神社合祀奇譚―焼かれる神と鈴の音―

ハコ

神社合祀奇譚―焼かれる神と鈴の音―

 祭政一致を掲げた明治新政府は、明治元年を以て神仏判然令(通称:神仏分離令)を発布。

 千年以上の長きに渡る神仏習合の時代は終わりを告げ、日本各地で共存・融合していた神と仏は新たな神威によって引き剥がされ、両者は厳然と区別される事となった。


…中古以来、某権現ナニガシゴンゲンアルイハ牛頭天王ゴズテンノウノ類ソノ外仏語ヲモツテ神号ニ相称へ候神社少ナカラズ候。イズレモソノ神社ノ由緒ヲ委細ニ書付ケ、早々申シ出ズベク候事…

…仏像ヲモツテ神体ト致シ候神社ハ、以来相改メ申スベク候事。附、本地等ト唱へ、仏像ヲ社前ニ掛ケ、アルイハ鰐口・梵鐘・仏具等ノ類差シ置キ候分ハ早々取リ除キ申スベキ事…

慶応四年(明治元年)『神仏判然御沙汰』


 地方に於いてはこの布告は仏教に対する公然の排斥とさえ見なされ寺院堂塔が破壊されるという事態が起きた。この仏教施設に対する排撃はのちに廃仏毀釈と称される事になる。

 それから幾ばくかの時が流れ時代は明治三十九年(一九○六年)。かつての廃仏毀釈の熱狂も遠く過ぎ去り、日本は太陽の最高神たる天照大神アマテラスオオミカミ――そしてその末裔たる現人神アラビトガミ――を国家の宗廟とし、君臣一体の模範的皇国の基盤を築き上げつつあった。

 しかしそれはこの国に根付く八百万の神々のうちの幾らかにとって、かつての仏達と同様、あるいはそれ以上の受難の時代の到来を告げるものでもあった。



 ――田んぼのあぜ道で背広に黒い外套姿の若い男と野良着姿の壮年の百姓が話しこんでいる。外套の男はなにやらメモを取りながら、鍬を持った百姓の話を聞いていた。

「ああ。それならなんとなく覚えています。たしかオツネ山にお宮がござんした」

「オツネ山?」

「おっと今はもう□□山と呼ぶんでしたね、ご勘弁。維新前は里の者はみんなそう呼んでおりました。なんでも昔お常という若い娘がそこで死んだからそう呼ばれると聞いた事もありますし、そこにはコンコン様の小さいのが住んでいるから、小狐と書いてオツネ山というとも聞いた事があります」

「狐、ねえ……。つまり稲荷神社があったのかね?」 

「いんや。わしが若い頃はみーんなオツネさんとかコンコン様とか呼んでいました。稲荷じゃあないです」

「狐は倉稲魂命ウカノミタマの眷属と決まっている。神ではなく使い走りだ。おおかた稲荷という事も知らないまま、ただ狐だと思って拝んでいたんだろう。まあ珍しい事でもない」


 へえと感嘆する百姓を尻目に若い男は懐にメモを突っ込み、かわりにパイプを取り出し、マッチを擦って火をつけた。一息吸ってフーと吐き出し、男は話を続ける。

「それでその稲荷はどこにあるのだね? 今もあればの話だが」

「オツネ山の中腹あたりにございましたよ。お宮をわざわざ取り壊したりはしてないと思います。例の廃仏運動で取り潰されたのは麓の寺だけですし。維新前は和尚さんがお水をあげたり読経したりしていたんですが今はどうやら。わざわざあすこまで参拝に行く人もおらんでしょうし」

 廃仏運動という言葉を聞いた途端、男の表情がやや険しくなる。

「あれは〝廃仏〞なんて物騒な話ではないよ。少なくとも新政府はそんな命令をしてはおらん。判然令はこの国の神と仏を正しい姿に直しただけだ。げんに仏教も寺も別に日本から無くなってはおらんだろう。未だに〝仏様の祟りで大勢の役人が死んだ〞なんて風説を語っている者もいるがね。少なくとも我が内務省でそんな話はトンと聞かないよ」

