第5話
「前の人はね……能力を、放棄した。能力者であることを辞めて、作家になったんだ。職業作家に」
(えええええ?!)
「能力者がお話を作り続けるとね、腕が磨かれるんだ。それはもう、格段に。だってさ、自分が書いたことがどうなるのか、実際に見られるんだからね。悪いとこ直しながら、試行錯誤して結果を見届けられる。筆力爆上がりっすよ。そうなるとさ……さっきも言ったデショ? 名前を、名乗りたくなるんだよ。世間に認められたい、って」
(ああ………そうか)
「作家をやりながら、能力者であり続けることも出来る。資格、ということだけならね。でも、フィクションと、世界の創造は、そうそう両立出来るもんじゃない」
(世界の、創造……)
「能力者の看板だけぶら下げられても困るんだ。たくさんの想像力を紡いでいかなきゃ、この世界は終わるんだから」
(この世界は、想像力で成り立っている……)
「だから、どちらかを選んでもらうことになる。作家か、能力者か。それで彼は、ペンを折った」
(ペンを、折る?)
「そう。それが契約終了の儀式。比喩的な表現じゃなく、物理的に、ポキっとね。いかれたよね」
(い……痛かった?)
「いや、痛くはないよ。ペンだし。でもやっぱ、お別れはさみしいよね」
(そう……そうよね)
「自分が能力者だった記憶も消えるからね。もちろん僕が存在した記憶も」
(そうなんだ……)
「うん。能力を手放すって、そういうことだから。でも、磨かれた文章作成スキルは残るから、大丈夫。創作意欲を失わない限りはね」
(創作意欲を、失わない、限り……)
妙に、心に刺さる言葉だ。胸の奥に小さな痛みが生じ、じわりと滲んだ。
「そういうわけだからさ、気楽にやってみない? 小説形式はもちろん、箇条書きや殴り書きでも大丈夫。ペンのキャップを外して物語を書き、署名する。それだけで物語は現実になっていく。ほら、無理だと思ったらポキっといけば良いわけだし……あ、最近はね、時代のニーズに合わせて、パソコンで出力した原稿に署名するだけでもオッケーでぇす」
(気楽に、って……そうは言っても……)
「大丈夫だってぇ。君以外にも能力者はいるから、責任を背負うのは君だけじゃない。ネタが被ったら筆力バトルになるだろうけど、そうそう被らないし」
(能力者、他にも居るんだ)
「うん。世界各地にね。最初はさ、小さなことから書けば良いよ。この世界だって、最初に決まってたのは初期設定だけだったんだから」
(この世界の、初期設定?)
「そう。まず天や地や水を作って、昼と夜って現象を決めて、植物やら動物、人間を少しずつ作って……確か、設定決めるだけで一週間ぐらいかかったらしい。今となってみればさ、昼と夜って概念は特に秀逸だよねぇ~。この概念から、どれだけのドラマが派生したか考えるとさ~」
愕然として声も出ない私をよそに、ペン太はうっとりと目を閉じ、それでもペラペラと話し続ける。
「とにかく、最初から世界を作るなら、それくらい丁寧に、ゆっくりで良いんだよ。大体さ、最近の能力者って異世界作りすぎなんだよね。なにあれ、ブームなの? 魔王だの不思議生物だの、冒険だ召喚だと妙に世界観作り込んだ割にはすぐ破綻して、より強固な異世界に引きずられちゃってさぁ」
(ちょ……)
「挙句、自分の作った世界に飛び込んじゃって戻れなくなってさ。ペンぽきー、ですよ。そのたんびにこっちは新しい能力者を」
(ちょっと! 待ってってば!!)
憤慨した様子でまくし立てるのをやっとの思いで制すると、ペン太は我に返ったようにこちらへ向き直った。
「ん? あ、ツムギも異世界書きたいなら、別にいいんだよ? ただね、ただでさえ異世界乱立してるから、また作り込みの甘い世界が参入しちゃうと、また向こうが混乱するんで。それに、こっちの世界の補完にならないから、出来れば」
(そうじゃなくて! ちょっと前に言った、この世界の初期設定って……一週間って……………それってもしかして、創世記?!)
「うー、国や宗教によって色んな呼び方されてるけど、要はそんなやつ。まあ、当時は筆記具とか無かったからね、頭の中でのことだったし口伝えだったけど」
<光あれ>
有名なフレーズが、頭の中をぐるぐる回る。ずっと昔に読んだ古事記や日本書記をはじめ、天地開闢、ギリシャ神話に北欧神話、エジプト神話……様々な国に伝わる神話の数々が現れては、消える。
創造神話というのはどこか共通するものがあって、私は昔からそのことを不思議に思っていたのだ。
(やっぱ無理!! 出来ないよ! そんな、大それた……)
「え、今更その反応? さっきからずっと、そう言ってるのに」
(神だよ?! 創造主だよ?! 末端とはいえその系譜に並び立つなんて畏れ多いこと、私ごときに……!)
