第2話

 エド・サイラスの店、《グーニーズ》は、月曜日の夜だけは特別だ。

 一般客は立ち入り禁止となり、勇者相手を専門にした営業となる。これには明確な理由があって、まず一般客は人殺しどもと一緒に酒を飲んだり、食事をしたりするのを嫌うということ。それから酔っ払った勇者は例外なく危険である、ということだ。

 特に後者の要因は大きいが、このサービスは俺たち勇者の間では、素晴らしく好評だった。

 カタギの連中を困らせることなく、顔見知りのクソ野郎どもと、大いに飲んで騒ぐことができる。少し騒ぎ過ぎたやつは、エド・サイラスの手によって厳しく制裁されることになるだろう。


 噂によれば、エド・サイラスも昔は魔王を殺し回っていた、元・勇者であるという。彼の面相を拝めば、その噂がおそらく真実であろうことがわかる。

 山賊の親玉がふさわしいような髭面で、顔の右半分に大きな火傷の痕があった。その痕が喋るたびに引き攣り、常に客を威嚇しているように見える。


「なんだ、ヤシロか」

 と、店内に入るなり、エド・サイラスは俺の顔を見て残念そうに呟いた。『ヤシロ』は俺の、勇者としての名前だ。もちろん偽名を使っている。本名をそう簡単に明かす間抜けではない。

「今日は貧乏人ばっかり来やがる。金は持ってるか? 今日こそツケは効かんぞ」

「そりゃないだろ」

 俺は思わず笑ってしまった。

「久しぶりに来たんだから、歓迎しろよ。俺は客だろう」

「ツケで飲み食いするやつを客とは呼ばない」

「わかってる」

「それから、何も注文しないやつもだ」

「わかってる! ビールだ! それと、なにか今すぐ食えるもの」

 俺はエドを納得させるため、カウンターに千円札を置く。この調子では、恐らく今月も生活費が困窮するであろう。


「それなら、いくらヤシロでも客だな。入れよ」

 エド・サイラスは火傷の痕を引きつらせて笑うと、すばやく千円札を回収した。そしてビールジョッキを手に取る。同時に俺は店内を見回す――今夜の客は、冴えない天気が影響しているのか、いつもより少ない。

 見慣れた常連の顔が、中央テーブルに二つだけだ。彼らが本当にどうでもいい、なんの利益も生まない話をしていることは、店に入ったときからわかった。俺は彼らの会話に耳を傾けながら近づく。


「――だから、今シーズンのキング・ロブ、ありゃ無敵だぜ。挑戦者の青白い顔を見たか?」

「それにしたって、キングの黒騎兵セットはタネが割れてますからね。さすがに不利ですよ。みんな狙ってくるでしょう」

「へ! キング・ロブの戦いは、いわば王道よ。わかるか? あ? 騎兵がドンと出て、ブロックごと相手を貫通するんだぜ。カウンター狙いのセコい手に負けるかよ」

「ぼくは好きですけどね、消耗戦もスタイルです。挑戦者を応援しますよ」

 どうせ、カードゲームの大会の話だと、俺にはわかっていた。こいつらが好む話題といえば、ゲームか、他人が仕事でヘマを踏んだ話か、そのぐらいしかバリエーションがない。だが、俺も彼らの同類には違いないし、その手の話題は大好物である。

 なので、俺は横から口を挟んだ。

「じゃあ――どうする? キングが勝つか、賭けるか?」


「あ?」

 と、片方が振り返った。スキンヘッドの大男だった。

「遅えよ。どこで油売ってたんだ、ヤシロ」

 厳つい顔で、睨みつけてくる。彼の名を《ソルト》ジョーという。どうせ偽名だろう。元ヤクザの殺し屋であり、同業者の勇者だ。血とゲロと泥で汚れたアーミージャケットを窮屈そうに着込んでいるが、俺が知る限り、このジャケットは洗濯された形跡がない。

 なんらかの思い入れがあるらしいが、どうせ死んだ友人とか子分とかの形見に違いない。俺はそういう過去にまったく興味がないので、「とにかく臭いので洗え」としか言えない。

 ジョーは、正面から俺を睨みつけて毒づいた。


「おれはお前と違って暇じゃねえ。待たせやがって、殺すぞ」

「嘘つけ、《ソルト》ジョー」

 俺はジョーを嘘つき呼ばわりすることにした。なぜなら、ジョーは俺のことが嫌いだし、俺もジョーのことを嫌いだからだ。それでも、友達だから仕方がない。勇者は友達を見つけるのが難しい商売だ。最低のクズ以下のやつが多すぎる。