 吸い終えたパイプの灰をトントンと畦道に捨てながら、男は呆れたように肩をすくめた。煙草を懐にしまい、そのまま道草を食わせていた馬にまたがる。

「それではそのオツネ山とやらに行ってみよう。馬で行けるな?」

「へい。小さい山ですし道もなだらかですので。しかしお役人さん、一体何をしにわざわざコンコン様の所まで行くんです?」

「神社合祀令だ。その稲荷は□□村の八幡宮はちまんぐうと合祀される。神社は立派になるしお前達も近場にあった方が便利だろう。これからはお参りにもいけるぞ」

 馬を走らせ外套を翻す男の後ろ姿を見送りながら、百姓は首をかしげていた。

「んー? お稲荷さんと八幡さまもおんなじモノだったんだべ?」


神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件

勅令第二百二十号

 朕 神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

 神社寺院仏堂ノ合併ニ因リ不用ニ帰シタル境内官有地ハ官有財産管理上必要ノモノヲ除クノ外 内務大臣ニ於テ之ヲ其ノ合併シタル神社寺院仏堂ニ譲与スルコトヲ得


 ――内務省地方局の役人・青山清吉あおやませいきちは同年八月に布告された勅令第二百二十号を受け、連日県内を走り回る日々を送っていた。彼の仕事は地方局の管轄内にある雑社ぞうしゃを出来うる限り調査特定して周り、合祀作業を円滑に進める手続きをする事だった。

 昔々――江戸時代――中世――それより遥か以前から、この国には無数の神社神宮が建てられ続けてきた。その数は十九万二百六十五社。この数字は現在のところ神社局が掌握しているだけの数にすぎず、真っ当な氏子制度すら敷いていない雑社に至っては数え切れないほどあるだろう。

「八百万の神のおわす国……か。終わる気がせんよ実際」

 なだらかな山道を村役場から借りてきた馬でのんびりと進む。日差しは十月にしては暖かい。百年経っても終わる気のしない仕事に溜息は出るが、村落の中にある雑社を始末する仕事に比べれば今日は穏やかで気分のよい仕事だといえた。

 ちっぽけな社や祠の戸を開き、神体を引きずり出し、大きさに応じて必要なだけの人夫を用意して、日暮れまでには解体してしまう。人通りの多い辻などにある社や道祖神を撤去していると、通りがかる人々は大抵「罰当たりな奴らだ」とでも言いたげな目を向けてくる。今までほとんど気にも留めていなかったくせに途端に迷信深くなる。

「祟りがあるぞ」などと言われた事は一度や二度ではない。幸か不幸か自分には未だに罰も当たらず祟りもふりかからず、今日も壊す雑社のメドをつけにいくわけだが。


 祟り――で思い出した。さっきの百姓相手にも一席ぶったが、かつての神仏判然令の後、坊主達は盛んに「新政府に仏罰が下る」と吹聴して回った。それと同じように「合祀で神罰が下る」という風説が今はよく流れているらしい。

一部では百姓一揆や一向一揆もかくやという騒乱までが起きたという。

 噴飯物の話なのだが、百姓達が我々地方局が彼らの先祖代々の氏神を取り上げ、耶蘇教キリストきょうの教会に建て替えようとしているという風説を信じた事が原因のようだった。呆れ返るばかりの話だ。この国の民衆は自分達が何を拝んでいるのかもよく知らないし、我々が何を建てようとしているのかもよく知らないのだ。

 青山は決して熱心な(後の言葉にいう)国家神道の信奉者ではなかったが、この国に満ちている曖昧で粗雑な信仰については思うところもあった。数ばかり多く乱雑なこの国の信仰を整理し、大系づけ、その結果一つの宗廟の下で人

心が統合される。それこそが日本を近代国民国家として飛躍させるための急務ではないのか。

 ぼんやりとそんな事を考え耽っているうち、馬が急に足を止めた。なだらかな坂道が終わり、そこだけが天然の広場のようになっていた。鬱蒼と茂った草の中に、小さな祠がぽつんと立っているのも見えた。おそらくあれが稲荷――この周辺の人々がオツネとかコンコン様とか呼んでいた宮なのだろう。青山は馬をその場に待たせ、覆い隠すような草を掻き分けながらその宮へと向かっていった。




 コンコン様の〝宮〞というには、それは素朴に過ぎた。鳥居すらなく、せいぜい大人の股下程度の高さしかない祠に過ぎなかった。唯一世話をしていたという寺僧もいなくなったためか、あたり一面が草ぼうぼうの荒れ放題。何も知らずに通りがかっても見落としそうな祠であった。

「世話をする氏子すら居ない神か――こんな物は神社とは言えん」

 放っておいても信仰を失い誰も記憶せず消え去りそうな祠だが、職責上そういうわけにもいかない。ともかくご神体だけでも回収し、村に建てられた立派な八幡社に合祀せねばならない。その後は人手を集めて祠を解体。見るからに古くて新たな用は足せそうも無い木材は火にくべて燃やし、後始末をせねばならないのだ。

 青山は祠の戸を掴んで開く。この手の粗末な祠のご神体はせいぜい石ころや古い鏡、稀には獣の毛皮などの場合もあるのだが――

「空っぽか」

 こういう場合も多い。中身は誰かに盗まれたか、あるいは元々なかったのかも知れない。かの福沢諭吉が、自分が悪戯で祠の神体を盗んだのに誰も気付かず拝み続けていたと書いていた話をふと思い出した。

 神体があればこのまま持ち帰りまとめて合祀して手間を省くつもりだったのだが。無いなら無いで仕方が無い。解体作業に必要なだいたいの見積もりはできたし、日が暮れる前に八幡社の神官を連れてきて祝詞をあげさせれば良いだけだ。

「まあ無駄足という事はなかった……景色も良いしな」

 青山は祠のそばに大きな平べったい石の上に腰をおろした。どうせまだ昼前だ、煙草の一服でも吸っていこう。マッチを擦り、煙草を詰めたパイプに火を入れようと目線を手元に落とした時、かすかに音が聞こえた。


――シャン ――シャン


 それはどう聞いても鈴の音だった。人気のないこの場所にはどう考えても不釣合いな、妙に澄んだ鈴の音色。訝しんで音のした方に目をやると、そこには居た。

 それはどう見ても少女であった。背丈はせいぜい十二歳程度。綺麗な顔立ちをしている。身なりはというと真っ赤な色彩に木の葉のような柄があしらわれた、妙に丈の長い着物を着ている。足元は黒塗りの下駄。首からは鈴がいくつもぶら下げられており、これが先ほどの音色を出していたようだった。山歩きをして遊んでいたとは思えない、まるで昔のお神楽のような奇妙な格好だったが、それ以上に青山の目を引きつけていたのは、少女の髪の毛だ。腰まである長い髪は西洋人でも見られないであろう実に見事な金色をしていた。

 そんな異様な風体の少女が、いつの間にか自分からわずか一メーターの場所に立ち、こちらをじっと見つめていたのである。――赤いおべべ 金色の髪 お神楽――子供の頃から聞かされていたあるイメージが脳裏をかすめる。しかし明治の世の文明人として迷信打破、淫祀邪教の撲滅を叩き込まれてきた理性がそれを一瞬にして否定した。

「……君はどこの子だね? □□村の子かな? 急に見かけたから驚いたよ」

 努めて平静に。自分は見かけた子供相手に他愛も無い雑談をふっかけているだけだ。平べったい石に座ったまま、青山は自身でも意識しないまま吸った煙をわざとらしいまでにフカせてみせた。

そのはったりに呼応するように、少女は仰々しい口ぶりでこう告げる。

「私は――この山に古から住む狐だ。狐の神である。その石は宝永年間に私がもらったものだ。その石から尻をどけてくれ」

 馬鹿馬鹿しいイメージそのままの答えに呆気にとられ、その拍子にフカしていた煙を吸い込みそのままむせた。

「ゲホッゲホッ……分かった、分かった。どいてくれというならどこう。すまん」


 慌てて平べったい石から腰をあげて場所をあけたが、何が「分かった」なのか自分でもよく分からなかった。ともかく、赤い着物の少女は彼がどいた場所にチョコンと座る。少女は平べったい石の側面を指でひょいと示した。

「私の物だという印だよ」

 そこには風化しつつあったがたしかに『宝永二年奉納』と彫られてあるのが確認できた。

「お常は踊りが好きだというから、里の者達が私のために踊り場を作ってくれたんだ」

 言われてみればそれは稚拙な技術でかろうじて頂上だけを平らにした事が分かる石だった。不自然に平べったく自然石ではありえなかった。その石を少女は愛しそうに撫でている。

 だが一体この子は何を言っているのだろうか。自分を狐の神だと言ったかと思えば、今度は村人が語っていた地名説話の登場人物に過ぎない「お常」であるかのように語っている。法螺にしても辻褄が合っていない。しかし青山にはこの子が冗談を言って自分をからかっているようにはどうも思えなかった。その瞳はどこまでも澄んでいる。

 とりとめのない妄想――それこそ俗に狐憑き等と呼ばれるような――に囚われているのだろうか。青山はその姿を哀れに思った。そして同時にこれこそが、この国に未だ根付いている蒙昧曖昧な迷信の犠牲者の姿のように思えてならなかった。

「つまり君は、狐なのだね?」

「そうだ」

「いやしかしそれはおかしいだろう。君はつい今しがた、徳川時代に死んだというお常に捧げられた石を自分の物だと言っただろう? 君はお常なのではないのか?」

 この子の妄想が矛盾を突きつける事で解決するとは限らない。それどころかもっと悪い方向に行ってしまう恐れさえある。しかしこの子は妄想の哀れな犠牲者であると同時に、他の者を新たな妄想に沈める種になるかも知れないのだ。世に言う憑き物は精神薄弱者がその妄想を語っているに過ぎないのだと聞く。

 神がかり、狐憑き、託宣、言付け、狐狗狸こっくりさん――原始的シャーマニズムに基づく迷信。政府・警察がいくら取り締まろうとも絶えない民間信仰の数々。人間の弱い心が、妄想が、また別の者を迷信の世界に引きずり込む。常々感じていた無限サイクルに対する憤りが、目の前で矛盾した妄想を語る少女に向いてしまっていた。

 青山のそんな憤りを知ってか知らずか、少女は詰問に対してこう応えた。

「そうだ。私はこの山で非業の死を遂げた娘・お常だ。そしてこの山に古から住まう狐でもある。どっちでもあるしどっちも違わない」

 ――支離滅裂。話にならない。矛盾を矛盾とも思わない。

「そうかね、君は狐でそれでいて人間なのかね。それは不思議な話だ。つまり君はウカノミタマ――俗にいう稲荷神の使い走りなのだろう。今どきの神官は皆言っているよ。狐の如きは神にあらず。神使に過ぎずと。君は今、存在しない狐の神を名乗って私の前にいるわけだ」

 名伏しがたい不快感から、語気がやや荒くなる。――狐は神にあらず。ゆえに祀る由なし。県内各地で〝不要〞になった狐の祠を取り潰す時に散々言ってきた事だ。しかし少女は物怖じせずに話し続ける。

「いいや私は狐だ。まごう事なき神だ。そしてお常だ。私は稲荷神の使いなどではないが、だがいずれは使いにもなるだろう」

「神から使い走りにかね? それはおかしい、降格ではないか」

「私が望んでそうするわけではない。それはお前達が成す事ではないか。――お前達は知っている筈だろう。神を作るのはお前達だと。皆が長いあいだ猛き牛の神だと思っていた神を、疫病を鎮めも流行らせもする猛々しい神だと畏れていた神を、仏法に帰依していた神を、どれだけ焼いた? 一千年に渡って敬われた神をいとも簡単に焼き捨てて、違う姿に作り変えたではないか」

「――神仏判然令の事を言っているのか? 徳川時代の権益を取り上げられた生臭坊主どもと同じ事を言うのだな」


 シャン、と鈴の音を鳴らして少女は石から立ち上がった。その表情は微かに怒っているようにも見えたし。相変わらず無感動で涼しげなままにも見える。少女はそのまま歩き、青山の前を通り過ぎる。

