第五章 EXPO'2300,Mars13

 破裂音とともに、スーツの胸の辺りに穴が空き、じわりと黒い染みが広がった。彼は信じられないと何度も己のその部分をさわり、膝をつく。

「兄さん!?」

「フレディ。お前たちは先にファーストドームへ行け」

「何を考えている! 周囲には警備の者が集まってきているぞ」

 アイリーンたちは、事前に三十分経っても帰って来なかったら警備の人間を集めるよう、外にいたSFCの人間に命令を出していた。シルヴィオたちが来るよりずっと前に来ていたので、それは忠実に実行されているだろう。

「ならば、そいつらにも言ってやれ。もうすぐこのセレモニーホールは吹き飛ぶとな」

「サディアス!」

 仲間が驚いたように彼を呼ぶ。しかし、うなずいただけで彼自身はシルヴィオたちから視線を外さなかった。スティーヴンが最後の命にすがるように小さく呻いていた。

「ヴンダニウムの存在がばれた。このままでは俺たちの望みは何一つ通らずに終わるぞ! なら、仕切り直しだ。火星が再び閉ざされれば生き残った政府の人間とも協力体制を敷かなければならない。磁気嵐が晴れるまで新しい道を模索する時間はたっぷりある。みんなにそう伝えろ」

 諦めて投降するという選択肢は初めからなかったのだろう。この中でリーダー的存在である彼の言葉に、仲間は一瞬迷いを見せたがうなずいた。

「だけど、俺は残るぜサディアス。お前一人でこいつら全員の面倒見ながら爆破はちょっと手間だろ。二人とも、後は頼んだぞ!」

 その選択は、過激派テロ組織の名にふさわしいものだった。

「ローズマリー」

「嫌よ! 私は行かない。兄さん、爆破なんてやめて。罪のない人が、大勢死ぬのよ。普段の規模じゃない。とてつもない数の人が亡くなってしまうわ」

 ため込んでいた涙がこぼれ、頬を濡らす。男たちはそんな彼女に一瞥をくれ去っていく。二人の足音があっという間に遠のいた。

「やめろ。そんなことをしても意味がない」

「意味があるかないかはあんたに決められることじゃないさ」

「なんとかならんのか、シルヴィオ! ニコラス、お前も奥の手を出せ」

「いや、正直爆破する気満々の人間相手に打てる手なんてそうそうないですよ。今だって銃口向けられてるし」

 フレディがシルヴィオたちを見張り、サディアスがその後ろで壁に向かって作業をしている。ポケットへ手を入れる余地もない。

「C4か」

 アイリーンが舌打ちする。

「あの量なら花の塔が軽く吹き飛ぶな」

 ローズマリーは説得しようと声をかけ続けるが、彼らはまったく耳を貸さなかった。彼女が声をあげ続け、荒い息を整えるために一度口を閉じたとき、フレディは気になっていたのか、シルヴィオに声をかける。

「その腕に抱えてるものはなんだ?」

「いや、これは、単なる花だ」

 どうしようかと散々迷っていたところへ、突然話しかけられまごつく。それが怪しく思えたのか、フレディはとうとうそれを床へ置けと命じた。

「本当に、こいつは危ないんだ。絶対、開けるなよ。見るだけだ。絶対。約束だ」

「そんな危ないものをなんでこんなときに持っているんだ。怪しいだろう。俺があらためてやる」

 もっともである。シルヴィオも、いざとなったらこれを使ってやろうとさっきまでは思っていた。だが実際、あと一歩が踏み出せない。

「へえ、アネモネじゃないか」

 彼らのシンボルとあって、すぐにわかったのか銃口の向きは変えず、かがんでのぞき込み口笛を吹いた。しかし、そこで思わぬ攻撃をくらい尻餅をつく。

「なんだとおっ!?」

「シルヴィオっっっ!!」

 それまでどこか余裕しゃくしゃくとしていた二人が、怒号を浴びせるのだ。

「お前は、なんっつうもんを持ち込むんだ。俺のエゴマ種どころじゃないぞ? んなもん、ばれてみろ。即刻馘首だっ! ああ。俺が、先輩の俺が引導を渡してやる。今ここで、お前に、馘首を宣言するっ! ほら、レミントン室長もなんか言ってやってくださいよ」

