4-3 少女と塔と情報と

 単身で祭りから抜け出してきたエイリは薄闇の街中を歩く。かたん、たん、たたん、かたん。リズムを取り、靴音をわざと鳴らす。

 それは果たしてどんな心境か。

 ただ貼り付けられた薄ら笑いだけが少女の感情を指し示す。

 歓喜か、狂嘲きょうちょうか。はたまたどちらでもありはしないのか。

 ただ一つ確かなことはある。

 エイリはすべての迷いを捨て去った。

 良いモノも、悪いモノもその全てを捨て去った。だから少女はもう一秒ですら、瞬き一回分の隙間さえも躊躇ためらったりしないだろう。


「選んだよ、義父とうさん。アタシはちゃんとアタシが為すべきことを選んだよ」


 エイリは唄う。戦うように、嘲るように。

 かつん、かつん、かつん。

 表通りは祭りで賑わっている。なればタダでさえ人通りの少ない裏通りに閑古鳥が鳴くのは必然と言えよう。

 エイリは靴音を鳴らして、自らの居場所をアピールするようにある場所を目指す。

 そこは通いなれた場所だ。この数年で何度も何度も足を運び、何度も何度も血を浴びて帰ってきた場所。

 少女の目的地は街の中枢、政務塔だ。


「悪いけど、あの本の中身を見せてもらうよ」


 政務塔内部のどこかに保管されているであろうエイリ自身が回収した謎の古書。その中身を確認する。それだけのためにエイリは行動を起こしたのだ。

 少女の行動に正義はない。それはエイリ自身よくよく分かっていることで、それでも止まらないと心に決めていた。

 だからこそ、こうして足音を鳴らして歩き続ける。

 音を鳴らして自身がここにいることをアピールしながら、それでもたった一つの答えを得るために前へと進む。

 例え何を傷つけて何を壊し、最終的に自己さえ否定することになったとしてもエイリの足は止まらないだろう、それが少女が少女に課した理由であるのだから。


「こんばんは」

「夜間は一応許可のない人は入れないことになってますので……」


 政務塔の前に陣取っている警備員に声をかけたエイリだが、返答はつれないモノだった。

 まぁ当然当たり前か、少女はそう勝手に得心してそれから短く息を吐き出す。


「ゴメンナサイ」


 流麗にお辞儀をして、それから足のばねを使って飛び跳ね、警備員の男の首筋へと強烈な回し蹴りを見舞う。

 息をのむほど圧倒的で反射すら許さないほどに意識の隙間を狙った一撃だった。


「夜の警備は二人組にした方がよさそうだよ、義父とうさん」


 そして、倒れた男の腰だめにつけられた鍵の束を何の気なしに回収する。

 現状エイリにはシロツバキとベニツバキもあり、鍵のかかった扉を破壊して侵入することも容易い。が、それでも余計な騒ぎを起こす必要性もまた感じられない。

 室内の明かりのほとんどが落ちた政務塔へとエイリは進入する。最上階の明かりが消えていないことを考えればこの場所に統括――つまりエイリの義父ちち――がいるのはまず間違いない。

 するりと、ドアの内側へと体を滑らせ屋内へと侵入していく。

 中は暗く、人もいない。それでもエイリは慎重を期す。


「すぅ、はぁすぅ。誰もいないね」


 抜き足と差し足を利用しての消音歩行。エイリが潜入して任務を完遂する場合の基本技術の内の一つだ。それをこんな形で利用することになるとは当の本人も考えてもいなかった。

 一階には特に調べるべきところもないためさっさと階段を昇り上へと上がる。

 二階三階にも同じく用はない。

 エイリが見て回らなければならないと考えているのは四、五、六、そして七階。

 四階と五階は政務官たちが個々の仕事をするためのスペースになっている。六階が大きな会議室が一つに小規模な会議場が三つ。それから七階が統括の執務室と重要機密の保管庫。

 ついでに言えば各階に金庫が併設されており、貴重品はそこへとしまわれている場合が多い。

 が、そもそも今のエイリの目的は金品ではない。だから金庫を探る必要性は薄い。


「最悪の場合は金庫破りも視野に入れないと、なんだよね……」


 少女にとってあってほしくない可能性のうちの一つ。そしてもう一つは統括役本人が本を手元に置いているという事態。

 この二つのどちらかがエイリにとって想定しうる最悪の事態。特に七階の金庫に保管されていた場合、エイリにはお手上げだ。


「違うといいんだけど……」


 エイリは四階の個人執務室へとやって来て、そぅと音を立てずに一部屋一部屋盗み出した鍵を使って調べていく。

 個室には執務用の机と、資料を詰め込んだ大きな本棚、それから小さなくず入れ。そのほかの細々したものについては部屋ごとに差異が激しく、特筆出来ない。

 一部屋ずつ丹念に調べていく。幸いなことに今はまだ時計が回り切るには時間が早い。つまりは調べる時間はたっぷりとある。

 まずは本棚、普通の資料から、バインダーに挟まれているものまで多種多様。


「木を隠すには森の中、だよね」


 本を隠すには本棚にしまって紛れ込ませてしまうのが最も簡単な方法だ。ただしなにもそのままでというわけにはいかない。当然だ、本の背表紙は基本的にその本を見つけるために存在しているのだから。


