勇者のクズ

ロケット商会

本編/第1部(完結済み)

レッスン1:厄介事には死んでも関わるな

第1話

 勇者なんて、最低のクズがやる商売だ。


 当の本人である俺が言うのだから間違いない。

 そもそも勇者とは何か? 魔王を始末するために雇われる、『殺人』の専門家だ。こんな仕事を選ぶ時点で、そいつの人格を疑った方がいい。


 具体的な例をあげておく。

 俺の同業者の友人で言えば、殺した魔王の断末魔を録音するのが趣味の《音楽屋》イシノオだとか、元ヤクザの殺し屋としてメシを食っていた《ソルト》ジョーだとか、勇者じゃなければただの殺人鬼だったようなやつもいる。


 現状のところ、勇者の大部分が裏稼業上がりの犯罪者もどきであることは、隠然たる事実でもある。

 日本政府が発行する勇者免許を所持していなければ、ただの人殺しであり、不法侵入者であり、暴力を振るうことで金を儲けるクズ野郎以外の何者でもない。


 しかし、たとえ俺たちが殺人を商売にするような最底辺のクズだとしても、ささやかな良心すら失ったら、それこそ本当に『最低のクズ以下』の何かに違いない。

 いくら俺だってそれは嫌だ。

 いちど請け負った仕事を途中で放り出してはいけない。弱いやつから助けを求められたら断らない。借りたものはきっちり返す。そういった基本的な職業倫理を守らなければ、そいつは本当に救いようのないクズ以下のクソ野郎だ。

 思えばそれが良くなかった。職業倫理なんてドブに捨てるべきだったと、後になって反省した。


 あれは、なんだか恐ろしく冷え込む冬の夜のことだった。

 俺は渋谷区の路地裏を歩いていた。たくさんの雑居ビルの隙間を縫うような、静かで臭くて汚い路地裏だった。人通りはまるで無い。


 なぜなら渋谷区の一帯は、複数の魔王が縄張りを抱えている土地である。いくら近道だろうと、あえて夜の路地裏を選んで歩くやつはいない。

 俺の目的地はその先だった。知人のエド・サイラスが経営するバー、《グーニーズ》は、こんな路地裏の行き詰まりのような場所にある。


 そのときの俺には、気晴らしが必要だった。

 なんだか気力が湧かずにもう二ヶ月ぐらい仕事をしていなかったし、やたら寒くて、曇りの日ばかりが続いていた。こういうときはエド・サイラスの店で、友達と酒を飲み、カード・ゲームで遊ぶに限る。そうすれば気力も戻るだろう、と、俺は確信していた。

 最高にご機嫌というわけではないが、まあ、久しぶりに悪くない気分だった。もしかしたら鼻歌でも歌っていた可能性はある。


 ――その少女は、よりにもよってそんな夜、俺の目の前に落下してきた。

 悲鳴もあげていなかった。落下して、地面に激突し、アスファルトを砕いた。そのままゴロゴロと四、五回転ほどしただろうか。

 直後、壁に激突して止まるまで、俺は黙って見ていた。


 なんだそりゃ、と、俺は思った。

 これは俺の日頃の行いが悪いせいか、それとも単に俺が生まれつきツイてないだけか。困ったことになった。なぜ目の前に落ちてくるのか。確実に八つ当たりではあるが、俺は文句を言いたくなった。『気付かなかった』つもりで押し通せない状況だった。


「――いや、待てよ」


 まだ最悪の事態は回避できるかもしれない。俺は横たわる少女に近づいた。


「もしかして、こいつ、死んでるんじゃないか?」


 正直なことを言えば、死んでいてくれた方が助かる。微かな期待をこめて、少女の顔を覗き込む。そいつは白い学生服に身を包んだ、なんだか硬質な印象を受ける顔つきの少女だった。


 たぶん高校生なのだろうが、どこか不釣り合いなほど大人びて、冷たい彫刻を連想させる横顔。なぜか見覚えのあるような、奇妙な錯覚を受けた。

 だが、記憶をたどろうとした瞬間に、一気に憂鬱な気分になった。その細い眉が少し動いたからだ。顔色こそ死人のように青ざめてはいるが、唇も空気を求めて喘ぐように動いた。


 これは良くない。

 アスファルトを砕くほどの勢いで落ちてきて、まだ死んでいない。腕も足も折れていない。とても人間とは思えない頑丈さだ。俺はそういう、異常な頑丈さを発揮できる連中を知っていた。


