第4話

 翌日の昼休み。私は里奈ちゃんと机をくっつけて弁当を食べていた。


「野球愛好会? 」


 昨日のできごとを簡単に里奈ちゃんに説明したらひどく驚かれた。


「そう、結構楽しかった」

「じゃあそこに入るんだ? 」

「いや、それはまだ……。迷い中でして」

「何か引っかかることでもあるの? 」


 引っかかることか……。それは勿論吉見さんのこと、というか私の生まれ持っての性質のことだろう。だが、そんなことを簡単に言えるわけもなく。


「そこの会長さんとちょっとね……」


 嘘は言っていない。だが激しく罪悪感を覚えた。彼女はこれっぽっちも悪くないのだから。


「ふーん。その人は先輩なの?」

「いや、同学年。吉見歌鈴さんって人」

「え!? それって新入生代表の? 超有名人じゃん」

「あ、やっぱりそうなんだ」


 これに関して特に驚きはない。式での挨拶の佇まいや、普段の立ちふるまいから安易に想像がついた。

 

「珠美さんよ~。そんな超有名人とトラブルだなんて何しでかしたのかしら~」

「トラブルとか、そういうのじゃないよ」

「そっか。まあ何があったかは聞かないでおいてあげようかな」

「ん、助かる」


 里奈ちゃんはこういうとき人の表情を見るのが上手い。いつもは人の噂に興味津々なのに、本当に嫌なことの直前でスッ、と身を引くのだ。人に言えない地雷を抱えている私としては一緒にいて落ち着く。案外、彼女も何かしらの秘密を抱えているのかもしれないが、それを詮索するのは野暮だろう。私も彼女の流儀に習おう。


「おっ、噂をすれば何とやら」

 

 里奈ちゃんはそういうと教室の扉の方を指さした。


「吉見さん……」


 そこにいたのは間違いなく吉見さんだった。昨日と違い髪はまとめていなかった。どうやら人を探している。もしかして私のことを探しているのだろうか。

 そう思っていると彼女と目が合った。見つけた、と言わんばかりに顔を輝かせてこちらに駆けてきた。


「こんにちは、珠美さん。昨日はありがとう」

「あ、吉見さん。こんにちは」


 気まずい!

 吉見さんは何も知らない。こちらが一方的に彼女について、私自身の過去についてうだうだと考えているだけなのだ。そんな吉見さんの純粋な態度が私の後ろめたさを加速させた。


「おー、本当に吉見さんだ。あたし珠美の友達の濱田ね、よろしくー」

「こちらこそよろしくお願いします。ところで珠美さん、今日の部活の事ね、もし来てくれるようなら部室の方へ来てもらいたいのだけど」

「あ、うーん。今日ね、どうしようかな……」


 思わず答えに詰まってしまう。行くべきか行かざるべきか。どちらが正しいとか、そういう問題ではない。だからこそ決められないのだ。


「行けばいいじゃん」


 そう言うのは里奈ちゃんだ。思わぬ人からの言葉に少々面を食らってしまう。


「どうせ仮の部活期間なんだから行ったほうがいいよ。どこに行くかで迷ってるならそれもいいけど。行くか行かないかで迷っているなら、今は行くべきなんじゃない? 」

「確かに、そうかも」

「ま、あたしは珠美の事情を知らないからねー。気楽なアドバイスだよ。でも、好き勝手に言い合えるのも友達の特権ってやつかも」


 そう言って、里奈ちゃんは笑った。傍らの吉見さんは何がなんだか、という感じで状況を把握できていない様子だ。


「……じゃあ、今日も参加させてもらおうかな」

「ありがとう珠美さん! じゃあ待ってるね。部室の場所はこの前のビラに書いてあるから」

「うん、分かった。じゃあね」


 私に約束を取り付けると吉見さんは自分の教室へと帰っていった。

 それにしても、私の意思の弱さったらない。ダメだってどれだけ言い聞かせたって、徹底できないんだ。表層でどれだけ取り繕っても、私の深層心理は正直なのかもしれない。結局、流されてしまう。流された先にあるのが滝だって知っているのに。


「あはは、やっぱり行くんだ」

「里奈ちゃんがそう仕向けたんでしょーが」

「まあねー。だって、後悔してほしくないし」

「え? 」

「なんでもないよーっと」


 一瞬、里奈ちゃんの顔に影がかかったような気がした。でも、本人がなんでもない、というのだから詮索はしなかった。



 放課後、私はビラを手にして野球愛好会の部室へと向かった。愛好会に対して部室というのも変か? と思ったが、会室という言葉はあまりにもしっくりこなかったので気にしないことにした。

 部室は文化部棟の一角だった。窓からは昨日キャッチボールをした場所が見えた。

 

「失礼します」

 

 私は扉をノックしてから部室の扉を開ける。そこに広がっていた景色は、なんというか、その、あれだ。すごい汚い。無造作に様々な備品が置かれていて、その上にホコリが積もっている。そもそも何の備品なのかわからない物まである。そんな中で吉見さんは椅子に座ってノートを広げていた。

 

