4

 頭が重い。身体も重い。俯いて疲労のため息をつくと、頭をがしっと掴まれて強引に上げさせられる。目の前ではシスルが真剣な、というよりも鬼気迫る表情でこちらを見据えていた。

「顔は真っ直ぐ、背中を丸めない。英雄がそんなことでどうするの? “黒龍さま”」

「は、はい!」

 びしりと言われ、慌てて背筋を伸ばす。普段にこにこと屈託のない彼女が出す低い声はものすごい迫力で、弱音を吐いたら鬼軍曹よろしく叱り飛ばされそうだった。

「ドレスの丈はもう少し詰めよう。動きの邪魔にならず、でも優雅さは損なわない程度に。ナツキ、腕の上げ下げでひっかかるところはない?」

「うん、大丈夫。ただ、この袖のひらひらのレース飾りに剣の金具をひっかけないか心配なんだけど」

「見栄えを考えるとそのくらいのボリュームは欲しいんだよね……。エリス、どう?」

「客席の後ろの方からも動きをきれいに見せるためには、それで最低限だよ。剣の扱い方で工夫はできない?」

「わかった、役者同士で相談してみる」

 そう応えると、頷いたエリスが手にした紙束に何か書きつけ、ページをめくる。

「じゃあ次に、髪飾りね。具合はどう?」

「すごく重い。減らしてほしい」

 即答するも、

「「それは我慢」」

 と声を揃えて却下されてしまった。がっくりきてため息をついた拍子に、額の横に下がった飾りがしゃらんと音を立てた。髪は一部を結いあげられ、かんざしに似た豪奢な造りの髪飾りをいくつも差し込まれているので、重みで頭がぐらぐらする。このまま一時間強の劇を演じなければならないのかと思うと気が遠くなりそうだ。

 おまけにくるぶしまであるふんわりとした漆黒のドレスに外套、足元はかかとの高いブーツ姿である。裾や胸元部分に銀色の糸で刺繍が施されたそれはうっとりするような華麗な衣装だが、なんと黒龍さまはこれが戦装束であったらしい。

 味方の士気を上げて敵を怯ませるために云々、と双子は熱意を込めて語っていたけれど、かなりの脚色が入っているのではないかと思う。どちらにしろ、異様に動きづらい恰好を強いられる夏妃としては「勘弁してください」と言いたいところだ。

 シスルとエリスが額を突き合わせるようにして何か相談事を始めてしまったので、夏妃は手持ち無沙汰に部屋の中に視線を巡らせる。

 室内のあちこちでは、夏妃と同じように衣装係数人に囲まれた役者の子どもたちが衣装の最終調整を受けていた。今ここに居るのは女の子ばかりで、別室で待機する男の子たちはこのあと入れ替わりで同じように調整に入る。昼頃にはそれも終わって、また劇の練習に入る予定だった。

 祝祭の本番まで、ついに残り三日を残すばかりとなっている。明日からは今日の最終調整で完成した衣装を身に着けての練習となる。いままでも簡易的な衣装でドレスの裾の長さなどは意識していたが、本番と同じとなればより緊張感も増す。

泣いても笑っても本番はたった一度きり。そう意識すれば、弱音なんて吐いてる場合じゃないと背筋が伸びる。それは誰もが同じようで、談笑はしていても空気は緩まず、一点を目指している者同士の連帯感が生まれつつあった。

 しかし、身に纏う空気が張りつめすぎている少女がひとり。

「もう、話にならないわ」

 吐き捨てるように言ってストロベリーブロンドの長い髪を翻し、衣装のまま乱暴にドアを開いて部屋を出ていく少女の背中が見えた。取り残された衣装係の少女たちは途方に暮れた様子で顔を見合わせている。思わずそちらに近づいて、問いかけた。

「ディアンナ、どうかしたの?」

「よくわからないんだけど、今日はずっと不機嫌で……。衣装のことは採寸の時に細かく打ち合わせてその通りに作ったのに、今になって色がだめだとかデザインが気に食わないって、無茶ばかり言うの」