 すなわち魔王、もしくは勇者。

 前者ならラッキーだが、後者なら最悪だ。

 瀕死の魔王はトドメをさせば金になるが、瀕死の勇者ならば高確率で厄介事に巻き込まれることになる。頭上から落下してきた瀕死の勇者なんて、魔王かその眷属に追われているぐらいしか思いつかない。

 こいつの場合は、どうか。俺は絶望的な気分で少女をすばやく観察し、彼女の制服の襟元で視線を止めた。


 決定的な証拠に気づいたからだ。

 首筋に点在する小さな赤い傷跡、というか注射痕。特殊なドラッグを定期的に摂取している証だ。そいつは俺たちの業界で言うところの《E3》――エーテル・エフェクト・エンハンサー、エーテル効果増幅剤の常習者であることを意味している。

 魔王に対抗するために生み出されたこのドラッグこそが、勇者にとっての重要な商売道具だ。人体の中にあるエーテル知覚を増幅し、限定的な期間において超人化を促す薬物。主に首筋から、専用の注射器を使って使用する。


 ――つまり、こいつは、もはや間違いない。ほとんど無意識だったが、きっと俺は

ため息をついただろう。なんの因果でこんな女子高生が、こんな裏稼業に手を染めているのか知らないが――


「こいつ、勇者かよ!」


「そうだよ」

 意外にも、答えがあった。

「運が悪かったな、お前。そのガキから離れろ」

 少女からではなく、背後からだった。もちろん俺は凄腕の勇者なので、そいつが近づいていることには気づいていたが、妙なタイミングで返答されたので調子が狂った。


 俺はコートのポケットに手を伸ばしながら、振り返る。路地裏の奥から歩いてくる、大柄な人影がひとつ。こういうとき、心がけていることがある。まずは主導権を握る。俺はそいつが次の台詞を言う前に、喋りだしている。


「誰だよ。この勇者の知り合いか? こんな夜更けに未成年と遊んでるなんて、感心しないな」


 いい加減なことを喋りながら、背後から近づいてきた人物を観察する。

 金のかかっていそうなスーツに身を包んだ男。ただし人相は最悪だし、浮かべている笑顔からは品性というものを感じない。おまけに片手に拳銃を持っている。

 少なくともろくな仕事に就いていないだろう――俺は即座にこいつに『クズ野郎』のラベルを貼った。『クズ以下』ではない。いきなり背後から撃ってこなかったポイントだけは評価できるからだ。


 よって、俺はできるだけ友好的に、このクズ野郎と交渉しようとした。大切なのは笑顔だ。

「とにかく今日はお互い、ツイてないな。俺はこんな現場に出くわすし、あんたは俺に見られたし。ここは仕切り直しってことで、俺もあんたも何も見なかったことにして引き上げないか?」

 俺は横たわる少女を指さした。

「その上で、改めてその銃でこの女を撃つ算段をするってのはどうだ」


「黙ってろ。いいか? もう一度言うぞ。お前は、そのガキから離れろ」

 その男は、俺の話をまったく無視した。それどころか、こっちに向けて拳銃を構え、失礼な態度で命令する。しかも少し笑った。

「おとなしく俺の言うことを聞けば、お前もすぐに殺してやる」

「聞かなかったら?」

「痛めつけてから殺す。どっちがマシだ?」

「そうか」


 俺は密かに心の中で、この男の分類ラベルを貼り直す。『クズ以下』だ。

 このスーツの男が浮かべている愉快そうな笑顔から推測するに、背後から撃たなかったのは、俺に警告してやるためではない。俺が怯えたり、慌てたりする様子を見たかったからのようだ。


「そりゃ俺だって、これから友達と約束があるから、関わりたくないんだけど」

 言いかけたところで、俺は言葉を止めた。

 不意に、横たわっていた少女が身じろぎをしたのがわかったからだ。目が開き、俺をまっすぐ見上げている。そして、唇がひきつるように震えて、言葉を発した。単純な三文字の言葉だった。


「逃げろ」


 どうも今夜は、一方的に命令されることが多い。

 少女は喉の奥で、獣が唸るように言葉を発した。

「逃げろ。はやく。急げ――そいつは、私が――」

 なにかご立派な言葉を続けようとしたのかも知れないが、彼女は咳き込んで言葉を切った。それきり言葉は出なくなる。俺は多大なストレスによって、頭が重たくなるのを感じた。

 こういうときはいつもそうだ。こんな重傷の相手から『逃げろ』なんて気を使われては仕方がない。


「おすすめされた通り、逃げたいところなんだが」

 俺は少女を見下ろした。

「こっちには、そうはいかない個人的な事情がある」

 確かに俺は、これから暴力で物事を解決しようとしているクズ野郎だが、ここで逃げたらそれ以下だ。そのとき少女は俺を見上げ、そしてまた変な動物のようなうめき声をあげた。何かに気づいたような顔だった。

