと踊り出す。
特に何もない廊下。レンガ造りで簡素、けれどどこか懐かしみのある景観。根源的な懐古さ、そんなもので満たされた建造物。
迷うことなくエイリは進む。少女が目指しているのは建物内で最も大きな面積を占有しているガーレジ。その場所は外観からでも容易に窺い知ることができて、だから進むべき先もはっきりとしている。
「この先のはず……」
足音を殺して通路を進みながらエイリは小さな呟きを吐き落とす。内部が相当に複雑に入り組んでいない限りは少女の進路は正しいはずだ。確かにこの建物は機密事項の塊ではあるが、だとしても情報を盗み出して有用に活用することが出来る組織などこの街にはありはしない。よって情報保全のために複雑な機構を取り入れることは無意味。
以上のことからエイリはこの通路が素直な作りをしている、とそう断定する。
狭い通路を前後左右を警戒しながら進む。時刻が早いだけに職員はおらず、警備のものもいないがそれでも少女は警戒する。
不測の事態などいくらでも起こり得る、それはエイリにとって当たり前の教訓だ。
そしてそれを徹底的に勘定に入れていなかったがために、少女は親友を失った。
だから――――、
「やっぱりここは鍵が掛かってるよね」
通路を進み切ったエイリの前には白い扉。飾り気などない武骨な立ち姿にはある種の近親感を抱くほどだった。
手のひらを当てて、そのまま軽く音のならない程度に指で叩く。ひんやりとした冷たい感触と、有機的な柔らかい振動が同居しているようだった。
「材質は……、多分薄い金属板、それで覆った木材。厚みはかなりある……」
エイリが真っ先に考えたのはこのドアをシロツバキで斬り破るという方法。少女の
「これは、想定よりも大分厚いかな……」
扉の厚さは想定以上だった。数センチ、下手をしたら十センチに届くかもしれないほどに分厚い木材と金属のドア。何かがあった時のセーフティとしてはこれ以上ないくらい頑強な防備だ。
「まぁ妥当だよね」
何かがあったとき、とは機密保持以外の観点もある。むしろ設計目的上はそちらへの対応策の方がメインであるはずだ。
つまり旧文明の遺産と耐性エネルギーの研究時に発生する莫大なエネルギーを伴った事故。それに対応するための設備がこの建造物のあちこちに内蔵されていて、この分厚いドアもその一つだ。
「けど、それだけで手詰まりになるようならこんな大それたことはしないよ」
誰にともなく宣言し、左手でシロツバキを抜き出し、ドアの前で片手正眼に構える。
瞬間、空白。
一閃が走る。
シロツバキの刀身が深々とドアへと突き立てられ、柄から手を放したエイリはダメ押しとばかりに柄頭へと真正面から蹴りを叩き込める。
結局のところエイリは剣でドアをこじ開けることにした。ただし斬り破るつもりはない。何故ならば少女が狙ったのはドアと壁の境目、つまり鍵の部分を物理的に破壊してしまおうと考えたのだ。
いくら頑強なドアを作ろうとも鍵を物理的に破壊してしまえば無意味。旧文明で最大の大国ではその行動を指してマスターキーと称したほどだ。
放した柄を掴みなおし、ドアへと足をかけてシロツバキの透明な刃をずるりと引き抜く。エイリが押さえに使っていた左足を退ければ、がらんと枷が外れたようにドアが勝手に開かれる。
「……、」
「んあ、なんだよこんな時間に来客かぁ?」
扉の中は明るかった。広いただただ広いガレージ。エイリにはそこにあるのが機械であるということだけしか分からないようなものがゴロゴロしている。けれど、それだけの空間。
そんな大きな機械の下から這い出してきた男はスパナを片手に持って眠そうな目を擦っていた。
浅黒い肌の筋肉質な大男。こんな時間まで熱心に機械いじりをしてる人物など一人しかいない。
エイリは近づきながら口に咥えたペンライトを制服のポケットへとしまう。
「リョウジさん……」
「んん? おう、統括のところの嬢ちゃんか。なんだこんな時間に」
立ち上がって頭を書いている男に向かってエイリは近づき、それから左手に持ったシロツバキを
「嬢ちゃんこれはどういうつもりだ?」
切っ先は男の首元へと突き付けられており、だけれど当の男はどこか余裕がある様子だ。
「ゴーストシステムはどこに置いてますか?」
「あれか、あれはガレージの奥だよ」
白旗を挙げるかのように両手を持ち上げ、さらに左手親指でガレージの奥を指さす。
「ありがとう。このまま動かないでくれるとうれしいです」
「そいつは……」
反論しようと口を動かそうとした大男へ向けてエイリはギロリと睨みをつける。
「おぉ、怖い分かったよ。動かねぇよ」
観念したように息を吐き出して、それからヤレヤレと頭を下げる。
男の動作を見届けたエイリはため息を飲み込み、背を向け奥へと歩き出した。
「――――ッ!」
男はその隙を見逃さなかった。これはエイリの落ち度である。何故ならば相手が武器になりそうなものを持ったままでいることを黙認していたのだから。