「話しかけるなっ! 私は今、どうやって誰に責任をおっかぶせるか脳内会議中だ。放っておいてくれ!」

 そのうろたえように、フレディはサブマシンガンをかかげることも忘れぽかんと見上げたまま固まっていた。

「なんだ、そんなにヤバイもんなのか?」

 手を伸ばして上部にある開閉用ボタンに触れようとした途端、三人が銃を持っている相手だとかなしに怒鳴りつけた。

「やめろ!」

「馬鹿者っ!」

「待て待て待て!!」

 初めは呆然としていた彼も、そんな理不尽な罵りに次第に苛立ってきたようだ。

 その騒ぎに、ようやくサディアスがやってくる。

「どうした」

「知らねえよ。もうすぐ死ぬ身だってのに、この花にぎゃあぎゃあいいやがる」

「アネモネか?」

「ああ。そうだよ。ほら」

 ポッドを片手で持ち上げ、もう一方の手を添える。流れるようなその動作の中で、シュッと空気が漏れる音がし、ポッドのフロントカバーがぱかりと開いた。

「なんもならないじゃねえか。担ぎやがって」

 だが、三人は呆然とそれを見ている。直前の大騒ぎから一転、不気味な静けさにフレディは顔をしかめる。

「ねえ、シルヴィオ。そんなに、怖いものなの?」

 口を開けたまま言葉が出てこない彼に、ローズマリーがそっと囁く。我に返ったシルヴィオがゆっくり彼女を振り返る。

「話はゆっくりと、動くときは慎重に。物を落とすくらいならいいが、勢いをつけて素振りなんぞ絶対にしないように」

 そしてサディアスに向き直った。

「爆破はやめにしないか?」

「何をいまさら」

「ここでやめてファーストコロニーに潜伏すれば、政府の手から逃げ延びられるかもしれない。だけど、それを爆発させてしまえば、あんたは終わりだ」

「花馬鹿だとは聞いていたが、何を言っているんだ? もしかしてC4を知らない? いや、そんなわけがないな。これを爆破すれば、お前がさっき説明した通りこの周囲一帯が吹き飛ぶんだ。確かに俺も終わりだが、お前も終わりなんだぞ?」

 しかしそれ以上シルヴィオは何も言わずに首を振っただけで壁際まで下がり座り込む。

「ローズマリー」

 その状態から手を差し出すと、彼女はそれに自分の手の平を重ね合わせた。

「ぎゅっと目を閉じて、息を止めるんだ。それで大丈夫だから」

 彼女はちらりと兄へ一瞥をくれ、シルヴィオに微笑んで見せた。

「さあ、早くしてくれ」

 ローズマリーの頭を、包み込むように抱きしめる。ニコラスとアイリーンは揉めているようだったが、結局同じような体勢を取っていた。

 サディアスは不愉快そうな顔をした後ににやりと笑う。

 彼の手に握られた雷管を起動するスイッチがゆっくりと押される。

「知ってるか、ローズマリー。お前の瞳がラテン語で『海のしずく』と呼ばれるように、アネモネはギリシア語で『風』の意味を持つ。球根で売り買いされることも多いが、もともと種はタンポポのように風によって運ばれるんだ」

 花について語るときの楽しそうなシルヴィオの声に、彼女の口元も緩む。

「アネモネは、風に乗って増える。火星では、三十ノット以上の風が吹くと、それよりさらに早く、爆風が起これば、さらにさらに早く増殖するんだ。花のクッションに俺たちやこの部屋は守られて、誰も傷つかない」

 起爆し、オレンジ色の閃光が周囲を飲み込もうかと言うとき、床にあったアネモネが揺れた。

 赤い花びらがふっと消え、ついさっきまでの種の形に戻る。

 そして光の速度に近づく勢いで花開き、また種をつけ、人の目ではとらえられない早さでそれを繰り返す。気づけば目の前には窒息するほど赤い渦。負けず嫌いのアネモネは、音速の壁を軽く越えてしまった。

 ――花の塔は、セレモニードームは、赤い花の海に包まれた。



「アネモネは、ギリシア神話に登場する花の一つです。アドニスという青年の流した血から生まれたと言われています。彼が血を流すことになったのは、ギリシア神話おきまりの痴情のもつれなわけですが」

 ここで赤い髪が印象的な美女が微笑む。全世界へ放送される内容として、よいものかどうかは、その微笑によりうやむやにされた。

「彼を攻撃したのは軍神アレス。このアレスはローマ神話ではマルスと名を変えます。マルスは火星を表す。アネモネの花は火星に嫌われていた」

 差し出されたマイクから、すっと目をそらし、背後に広がる風景へ目をやる。カメラも彼女の視線を追ってズームアップした。

 そこにはドームいっぱいに咲き乱れるアネモネの花がある。

「神話ではやられっぱなしのアネモネですが、現実には火星に仕返しをしていたというわけです」

 映像はそのままに、彼女の耳に心地よいアルトだけが残る。

「残念なことに、アネモネは放っておけば増殖し続けます。ある意味、火星ととても相性の良い花でした。通常では持ち込むことは禁止されているのですが、この花博のために、この素晴らしい風景を一度でもいいから再現しようといくつもの反対を退けてこのような演出をしました。来場いただいた方々には、絶対に持ち出すわけにいかないので少々不便を感じさせてしまったかもしれませんが、ぜひ皆さんに見ていただきたかったんです。火星には植物がある。月や、ガニメデよりも多くの種類が」

 ここでスタジオへ切り替わり、いくつかインタビュアーの女性とやりとりした後、地球連邦政府移民局のアイリーン・レミントンとの会話は終了となる。

 巨大なスクリーンに映し出されたその映像に舌打ちしながら、SFCのメンバーは慎重に育ちに育ちまくったアネモネの花の回収作業を進めていた。セレモニードームは明日から当然のように開放される。朝九時。それまでに撤去しなければならない。一株残しても、大惨事となる。きっとぎりぎりまで、徹夜の作業となるのだろう

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