あとがき
46 LINER NOTES
こんにちは。こんばんは。もしくはごきげんよう。
まずは長い長い物語にお付き合いくださったであろうお客様に深く御礼申し上げたいと思います。あなたの忍耐力、精神力はとても立派で誇らしいものです。誰に言われずとも自分自身を褒めてあげてください。
もしくは『本はあとがきから読んで結論を知ってから読むほうが頭に入るんだぜっ(キリッ』という技巧派なお客様がいらっしゃいましたら、念のためご進言させてください。ここから先は、お客様がお望みになるようなネタバレ全開のぶっちゃけトークが繰り広げられるわけではありません。本編中に語ることが憚れた、時勢の変化に関しての補足を言い訳がましく述べておきたい所存なのです。
本作の執筆は二〇一〇年の春から開始され、完結までに実に一二年の時を要してしまいました。本稿をネット上に掲示し始めた二〇一八年の時点で作中の描写と現実の制度等が大きく乖離していることは認識していましたが、これまでは物語を完結させることを最優先とし、その点について触れることなくやり過ごしてきてしまいました。このことについてご不快に思われているお客様がいらっしゃいましたら、この場で深く深く陳謝いたします。配慮に欠けた無礼の数々をどうかお許しください。
--01-- 国際疾病分類
『SCENE -14-』にてゴトーが述懐しているこの規定については、二〇一八年六月一八日にWHOにて最新版『ICD―11』が発表されています。この規定によれば、性同一性障害は「精神疾患」のグループから外され、「性の健康に関連する状態」という分類の中のGender Incongruenceに含まれるとされています。一九九〇年に発表された『ICD―10』からは三十年ぶりの改正となるそうです。性同一性障害は、世界的な基準としては『精神的な異常ではない』というお墨付きが与えられたということです。
この決定を聞いたジョーやゴトーはとっくに社会人として成長し、社会の荒波にもまれているところでしょうが、その心中は如何ばかりだったのでしょう。ここまでの彼らの心情を追いかけ続けてきたお客様たちであれば、ジョーあたりが口先を曲げて皮肉の一つでも零したところを、ゴトーが淹れた紅茶を飲み干しながら笑い話に転じているような様子が何となく想像できるのではないでしょうか。
※なお、Gender Incongruenceは仮の語彙として「性別不合」という和訳が割り当てられていますが、正式な訳語は二〇二二年一月現在でも未だに制定されていないようです。いずれは性同一性障害の名が消え、性別不合という名のありふれた症例の一つとして人々に受け入れられる日が来るのでしょうか。
--02-- 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律
『SCENE -15-』にてシルヴィがあろうことか脅し文句として提示した日本の法律の正式名称がこれになります。この法律は性同一性障害の要件に満たす者を、家庭裁判所の審判によって、政令上および戸籍上での性別の取り扱いを変更することを始めとした規定が記されています。しかし本法については二〇〇三年の成立当初から長らく批判されている『子なし要件』というものがあり、二〇二二年一月現在でも未だに残り続けています。
特例法第三条の規定によれば、性別の取り扱いの変更の審判を受けるための要件は次の通りです。
一 二十歳以上であること。
二 現に婚姻をしていないこと。
三 現に未成年の子がいないこと。
四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
この第三項に記載された「現に未成年の子がいないこと」については、衆議院での法案制作時には「現に子がいないこと」という文言となっており、子供を持つ者については生涯にわたって性別変更の取り扱いを認めないという前提で議論が進んでいました。法律が成立した際には若干の緩和が成されたとは言っても、「未成年の子が成人するまでは性別変更の取り扱いは認めない」と言っているのと等しく、まさしくシルヴィの脅し文句がそのまま通用する仕組みになっているのです。
日本政府としては、子供のいる親の法律上の性別を変更することを認めると、家庭環境や社会秩序に著しい影響を与え、子供の成育にもよろしくないという立場を取っているため、このような仕組みになっているようです。
しかし、この小説の執筆者である私の個人的な見解を述べさせていただくのであれば、やはりこの法律には欠陥があると感じてしまいます。
性別に関する回避不能な苦悩を背負っている方々が本当に望んでいることは、あくまで『自分らしく生きることを社会が認めてくれること』だと考えます。そのために、法律上の取り扱いを特別に変更してやるのだから「子供は作るな、作れなくしろ」と言うのではあまりにも短絡的というか、そもそも日本という国は彼ら彼女らを社会の一員として認めるつもりなど更々ないように見えてしまいます。
子供にとって悪影響があるかどうかは、その家庭一つ一つを個別に判断しなければわからないことです。もしかしたら日本のどこかで、ゴトーのように原罪を背負って生まれてきてしまったと要らぬ悲しみの中で生きている子供だっているかもしれないのですから。
たとえば、シルヴィの出身国であるフランスでは同性婚が合法化されていたり、パートナーシップ制度という結婚に準じた法律上の絆を結べる仕組みが存在します。もちろん、日本のような戸籍制度のない国と内政を単純比較することはできませんし、かの国では移民問題が永劫の課題として燻っているなど、全く別の観点が必要なことは否定できません。それでも、諸外国から優れた知見を取り入れ日本の社会に反映させることは、決して悪い事ではないはずです。そもそも現在の日本は他国からの法制度をごちゃまぜにして成立している国なわけですから。
--03-- 刑法177条
『SCENE -13-』にてジョーが分析していた日本における罪状のひとつで、強姦罪と言う殺人にも匹敵する卑劣な犯罪です。しかし日本の刑法は二〇一七年七月十三日に制定以来百十年ぶりに大幅な改正がなされ、この罪は現在では強制性交等罪という新しい名称が与えられています。
この罪に関する改正で大きな点は、被害者の性別を女性に限らなくしたこと、そして処罰の対象となる行為を性交だけでなくその類似行為まで拡大したことです。この罪が法制化された当初は、男性が女性の膣内に無理やり挿入行為を行ったときのみ強姦罪が成立すると考えられていましたが、現在ではたとえば女性が男性を無理やり犯したときであっても強制性交等罪が成立します。
これまで法律の世界では、性犯罪とはあくまで男性が加害者で女性が被害者であるという固定的な通念がまかり通ってきました。しかし法改正前であっても性に関する事件は多種多様な類型があり、同性同士で事件が起こることも、女性が加害者になることも当然のように起こっていました。被害者からすれば同意もなく無理やり性的行為に及ばれたという事実に変わりはないのに、「加害者が男性で被害者が女性で、かつ本番行為があったときのみ」罪が成立するという局所的な判断基準が一世紀以上も支持されていたわけです。この基準に合致しない性犯罪は軒並み、強制わいせつ罪や傷害罪と言った刑罰の重さが一段低い罪状が当てはめられていたのですから、平等・公平の観念から言っても不適当なのではないかという議論は昔から何度も繰り返されてきました。そうして長年にわたる議論の末、刑罰がようやく市民感覚に追いついたというわけです。
ただし、法改正があったあとでも性犯罪にまつわる法律上の問題はまだまだ残っています。例えば、性器に無理やり指や手を挿入された場合には強制性交等罪ではなく強制わいせつ罪が成立する、などが良い例でしょうか。どこまでの行為がどの罪になるのか線引きを明白にしなければならないのは罪刑法定主義の観点からも重要なことではありますが、いつの日かより多くの被害者たちが救われるルール作りが出来て欲しいものだと願わずにはいられません。
--04-- 東日本大震災
日本で暮らす全ての人々の生活を一変させた、二〇一一年三月十一日の十四時四六分ごろに起きた大地震と、それに伴って発生した津波の被害については誰もが知るところでしょう。いまさら補足など必要ないかもしれませんが、これは本作の完結に至るまでの道筋にも一つの大きな影響を与えた事件だったため、多少の言い訳を述べさせていただきます。
ゴトーは生まれの特殊さからか、根無し草のような生き方を強要されてきた少年として考案されていました。ジョーとは違い、血縁上のつながりを辿ろうと思えば辿れるのに、誰からの支援も受けることが出来なかった社会的弱者という立ち位置です。
そんな彼が親と共に日本を転々とするきっかけは他者からの迫害に違いない、と二〇一〇年の執筆当初は考えてきましたし、実際の物語もそのように展開させました。しかし、それだけで日本全土を縦断するほどの転居を繰り返さなければならないのはリアリティに欠けるのではないか、そんな思いもありました。
結末までの構想が完成したころ先の地震に遭遇し、ここで一つの案が持ち上がりまます。日本の各地で虐め抜かれていたゴトーたち親子は、最後に見つけた安住の地すらも海に沈められてしまい、泣く泣く東京に疎開してくるという展開です。
この展開には確かなリアリティがありましたが、正直物語を紡いでいるだけの私自身が辛すぎて執筆を断念せざるを得なくなってしまいました。これではあまりに救いがなさすぎる。それから物語の途中経過を修正させるまで、数年のクール期間を置かなければならなくなりました。
結果として、彼らが地震に遭遇したのは東京に移住した後ということで話をまとめることになりました。しかしこれはこれでゴトーが昔暮らしていた想い出の地が海に沈んでしまうことになるのですが、原案よりはゴトーの心理的ダメージが少ないであろうということで執筆に踏み切ることにした次第です。
なので、作中では年月を意図的にぼかして記述してはありましたが、想定している舞台設定は二〇一〇年初夏から二〇一一年初夏の一年間ということになります。日本でスマートフォンの先駆けとなったiphoneが普及しだしたのもギリギリこのあたりですので、辻褄はあっていたのではないでしょうか。ジョーはあの通り、超が五つはつくほどの資産家の子供なので、当たり前のように最先端の高級ガジェットを持ち歩いていたに違いありません。
さて、これにて言い訳がましいあとがきは終わりです。
この物語は昨今の流行りである「俺TUEEE」系でもなければ「異世界転生」系でもなく、ただひたすらに心に爆弾を抱えた二人の少年と彼らを取り巻く人々の苦悩を描くという、はっきり言って重苦しい内容だったとは思います。
しかし二〇一〇年当初、『性的指向はグラデーションである』という某思想に触れた私は、どうしても本作を執筆したくなってしまいました。男が女を愛し、女が男を愛するだけが人間ではない。男が男を、女が女を、はたまた心が男の女が男を愛することも、心が女の男が女を愛することもある。人間とは何とも摩訶不思議で情緒のある生き物なのか。つまるところその生き様を私なりにシミュレートしたのが、本作ということになるのではないかと思います。
お見苦しいところも多々あったとは思います。それでも彼らの物語を追いかけ続けてくださったお客様には感謝のしようもありません。
またいずれ、どこかで
皆様方にもどうか、「語ることもないほど幸福な日常」が訪れますように。
――結――
悲恋を装うカドリール 粟花夜鷹 @patrinia
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