22.幕引きに留まりて
「愚かな男の話…ですか?」
「ああ、そうだとも」
雰囲気が変わったのを察してか、九音も通常のモードに切り替えて話をしてくれる。
「それは、義君の話という事で間違いないでしょうか?」
いつもの九音に戻ったかと思ったら、即座にこれである。空気を読まない事や、間を違える事に関しては最早定評があると言っても過言ではないだろう。
「いいか、九音。そういう事はだな、ある程度察するだけで留めておくのが礼儀というものなんだ」
「知っています。ですが、義君の話であるかどうかは私にとっては重要な事なんです」
「何がどう重要な事なんだよ?」
「見も知らない人間の事であれば、どうでもいい話です。ですが、義君の話なら知りたい話になります。つまり、ここは清聴一択になりますから」
この女は人の事情を汲むという事をしようとしない。だが、そう言われてしまっては、もう観念する他ない。
「そうだ、俺の話だ。この鎌倉に来る事になった話だ」
「…そうですか。では、聞かせてください。義君の過去を」
九音はしっかりと正座を正し、目に見えて真剣さを出してくる。
そこまでしっかりと姿勢を正さなくてもいいものを。律儀な奴である。
さて、では話を始めるとしよう。
「まず前提だが、俺は半年ほど前まで海外にいた。どことは言わんが、ヨーロッパの辺りを想像してもらって構わない」
「ヨーロッパですか…。なんといいますか、意外といえば意外な場所にいたんですね。義君は見た目完全に日本人ですし」
「そうだな。だが、こう見えて高祖父が外人だったらしい。その辺りの話は、眉唾なんだがな。家系図を見て初めて知ったことでもあるし、母があまり話したがらんからな」
「義君のお母さまは、どのような方なんですか? 完全に興味本位で聞きますが」
「母は、なんと言うべきか、偉大な人だ。俺の最も尊敬する人でもあるしな。かつて、俺がかの国で上手くなじめなかった時も、人柄だけでなんとかしてくれたものだ」
「あの、義君って結構マザコンさんだったりします?」
「…放っておけ」
余計なことを喋りすぎたと、俺は話を本筋に戻すために一度咳ばらいする。
俺の強引な意図を汲んでか、九音もまだ聞きたい事がある素振りだったが、それを飲み込んでくれたようだ。
「俺はかつて、かの国で妙な事に巻き込まれる日々を送っていた」
「妙な事…ですか?」
「ああ、困った事にそうとしか言えんのだ。例えば、結婚詐欺師を捕まえる目的でなく追う羽目になったり、名も知らぬ人物の遺品を家族に届けその場で破棄してもらったり。ああ、本当に色々あったもんだ」
「そして、そのほとんどが自分から首を突っ込んでいった事なんですね」
「何故分かる」
「見ていれば分かります。萩ちゃんの時もそうですし、今もまた私の事に関わろうとしていますから」
やはりばれていたか。だが、引く気はない。余計なお節介と言われればそれまでだが、俺は必要であると考えている以上、絶対に引き下がる事はないのだ。
我が事ながら、九音の…義経の事を言えたものではないな。
「さて、そういう奇妙な出来事に巻き込まれ続けると、次第に妙な知り合いが出来てくるものだ。そして、付き合いも長くなれば、それは次第に仲間と呼べるものになる」
「類は友を呼ぶ、ですね。めっさ奇天烈な方々が集まっていたと思うんですが、どうだったんでしょうか?」
「黙れ。悔しいことに事実だが、黙って聞いていろ」
「了解しました」
在りし日の事を思い出す。皆面白おかしく、いい奴も悪い奴もいたが、一様に変人ばかりであった。
俺は退屈という言葉とは無縁の生活を送っていたのだ。何度か死にかけたがな。
「そう、あの日まではすべてが順調だったんだ」
「あの日…ですか?」
「ああ、忘れもしないあの日、仲間たちが突然争い始めたんだ。それはもう、笑えるぐらい醜く凄惨に」
「突然すぎて話についていけませんが、何があったんですか…」
「…いまだに経緯は分からん。だが、日本に出る前に助けてくれた相棒であるオリバーが
、真実を教えてくれたよ」
「一体何が…?」
だが、それを聞いてなお俺は信じられなかった。否、信じたくなどなかった。
皆、変り者ではあったが確かにそこには尊敬と侮蔑と友情があったからだ。
それがまさか、
「俺を取り合って、修羅場ったらしい」
訳の分らん理由で、崩壊しようとは思わなかったのだ。
「は?」
「…お前の反応は正しいよ」
「え? あの? ちょっと…もしかして、私馬鹿にされてますか?」
