第5話
「はあ……。暑い……、しんどい」
5月も下旬になり、私が吉見さんとともに活動を始めてから数週間が経過した。
活動するときは野球のユニフォームを着るようになり、気合も十二分に入っている。しかし、まだデザイン等はなく、無地のままである。
現在私は学校付近の河川敷をランニングしている。これは最近二人の間で日課になりつつある。吉見さん曰く、野球は体力がないと始まらない、だそうだ。二人でのランニングということで、色々と喋ったりできるのであまり嫌いではないが、距離を重ねるとなると話は別になってくる。段々と話す余裕などはなくなり、吉見さんに付いて行くだけで精一杯になる。
そして憎むべきは頭上で輝く太陽だろう。まだ5月だというのにギラギラと私達を照らしている。ここからまだまだ暑くなると考えただけで気が滅入ってしまうようだ。
「珠美さん、もうすぐ休憩地点だよ。頑張って」
数メートル先を行く吉見さんが振り返って励ましてくれる。それに対して私はうんうんと頷くだけで精一杯だ。
吉見さんは初心者相手でも決して手を抜いた練習を組まない。彼女は自分の好きなことについて妥協しないのだ。きっと私じゃなかったらすぐに逃げ出してしまうだろう。というかメニューだけを見たら今すぐやめてしまいたいと思うときもある。
それでも続けているのはどうしてだろうか。答えは分かりきっている。
彼女に気づかれたら、幻滅されるだろうか。不純な気持ちで彼女の大好きなものに取り組んでいたことに怒るだろうか。
(勘付かれないようにしないと……)
胸の奥に秘めておかなければならない。まだその時ではない。でも、いずれは……。
○
「珠美さんにはピッチャーをやってもらおうと思うの」
「へ? 」
ランニングを終え、一息ついたところで吉見さんはそんなことを言った。
「ピッチャーってすごい大事なポジションでしょう? 私でいいの? 」
ピッチャーといえば野球のメインのようなポジションだ。決して始めて少ししか経たない奴に務まるポジションだとは思えない。
「珠美さんがいいの。サウスポーだし、それにすごく綺麗なボールを投げるから」
「綺麗なボール? 」
ボールに綺麗も汚いもあるのだろうか。私が言葉を繰り返すと、吉見さんは言葉が足りなかったと言って説明を始める。
「綺麗というのは珠美さんの投げるボールの回転のことよ。珠美さんのボールは本当に綺麗なバックスピンがかかっているの。初心者でこれが投げられるのは少ないから貴重な才能よ」
「……才能かあ。なんか嬉しいかも。でも、綺麗なバックスピンだと何かいいことがあるの? 」
「そうね……。一般的にシュート回転のボールより球質が重いだとか、ノビやキレがいいと言われているわ」
「へぇ……」
……全然わからない。シュートは確か変化球の名前だったか。ボールに重いも軽いもあるのだろうか。
「と、とにかくいいことがたくさんあるの! それでね、私はキャッチャーとしてその才能を活かしたいの」
「そっか、私がピッチャーをやれば吉見さんとバッテリー……だっけ? それを組めるってことだよね」
「そうなるね。どう? 私とバッテリーを組まない? 」
吉見さんと二人でバッテリーを組めるなんて、素敵な提案に思えた。だけど、私にピッチャーなんていう重要なポジションが務まるとは思えなかった。いや、でも頑張ってみるだけなら……。って、そんな考えじゃ吉見さんの練習に付いていけるわけないよ……。
「うーん……」
「ふふ、また悩んでるね。……あっ、そういえばこの前。珠美さん、ちょっと待っていてくれる? 」
「え、いいけど……」
そう言って、吉見さんはどこかに駆けていった。部室だろうか。私は一人練習場所となっている校舎裏に残される形になった。
数分も経たないうちに吉見さんは戻ってきた。その手にはマジックペンが握られていた。
「どう、珠美さん。答えは決まった? 」
「いや、まだだけど……。そのマジックペンは何? 」
「これね、この前言ったことを思い出して持ってきたの。ちょっと背中を向けていてくれる? 」
「なになに」
何をされるのか全く分からなかったが、言われた通りに背を向ける。
すると、私の無地のユニフォームにペン先が当てられる感触がした。これはあれだ。背中に落書きされたり、シール貼られたりするやつだ。いじめ一歩手前のやつ。
「い、いじめはよくないっ! 」
「違うって! じっとしててー」
「もう……」
仕方なくじっとするが、やはりユニフォームの背にマジックペンで何か書かれていることは間違いない。
「終わったよ、脱いで見てみて」
そう言われユニフォームのボタンを外し、脱いでいく。その背には大きく『1』と書かれていた。
「え、これって」
「言ったでしょ? 私が決めてあげるって」
確かに言われた、あの日、部室で。でも、まさか続いているとは……。
「だから決めたの。珠美さんが富士峰野球部の初代エースになるのよ! 」
「そ、そんな無理矢理に……」
「でも、珠美さんは誰かに決められる方が楽なんでしょう? 」
そう言って吉見さんはいたずらっぽく笑った。
「そうだったね。でも、無理やり決められたことに私が怒ったらどうするつもりだったの? 」
「珠美さんはやりたくもない頼みごとに対して悩むほどお人好しじゃないでしょ? 即答で断っちゃいそう」
「ぐぬ……」
よくわかっていらっしゃる。
「もしかして、それって悪口? 」
「褒めてるって。わかりやすくて好きだよ、そういうところ」
吉見さんは笑顔を向けてくる。それに釣られて私も笑う。
彼女に私のことを知ってもらえて嬉しい。
でも、本当の私を知らないで。そのまま好きでいて。
私は俯き、息をふうっと吐く。溢れ出そうな普通じゃない感情は抑えなければならない。今、持ち出すべきではない。
「エースか……。じゃあ、頑張ってみますか! 立派なピッチャーに育ててよね、女房役さん! 」
「勿論! まかせて、素敵なピッチャーにしてみせる 」
私はエースナンバーが付いたユニフォームに改めて袖を通した。
この白球に想いをのせて T-大塚 @Otuka-T
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