「何の隠ぺい工作もなしにただ本を棚に突っ込むなんてことはあり得ない」


 なればそれを調べる方法を用いればいい。

 方法は単純、上掛けカバーを見破るには指の腹で本の背表紙を叩けばいい。普通の本よりも空間的な遊びの層が多いものが本命大当たりであるのだから。

 なぜ、そんなことが軽く分かるのかといえばそれはエイリがネクストであるから、それに集約されてしまう。

 ネクストは抜本的に身体能力に優れている。それは何も筋力や骨の強度だけ、という話ではなく、視力、聴力、触覚、嗅覚、味覚。その全てが鋭敏で、だからこそ分かる。

 指先で叩いた物体に伝わる振動の違いを読み取る程度は集中すれば苦も無く行えてしまう。

 とん、とん、とん、とん。

 とエイリは指で本の背表紙を次々に叩いて確かめていく。

 それから、机の引き出しを開けて中を調べる。

 一部屋目は外れ。二部屋目も、三部屋目も外れだった。

 エイリはどんどん、どんどんと名前も知らないお偉い方の執務室を調べまわっていく。

 一部屋に時間はかけられない。個室の数は四十二で内二つは未使用、よって調べるべき部屋は最大で四十。一部屋五分で捜索しおえたとしても三時間二十分は掛かってしまう。悠長なことをしていれば最悪の場合統括と鉢合わせることになり、そうなってしまえばエイリには逃げ場はなく、言い逃れも出来ない。


「義父さんに見つかる前にけりをつけないと」


 集中し、次々に家探しをしていく。



「見つけた」


 エイリの手がそれへと届いたのは二十三番目の個室――少女は知る由もないがそこはカナエの父の執務室である――だった。

 明りのない室内は暗く、カバーなどまるきり判別がつけられない。だが、迷わずに本棚から厚いカバーをかけられた本を抜き出し、そして表紙をめくり、素早くカバーを外す。

 そして中身の本の本当のカバーを手で撫でる。


「これは……?」


 だが、手触りがおかしかった。

 エイリはその手触りをよく覚えている。固く、ごわごわとしていて、ほんのりとかび臭い。そんな本だった。

 が、今少女の手に納まっている本はそれとはまったく別の感触を与えてくれていた。

 つるりとしていて滑らかで硬質。書籍の表紙というよりも、何か木で表紙をあつらえたような特別感。

 エイリの求めていたものとは明らかに違うソレ。だけれど少女は迷わなかった、迷わずに制服のポケットから光量が弱く、殆ど使い物にならないペンライトを取り出し、部屋のドアが閉まっていることを目視で確認する。

 それから、光源をページへとかなり近づけて記載されている文字を追いかける。


「なるほど、これは……」


 短く息を吐き出して、それからぴくりと首をはねあげた。

 それは小さな音だった、僅かで微かな音だった。


(足音……、ってことは……)


 このタイミングでの足音など可能性としては一つしかない。

 だから――、



「……? これは……、」


 超過していたタスクにケリをつけた街の統括はギリギリ日付が変わったころに統括政務室を後にした。

 そして、階を一つ下ったその先で奇妙な違和感を感知する。

 もう十年以上もこの場所で仕事をしている彼にとって暗闇の中とはいえ些細な違和感でさえ理解できてしまう。ただしそれは、理解からくる直観であるため何に違和感を覚えたのかというところを正確に把握することは出来ていなかった。

 だが、それでも男の行動は正確だった。

 真っ先に、≪ある≫部屋へと足を向ける。所在は政務塔六○二、ニナミ卿の執務室。

 ガチャリ、と扉を開けばひゅぅと一陣が吹き込んだ。

 寒いな、と男は考えて眉間にしわを寄せる。

 おかしなことは三つあった。現状の季節が冬に差し掛かっているとはいえ、室内の温度が低すぎること。そもそも室内に風が吹き込むということ。そして、真暗い部屋でカーテンがはためいていること。


「侵入者か……!」


 窓が開け放たれて内気と外気が循環している、肌寒いのは当たり前だった。


「くそっ――ッ!」


 統括は慌てて開かれた窓へと駆け寄り、外を見下ろす。眼下には真っ暗な街が広がっていて明りはほとんどない。すでに祭りも終わっているため人の流れも引けてしまっている。だというのに怪しい人物を見つけることは叶わなかった。


