現代日本に生きるケチな「勇者」の物語

本作は、「エーテル知覚」と呼ばれる感覚を用いて異能を操る人間たち(これを「魔王」や「勇者」と呼ぶ)が描き出す、戦いと希望の物語である。
ただし、ここで描かれるのは、たいへん硬派で地に足の着いた戦いと、あまりにも軟弱で浮ついた理想論じみた希望である。
「エーテル知覚」には、使用者本人にしかその正体を知覚できないという特性がある。逆に言えば、異能の正体を知られてしまうことは戦士として致命的な弱点となる。こうした設定から生まれる彼我の異能の探り合いはもちろんのこと、武器術や格闘術から口八丁によるブラフまで、戦闘に関する知略を広く深く用いた骨太のバトルをわれわれ読者は堪能できる。
本作の主人公である「勇者」、《死神》ヤシロは、クズである。勇者以外の何者にもなれなかった社会不適合者、ケチなチンピラそのものであり、それを取り巻く友人たる勇者たちも、彼と同様に何らかの破綻を抱えた者しかいない。ヤシロは己がクズであることを大いに自覚しつつ、しかしクズなりのプライドを胸に抱いて日々を生きている。
そしてわれわれ読者は、ヤシロという勇者が帯びる破綻者ゆえの悲哀を直視せずには居られない。
「勇者なんてのはクズのやる商売だ」という言葉をヤシロはしばしば口にする。そして、ヤシロ以外の様々な勇者のありさまを目にするわれわれ読者は、彼の言葉を「全くもってその通りだ」と思う。なぜならこの作品に出てくる勇者たちは本当に尽くクズばかりだからだ。「勇者とはクズのやる商売である」という当たり前の事実を、ヤシロはやはり当たり前の事実としてわれわれに提示しているにすぎない。
そして、だからこそ、最終盤の彼が放つとある言葉に、われわれは胸を打たれずには居られなくなる。勇者以外の何者にもなれなかったヤシロが語る希望を、少なくとも私は笑うことができなかった。ケチな勇者が見せてくれた意地が、プライドが、私の目には最高に格好良く映ったのだ。彼が果たして何と言ったのかは、ぜひ自分の目で確かめてほしい。
「勇者」という言葉に憧れたことのあるあなたなら、最後にはきっとヤシロの虜になってしまうだろう。
本格派の異能バトルに彩られた、誇り高きクズの英雄譚である。

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勇者のクズ

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