「珠美さん、いらっしゃい」

「吉見さん、そのー……、なんていうか、この部室―」

「汚いでしょう? 」

「はい」


 即答である。気を使って言葉を選ぶ余地がなかった。


「去年まで、というか現在進行形で物置部屋みたいな扱いをされている部屋らしくてね。そのあたりに散らばってるのはなくなった部の備品なんだそうよ」

「あー、なるほど。で、今日は何をするの」

「掃除よ、この部屋のね」


 そう言って吉見さんは私にはたきを渡してきた。竹の棒の先端に布の束が取り付けられているあれである。おそらくこれでホコリをどうにかしろということだ。


「まだ正式な部員じゃないのに掃除をさせますか……」


 勿論本気の嫌味ではない。吉見さんにもそのことはきっちりと伝わってくれているようで。


「悪いとは思うんだけどね。でも、私は二人でこの野球愛好会の場所を作り上げたいな、と思って。だめ、かな」

「その言い方は反則だなー。いいよ、掃除は嫌いじゃない」


 好きでもないが。だが、気になっている子に二人で何々がしたいの、と頼まれて断れる人間がいるだろうか。いや、いない。


「掃除といっても、何をすればいいのかな」


 ここまで汚いと、本格的に始めたらきりがない。


「今日は使わないものをまとめるのと、ホコリをどうにかすることかな」

「了解」


 早速掃除に取り掛かろうか。私はカバンを隅の方へと置いておき、はたきを手にとった。まずは上の方からホコリを落としていこう。



「大分綺麗になってきたんじゃない? 」


 私は作業する手を止めてつぶやく。まだまだ十分とは言えないが、初めの印象と比べれば大分ましになってきたはずだ。


「そうね。もうすぐ一段落かな」


 吉見さんが作業の手を止めずに言う。

 掃除の間、吉見さんを見ていると、彼女の体力に驚いた。全く疲れた様子を見せないのだ。彼女は主に重たい荷物を運んでいたので私よりもよほど重労働のはずなのだが。これも野球をやっているからなのだろうか。野球じゃなくても、スポーツを現役でやっている人間とやっていない人間ではこのくらいの差が生じるのかもしれないが。


「ねえ、珠美さん」

「ん、なーに」


 不意に吉見さんが私の名を呼んだ。


「この部活のこと、迷ってるみたいね」

「あ……。うん、そう……だね」


 吉見さんはあのクラスでのやり取りで気がついていたようだ。急に居心地が悪くなった。


「私、やっぱり迷惑だったかな? ちょっと強引なところもあったし……」

「迷惑とは思ってないよ。でも迷ってるっていうのは、本当」

「いいの、無理しないで。初めて来てくれた、唯一入部してくれるかもっていう子に舞い上がっちゃって。本当にゴメ―」

「だめ! 」


 私は彼女の謝罪を遮るように大声を出してしまった。自分でも驚くくらいのボリュームだった。でも、彼女に謝らせてはいけないと思ったのだ。


「吉見さんは悪く無いから。謝らないで。全部、私の問題だから」

「珠美さんの? 」

「そう。私さ、選択とか決断とか苦手なんだ」

「確かに、あのときもなかなか部活を決められないって言ってたね」


 数日前のことが思い出される。掲示板前でうだうだ悩んでいる私に彼女は声をかけてくれた。


「私は我儘な人間だからさ。自分の選択でいろんな可能性が潰れてしまうのが怖いのかもしれない。いっそ、誰かが全部決めてくれたら楽になれるのかも、なんてね」


 はは、と乾いた笑い声をあげる。自嘲気味に。

 俯いていた吉見さんは、なにか決心したように顔を上げた。


「じゃあ、私が決めてあげる」

「……え? 」

 

 一体何を言っているんだ。


「珠美さんを野球愛好会に無理やり入れさせる」

「……どうやって? 」

「お、脅したりして……」


 吉見さんは私の方を見据えている。その目からは躊躇いつつも成し遂げてやろうという意思が伝わってくるかのようだった。

 吉見さんは私との距離を詰めてくる。気迫に押されて思わず後ずさる。しばらくすると背中に衝撃。壁に阻まれてしまう。それでも私は平静を装う。気持ちに任せたら、居心地の悪いこの場から逃げ出してしまいそうだったから。


「ほ、本気だから! もし入ってくれなかったら、珠美さんの嫌なことするから! 」

「私の嫌がることって? 」

「嫌がることは嫌がることよ! ほら、変なアダ名で呼んだり! 」


 この状況で出てくる、嫌なことがそれか。


「それは嫌だなー」

「でしょ? そうされたくなかったら野球愛好会に入るの! 一緒に野球するの! 絶対に、絶対! 後悔、させないから」


 彼女は私の手を握ってきた。その手からは震えが感じられた。

 ああ、彼女にとってはこれは賭けなんだ。私の言葉を受けて無理矢理にでも一員になってもらおうとしている。可愛い脅し文句だが。

 彼女は自分の大好きなもののためにこんなにも必死になっているというのに。私は、私の為に必死になってくれて嬉しいなんて思ってしまっている。なんて卑しいんだろうか。


「脅されちゃったら仕方がないね。入るよ、野球愛好会」


 ねえ、吉見さん。あなたは私の気持ちを受け止めてくれるの?


 

 

 

 

 


 

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