第三十七話 見えぬ不安と優しい人
なだらかな山を越えると、確かに麓には村が存在していた。『ナノカ村』と呼ばれる小さな村だが、暮らす人は心穏やかで、村長に事情を話すと一晩の宿として寝床を提供してくれると快諾してくれた。
「本当にみんないい人だね。夕食までご馳走してくれるって」
自然とフラマとヴァンが泊まる部屋に集まるとイリスがニコニコ顔で言う。
村の規模に比べて村長宅は一際建物が広く、部屋が余っているという。急に押しかけたにも関わらず三部屋用意してくれた。その上夕食を用意してくれるというので、頭が上がらない。
「きっと頻繁にではないにしろ、たまにあるんだろうな。こういうこと」
フラマがそんな推測をすると、イリスも頷いて同意する。ウルイの町から次の町に迂回して向かう為にはこの村を経由する必要があるので、何等かの事情で主要街道が封鎖された場合の受け入れ態勢がいつからか成り立っているのだろう。
そんな話を何気なくしていると、ふいに部屋の扉をノックする音が響いた。
「どうしました?」
首を傾げながら扉を開けたイリスは、眉尻を下げ大人しそうな雰囲気を持つ妙齢の女性を見る。扉の前に立っていたのは村長の妻だというハーリーだった。
「えっと、ハーリーさん?」
黙ったまま部屋の中を覗くハーリーにイリスは困ったように声をかける。本来彼女の家なのだから、部屋の中を覗かれても、入られても文句を言える立場ではない。しかし彼女の様子が少し妙で思わず眉を顰めてしまう。
村に着いて最初話した時は大人しく優しそうな人、という印象だった。家に招き入れるときも、部屋を用意してくれた時も嫌な顔など一つもせず、むしろ安心できる笑顔で話しかけてくれていた。
それが今は何も語らず、ただじっと部屋の隅々を凝視しているだけだ。
「……あの」
何か気に障ったことでもあったかと、恐る恐るもう一度声をかけようとした所で、ハーリーは我に返ったかのように慌てて隣に立つイリスと、部屋の中にいるフラマ達を見る。
「あら、ごめんなさい。少し考え事をしていて……本当にごめんなさいね」
「いえ、大丈夫ですけど……あの、どうかされたんですか?」
部屋の隅々を凝視している様は、何かを探している様にも見えた。
それにやはりハーリーの表情は何か悩んでいる感じがする。
「子どもが、ね……」
「子ども、ですか?」
ハーリーの瞳がヴァンを捉えていることに気が付き、イリスも、フラマやアガサスも少年見る。突然全員の視線を浴びたヴァンは驚き、たじろぐしかない。
「え、おれ、ですか……?」
「あ、違うのよ。孫と、近所の子どもがここに来ていないかと思って……ちょうどあなたと同じぐらいの年齢だから」
気落ちしたように言うハーリーの姿を見るが、流石にヴァンと同じ年頃の孫がいるような年齢には見えず、イリスは軽く驚きはする。だがあり得ない話でもないと勝手に結論付けて、追随は控えた。
「さっきから姿が見えないのよ。だからてっきりここに遊びにきているものだと思ってしまったの。勘違いだったみたいね。ごめんなさい」
「それは大丈夫ですけど……いないんですよね? 探すの手伝いましょうか?」
「そんな、お客様だもの。気にしないで。好奇心旺盛な子たちだから、たぶんその辺に遊びに行ってるんだわ。すぐに戻ってくると思うので気にしないでください」
申し訳なさそうに笑みを作るハーリーだが、その顔を見る限り気にしないでとは受け取れそうにない。何か、心配するような心当たりがあるのではないかとさえ思える。
「もしかして、ハーリーさん。何か心当たりがあるんじゃないですか?」
そう問えば彼女は心底驚いたようにイリスを見つめた。なぜ気づいたのか、不思議そうな顔をしている。わかりやすい表情の変化に、隠し事ができないタイプだと誰もが理解した。
「その、この近くに廃墟があるのだけど……最近そこを探検したいって言っていたのを思い出して」
言うかどうか悩んだ末、ハーリーは声を落として話し始めた。その、廃墟という言葉にイリスは何かひっかかりを覚える。
「危ないから駄目よとは、何度か注意していたのだけど……もしかしたらって思うと気になってしまって……ここにいてくれたらよかったのに、どうして……」
「廃墟って、危険な場所なんですか?」
「建物自体が危険というわけではなくて、あの付近で不審者を見かけたって噂があるものだから……心配なの」
確かにならず者が住み着く可能性は否定できないだろう。現にアガサスがそうであったように。フラマとイリスが意味ありげに彼を見れば、にっこりと何食わぬ顔で笑っていた。
「じゃあわたしたち、その廃墟を見てきますよ。それで子供たちがいたら連れて戻ってきます」
「そんな、悪いわ。それに万一のことがあったら……」
「だったら尚更です。万一のことが起こる前に確認しておいた方がいいでしょ?」
「それはそうなんだけど……でも」
言いよどみなかなか了承しないハーリーにどうしたものかとイリスは苦笑する。だがそれを援護するようにフラマが声をかけてくれた。
「俺たち旅をしているからそれなりに腕には自信があります。護身するぐらいわけないですよ」
「そう……なの?」
「はい」
不安気な眼差しを送られても、フラマは動じることなく頷く。それに少しばかり安心したのかハーリーは申し訳なさそうに手を合わせてお願いした。
「じゃあ、お願いできるかしら。危ないと思ったらすぐに戻ってきてね」
「任せてください」
これが一宿の恩返しだと思えばちょうどいいだろう。
◇◆◇
村から先に広がる平原を進むと小さな森がある。森というにはあまりに小さく、明るいので林と例える方が近い。
その木々が茂る中に古ぼけた大きな建物があった。
保存状態がよくないのだろう。塀は欠け、半分崩れ落ちている。建物には亀裂が入り、大きな衝撃があれば倒壊してしまうかもしれない。
「これは……違う意味で危ない気がする」
建物を見上げてイリスは思わずため息をこぼす。
ハーリーは建物自体は危険ではないと言っていたが、これは十分危険な域に入るのではないだろうか。
「中から声が聞こえるな……」
耳を澄ませば確かに話し声らしきものが聞こえる。入口付近にいるのだろう。ならば奥に行ってしまう前に連れ戻してしまうのが得策だ。
フラマは半分開いた扉を開き、背後に目を配ったあと、建物の中へ足を踏み入れた。
今日と明日の時間の行方 緋色 @hinoiro
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