「あの子、何かあったのかな。顔色も悪かったし」

 少女たちはディアンナに腹を立てているというよりも、困惑して心配しているようだった。みんな不安そうにドアの方を見ているが、彼女が戻ってくる気配はない。

 夏妃はシスルとエリスのところまで戻って、手を合わせる。

「ごめん、ちょっと抜けても良い?」

 目的を察したのだろう、二人とも快く頷いて背中を押してくれた。

「いいよ、行っておいで」

「衣装には気を付けてね」

「うん、わかった!」

 ちょっとドレスの裾を持ち上げ、慣れない格好と高い靴なので転ばないように気を付けながら廊下に出た。もちろんどこにもディアンナの姿は見えない。しかし、あの衣装のままでこの建物から出て遠くに行ってしまうことはまずないだろう。

 そう考えて空き部屋を一つ一つ確認しながら廊下をうろうろしていると、ふと、窓から見える眼下の中庭に鮮やかな色が見えた。薔薇色の華やかなドレスをまとってぽつんとベンチに腰かけている少女。ディアンナだ。

 階段を降りて、一階の目立たない位置にあった中庭に続く扉を見つけ、それを開ける。さあっと頬を撫でる外気は冷たい。衣装に外套を羽織っていてよかった、と思いながら庭に降りた。

 必要な舞台用の道具を作る作業場や、炊き出し用のテントなどが並ぶ前庭と違って、この中庭はとても静かだった。木立は冬枯れているけれど、常緑の植え込みには椿に似た形の濃い橙色の花が咲いている。その前に置かれたベンチに座って俯いていた少女は、気配を察してか顔を上げ、夏妃を見つけてはっとした顔になった。

すぐに顔を背けてしまい、細い肩がこちらを拒絶する。尖った声が聞こえた。

「何よ。もう少ししたら戻るわ。放っておいて」

 歓迎されるとはもちろん思っていなかったけれど、こうまで頑なになられるとやはり怯んでしまう。

 無理に話しかけず、言われた通り放っておくべきなのかもしれない。でも、彼女は仲間なのだ。ちゃんと理解したい。そう願ってしまう。

「あのね、みんな怒ってないよ。ディアンナのこと、心配してる。何かあったのかなって」

「だったらなんだっていうの。迷惑だから早く戻れってそう言いたいだけでしょう。親切ぶらなくていいわ」

「えっと、そういうわけじゃなくて……。なんていうか、羨ましいなって思ったから」

「……羨ましい?」

 頑なだった背中が、わずかに振り向く。それに力を得て、彼女の隣、狭いベンチのなるべく端に腰かけて頷いた。

「そう。ディアンナは、みんなに信頼されてるから。ちょっと言い方はきついところがあるけど、言いにくいこともはっきり指摘してくれるし、劇の中でもローと一緒にみんなの中心になって支えてくれてる。そういうところにみんな助けられてるもの」

 彼女は気が強いし時々攻撃的とまで思える態度をとることもあるけれど、本当の身勝手で練習や準備の流れを妨げたことはなかった。だから、急に不機嫌になって理屈に合わない不平を言う彼女にみんな戸惑って、どうしたんだろうと心配しているのだ。それは、彼女がいままで築いてきた信頼があるからなのだと思う。

 わずかに見える白い頬が寒さで赤い。彼女も衣装のストールを羽織ってはいるけれど寒いのに変わりはないだろう。なにか声をかけようとしたけれどその前に、彼女の肩が震えた。聞こえた声も震えていた。まるで泣いているみたいに。

「私、あなたがきらいよ。ローと仲がいい女の子はみんなきらいだけど、あなたのことはずっと、もっと大きらい」

 ディアンナが振り向く。こちらを睨みつける彼女の目はやはり潤んでいたけれど、意地でも流すまいとするように、きっと眉を寄せる。

「――だって、あなたを見てると私、どんどんいやな子になっていくんだもの。ローと親しげに話してるのも気に入らないし、救い姫とかニンゲンとかわけのわからないことを言って特別扱いされようとしてるのも許せない。そう思ってた。だけど、思えば思うほど、胸のあたりがもやもやして優しくない言葉ばかり口から出て、汚くなっていくのは私なの。あなたは変わらず皆の中にいて、ローにさえ認められて舞台の主役になっていくのに、私だけどんどん、ひとりになるの」