相手に反撃の機会を与えたというのがエイリの落ち度だとすれば、リョウジ課長の落ち度とは何だろうか。
それは偏に彼が戦いに慣れていなかった、ということだろう。いや、もう一つ踏み込もうか。つまり、人間同士の殺し合いに慣れていなかったということだ。
灯火は一瞬でかき消された。
赤が跳ねて、朱が踊る。
エイリは頬に付着した紅を手のひらで拭い、透明な刀身を伝う緋色を振り払いそれから刀身を鞘へと戻す。
「……、ゴメンナサイ」
ガランッとスパナが派手な音を立てて床を転がり、直後に男が呻き声を挙げながら崩れ落ちた。
エイリの視線は驚くほどに色がなく、ただ淡々と死にゆく男の喉に刻み込まれた傷を眺めていた。
恐らくすぐに手当てをすれば命は助かるだろう。
だが――、
少女は倒れ伏した男に背を向け、ガレージの奥へと進んで行く。
進行する血だまりは刻々と男のかがり火を吹き消していくかのようだった。
ガレージの一番奥までやってきたエイリはそこで目的のものを発見する。
ゴーストシステム。旧文明の設計図を基に復元し、機構の一部を耐性エネルギーを利用して運用するように変化させた自動二輪車。つまり、耐性エネルギーをエンジン部に据えたバイク。
ハンドルに柔らかく触れ、それからゆっくりと息を吐き出す。
「起きて」
呼吸を整えて手のひらから精製した耐性エネルギーを機体へと流し込めば、ぶぅんという乾いた駆動音と共に機体が深く濃い紫色を発色する。
エイリはそのまま機体に跨らずにガレージのシャッター前へと押していく。
ちらりと横目で血に伏した男の体を覗き、その横を無言で通過する。
エイリの正面を金属で作られたシャッターが阻む。ゴーストシステムから手を放して右手で真っ赤な刀身を持つベニツバキを抜き出し振う。
剣戟は都合三度火花を散らし、正面の障害を易々と切り払った。
ぎぎと音を鳴らしたそれをエイリが蹴破れば、ばぁんという音が閑散した朝を突き破る。
それからもう一度機体へと手を伸ばす。
エイリは何も言わない、ただ黙って残心もなくその場を後にする。
それはある種の決意と覚悟。
もう後戻りなど出来ないのだから。
「それで、エイリほんとにこっちなのか?」
「うんこのまままっすぐ。小さな小屋みたいなのがあったら機体ごとそのまま中に突っ込んで」
朝焼けの街の中をゴーストシステムが駆ける。
鮮やかな明け色の中で淡く輝く藤色はどこか毒を感じさせるようだった。
「あれだよ。そのまま突っ込んで」
「分かった、けど舌噛むなよ!」
木製の簡素な扉へと向かってジンはハンドルを思い切り回して突っ込む。
派手な追突音が静かな街を瞬間的に蹂躙し、それからまた静まり返る。
「ジン、舌噛まなかった?」
「それはこっちのセリフだよ」
「それもそうだね。取りあえず一旦運転代わって」
「いいけど、なんでだ? 道なら指示してくれれば……」
「口頭指示で迷わない自信がないの、だからここ抜けるまではアタシがやりたい」
「りょーかい。分かったよ」
徐々に速度を落とし車体が止まる。それから運転席と後部座席を交代してもう一度機体にエネルギーを吹き込む。
濃紺の光と共に駆動音が再始動する。
そして、エイリとジンは暗闇を進む。基本的には北を目指して、場所によっては西に東に舵を切る。
下水道は一本道ではなく、入り組み曲がりくねっている。その上外とは比べ物にならないくらいに悪臭が漂っている。
それでも少女は眉一つ動かさずに機体を操る。少年は難しい顔をして表情を歪めるばかりだ。
ある一画を過ぎると、通路の本数が激減した。
「変わったな」
「ここからならもう迷う心配はないよ」
「そっか、んじゃとりえあずは外まで任せるよ」
「分かった」
短く言葉を交わして二人はまた無言になる。
無言のまま薄暗い地下水路をひた走る。暗闇、先の見えない根源的な恐怖。その中をただただ走る。音はある、声はない。
ただ、心に決めた目的のために。
「ジン、口閉じてね。弾む」
すぅと目を細めてエイリが声をかけた瞬間に機体が大きく弾んだ。
直後、衝撃が響く。
だががが、と石造りの階段をゴーストシステムの機体が無理やりに駆け上げる。
「ここを昇り切ったらすぐだから――ッ!」
振動にさえ顔色一つ変えずにエイリは告げる。
隠し通路もへったくれも全くない一本道。だというのにどうして街の人のほとんどが外への通路があると知らないのか、知らされないのか。理由事態は単純だった、それは臭いである。
地下、暗い場所、人目につかない場所。そんなところは人の好奇心と恐怖心を呼び寄せる、けれどそこに悪臭が加わればどうだろうか。
人は臭い場所へとは近づきたがらない。当然の心理であり、この地下通路が一般的には秘匿され続けた経緯でもある。
そして数十メートルほど階段を駆け上がって、木製の古ぼけたドアを突き破る。
がぁんと白日のもとへと晒される。
いつの間にか夜は明けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます