第5話【3】エピローグⅡ

 事件の真相を知るためには、少しばかり時間を遡る必要がある。


 一般生徒の耳には単なる愉快犯による犯行として伝えられたに過ぎないが、その裏で爆破予告にまで発展する大事件の日。その太陽がまだ顔を見せる前の深夜未明。


 私立桜花堂学園11号館1階、理科室。そこには骨格標本と対峙する一人の男の姿があった。


 男は標本の頭蓋骨と見つめ合い、小一時間も、ずっとそうしていた。


 一応、念のために記しておくが、この標本はすでに、桜花堂学園高等部一年、風紀委員(当時、 暗号屋出向中)の鳥羽華子によって、れっきとした本物の骨格標本であることは確認済みである。もちろん本物というのは、「本物の人骨」という意味ではなく、「本物の造り物」という意味だ。


 だから男が頭蓋骨に固執しているのは、彼と因縁の深い者の骨が隠されているといった所以ではない。


 あくまでも彼がこだわる理由は、その後頭部にあった。すなわち落書きされた暗号。


「何もないところからファの音が聞こえる」


 不意に男は暗号の文章が読み上げられ、声の聞こえたほう、理科室の入口に目を向けた。すると、そこに居たのは暗号屋。桜花堂学園三年、宇徳安吾だった。


「その暗号、北野が手紙を貰ったヤツが作ったんだろ。ほら、『仲間はずれ』の手紙の生徒」


「植松くんにでも聞いたのかい?」


 英語教師、北野氏康は答える。


 入院中の北野がどうして理科室にいるのか、互いにそのことを話題にはしなかった。おそらく、する必要がないと、互いに分かっているからだろう。


「暗号は作る者の匂いを残す。一度解いた暗号の製作者なら、他の暗号でも、そいつが作った暗号だと分かる」


「へえ、それはスゴイな」


「……と、言いたいところだが、いくら俺でも、そこまで人間離れした真似は出来ねえ。正解だ。植松に教えてもらったんだ」


「なら、彼女がしていった直接的な原因は聞いたのかい?」


「ああ、聞いた。植松も反省していたよ。彼女から『好きだ』と伝えられて、あそこまで『気持ち悪い』と、邪険に扱った自分が悪かったって。そうすれば彼女も、自らすることはなかったのかもしれないと、落ち込んでいたからな」


 安吾は人体模型の背中に書かれた『うつ』の文章を覗きこむ。


「たしかに変わった子だったみたいだな。この目で直接見るのは初めてだが、植松がつい『気持ち悪い』と言ってしまった気持ちも分からないでもない」


「だからと言って、許されるはずがないだろう。いくら反省したからといったって、彼女はもう帰ってこられない。もう二度と笑うこともできない。もう二度と、この手に触れることはできないんだ」


 爆破予告が一般生徒に伏せられたのと同様、彼女が学園から籍が抜けたことは、「他の学校に転校した」と、一般生徒に対しては伝えられていた。


「それで植松に制裁を加えようとしたのか」


「ああ、そうだ。安吾くんの想像通り、僕が倒れていたのは自作自演だよ。あのメールも、本当は僕自身がキミに送った。安吾くんなら必ず、植松くんを疑ってくれると思ってね」


 北野は告白した。


 つまり北野を襲った犯人は、植松周平でも、教師の麻生啓太でもなく、北野氏康自身だったわけだ。


「彼女がクラスで孤立していた話はしたよね。安吾くんは、彼女が自分と同じクラスだったことすら知らなかっただろう」


「これは驚いたな。北野が以前に話した内容と加えて推測すると、北野は俺の担任教師ということになる」


「まあ、安吾くんは、ホームルームには出席しない方針らしいからね。卒業に必要な最低限の授業単位数しか教室に来ないからね」


 理科室の早朝にそぐわない北野の笑い声がした。


「で、今回は俺を殺そうとしたわけか? ソファーの下に爆弾を見つけた時には、さすがの俺でも驚いたぞ」


「やはり見つかったか。どうせ安吾くんのことだから、もう解除したんだろ? さっきも、その鍵を口にしていたしね」


「何もないところからファの音が聞こえる。『0』と『F』。暗号の再利用は、俺と植松に対しての当てつけだったんだな」


 0号館(旧校舎)からF(アルファベット6番目)の音が聞こえる。すなわち爆弾の停止ボタンは『6』が正解。


「よく殺人事件の犯人が『本当は殺すつもりなんてなかった』と言い訳するだろう。あれは殺意があったかなかったかで、罪の重さが変わるかららしいね。だからというわけじゃないんだけど、僕も正直、安吾くんなら解除できると思っていたよ。それでも植松くんは、安吾くんを逆恨みで命を狙ったと疑われるだろうし、その逆に僕は、植松くんを庇ったと、株が上がる」


「実際、そうなりかかっていた。北野は天才だよ」


「ありがとう。安吾くんに褒められるなんて、なんだか照れるな」


「まあ、俺が超天才なだけだ」


「そうかもね」


「さあ、そろそろ終わりにしようか。僕は自首することにするよ」


「まだ無理だな。北野は俺のことを利用しようとした。今度は俺が北野を利用する番だ」


「どういうことだい?」


「今、伏見が中心になって、クラスの連中がグラウンドに机を並べている」


「何のために」


「今までで一番大きい暗号を作るためだ。そして時刻を見計らって、学園には爆破予告の脅迫状を送る。最終的に北野には犯人として全部の責任を負ってもらう。ちなみに俺の部屋には、自分宛ての脅迫状を隠しておいた。そっちはきっと、ハナが見つけ出してくれることだろう」


「まあ、ここまでくれば罪が増えることなんて別に構わないけど、僕にはさっぱり分からないよ。安吾くんは何を狙っているんだい?」


「もちろん学園に、俺の有能さと必要性を分からせるためだ。警察に協力して、公的存在として認めさせてやるつもりだ」


「そうか……旧校舎を残させるためか。そう考えれば、伏見くんが協力的なのも納得できる。なにせ、彼はこの学園の創設者の末裔。自分の先祖の功績たる旧校舎が、この先もずっと残り続いて欲しいと願うのは自然なこと」


「さあ、どうだろうな」


 言葉上では「分からない」としていても、その表情は肯定していた。


「しかし、こんな時刻にクラス全員が家を抜け出したら、いくらなんでも家族に不審がられるだろう?」


「全員が互いに、友達の家へ泊まりに行っていることになっている。校則では、外泊するときには事前に届け出が必要だからな。家族は学校から聞かれても、朝はいつもと同じ順位でも時刻に家を出たと証言するはずだ」


「それでも大人数で学園内に忍び込んだら、かなり目立つんじゃ?」


「警備員も味方だ。アイツの証言で、植松が疑われたのは確かだからな。ちょっとお願いしたら、素直に受け入れてくれたぞ」


「それはの間違いじゃないのかい?」


「さあ?」


「ま、しょうがない。安吾くんの担任教師として、最後まで付き合うとするか。なんだか、去年の学園祭を思い出すね」


「そうだな。今回も作業が終わったら、全員で授業をサボって仮眠するつもりみたいだしな」


「そこは聞かなかったことにするよ。あと確認なんだけど、爆弾の解除はしてあるんだろう。あれは本物だから、本当に爆発するよ」


「前もって解除してあったら、自作自演を疑われるだろ。爆弾はそのままだ」


「あの校長室には鳥羽さんだって出入りしているだろう」


「いくらハナでも、爆弾の上に座ることなんてないって……」


「…………」


「…………」


「そうだよね。いくら鳥羽さんだって、いきなりソファーには座らないよね」


「当たり前だ。いくらハナでも、それはない」


 安吾と北野は互いに見合って、そして笑った。

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俺さま暗号屋と召使いな私 三川三 @7777

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