 感情的に話す彼女は、涙を流さない分だけ余計に痛々しかった。

「羨ましいって、なによ。私は、ローに弱音を吐かれたり、相談に乗ってもらったこともないわ。彼はいつも大人びていて紳士的に優しくしてくれるけど、あなたにするみたいな気安い笑い方も態度も私には見せてくれない」

 羨ましいのは、私のほうだわ。そう絞り出すように言って、彼女はまた顔を背けてしまう。今度こそ涙をこぼしているのかもしれない、と思うと胸が痛くなってくるけれど、ちょっとこの状況にはそぐわないような衝動も湧いてきて困る。今なら昨夜のミカの気持ちがわかるような気がした。

 彼女に抱きつく代わりに、そっと呟く。

「ディアンナは、優しいね」

「……っ、またそんなこと……!」

「お世辞でもなんでもないよ、本当にそう思うの。ディアンナは本当は、優しくないことなんて言いたくないししたくない。誰もきらいたくないのに、それでもそんな感情を持ってしまう自分が許せなくて責めちゃうんでしょう? 苛々してもやもやして、そんな自分が嫌でどうしていいかわからないんでしょう? そんなの、だれかのせいにできないほどあなたが優しいからだとしか思えないよ」

 ゆっくりと振り向いた彼女は唖然とした表情をしていた。頬には涙の痕がある。そのことに罪悪感を覚えながら、それでも笑った。

「あのね。こんな風に言われるのは不本意かもしれないけど、私もちょっとだけディアンナの気持ちがわかるよ。私にも、好きなひとがいるから」

「え……」

 宝石みたいな赤い瞳を見開いた彼女に頷いてみせて、身体を正面に戻す。少しだけ目を閉じた。それだけで会いたいひとを、簡単に思い浮かべることができた。それは嬉しいことだけれど、やっぱり少しだけ寂しい。

「そのひとは、気づいたらこの知らない世界に放り出されていた私を拾ってくれたひとなの。ちょっとのんびりしてて過保護で、かと思えばよくわからないところで不機嫌になったり距離を置かれたり。夏の初めごろからずっと一緒にいるのに、そういえば知らないこともたくさんあるなあ……」

 ミカに少しだけ話してもらった幼い頃のこと。家族のこと。でもそれは、夏妃も同じことだ。向こうの世界のことはほとんど彼に話したことがない。彼の性格からして聞きだすなんてことはしないし、それでなんの不都合もなかった。でもそれは、なかなか薄情だったかもしれない。お互いに。

 もしかしたらウィルと自分は似ているのかもしれないと思うと、おかしかった。

「彼には幼馴染みがいてね、とっても綺麗なひとなんだ。気さくだし、気が利くし、頭も良くて大人だし。彼と並んでると美男美女でお似合いで、私なんて釣り合わないやーって感じで。恋人同士かもしれないっていうのは、私の勘違いだったんだけど。でもふたりが一緒にいたり仲良さそうにしてるともやもやして、ぐるぐるして、どうしていいのかわからなくなって。きっと、ディアンナと同じだった」

 あれが嫉妬だったのだと今ならわかる。でもあの時わかっていなかった自分は訳の分からない行動をとって、彼を大いに困惑させてしまった。思い返すと恥ずかしくて仕方ない。

「どうしてそんな風にもやもやした気持ちになるのか、私はずっとわからなくて。嫉妬してたんだって気づいたのが、実は、……昨日のことなんだよね」

 だんだん小声になりながら打ち明けると、ディアンナはぽかんと口を開けた後、眉をひそめて言った。

「あなたってぼんやりした子だとは思ってたけど……。私の想像を超えて鈍い子だったのね……」

「気の毒そうにしみじみ言わないで!? 自覚はしてるけど!」

 普段はずばずばと言いたいことを言う彼女の遠慮がちな態度に大ダメージを受ける。そんなにまで末期的にダメな子なんだろうか私って。

 がっくり項垂れていると、くすりと笑う声がした。驚いて顔を上げると、やはりディアンナは笑っていた。楽しくてというよりは呆れている様子だったけれど、拒絶の雰囲気は薄れている。

「あーあ。これ以上意地を張るのもばかみたいね。あなたって本当に能天気で無防備で、嫌になっちゃうわ」

 何故だろう、つんけんしていた時よりも物言いに遠慮がなくなった気がする。複雑な気分になる夏妃をよそに、彼女は肩の力が抜けたみたいに頬を緩めて、灰色の空を仰いだ。

「でも、ずっとましな気分よ。……いろいろ、ごめんなさい。手紙とか、卑怯なこともしたわ」

 真摯にこちらを見つめる彼女はやっぱり誠実な女の子だと思う。夏妃は、首を振って笑った。

「いいよ。むしろ、ディアンナには感謝しなきゃいけないくらい。あの手紙がなかったら私、今もみんなの足手まといのままだったかもしれない」

 わからない顔をする彼女に黒龍さまの性別を知らなかったことを教えると、またかわいそうな子を見るような目つきで見られてしまった。わかってるけど。わかってるけどやっぱりへこむ。

 ふてくされる夏妃の頭を思わずというふうに撫でて、ディアンナがそっと息を吐く。

「ローがあなたを気にかける理由が、悔しいけどなんとなくわかった気がする」

 え、と顔を上げて、慌てる。

「あの、確かにローは良くしてくれるしいろいろ話すけど、それは友達だからで……」

「当たり前よ。彼は私の婚約者なんですからね。いくら友達だからっていっても、あんまり馴れ馴れしくしたら怒るわよ」

 弁解しようとしたら、目を吊り上げて睨まれてしまった。ぶんぶんと頭を縦に振って抵抗の意志がないことを示すほかない。彼女はそれでも不服そうだったけれど、ふと呟いた声は細く、寂しげだった。

「……でも、ローはこの婚約を良くは思っていないのかもしれないわ。周りが勝手に決めたことなんだもの。嫌になっていてもおかしくない」

 ええー。こんなに一生懸命想ってくれている婚約者が嫌だなんてこと、あるわけないと思うけど。

 という言葉はかろうじて胸の内にとどめておいた。口にしたら睨まれるくらいでは済まないような気がしたので。

「えーと、ディアンナはローに好きだってこと、伝えたの?」

「婚約を後悔しているかもしれない相手に言えるわけないじゃない、そんなの」

 どちらにしろ睨まれてしまうんだなあ、と肩を落としながら考察してみる。ディアンナはローのことが大好きだけれど、彼の気持ちがわからなくて自信が持てず、気持ちを伝えられていない。一方、ローは優しく紳士的ではあるけれど本心は読めず。だが聡明な彼のことだから、ディアンナの気持ちには気が付いていそうだ。

 ……ふむ。

「じゃあさ、ディアンナ。きっかけを作ってみない?」

「きっかけ?」

 またこいつはおかしなことを言いだした……とでも言いたそうなとても胡乱げな顔をされたけれど、負けるな自分!と言い聞かせて続ける。

「私は話を聞いただけで実際のものは知らないんだけど、祝祭に合わせて作る特別な食べ物があるんでしょ? なんだっけ、びーた・あぬ……?」

「ヴィータ・アニュラスのこと? 確かに、祝祭では定番のパイだけど」

「あ、そうそれ」

 中身は野菜や肉といった食事系のものから、果実やクリームをふんだんに使ったデザート系のものまでさまざまで、それぞれに味を競う屋台がずらりと並ぶ様は祝祭の風物詩なのだという。その話をミカから聞いたときには、それはぜひとも食べ歩きをせねばなるまいという使命感にかられたけれど、今重要なのはそこではない。

ある特定の条件を揃えた時、このパイはより一層特別なものになるのだ。

「じゃあ、えーと、ファートゥム・アニュラスのことは?」

「聞いたことはあるけど……。古い風習よ、それ。今はいかに表面の模様を綺麗に作るか、斬新で新しい味のパイを作れるかってことが主眼で、ほとんど廃れてるんじゃないかしら。……ちょっとまって、ナツキあなた、まさか」

 そのまさかなのだ。

 多彩なヴィータ・アニュラスとは異なり、こちらには必ずカスタネアという木の実をクリームにしたものが詰められている。そして一番大きな違いは、切り分けられる前のパイのどこか一片だけに『コルデ』と呼ばれる小さな指輪が隠されていること。それは幸運の象徴であり、引き当てた者にはその先の幸福が約束されるのだという。

