終章

 今世紀最大のビックイベントである火星の花博覧会は、会場中に敷き詰められたアネモネの花に出迎えられて始まった。お母さんは最後までずっときれいねとうっとりした様子だったし、お父さんもそんなお母さんをみてにこにこしていた。ボクもこんな風にたくさんの花に囲まれるなんて経験はしたことがなかったので、知らないうちに笑顔になってしまっていた。

 最大の見せ場である花の塔の発光現象は、それはもう、息をするのを忘れてしまいそうなぐらいきれいだった。ライトが明るく照らしていた時はブルーの可愛らしい花だったのが、場内が暗くなり、ぽっと暗闇に光が生まれて、そこからは怒濤のように色が渦まいた。ブルーはもちろん、オレンジやグリーン、イエローの光が、風に吹かれて波打つように花の塔の表面に広がる。場内にいくつも設置してあるスピーカーからの音と共鳴するように光が花開くのだ。

 開会式が終わった後も、夕方暗くなってから、少しの時間だけ発光現象が見られるらしい。絶対に滞在期間中にもう一度見なくちゃいけないわね、とお母さんは意気込んでいた。

 アネモネの花をドームの外へ持ち出すことがないようにと、出入り口の荷物チェックはとても厳しいものだったけど、その列を待つ間にボクは久しぶりの人に会うことができた。

 赤い花の海の中でひょこひょこ動く黒い頭めがけて走り出す。

 後ろでお父さんとお母さんが呼ぶ声が聞こえたけど、手を振って大丈夫だと合図したまま突撃した。

「シルヴィオー」

 ぶんぶんと手を振るとそれがくるりとこちらを向く。青い眼と、真っ黒に日焼けした顔がびっくりした表情に彩られていた。

 けど、ボクの方もびっくりして寸前で足を止めてしまう。

 シルヴィオは青いシャツを着て、腰にSFCの作業着を巻いていたけれど、その腕や顔にいくつも白い包帯や大きな絆創膏が貼られていたのだ。

 花博が始まれば、絶対に会えると思っていたから、そのとき初めになんと言ってやろうか散々考えていたのに、驚きでそれが全部どこかへ飛んで消え去ってしまった。

「よお! ジャック」

 ニカッと笑う顔はそのまま。だけど頬の傷が痛むのかちょっと顔が歪んで見える。背のわりには大きな手がぐっと伸ばされボクの頭がぐしゃぐしゃとかき回されたところで、やっと声が出た。

「怪我したの?」

「んん? ああ。別にたいしたことねえし」

 ぶんぶんと腕を振り回すが、ところどころで顔をしかめる。明らかに無理していた。

 花屋のお仕事はそんなに危険と隣り合わせなのか? 少し不安になる。

「なんだよ、心配すんなって! 二、三日で元通りだから」

「そうだよ。シルヴィオは元気が取り柄だからね」

 そう言ってアネモネの花が一杯詰まった透明の袋を担いだ人が現れる。こちらもよく覚えている。

「こんばんは、ニコラスさん!」

 彼は長袖の作業着をきちんと着ている。だが、その袖の部分から同じく白い包帯が見え隠れしていた。

 ボクの視線に気付いて、彼は苦笑する。

「こっちもたいしたことはないんだけどね」

「お前の怪我、身体だけだよなー」

「当たり前だろ? 一番最初に守るところといったら、顔だ」

「頭だろうが!」

 えっへんと胸を張っているニコラスの後ろから突然手が伸びてきたと思ったら、彼の頭が叩かれる。すごくきれいな人だ。この人も知ってる。さっき会場内に設置されたスクリーンに映ってた、政府の人だ。赤い髪と緑の瞳はまるでアネモネのようだ。お母さんみたいなふんわりした人もかわいいと思うけど、この人はかっこよくってすてきだった。