「残念だが、全て事実で冗談など一切含まれていない」
「ええー…」
悲しきかな、全て事実なのである。冗談であれば、どれだけよかった事だろうか。
「えっと…ちょっとした確認なんですけども、義君のお仲間さんは男色の方が多かったという事でしょうか?」
「残念ながら、修羅場ったのは全員女性だ。今にして思えば、男女比が異常におかしかったからな」
「あのー、ぶっちゃけ自慢話聞かされてます?」
「どこに自慢要素があるんだ阿呆め」
「もう、話自体が盛りすぎた自慢話だと思うのですが…」
はたから聞けば確かに自慢話に聞こえるやもしれん。認めようそればかりは認めよう。
しかし、自分の身に降りかかったと考えれば、それは確実に地獄なのだ。
「もうこの際ですから思った事を言ってしまいますね。義君は私から見ればイケメンさんですが、世間一般からするとそこそこ程度の顔だと思うんです。あまり、モテるという単語に近しいとは思えません」
「流石に傷つく言い方が、実に的を射ている。お前の言う事はもっともだ。だがな、九音。気が付いたら周りが変な女だらけだったんだ。俺は決してモテるとは言えない男だ。だが、変な女が勝手に寄ってくるんだよ! 何故かっ!」
「わっ! と、突然切れないでください。めっさびっくりしました」
「すまん、取り乱した」
「いえ、それはいいんですが、一つ気が付いたことがありましてですね。もしかしてなんですけど、義君が鎌倉にいるのって」
「ああ、収拾がつかないと言われ、国から追い出された」
母とオリバーに見送られ空港を後にした日の事を思い出す。やるせなさ、虚しさ、情けなさ、その全てが渦巻いたあの日の感情を。
「つまりそれって、全てを投げ出して女から逃げ出したって事ですよね?」
「認めたくはないが、そうなるな」
「そうですか…では…まず、清美ちゃんに謝ってください! 聞きましたよ、散々罵倒されたって! やってる事清美ちゃんと同じじゃないですか! むしろ清美ちゃんの方が、お腹を刺された分潔いです!」
「たわけがっ! 全然違うわ! 俺は一人も手を出していない! どころか、恋愛対象として見ていなかったってんだよ!」
「むしろ、そちらの方が手を出すより不義理だと思います! その枯れっぷりは既に人を不幸にしてるんですよ! 即刻正すべきです!」
「何度も言わせるな! 枯れていない! 断じて枯れてなどいない! 鉄の理性で我慢してんだよ! 努力の賜物だ! 嘗めるなブラコン女!」
「その努力の末に、修羅場作ってどうするんですか! 努力の方向性が明後日の方向に向いている証拠です! なんでそう0か1かしか無いんですか義君は!」
「黙れ! 極論こそ、人の生き様そのものだ! 揶揄はされど、否定は受け付けん! 結論ありきで生きている人間が、極論から逃げ切れる訳などないのだからな!」
「兄上…」
「またそれかっ! 頼朝はどんな性格していたんだ!? 自分で言うのもなんだが、絶対偏屈野郎だろ!?」
俺の過去をさらけ出した結果、今ここに第二の修羅場が生まれる事と相成った。
黒歴史を晒し、更に黒歴史を築き上げるとは最悪のマッチポンプがここに完成したのであった。
人に歴史あり、そして歴史に恥じ有り。だが、流石に無様と言わざるを得ないだろう。
「はぁ…はぁ…クソっ…なんでこんなに喰いついてきやがるんだ」
「はぁはぁ…義君の事だからです…。年長者として、正さねばなりませんから。さもないと兄上のように、弟を平気で裏切る冷血漢になってしまいますよ? そ、そこがいいんですけれどもね」
「お前は…分かった、俺の悪癖の件については善処する。だから、お前も度の過ぎたブラコンを何とかしろ。何度も足をすくわれているというのに異常だろうよ。」
「…ええ、仰る事は分かります。ですが、これはもう呪いのようなものでして。いくら酷い目に合わされようとも、恨み切る事が出来ないのです。それはきっと、兄上も同じはずです。我々は…私と兄上はそういう繋がりがあったのですから。何度同じ事を繰り返したとして、きっと変わらないのです」
不思議な事に、悲しげな声色で自分と頼朝の関係性を語る九音は、困ったように自然に微笑んでした。
それだけで、九音には何を言おうと無駄である事が分かった。九音にとって、死ぬまでの頼朝との記憶は自然に微笑みが出るほどに、幸せなものであったのだろうから。
「何度繰り返したとしても変わらない、か」
そして、九音の言葉を聞き俺は自然と言葉を繰り返していた。