 夏妃はその話を聞いたとき、フランス菓子のガレット・デ・ロワを思い出した。あちらはフェーブを引き当てると一年間幸運が続く、というけれど、『コルデ』は一生の幸福をもたらしてくれるらしいのでかなり景気がいい。どうしてそんな面白そうな風習が廃れてしまったのか不思議だ。実は現実主義なんだろうか、龍って。

 とにかく、本来ならランダムで入っているはずの『コルデ』入りのパイなのだが、これをあらかじめ取り分けて大切な人に贈る、という作り手ならではの反則技が存在するらしいのだ。それが意味するのは、「あなたに幸運がありますように」ひいては「あなたを特別に想っています」というところだろう。

「私が暮らしていた場所でもね、そういう風習があったの。特別な日に好きな人にチョコレート……お菓子を渡すっていう。最近だと友達同士で交換したり自分用にちょっと高価なお菓子を買うのを楽しむイベント、みたいになりつつあるんだけど。ちょっと似てるよね」

「……つまり?」

「うん、つまりね。好きなひとのために作ってみない?ってことなんだけど」

 すると、ディアンナは意外なほど気弱そうな表情で両手を握りしめる。

「でも……、本番前の大事な時にローを煩わせるようなことにならないかしら……?」

 ローのことになると本当に、彼女は自信をまるきり失くしてしまうようだった。好きだからこそ怖くなる気持ちは、夏妃にもよくわかる。

「あくまで、きっかけだよ。女の子みんなでお菓子を作って、男の子たちに日頃の感謝も込めて、ってことでお茶の時間をもうけてみたらどうかな?」

 ちょうど、今日の練習は午後から始まる予定になっていた。夏妃たちのあとに男子の役者たちの衣装合わせがあるので、それを待つ間は自由時間になる。その時間を活用してしまえば無駄もないし、軽食で練習前に小腹も満たせる、という計算なのだが。

 説明すると、徐々にディアンナも思案顔になってきた。

「それは悪くない考えだと思うけど。でもナツキ、あなたが作りたいのは単なるお茶請けのお菓子ではなくてファートゥム・アニュラスなのではないの?」

「あ、うん。普通に祝祭のお祝い用のヴィータ・アニュラスを作って、そのうちのひとつを『コルデ』入りにして取り分けちゃおうかなって」

 どちらにしろ夏妃の渡したい相手をお茶会に呼ぶことはできないので、別のタイミングで渡すしかない。それはそれで緊張するけれど。もっと言えば、昨夜この計画を思いついたときから意識するだけでやたら緊張するし心臓はばくばくするしで完璧に寝不足ですけれども。しかし、こればかりはどうしようもない。

「……い……」

「ん?」

「ずるいわ、そんなの」

 そう言ってベンチから立ち上がったディアンナは、振り返って夏妃に宣言した。その口元には不敵な笑みが浮かんでいる。

「だったら、私もローにファートゥム・アニュラスを渡すから。彼に近づく子たちを牽制しなくちゃいけないもの」

「、あははっ」

 一瞬ぽかんとしてしまったあと、彼女の切り替えの早さとしたたかさが頼もしくて、つい笑ってしまった。

 夏妃も立ち上がり、ディアンナの前に立つ。彼女が右手を差し出して言った。

「がんばりましょう。演劇も、告白も」

 その手を握り返して、にっと笑い返す。こっちの顔も不敵そうに見えていたらいいなと思いながら。

「もちろん。わくわくするね」

「当然でしょう」

 お互いの瞳の中に不安も虚勢もあるのをわかっていながら、それでも知らないふりをした。

 最初は怖くて仕方なかったけれど、それでも背中を押されて自分で決めた道行きで、同じ気持ちを抱えた女の子と出会って握手ができるなんて想像もしていなかった。

 わくわくしているのは本当だ。結果がどうなるかなんてわかるわけはないけれど、きっと後悔しないようにやれるだろうという確信に似た気持ちが育ち始めていた。

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希少保護生物指定女子。 @ito_m

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