第2話
翌日、ビラを手に野球愛好会の活動場所へと向かうことにした。
複数ある校舎の中の一つで、多くの文化部の部室が入っている棟の裏にその場所はあった。地面はコンクリートで舗装されておらず、土のままで、雑草が生えている。そしておそらく野球の練習に使うであろう緑色のネットが複数設置されていた。手製にもみえるベンチにはバットが立てかけられていて、ボールがたくさん入ったカゴが置いてあり、ここが野球の練習をするための空間なんだと理解できた。
そして私を勧誘した彼女は端の方にしゃがみこんで雑草を抜いている最中であった。学校指定のジャージに身を包み、髪を一つに束ねていた。いわゆるポニーテールというやつで、首筋の白さが映えていた。
「すいません。昨日声をかけてもらった者ですが」
私が声をかけると彼女は勢い良く振り返り、顔をパーッと輝かせ、一目散にこちらへ駆けてきた。
「来てくださったんですか!? ありがとうございます、歓迎します! 」
彼女は興奮冷めやらぬといった風で、私の手を掴んでブンブンと振る。
「少し興味が湧いたので」
「そうなんですか。すごく嬉しいです」
野球ではなくあなたに興味が、とは言えないが。
「あちらのベンチに腰掛けて下さい。立ったままというのは申し訳ないので」
そういってベンチを指さし、これは自分で作ったものだと言った。座ってみると安定度はなかなかのもので、そこら辺にあるベンチと座り心地は大して変わらない。
彼女は私の隣に腰掛けた。二人掛けのサイズなので距離が近く感じられた。
「改めまして、野球愛好会に足を運んで下さってありがとうございます」
「いえいえ」
ひどく畏まった態度をとってくるのでこちらの口調も固くなる。
「早速本日の活動を……と、その前に自己紹介がまだでしたね。
「野本珠美です。よろしく」
「こちらこそ。珠美さんは野球やったことありますか? 」
「いや、全然ないですね。ごめんね」
「え、なんで謝るんですか!? 大丈夫ですって。じゃあ今日はキャッチボールしましょう」
そういうと彼女は大きなかばんからグローブを一つ取り出し、私に手渡した。
「これって利き手につけるんでしたっけ」
「いや、違いますよ。グローブは利き手と逆側です。利き手でボールを投げないといけないので。って、もしかして左利きですか? 」
「あー、うん。ごめん」
「いやいや、最高です! サウスポーかっこ良すぎです。左利き用もあるので安心してください」
そう言うと吉見さんは左利き用のグローブを手渡してくれた。
そして私たちはキャッチボールを始めた。私は制服のままなのであまり激しい運動は出来ない。そして野球に関しては全くの初心者である。ボールをとるのもおぼつかないし、投げるのもぎこちない。だがそのたびに吉見さんが優しく手取り足取りレクチャーしてくれた。
「キャッチボールは野球の基本だからね。それに二人でやってると段々と仲良くなっていくの。そんな気がしない? 」
「そうかもね」
二人の間でボールをやりとりする内に、お互いの口調は段々と砕けていった。初めこそボールを落としてしまうことがあったが、吉見さんが私の胸元にボールを返してくれることもあって、スムーズにキャッチボールが行えるようになってきた。ただ、私の投げたボールはあちこちに飛びまくる。それでも、吉見さんは私のボールを止めてくれていた。
「吉見さんのグローブって普通のやつと違うよね」
「あー、これはキャッチャーミットだからね。名前の通りキャッチャー用の道具。普通のグローブと違ってピッチャーの投球を受けるのに適した形をしているの」
「なるほど」
「ほかにもポジション毎に専用のグローブがあったりするんだけど、珠美さんのやつはオールラウンドモデルだね。どこでもできるやつ」
会話は言葉のキャッチボールとはよくいったもので、キャッチボールをしながらの会話はよく弾んだ。静かな校舎裏に響くのは二人の会話と小気味いいミットの音だけだ。ちなみに私のグローブからは、ぽすっ、というかすれた音しかでない。
「そういえば」
私がボールを投げつつ話題を切り出す。
「何? 」
吉見さんのミットが小気味よくなる。ちなみにボールは足元に投げられていた。
「この部は他に何人いるの? 」
「えー? いないよ。言ってなかったっけ」
「吉見さんだけなの!? 」
「そう。だから珠美さんが来てくれたとき、すごく嬉しかった」
驚いた。彼女は一人でこの場所を作ったというのか。一人で会を立ち上げて、この場所を使わせてもらって、整備して、道具も集めて、一人で新入部員を集めるべくポスターにイラストを書いていたのか。
「でも意外。吉見さんの周りには人が集まってきそうなものだけど」
彼女は非常に魅力的な人間だ。付き合いの浅い私もこの短時間でよくわかった。先ほど聞いた話によると、やはり彼女は富士峰の中等部からの生徒らしく、中等部では生徒会長をやっていたらしい。人望は間違いなくあるのだ。
「声をかけてくれる子はいたんだけど、やっぱり野球はムリだってさ」
「野球か……」
なるほど確かに野球はおよそ女子向けのスポーツではない。甲子園やプロ野球だって全て男だ。
「でも、吉見さんは野球が好きなんだ」
「そうね、大好き」
そう言って笑う彼女の顔は眩しく輝いている。心の底から何かを好きなんだと思えることが羨ましく思えた。私の好きはあの時から心の奥深くにしまいこんでしまったから。この気持ちは誰かに向けていいものではないのだ。
「いいね、そうやって言い切れるの」
「だって好きなんだもの。仕方がないでしょう? それと好きになってほしいの私の好きなことをね」
「それは私も? 」
「当然」
彼女は笑った。つられて私も笑う。お互いに笑いながらキャッチボールを続けた。
「結構疲れるね」
キャッチボールを終えた私は汗を拭う。走ったりしたわけではないのに、存外汗をかいてしまった。
「ごめんね、制服のままなのに」
「いいよ、気にしないで。もう帰るだけだから」
そういってかばんを肩にかけると、不意に服の袖をつかまれた。
「? どうしたの? 」
「ああ! ごめん……。咄嗟に手が」
吉見さんは慌てて手を放すと、私の方に向きかえった。
「キャッチボール、楽しかった? 」
「ん? うん、楽しかったよ」
「そっか……。野球は、もっと楽しいよ! きっと好きになってもらえると思う」
そう言うと、吉見さんは私の手を両手で握って顔を寄せてくる。ひどく顔が近い。彼女の顔は近くから見ると、やはり美しかった。長いまつ毛に、ぱっちりとした目。唇は少し赤みがかっていてつやつやとしていた。私は顔が熱くなっていくのを感じた。何も言い出せずしばらく沈黙が流れる。そして再び吉見さんが喋り出す。
「……明日も、来てくれる? 」
私は吉見さんの目が潤んでいることに気がついた。彼女は私にすがっているのだ。やっと見つけた新しいメンバーになってくれるかもしれない自分を。私は何も口に出せず、彼女にすっかり見惚れてしまっていた。
「珠美さん? 」
「ん? ああ! 明日ね。明日も来るよ。楽しみにしてるね」
「本当!? すごい嬉しい」
じゃあ、また明日ねと言って解散した。
吉見さんの姿が見えなくなると私は小走りになる。
頭を、冷やさなければならない。
ああ、駄目だ。私は胸が高鳴るのを感じてしまった。無邪気に喜ぶ彼女を愛おしいと感じ始めてしまっている。ダメなのに。
大好きなものを楽しそうに語る彼女を愛おしいと感じ始めてしまっている。許されないのに。
女の子を好きになるのはダメだって……。思い知ったはずなのに。
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