「私はときどき富士山に遊びにいった。そこには立派な寺があり、美しい花の神様が仏と連座して和やかに過ごしていたものだ。私は山伏達が奉げた団子を花の神様と一緒にほおばった事を今でもよく覚えている。だがその寺も仏も今は焼かれてしまった。今、花の神様は昔の事など全て忘れてしまったように澄ました顔で静かに佇んでいる」

 妙な事に、少女が立ち止まっても鈴はのんびりとしたリズムで音を鳴らしている。シャン――シャン――とさながら合いの手を打っているようにも聞こえた。

「私はときどき西国の海峡にも遊びにいった。そこではとてもお可哀想なあの幼子が阿弥陀にいだかれて安らいでいた。里の者達は漁の網にかかる度に平家蟹へいけがにを寺に持ってきた。蟹が一匹供養されるたび、ともがらの魂が一人慰められたとあの幼子は喜んでいた。だがその阿弥陀寺ももう無くなってしまった。もう誰も、あの場所に蟹を持って来なくなってしまった」

「――それは混合した信仰であり、雑宗、迷信だ! そんなものは本物の神のあり方ではない!」

 極めて情緒的な非難の言葉に対して、青山が吐き捨てるようにそう言った途端、鈴の音が止まった。暖かな日差しは先ほどまでと変わらずさしているのだが、空気が冷水のようにヒヤリと冷えるのを感じた。

「――本物の神?」

 少女は青山の言葉を咎めるように、目をキッと見つめる。自分の胸ほどまでの背丈しかない少女が自分を見つめている。たったそれだけの事なのに、体の底から嫌な汗がにじみ出てくるように感じた。じっと目を見たまま、少女は何かの代弁者のようにまくし立てる。

「ならば逆に聞くが、本物の神とは何だ? 書物に書いてあるのがそうなのか? 神官風情がそうだといえばそれが本物になるのか? 百姓達から遠い国から来た耶蘇教やそきょうと間違われるような神は、果たして本物のこの国の神か? お前達が合理だと行って何もかも押し込んで一纏めにした稲八金天いなはちこんてんとやらが本物の神か――お前達が新たな宗廟だと掲げて久しい、人トシテ現レタ神。あれはどうだ。あれは本物の神か?」

 この少女、一体何を言っているのだ。

 自分は職責上このような言葉は決して許してはならない。子供の言う事と捨て置かず反論し、それでなければ叩いてでも口を閉じさせなければならない立場だ。にも関わらず、手を出すどころか言葉一つ返せないほど気迫があった。

 まるで大勢からまくし立てられたかのように憔悴し、身じろぎ一つできなくなった自分の顔を、少女は相変わらず見つめている。今までずっと押し殺したように涼しげだった

表情が、そこで大きく崩れた。少女はニタリと不敵に笑い、こう告げる。

「本物に決まっている。全部が全部、残らず本物だ」


 その言葉を待っていたかのように、鈴が激しく鳴り出す。それは明らかに少女の首にかかっている鈴だけの音色ではない。草叢の中、土の下、空の上――あらゆる場所から一斉に激しく振られているような鈴の音が鳴り響き始めた。青山の耳には、それがあちこちから湧き上がる笑い声のようにも聞こえた。天地を埋め尽くさんばかりの八百万の笑い声に同調するかのように。少女は笑みを浮かべたまましゃべり続ける。

「私はこれから稲荷の使い走りになるのかも知れない。稲八金天と化すのかも。宮を焼かれ、いつの間にか溶け混じった名前を剥がされ、とにかく別の何かになる。お前達がそう言い、お前達がそう信じるのならな。――私は仏の垂迹だと信じられた事もあった。哀れな女子の霊だと言われた事もあった。お前達がただひたすら無邪気に私の事を山で見かけた狐だと信じた時、私は間違いなく狐だった。その全てが私自身だし、私はその全てが愛しかった」