「お前は分かっていて…いや、分かっているからこそ、ここから出て行こうとしているんだな」
「はて、何の事ですか?」
「まあいい。話の続きをするとしよう」
誤魔化そうとするならそれでいい、と俺は考える。無理に言葉を聞く必要などないからだ。
「さて、国から逃れた俺は、日本好きが高じて日本の鎌倉に家を買ったという叔父を訪ねる事になる。ところが、叔父は俺と入れ替わるように海外に出る事になってな、この家を実質引き継ぐことになったんだ」
「そうですか。義君の叔父様には申し訳ありませんが、私や清美ちゃんにとっては幸運が舞い込んだ形となった訳ですね」
「そうなる…のだろうな。当時の俺からすれば、今の俺をぶん殴りたい気分だろうがな」
「女性問題で国を出たというのに、また女性を囲っているからですか?」
「言い方に棘があるな。それもあるが、それ以前に他人に関わる事を止めるべきだと考えていたからだ」
そうだ、あの時俺は他者の気持ちを推し量れないのであれば、関わるべきではないと自らの所業を悔いていた。いや、今なお悔いている。
「そう…ですか」
俺の言葉を聞き九音の眉がピクリと動いた。
何か思う事があったのだろう。というより、自分と重ねる部分があったのだろうな。
「どのような理由であれ、結果を得てしまった以上はそれこそが全てだ。ならば、俺は人と変わる事を断つべきだと考えた。そして、俺はつい二週間前までそれを貫いていた」
他者を無意識に傷つけるならば、それは
故に他者に近づかず、他者と関わらず、最低限の関係で生きるべきだ。それが俺の答えであり、罪であると俺は決めたのだ。
「人と関りを持たない日々は空虚なものだった。だが、生きていけない事はないとこの身で理解できた。静かに過ごすと考えるならば、それもまた選択肢の一つに過ぎないと暫くして分かったよ」
罪ではあるが、それは適度なものだった。死ねという訳ではない。辛いが耐えきれぬほどでもない。即ち、正しい罰であったのだ。
後はゆるりとその人生を過ごすだけだった。そう、それだけのはずだった。
「だが、俺は結局繰り返した。あの日、出会ってしまった事が原因か、あるいは魔が差したか。選んだ答えを反故にしたんだ」
「清美ちゃんとの事ですね」
「ああ、不思議だった。拒んでいるというのに、気が付けばすんなりと受け入れていた。楽しそうだという理由だけでな。酷い話だ」
決めた罪から逃げたのだ。いや、今となっては答えを得ているが、清美を受け入れた時はそう思った。卑怯者め、と。
「酷い話…ではないと思います。だって、誰も義君に罪を与えていないのですから。義君の罪は、自分への呵責です。酷い言い方かもしれませんが、義君は罪に逃げたんです。だから、結局の所この話は、義君が自分を許してあげる事が出来たというだけの事です」
「お前は本当に容赦がないな。だが、事実だ。俺は自分を罰する事で、救われようとしていたんだ。それについては、実の所隠居のような生活を始めて一か月で気が付いていた」
「では、気が付いてなお続けていたんですか?」
「ああ、決めた事は成すべきだろう?」
「頑固ですね。しかも融通がきかない辺り、最悪と言っていいでしょう」
「まったくだ、嫌になるぜ。だが、付き合い続けるしかない。なにせ自分なんだからな」
そう、自分なのだ。人間は自分を捨てる事が出来ない。変容させる事は出来るが、過去を消すことは出来ない。完全な変質は不可能なのだ。
だからこそ、俺は清美を受け入れたのだろう。つまり、
「人間は繰り返す。何度でもだ」
自分を受け入れ認める事。単純だが受け入れがたい、俺が得た答えなのだ。
「何度でも繰り返す…それは…事実かもしれません。しかし、人は成長する生き物です。間違いを繰り返し続ける事は難しいはずです」
「そうだろうな。だが、俺がいつ間違いを繰り返すと言った?」
「えっ…」
「人が繰り返すのは、性だ。俺は性とは即ち、抗う事が出来ぬ確定事項への導きだと考えていた。だが、それならば運命と呼ぶべきだろう。性とは別の場所にあるものなんだ。俺が考えるに、結果を呼び寄せるものなのだと思う」
「結果を呼び寄せるもの…ですか?」
性とは即ち性質の事だ。決められた性質、アイデンティティすら超えた何か。それが結果を呼び寄せる。
ただ運命と違うのは、それが確定的な要因にならない場合がある事だ。例えるなら、性質上こうなったが原因は他にある、といった感じだろうか。