「待って! 行かないでよぉ~!」
(嫌だ! 私に話しかけないで! ついて来ないで! もう、元の姿に戻って!!)
よちよち走り出したペン太は、美しい緑色の万年筆に姿を変えた。コトリと倒れたそれがそのまま動かないことを確認すると、今まで座っていたベンチに背を向ける。
その途端、いつの間にかオフィスビルから溢れ出てきた人々の姿が目に入った。そのうちの幾人かは、飛び上がるように立って足早にベンチを離れたかと思うといきなり立ち止まった私のことを、訝しげに振り返り眺めていた。
私は顔を伏せ、小走りにその場を去った………
・ ・ ・
そして、今。
もうじき春へ向かう冬の午後、レース越しの柔らかな日差しが斜めに射し込む部屋で。若干古びてはいるが程よいクッションの効いたダイニングの椅子に座り、私はひとり、思案していた。
透明な耐熱グラスの紅茶はすっかり冷めてしまっているだろう。とうに湯気も消え、テーブルの上に美しい琥珀色の影を落とすばかりだ。
視界の隅で幽かな音を立てる水槽では、若草色の藻が小さな水泡を吐き出し半透明の小さな甲殻類達が忙しげに苔を啄んでいる。
いつもの平和な、平和過ぎて退屈に思うぐらいの、普段通りの平日………だった、はずだ。ほんの、数時間前までは。
なのに今、変わらぬ部屋の光景の中、目の前にはひときわ異彩を放つものが目を逸らせないほどの存在感を発揮している。
激しい動揺ののち深く困惑しながら、私はどれだけの時間、ソレを眺めているだろう。少なくとも、淹れたての紅茶に一度も口をつけぬまま冷めてしまうくらいの時間であることは確かだ。
思わず、額に手を当てた。乾いた指先が、前髪を通して額にひやりとした感触をもたらす。
パソコンが起動中であることを示す小さな灯に照らされながら、ソレは今までの平穏な日常を覆すであろう大きな可能性を孕み、いかにも妖しく美しく、輝いている。
額に触れている指を、そっと眉間まで下ろす。おそらく刻まれているであろう淡い縦じわを指で均しながら、目を閉じた。考え事をするときの、私の癖だ。
長年かけて妄想してきたたくさんのエピソードを、次々に思い起こす。
様々な物語の断片が、ふわふわと空中を巡る。あれとあれを繋げて、あのエピソードも織り交ぜて、あの設定をこっちへ持ってきて………キャラ設定を少し変更、そっちの流れを膨らませつつ別の視点も組み込んで。始まりはどうする? 流れに破綻は? 動機は、感情の動きは、行動のつながりに不自然さは無いか? 何より、結末は……?
考えるのは、ほんの一瞬。あとは物語が勝手に形作られていく。
点が繋がり線になり、映像になり立体になり……数々のピースがぐるぐると回りながら融合し、離れては別のピースと組み替え、めまぐるしく形を変えながら完成へ近づいていく。色がつき音がつき、香りや手触り、高揚感と可能性を瞬かせながら、いくつもの物語が並行して流れ出す。
気持ちが、沸き立つ。腰かけている椅子から気持ちだけが浮かび上がり、今にも幽体離脱しそう。
………書きたい。
…………でも、待って。やっぱり怖い。
書きたい。
怖い。
試してみたい。
でももし、世界を壊してしまったら。
スマホのアラームが鳴った。振動が、16時を知らせている。午後の家事を始める時間。今日は夫の帰りが早いので、今から夕食の片付けまで、食事を摂る時間以外ノンストップで立ち働かなければならない。
急に日常に引き戻され、私は緑色の美しい万年筆をを見つめた。
世界の崩壊を前に、手をこまねいている暇はない。選ばなければ。
受けるのならまず、タイトルを書き記そう。
ペン太の話を思い出して。設定は最小限、シンプルに。タイトルも同様に、変に捻らず………うん、決まった。
タイトルは、「私の紡ぐ物語」。
そして、署名。『東野 紡希』
断るのなら、ぐずぐず引き伸さずすぐに断るべきだ。目の前のペンを取り、折るだけでいい。そうすれば、ペン太はまた、新しい能力者を見つけるだろう。
伸るか、反るか。
書くか、折るか。
長時間同じ姿勢でいたためか、身体が少し軋んだ。手のひらが、少し汗ばんでいる。
そろそろと、震える指を伸ばす。
私は、ペンをとった。
( 終 )
私は、ペンをとった 霧野 @kirino
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