 冗談めかすように、少女は両の手のひらを頭にくっつける。子供がよくやる、犬さんの耳、狐さんの耳。そしてその手をすっと降ろすと、そこにはもう子供向けのポンチ絵で描かれるような狐の耳が生えていた。たった今生えてきた耳を指先でつつき「悪くないな」と小さく呟いた後、気を取り直すように咳払いをし、少女はまたしゃべりたくる。

「お前達は人トシテ現レタ神の神威が万世続くと信じているようだが、それも分からぬぞ。仏も神も焼かれてしまった国だ、国ごと火にくべられて神をやめる日が来るかもな。それがこの国で神をやるモノの定めかも知れん。まったく神など碌な事はない」

 鈴の音がどんどん大きくなる。音の雨の中にいるのに少女の声は明瞭に聞こえる。目の前の少女が実在しているのか、己の脳細胞がこねくりだして見せている幻覚なのかももう分からない。後者だとしたら随分罰当たりな妄想だ。

罰当たり――これまた随分迷信的な言葉だが。


 気が付けば、少女は再びあのお気に入りの〝踊り場〞の上に立っている。割れんばかりに鳴り響く鈴の音色。その律動に合わせるように少女は踊る。今どきの神社で見るような形式ばったお神楽ではない。着物もはだけ柔肌も露わになるような激しいリズムのダンス。天鈿女命アメノウズメはきっとこのように岩屋の前で舞った事だろう。

 最も原初的なシャーマンは音とダンスを用いて神霊と交感したという。その不思議なお神楽を否応なしに見つめ続ける。


 周りの景色がおかしい。真っ暗闇の中に篝火かがりびがいくつも立ててあるような妖艶な風景。そしていつの間にやら、周りに大勢の人間が立っていた。

 木綿の野良着姿の農民、笠を被り火縄銃を握った猟師、大小二本差しの侍、櫛を差した娘、烏帽子に狩衣姿の男、汚い袈裟をかけた乞食坊主に痩せた山伏。その他時代物の芝居で見るような様々な身なりの人々。果ては獣皮を羽織った原始人のような姿の男まで。

 その全てが鈴の音を浴びながら舞う少女を同じように見つめていた。あらゆる時代の人間がこの場所でお神楽を見た。神の姿を見た。少女はシャーマンであり神そのものだった。

 ギラギラとした目で見つめている彼らには少女の姿がどう見えているのか。少女お常、本地垂迹、稲荷の使い、コンコン様――

 ひときわ大きな拍子を打つような鈴の音がシャンと鳴り、それから再び静寂が訪れる。踊りが終わった。周りの幻影のような景色は消えうせ、再びあの粗末な宮と踊り場だけ。日の暮れ始めた草叢に明治の紳士だけが立ちすくむ。

 沈み始めた夕日が長いお神楽を終えた少女の肌、はだけた胸と腿、滴る汗を照らし、不思議な輝きを見せていた。

 少女は再び笑った。最初に見せた不敵な笑みとは違う、上気高揚したような満足げな笑み。

 あらゆる人々と同じようにギラギラした目つきのまま立ち尽くす青山の目をはっきり見つめ、最後に少女はこれだけ告げた。

「神を見るのは、いつも人間だぞ!」

 それきり少女は夕暮れの中に――真っ赤な太陽の中に溶けていくように消えていった。

 手に持ったまま一服もしなかったパイプからはまだ煙が昇っている。その煙がそっと顔を撫でた事でふと我に還る。

 今のは煙草も消えない短い時間に見た、泡沫の幻影だったのか。正午前の筈だったのに今見ているのは夕焼け。何もかも辻褄が合わない。連れてきた馬は何もなかったかのようにのんびり草を食んでいた。ただ汗でぐっしょりと濡れたシャツだけがあの不快感と高揚感をいつまでも思い出させた。


 ――その年の冬。他の多くの地域と同じようにこの地でも神社合祀の儀が大々的に執り行われた。

 明治になってから敷かれた合理的な町村制度の下、一町村一神社の理念によって多くの神社神宮が恭しく祝詞を奉げられ、その後取り潰された。青山清吉が調査して回った区域の神社神宮もまた同様の運命を辿った。その中には勿論あの奇妙な少女がいた祠も含まれていた。