「チッ、逃げおおせた後か……」


 男は忌々しげに呟いて、それから表情をしかめて足早にその部屋を後にする。

 まず必要なのは明り、その次に人手、それから何がなくなったのかを調べるために部屋の主。真っ先に召喚すべきはそのあたりだろう。

 頭の中で算盤を叩き、算段をつけその後の対応についても思考を走らせる。


「必要なことは分かっている。キツネを逃がす趣味はないんだ、絶対に捕まえる……」


 ぎりと奥歯を強くかみしめ、唾棄するように吐き捨て、それからそのダークスーツと共に暗がりの奥へと進んで行った。



「ゴメンね、義父とうさん」


 エイリは七階の壁にピタリと逆さまで張り付いたままで、ぽつりとそう呟きを落とした。

 するする、と配管を伝い下層へとそのまま降りていく。

 エイリが何をしたかというのは単純だ。窓を開いて外へと逃げたように見せかけ、自身は上階の壁へと張り付き相手の死角をつく。

 一歩間違えれば発見されるリスクもあったが、窓から逃げた人を追うために上階を気にする人物はまれだと、エイリはそういう判断をした。

 目論見は見事に功を奏し少女はまんまと義父ちちを騙しおおせた。


「さてと、コレの中身を精査して、それから……」


 排水パイプを伝って二階分下り、政務塔五階の外壁から影に覆われた黒い地面を見極めて、それからふっと息を吐き出して飛び降りる。

 高さ十四、五メートルから安全帯もなしのフルダイブ。

 高い、常人ならば間違いなく受け身も取れず全身をむち打ちにされる程度には高い。

 だけれど、エイリにとってこの高さから飛び降りることは日常的とはいえないまでもそれなりに慣れた行動だ。このくらいは平然とこなせなければ少女の命は既に尽きているはずだ。

 接地して、衝撃を殺すために地面を転がる。数歩分転がりながら地を進み、勢いをつけたままに立ち上がって政務塔を囲う小さな壁を飛び越える。


「場所は……、どこがいいかな」


 息を吐き出して走り出す。目的地は決まっていないが、まずはこの場所を離れることが肝要だった。

 エイリは夜の街を一人走る。暗闇に足音だけを響かせ、どうしようもなく目を伏せたままで。


「ここ、なんだ……」


 たどり着いたのは数時間前にエイリがカナエの意識を刈り取った場所。つまり、桜並木の外れにある小さな小さな休憩公園。

 現在そこには誰もいない。意識を奪い取ったカナエも、街の喧騒に紛れていたほかの人々も、いない。ただ暗闇の中にエイリだけが取り残されたようだった。

 それは未練か、残心か。ただ一つ腰を下ろして本に目を通すには悪くない場所だ。

 エイリは、少しだけ迷った様子で足踏みをして、それから目を瞑り小さく頷く。

 悪くない、とそう考えた。

 腰を下ろし、無意識に右足を上にして足を組んだ少女はペンライトを口に咥えて、それからつるりとした手触りの本を開く。


「この街の地下に関する記述……」


 エイリが見つけた本に記されていたのは街の地下に関連する古い資料をまとめ直したものだったのだ。

 一つ、街の地下の下水道は旧文明のものを流用している。

 一つ、下水以外にも地下にはいくつかの通路が存在していること。

 一つ、街の地下には壁の下を通っている出入り口は複数存在している。

 一つ、街の地下水路には汚水処理以外にも役割が存在している。

 役割や歴史的観点からの街のあり方や水路の運用方法、何故からどうして、までがびっしりと書き込まれていたが、重要な点を簡単に抜き出せば以上の四点だろう。

 空は未だ夜の色を濃く残し、星の輝きも絶え間ない。だけれど間違いなく夜明けは近かった。


「うん、目当ての本じゃなかったけど、それでも目当てのものは手に入った、かな」

「そうかよ、エイリ。それでお前はどこに行くつもりなんだ」

「ジン……、止めても無駄だよ。最悪、力づくでも押しとおるから」


 本を閉じ、節目のままで顔を挙げたエイリは自分の真後ろに立っているジンへとこともなげにそう突き返す。

 口へと加えていたペンライトを右手でつまみ軽く操作して明りを消し、ポケットへとしまう。


「いや、俺は止めるつもりで来たんじゃねぇよ」

「そっか、それなら助かる……。カナエを運んでくれたのもジンでいいの?」

「あぁ、まだ寝てるよ。見つけたときは正直心臓停まるほど心配した」

「ゴメン、それとありがと」

「けどな、だからと言って俺はお前のことも一人にしないぞ」

「どういう意味?」

「何かをするつもりなら俺を一緒に連れていけって言ってるんだよ」

「そんなことをしたら……、カナエが悲しむよ。それにカナエを一人にするつもり?」

「いや、おまえを一人にしないことの方をカナエだって望むよ。間違いなくな」

「……、それはまぁ確かにそうかもしれないけど。でも、だからと言ってアタシだってカナエを一人にはしたくないよ」

「そうかよ。けどな、おまえが引く気がないように俺だって引く気はないんだ」

「そっか。じゃぁ、まっ、いいよ。丁度アタシの進路も決まったところだから連れてったげる」


 薄らとした笑いは誰に気が付かれることもなく朝の闇の中へと消えていた。

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