「この子は?」

 彼女が小首を傾げてボクを見る。

「ジャック・ベタニーです。今年で八歳になります」

 しゃんと背を伸ばして、右手を差し出すと、彼女は破顔してボクの手を握る。

「アイリーン・レミントン。よろしく」

「歳は三十いくつだっけ」

 シルヴィオが余計なことを言って、空いてる手で頭をゴツンとやられた。自業自得だ。女性に歳を聞くのは御法度だと、ボクだって知ってる。それにアイリーンは三十を過ぎてるなんて思えないほど若々しかった。

「ジャック!」

 呼ばれて振り返ると、お父さんが血相を変えて走ってきた。それを見てアイリーンがなんだ、と漏らす。

「ベタニーさんの息子さんか」

「お父さんを知っているの?」

「ああ。彼は優秀な建築家だからな」

 ボクのことを褒められたみたいに嬉しくて、頬が上気するのがわかる。

「君も将来はお父さんみたいな建築家を目指すのか?」

 アイリーンに聞かれて、ボクはちょっと後ろめたさを覚えながら首を振る。

 そこへお父さんとお母さんもやっと到着した。

 実は、ドーム内で本気で走るのは現在禁止されていた。すぐに係の人に止められる。だからいつもよりちょっと手を抜いて行くしかないのだ。

 お父さんはアイリーンに挨拶して、お母さんを紹介していた。シルヴィオとニコラスはしゃがんで花の回収作業をしながらそれを見上げている。ボクもそちらへ手を伸ばす。

 アネモネの花は、土があろうとなかろうとお構いなしに根を伸ばしている。上の方はたしかに花びらがいっぱいできれいなのだが、葉を持ち上げるとちょっとグロテスクな光景に思えた。

「なんだ、手伝ってくれるのか?」

 シルヴィオが嬉しそうに言うので、ボクも笑顔でうなずく。

「お父さんみたいなあんな風に尊敬される建築家もいいなって考えてたんだけど、花もいいなって思うんだ」

「へえ。SFCに入りたいのかい?」

 ニコラスがぎちぎちでもう入らないように見える袋に、ひょいひょいと追加を加えていた。中味が漏れないように上手に詰め込んでいる。

「うん! ボク、シルヴィオの弟子になるよ」

 最初はちょっと戸惑ったような表情を浮かべたシルヴィオだが、最後はあの、花の話をするときみたいな柔らかい顔になる。

「SFCはねぼすけには厳しいぞ」

「大丈夫だよ! うちではボクが一番朝早いんだよ。それで、家にあるお花にお水をあげるんだ」

 火星で普通に育てられることを許された花がいくつかベランダに並んでいる。

「たくさん勉強しないと難しいんだぞ」

「ボクお勉強好きだよ。SFCへの最短コースを今いろいろと調べてるところ」

 彼はニコラスと顔を見合わせてにやりと笑う。

「SFCは地球での仕事が基本だからね。お父さんやお母さんと離れて暮らさないといけないぞ?」

 ニコラスの意地悪な質問にも、ボクは胸を張って答える。

「平気だよ。男はいつか家を出るものなんだから!」

 二人は声を上げて笑うと、交互にボクの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

「地球に来たら一度本社に来いよ。俺の花畑を見せてやるよ。すごいぞ。このアネモネも確かにすごいんだけどな、もっと色とりどりの花が一面に広がってるんだ。旨い菓子と紅茶も出るぞ」

「ホント? やったー!」

 ボクが無邪気に喜んでいると、ニコラスがちょっと困ったような顔をしていた。どうしたのと尋ねようにも、それはほんの一瞬で消えてしまう。

「大丈夫だって。絶対すぐに帰って来るさ。な、ニコラス」

「うん。そうだね」

 いつもどこかからかい調子の彼の声がすごく優しく聞こえた。

「だが今は目の前のこいつをやっつけてしまおう」

「おう! ジャック、手伝え」

「うん!」

 ボクは花の海へとダイブする。


 

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   あなたの大切な人へ

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   スペース・フラワー・カンパニーはもっとも美しい瞬間をお届けします――



   了

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スペース・フラワー・カンパニー 鈴埜 @suzunon

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