 青山自身も破壊と焼却の現場に立ち会ったが何も起きなかったし、祟りがあった等という話もとんと聞かない。

 強引な合祀で作られた神社は「稲八金天神社いなはちこんてんじんじゃ」などとも呼ばれた。一町村内の神社を強引に纏めたために稲荷・八幡・金比羅・天神が混在している酷い有様であった為だという。

 この合理的神社合祀政策は民衆の強い反発と世界的民俗学者・南方熊楠みなかたくまぐすらの熱心な反対運動により明治四十三年(一九一〇年)には遂に取り下げられた。

 ――しかし時はすでに遅すぎた。日本全国で約七万の神社神宮が破壊され、多くの地方の習俗祭礼、そして名も無い神々の多くが永遠に失われる事になった。

 こうしてこの国に根付く古の神々の幾万柱かが、国家神道という新たな神話の中に溶けて消えていった。




 ――昭和二十一年(一九四六年)一月二日。

 かつてオツネ山とも呼ばれていたこの山に、古びた外套を羽織った一人の老人が訪れていた。歳の割には矍鑠としている老紳士といった雰囲気。

 老人の名は青山清吉。かつて内務省地方局に勤める役人だった。かつて馬で登った覚えがあるなだらかな山道を、汗をふきふき徒歩で登っている。

 木々の切れ目から時々見える山村の風景は若い頃に訪れた時と何も変わらない。この辺りは田舎村なので空襲の被害は免れた。だが――この国は丸ごと焼かれたと言って等しい状況になった。万世一系の神は昨日神威が放棄されたと宣言した。途端にこの場所を思い出し、こうして訪れた。

 あの宮はもう無い。当たり前だ。自分が報告書を書いて人をやり、祝詞をあげさせて壊したのだから。枯れ草の中にポツンとあの〝踊り場〞だけがあった。

「結局お前の言った通りになったようだ。何もかも焼かれてしまったらしい」

 青山はドッコイショとあの踊り場に腰をおろす。当然ながら誰も咎めない。それを確認するとどこか残念そうに、誰かに聞かせているような独り言を話しだす。

「あの時の話は誰にもしちゃあいない。誰に話しても信じてはくれないだろうし、私は文明人だからな。つまらん幻覚の話を勿体ぶって喋る趣味も無い。――それにしてもこの国は今テンヤワンヤであの時以上の大騒ぎだ。カストリ誌を見てみろ。わけの分からない新宗教や拝み屋が箍を外されたように活動しはじめている。……これは神を失った民衆の新たな神を求める声に応えた、とでも言えばいいのかね?」

 返事は無い。青山は懐から闇市で買ったアメリカ製紙煙草を取り出す。お気に入りのパイプでは久しく煙草を吸えていない。マッチを擦って火をつけ、不味い煙草を吸った。

「神が必要なのか不要なのか私にはもうわからん。不要だからといって無くせるものなのかもな。――そういえば最近、かつての神社合祀令で取り潰された神社を復活させようという動きが各地であるそうだぞ。もっとも氏子に忘れられてなく、神社を再建するほど熱心な信心が残っていればの話だがね。あれから四十年だ、お前の事を覚えてる奴らはいるかな」

 一月の冷たい風だけが青山の頬を撫でていく。煙草の煙が踊る。ガサガサと草が擦れている音だけが聞こえる。青山はそのまま無言で煙草を三本ほど吸い、空になった箱をクシャリと潰してポケットにねじ込んだ。

「――さて、それじゃあ私は行くよ。お前の大事な踊り場を借りてすまなかったな」

 青山はとぼとぼと来た道を帰っていく。一際強い風が木々を縫い切るような音を立てた。その時かすかに聞こえた、シャンという鈴の音。その音を聞いてはっと振り返り、そして見た。青山は皴の刻まれた顔を緩ませ、目を潤ませながら笑った。

「お前は名前が多すぎて、なんと呼べばいいのか未だに分からんよ」


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