「いや。待ってくれ。あなたは」


「無駄だよ」

 スーツの男は、鼻で笑った。

「どっちにしても、目撃者は殺せって魔王陛下の指示だ。おい。お前ら、どっちから死ぬ?」

「やめろ!」

 横たわる少女が、不意に声をあげた。力を振り絞って、立ち上がろうとしていた。

「私が相手をする。まだ、勝敗はついていない!」


 何言ってんだ、こいつ。と、俺は思った。そんな状態で強がって何になるというのか。なので、少女のことは、徹底的に無視することにした。

「まあ、そうだな。さしあたって」

 俺はさりげなく首の後ろに手をやる。首筋だ。そこには俺にも、とある特殊な薬剤を常用している注射痕がある。


「先に聞いておこう。あんた、どこの魔王の飼い犬なんだ?」

「ああ?」

 スーツの男は、首を傾けて凄んでみせた。

「なんだって? もう一度言ってみろ」


「白々しいんだよ。聞こえただろ。じゃあ、もう一度言ってやろうか」

 こんな風に、俺が挑発的な文句を喋るのには理由がある。まだ、お互い『口喧嘩』の段階だと誤解させるためだ。

 俺は袖口に隠してある特別製の注射器の先端を、静かに首筋に押し付ける。手品師のようなやり方だが、これはフリーランスの勇者としての最低限の心構えだ。


「あんたは、どこの魔王の飼い犬だって聞いたんだ。奇遇だと思ってな。俺は俺で、ここら辺の魔王陛下の飼い犬をやってるんだよ。こんなところで取り決めも無しに手を出すと、お互い面倒なことになるぞ」

 もちろん嘘だ。俺は適当なことを言っている。が、スーツの男の表情はわずかに動いた。発砲をためらうように、ほんの一センチだけ銃口が下がった。


 それだけ隙があれば十分だ。俺は注射器の中身の薬剤を、首からすばやく打ち込んだ。注射器は、ジェットインジェクターの改良版である。空気圧縮により、一気に内容物を注入するタイプ。

 その薬剤の正体はもちろん《E3》である。

 変化は、即座に訪れる。


「まあ」

 ほんの一瞬の目眩とともに、俺は動き出す。

「いまのは嘘だけど」

 しかも俺はやさしいので、嘘であることを教えてやった。

 スーツの男はそれなりのショックを受けたようで、口汚く俺を罵ろうとした。間抜けな話だ。そんなことをするぐらいなら、まともに狙って撃てばよかったのだ。とはいえ仮に狙いをつけていたとしても、俺には回避することができただろう。


 この状態になった俺は、かなり素早い。姿勢を低くして踏み出すと、頭上を弾丸がかすめていった。そのまま意識が加速する。飛び去る弾丸も、スーツの男の顔がひきつるのも、俺にはすべてが見えていた。


 エーテル・エフェクト・エンハンサー。

 通称《E3》。口の悪い奴らは《ぶち抜き》とか、単に《ジュース》とか呼ぶこともある。


 この薬がもたらす効果は劇的だ。変化はほとんど瞬時に現れる。皮膚下に浸透した薬物は、人体の内部のエーテルを増幅し、強化する。

 エーテルについては、古い言い方で《魔力》とでも言い換えてもいい。生命エネルギーと表現した学者もいる。


 この薬の効果があってはじめて、勇者は魔王と対抗することができる。

 なぜなら『魔王』とは、こうした薬物の定期投与や適応手術によって、恒常的に体内エーテルを増強している者を意味するからだ。最近では手術の安全度も高まり、気軽に魔王になろうとするやつが多い。

 特にヤクザやチンピラは、第二次世界大戦での敗戦以来、闇市が広まってから挙って手術を受けたがる世の中になった。エーテルがもたらす多大な恩恵が明らかになってからは、さらにその傾向が増加した。


 だが、何事もうまい話ばかりではない。

 過剰な体内エーテルの増強は、その人間の脳を激しく変質させる。狂わせる、と表現するのが適切かもしれない。

 体内エーテルの増強が及ぼす精神的影響は、まず攻撃衝動の増加。対して、衝動を抑えるべき理性は減退していく。これが恒常的に続いた場合、少なくとも法律を遵守する精神は失われると考えられている。

 事実、エーテル増強手術を受けた人間は必ず犯罪に手を出して、魔王認定を受けている。

 いまでは、恒常的なエーテル増強手術は、それ自体が犯罪行為として扱われる有様である。俺たち勇者にしても、過剰な《E3》の摂取は厳しく取り締まられ、支給される量も決まっている。