「それを理解したとき、俺はお前達との暮らしも性が呼び寄せたものだと理解した。俺は恐らく、そういった性質の人間なのだ。そして、それを理解した上で言おう。前世を持つ人間はより、強い性を持っているはずだと」
「………」
九音は押し黙ってしまう。心当たりが有りすぎるのだろう。
俺だってそうだ。自分が何者かは知らないが、明らかに引き寄せられているのが分かるのだから。
「俺は繰り返すだろう。国であれほど人を巻き込んでおいて、鎌倉でも同じように人と関り、そして今に至るのが証拠だ。そして、お前もだ九音…いや、義経」
「私は…」
「断言して言ってやる。お前が四天王や家臣を失った事を恐れ、俺たちを巻き込まぬよう家を出ようとしても、一人になる事は叶わない」
「っ…! よくも人の弱点をずけずけと突いてくれますね。しかし、繰り返しません。私はその為にここを出るのですから」
「たわけが、その考えが間違いなんだよ。俺は言ったはずだ、断言できると」
「何を根拠にそんな事を!」
「俺がお前を追いかけるからだ」
「―――――」
九音は目を見開き心底驚いた表情を浮かべる。
俺はその表情を見て、してやったりという喜びと、本当に気が付いていなかったのかという呆れが同時に湧き上がり、溜息をもらす羽目になった。
「つまり、人が付きまとう事こそが、お前の性なんだ。同時に他人を…友人や仲間に構ってしまう俺の性がある以上、お前が一人になる事は叶わない。否、一人にはさせん」
「ああ…そう、ですか」
九音は緊張が解けたように体の力を抜くと、疲れた様子で微笑んだ。
九音が何を思っているかは分からないが、きっと良い意味で諦めてくれたのだろう。
「それは、覆らない事なんですか?」
「ああ、俺たちの間には情がある。それは即ち手繰り寄せたい縁が存在するという事だ。ならば、覆る事はない。どころか、俺だけで済むと思わない事だ。ここにいる連中は、俺を筆頭に相当しつこいぞ」
「ええ、存じています。だって、私だって同じ事が起きれば、きっと義君を探しに行きますから。私はここに来た時点で…いいえ、義君と出会い縁を持とうとした時点で、既に退路は断たれていたんですね」
「違うな、元からお前に退路なんてない。お前は絶対に引かないからだ。だから、お前はここに来た事で、その後を得たんだ。どうせ、頼朝を何とか出来たとしてその後の事なんて考えてなかったんだろう? むしろ、相討ち狙いだったんだろうな。まったく、度し難いことだ」
「ええ、義君の言う通りです。だって、それが一番幸福じゃないですか。全てを知り、今度こそ共に死ねるのですから。でも――――――」
九音は瞳を閉じ、どこか遠い日に思いを寄せる老人のような表情を浮かべる。
そして、ゆっくりと瞳を開け、
「――――例え望まないとしても、例え情を持つ人間が傷つく事になったとしても、私はそう安々とは死なせてもらえないようですね」
恥ずかしそうに、微笑んだ。
その表情は初めて見る九音の表情で、不思議と義経を思わせるものだった。
それ見て、俺も静かに微笑んだ。もう大丈夫だと理解したからだ。九音も義経も未来を選んでくれたからだ。
「義君、お世話になってもよろしいですか?」
「今までが世話をしていないような言い方をするな。結局、今までと変わらないってだけの事だろう?」
「あら? 酷い言い草ですね。めっさ傷つきます。私はこれでも義君を助けてきたつもりなんですけれども」
まったくだ、と思ったが俺は口には出さない。そんな事は言わずとも分かっているし、九音も礼を聞きたい訳ではないからだ。
「では、明日みなさんに兄上の事を話しましょう」
「そうだな、それがいい。少なくとも今ある最善を打ち破れるはずだ」
「妙な言い方をしますね」
「妙などではない。人が性を持ち繰り返し続けるならば、繰り返す中で立ち向かうべきは最善だ。最善を内倒し、その先が未知であるはずだからだ」
「なんといいますか、義君は持論を人に勧めるのが得意ですよね」
「ああん? 初めて言われたぞ、そんな事」
「そうですか? ですが事実なはずですよ?」
そういうと、九音は悪戯でもするようにニヤリと笑い、
「だって、義経を言葉でその気にさせたんですから、これは確実に事ですよ。最善の先、私も目指しましょう」
俺に手を差し出した。
俺は無言で差し出された手を握る。さあ、最善の先、未知への一歩を踏み出そう。
プレビアス ライフ! ~源一家「いざ鎌倉へ」~ surisu @surisu
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