第3話

「た、ただいま……」


 逃げるように、小走りで家に帰った私は汗だくだった。高校から徒歩5分という絶好の立地のこの家は、父方の実家である。住んでいるのは祖父と祖母。そして私。高校の3年間、私は両親のもとを離れ、おじいちゃん達のお世話になっていた。


「おかえり、ってすごい汗じゃない。どうしたの? 」

「ちょっと運動を……。シャワー浴びるね」

「お湯沸いてるから、湯船も入っちゃいなさい」

「りょーかい」


 おばあちゃんの言うとおりに、お風呂に入ることにする。

 さっと、汗を流し、一通り洗ってから湯船に浸かる。一日の疲労が取れていくのがわかった。運動したのは大分久しぶりだし、翌日は筋肉痛になってしまうだろうか。

 今日は楽しかった。

 素直にそう思う。

 キャッチボールが楽しかったのは勿論だし、何よりも、吉見さんとしゃべることが楽しかった。

 もし、私が野球愛好会に入り、彼女と一緒に過ごすようになり、その時、私は彼女と普通のお友達でいられるだろうか。表面上は可能だろう。

 だが、私の気持ちは?

 後ろめたい。ついさっき、一度でも胸が高鳴ってしまったのだ。そんな相手に向かって平然と同性のお友達を演じることに耐え切れるだろうか。

 どうせあの時のようになってしまうのだ。吉見さんにはもう会わないほうがいいかも。


 入浴を終えた私は自分の部屋に戻った。まだ荷解きが十分に済んでおらず、そこかしこに段ボール箱が転がっている。

(これって……)

 私は転がっているなかの一つを開けた。

 中に入っていたものは、かつて私が所属していた軟式テニス部の道具、そして一枚の色紙。私は色紙を取り出して、自らのベッドに腰掛けた。

(これ、まだ捨てられないのか……)

 その色紙は私が中学一年の時、卒業する一人の先輩に渡そうとした色紙だ。そこには同級生の先輩への一言が寄せ書きしてあった。私が無理言って渡す役をやることになったため、部の同級生全員の一言が書いてある。

 

 私は、その先輩に恋をしていた。

 優しくしてくれる先輩が大好きで、可愛い先輩が大好きだった。決して、王子様のような、女の子からモテるような先輩ではなかった。女の子らしくおしゃれをして、男の子と付き合っている、普通の女子だった。

 これは、きっと初恋じゃない。でも、恋という感情に気がついたのはこれが初めてだった。

 だって思わないじゃないか。女の私が、女の子のことを本気で好きになってしまうなんて。

 今まで気になっていた子は全員女の子で、私はそれを認めたくなかった。そんなのが普通じゃないって知っていたから。

 友達が話すのはいつもカッコいい男の子の話ばかりで、それが普通だと理解していた。私に好きな男の子ができないのは、まだ運命の相手と出会っていないからだと思うようにしていた。

 恋愛映画を見ても、何も共感できなくて、男の子に告白されても、全くその気にならなかった。


 中学で軟式テニス部に入ったのはクラスメイトに誘われたから。迷っていた私にその誘いは天啓で、すぐに入部を決めた。

 入部してすぐ、先輩と出会った。可愛い人だと思った。それと同時に、テニスも上手く、後輩の面倒見もよく、まさに理想の先輩だ。

 でも、特に仲が良くなったわけではなかった。先輩にとってはきっと数多くいる後輩の一人でしかなかったはずだ。

 その一方で、私はどうしようもなく先輩に惹かれてしまった。彼女の一挙手一投足が気になって仕方がなかった。

 恋ってどんな感じ? そう部活の仲間に尋ねたことがある。

 彼女は彼氏をとっかえひっかえすることで有名な女の子だった。恋多き乙女だ。

 彼女が言うには、その人のことが気になって仕方がない。胸が高鳴って、ついつい目で追ってしまう状態だという。

 それならば、これは恋以外の何物でもないんじゃないだろうか。そう思い始めた私の気持ちは日を追う毎に大きくなっていった。

 そうこうしている内に先輩たちは引退してしまった。そしてあの色紙をプレゼントすることになった。

 先輩を呼び出してふたりきりになった。

 色紙を先輩に渡す。この思いを告げる気はなかった。

 でも、先輩がこんなことを言うのだ。


「ありがとう。私、珠ちゃんのこと好きだよ」


 私は耳を疑った。先輩も私を? 違うって冷静に考えれば分かるはずなのに。

 簡単な話で、あの時の私は冷静ではなかった。

 好きという言葉に、頭は真っ白になった。


「私も、先輩のこと大好きです! 」

 

 ここから先、何を言ったか覚えていない。

 きっと、先輩に対しての想いを真っ直ぐ言葉にしていたはずだ。

 誰にも告げたことのない、同性への恋慕の情を。

 受け入れられるとは考えなかったはずだ。そんなに甘くはない。

 でも、同時に、激しく拒絶されることも考えていなかった。


「は? なにそれ……。……気持ち悪い」

「……え? 」

「気持ち悪いって言ってんの。今まで私のことそんな目で見てたの? ありえない。最低」

「そんな……」

「気持ち悪いから、もう話しかけないで。これも、いらない」


 彼女は色紙を手放し、立ち去っていった。

 私は呆然としていた。信じたくなかった。

 受け入れられないとは思っていた。でも、私の思いはここまで強く否定されるものなのか。だとしたら、私は……。


 翌日、部活に私の居場所はなかった。いじめられるということこそなかったが、みんなが私のそばから離れていった。

 しばらくすると、クラスでも同じ現象が起きた。

 私に聞こえるように陰口を叩かれるなんてことが毎日だ。

 それでも、唯一私に話しかけてくれる子がいた。彼女は小学校から一緒の親友だった。彼女が変わらずにいてくれることだけが私の支えだった。

 でも、違った。彼女も徐々に距離を取っていった。急に距離を取らなかったのは私への罪悪感だろうか。まあ、そんなことはどうでもいいが。

 私は一人きりになって、痛いほど理解した。私の好きは絶対に私の中に閉じ込めておかなければならないのだ。


 折角逃げるように、遠くの高校へと出てきたのだ。

 本当の私を知る人はいない。普通に友達を作って過ごすことができる。

 きっと吉見さんにも本当の私は受け入れてもらえない。

 やはりやめるべきだ。彼女と一緒にいるのは。明日、断ろう。

 うーん、でも。あの部活を一緒にやりたい気持ちもある。

 やっぱり私はわがままなのかもしれない。あんな経験をして、遠くに逃げてきてもまだ、わずかな可能性を掴みたいと思っている。本当にバカ。どうしようもない。

 この夜、結局私はどうするべきか決められなかった。優柔不断な我が身が憎い。


 



 

 


 

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