 それでも魔王に対抗するには、《E3》が必要だった。

 体内エーテルが増強されると、人体の強度は飛躍的に向上し、反射神経・運動神経も強化される。ビルの屋上から落下しても致命傷を負わないようなタフネス、銃弾が発射されるのを見てから回避できる瞬発力。そういう類のものだ。


 しかし、それ以上に重要なのは、《E3》は使用者に特別な知覚力――業界用語で言うところの《エーテル知覚》を使用者に与えるということだ。

 どんな認識力が与えられるかは、大きな個人差がある。

 ある者には数秒先の『未来を視る』視覚が、またある者には物体同士に働く『引力を触って動かす』触覚が与えられる。これも古い言い方だが、昔は超能力と呼ばれていたやつだ。


 俺の場合はといえば、これは相当に地味な部類だと思う。なにか特別なシックスセンスがあるわけじゃない。望遠鏡みたいな視力でも、犬みたいな嗅覚でもない。

 俺に与えられたのは、『高速の知覚処理』を行う力だった。カテゴリ分けするなら、この手の知覚力は《速読》とか、《スキャッター》とか呼ばれている。五感で仕入れた情報を、普通の人の何十倍もの高速で処理して、思考して、判断をくだすことができる。


 俺がやたらとお喋りなのは、これが理由だ。

 試行錯誤した結果、この形式が最適だった。対話型の思考処理。こんな風に、第三者に話しかけるように思考することで、自分が認識したものを整理していく方法だ。


 これはたとえば、放たれた弾丸を視認し、たっぷり考えてから動くことができる。

 その弾丸の軌道は当たるのか、当たらないのか? どう動けば回避できるか? たくさんの選択肢や可能性を、じゅうぶんに検討した上で行動できる。これは極めて強力なアドバンテージだ。

 戦いは、よく見て、よく考える方が勝つ。

 俺の師匠はそう言っていた。


 ――つまり、そうして弾丸を回避した俺は、即座にスーツの男に接近した。

 反応されるよりはやく、拳銃を構えた手首を掴んで、握りつぶす。手の中で骨が砕ける感触。このくらいは勇者として標準的な握力だ。スーツの男は、痛みに対する典型的な反射行動を示した。背中が丸まり、砕かれた手首を引っ込めようとする。


 もちろん無理だ。

 俺が手首を掴んでいるし、その直後に、顎を蹴り上げられている。『戦い』といえるような行動のやり取りは、これでほとんど終わった。

 あとは、倒れてアスファルトに打ち付けた頭を、思い切り蹴飛ばすだけで良かった。サッカーボールを蹴飛ばすように、思い切りだ。《E3》によって強化された身体能力でこれをやられた場合、ほとんどの人間は死ぬ。


 だが、注意しなければならないのは、こんなときだ。

 形勢不利になった相手が、逃げるのか、それとも反撃してくるか。そこを見極めなければ、不用意に追撃をかけて痛い目を見ることになる。もちろん俺は、そんなヘマはしたくない。

 俺には、観察する時間がたくさんある。

 アスファルトに転がった男が、無事な左手で何かを握りこんだ。ナイフか。俺は踏み込みながら、そいつが突き出されるのを視る。ナイフの先端――ではなく、それを持つ相手自身に注目しなければならない。どこを狙って刺してくるのか、スーツの男の視線を読む。

 腹か。


「それはダメだろ」

 俺は余裕を持って、ナイフを持つ手首を手のひらで打った。

 ついでに膝の裏を蹴り払い、その場に転倒させる。勇者を相手に、遠い間合いから突き出すような攻撃が当たるはずがない。密着したところからナイフなり、拳銃なりで攻撃するのが最善だろう。

 間違いなくこいつは、戦いなれていないやつだ。


「お前は――」

 再び倒れこんだスーツの男は、何か言おうとした。

 俺が聞いてやる義理はない。ただ足を振り出し、スニーカーのつま先を、そいつの顔面に叩き込んだ。言葉は途切れ、彼はそれきり動かなくなった。念には念を入れておくべきだ。俺はさらにもう一歩近づいた。


「そこまでだ!」

 背後で、鋭くて尖った声がした。倒れていた少女だ。俺は一瞬だけ動きを止めた。何か追撃をためらわせるような仕掛けでも、このスーツの男にあるのかと思ったからだ。

 だが、少女は驚くべき言葉を口にした。

「決着はついている」

「ああ?」

 俺は思わず振り返った。少女は震える手を地面に突き、立ち上がろうとしている。だが、うまくいかない。もどかしげに呻く。


「決着はついている――攻撃を加える必要はない。その男は、もはや戦闘不能だ」

 とんでもない勇者もいたものだ、と俺は思った。女子高生で、ビルの上から落ちてきて、勝手に死にかけておいて、追っ手に対してこの温かみのある言葉。信じられない。

「だから、これ以上は」


「だから、これ以上は? ――つまり、こう言いたいんだろ。いまがチャンスだ」

 俺は少女の言葉を無視した。即座にスーツの男に向き直り、顔面へ、思い切り踵を振り下ろす。手応えはあった。

 少し遅れて、後頭部から流れ出す血液が広がっていく。


「これでよし」

 俺はうなずいて、自らに一区切りをつけた。そうしないと攻撃衝動が高まりすぎて、死んだ相手に対してすら余計な追撃をしてしまいそうだった。《E3》には、確かにそういう副作用もある。

 戦うためには必要な高揚感だが、あまり自由にやりすぎると、たちまち中毒者の仲間入りだ。

 感覚が鋭くなりすぎて、目眩がする。


「――失礼だが」

 大きく深呼吸をする、俺の足元で声がした。さっき落ちてきた少女だ。まだ体が自由に動かないらしい。恐ろしいほど真面目くさった顔で、どうやら俺を睨んでいるようだった。

「助けていただいたことは感謝する。だが、いまの男は戦闘不能だった。完全に勝負はついていた。殺すことは――」


「いまの男は」

 かなり不機嫌になっていた俺は、この少女に対しても適当な嘘をまくし立てることにした。

「かつて俺の家族を皆殺しにしたんだ。俺はずっと復讐のために生きてきたといってもいい。いつかこの手でぶち殺すためにな」

「それは」

 少女はわずかに顔を歪めた。

「嘘――だろう」

「ああ。だが、嘘だったらなんだ? 本当なら許されるのか? それとも、お前が俺に制裁でもするのか? やれるもんなら、やってみな」

 俺は少女に対してまくし立てた。

 八つ当たりのためだ。とても気分が悪かった。

「それとお前、まだ若いんだから勇者稼業から足を洗え。このクズ。死ねよ」

 勇者なんて、例外なくクズだ。殺人と暴力で金を稼ぐクズ野郎だ。足を洗えるなら、洗ったほうがいい。

 少女は呆気にとられたらしく、特に返答もなしに、ただ目を細めたり開いたりした。俺はなんだか余計にイライラしてきた。さらに何か説教じみたことを言うことで、こいつを不快な気分にさせようかと思った。

 だが、その前に、背後から近づいてくる足音を聞いた。


「――アキ!」

 それはまた、別の少女の声だった。振り返れば、ずいぶんと小柄な少女が駆け寄ってくるのが見えた。足元の少女と同じ、白い学生服を着ている。その顔つきは少し整いすぎており、どこか無機質で、日本人形を連想させた。

 彼女は、俺を睨んで足を止めた。その顔には、敵意が満ちていた。

「誰? あなた」

 尋ねてくる、小柄な少女の手にはナイフがあった。血に濡れている。まさか、彼女も勇者なのだろうか? 世も末というやつだ。彼女は明らかに俺を敵だと思っているらしく、横に倒れたスーツの男と、倒れたまま動かない少女、そして俺を順番に眺めた。

「誰? 《茨》の眷属?」


「いや、違う」

 倒れたままの少女が、少し慌てたように声をあげた。

「その人は、違う。勇者だ――私は、そう。助けていただいた――」

「勇者?」

 一瞬、沈黙があった。小柄な少女は、疑惑にあふれる目で俺を見ていた。

「あなたが?」

「知るか」

 俺は首を振った。《E3》のせいで、攻撃的な気分になっている。これ以上文句をつけられたら、暴力を伴う行為に出てしまうかもしれなかった。

「そいつを病院に運んでやれよ。俺はこれから用事がある。じゃあな」


「いえ――待って、いただきたい」

 足元の少女は起き上がろうと片手をつき、また失敗した。

「まだ、私はお礼も」

 もう俺は何も答えるつもりはなかった。

 すごくイライラしていたからだ。今夜の俺の楽しいスケジュールは、まだ始まってもいない。ただでさえ時間に遅れている。

 この点に関して、俺はまったく譲るつもりがなかった。たとえ現金を百万だか二百万だか積まれたところで、同じことだ。


 友達とビールを飲み、安くて美味いピザでも食って、ゲームをする。

 これ以上に重要なことがあるだろうか?

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