 だから俺はジョーに笑いかけて、無駄口を叩く。こんな風に。

「どうせ暇だろ、ジョー。忙しいわけないよな? うまい仕事でもあったら、俺にも声かけろよ」

「ヤシロと組むぐらいなら、そのへんのチンピラでも雇うぜ。バカか?」

「それもそうか。俺が大活躍しすぎるから、ヘボいお前の取り分が無くなるな」

「なんだと」

 ジョーは声を荒らげて立ち上がろうとした。だが、その腕を掴んで、止めたやつがいる。やたら上等なスーツを来た、もうひとりの常連の男だった。


「やめてくださいよ」

 そいつは、糸のように細い目で笑った。果てしないほど胡散臭い笑顔だった。

「みなさん、すぐ喧嘩しようとするんですから」

 彼の名を《音楽屋》のイシノオ。一応、こいつも勇者だ。免許を取る前は、アマチュアの人殺しだったという噂がある。アマチュア――つまり、ただの殺人鬼のことだ。それが本当かどうかは知らないが、とにかく信用できないやつ、ということだけは確かである。

「なんで仲良くできないんですか?」

「人殺しの三流野郎どもと仲良くするのは難しいんだ」

 俺は論理的に、かつ素直に、自分の気持ちを告げた。《ソルト》ジョーは唸り声をあげた。

「おれをヘボ扱いするやつは許せねえ。撤回しろ、ヤシロ!」

「人殺しのくせに、仕事にプライド持ってるのかよ」

「撤回しろ!」


「まあ、まあ」

 イシノオはわざとらしく、冷静ぶって俺たちをなだめた。そこが実にムカつく。イシノオはただ喧嘩ではなく、ゲームで遊びたいだけだ。俺たちを本気で仲良くさせたいわけじゃない。

「決着はゲームでつけましょう。マスターから追い出されますよ」

「そうだな」

 俺はカウンターを一瞥した。エド・サイラスは、ビールをジョッキに注ぐ手を止め、鬼のような目で俺たちを見ていた。《ソルト》ジョーも鼻を鳴らして椅子に座りなおす。こうなると、大人げないのは俺だけになってしまう。それもこれも、《E3》の効果がまだ少し残っているせいだと思いたい。

「悪かったよ、ジョー」

「ああ。おれはヘボじゃない」

「そう、お前はヘボじゃない。凄腕の勇者だよ。しかし、カードの腕前はどうかな?」

 俺も椅子を引いて、テーブルに肘をつく。ポケットから、カードの束を取り出した。俺のデッキだ。《ソルト》ジョーは『ヘボ』と言われたせいか、まだ不機嫌そうだったので、俺は彼の肩を叩いて奮起させようとする。


「白黒つけようぜ。ジョー、イシノオ、怖気づいたら帰ってもいいぞ! そうじゃなきゃ三つ巴だ!」

「なんだと、こら」

「上等ですよ、ぼくの方は」

 ジョーは単純なので椅子を蹴るようにして立ち上がり、イシノオは狡猾な狐のように笑う。俺はこいつらのことが嫌いではある。しかし、いつでも勝負に乗ってくるところは評価できた。


 だが、次の瞬間、イシノオは不意にムカつく笑顔を消した。

「と、言いたいところなんですが」

 この細い目の男が真顔になると、なぜだか酷薄な印象が漂う。

「――ヤシロさん。あの二人は? ご友人ですか? それとも、お客さんで?」

 イシノオが『お客さん』という。それは俺たちの業界では特別な意味を持つ。勇者にとっての『お客さん』。それは、殺害対象ということだ。

 不吉な予感がしたので、俺はすぐに振り返る。


 そこには、二人分の少女の影があった。どこか大人びたような長身の少女と、小柄な少女。どちらも白い学生服。残念ながら見覚えがあった。冗談だろう、と俺は思った。俺の今夜の楽しい予定が、急速に色あせていくのを感じた。

「おい」

 と、エド・サイラスは、カウンターの内側から警告の声を発する。

「今夜は一般客は立ち入り禁止だ。それに、感心しねえな。未成年が、こんな夜中にこんな場所をうろついてるとは――」


「問題ない」

 断定的な口調だった。一歩、長身の方が踏み込んでくる。間違いなく、さきほど俺の目の前に落下してきたやつだった。

「我々は、勇者です」

 彼女の声には、なんの躊躇も、後ろめたい響きもなかった。まるで勇者という仕事を誇るかのような、力強い態度だった。

「アカデミー所属、二年。特成コース。城ヶ峰亜希」

 彼女――城ヶ峰亜希は、実に堂々と名乗りをあげた。そして、まっすぐ俺を睨むように視線を向けてきた。そして、軍隊のように敬礼する。

「先程は、命を助けていただき、感謝します」

 危うく俺は、机の下に隠れるところだった。

「ヤシロ師匠。あなたこそ、素晴らしい実力と志ある勇者と確信しています」


 やめてくれ、と、俺は思った。ここにはエド・サイラスも、《ソルト》ジョーも、イシノオもいる。このクソ野郎な友達の前で、そんな風に言われることだけは、恥ずかしすぎる話だった。

「どうか、我々の師匠になってください。今夜、いますぐに」

 そうして城ヶ峰亜希は、深すぎる礼をした。

「宜しくお願いします、師匠」

 それが限界だった。

 俺の不愉快な友達は、そろって低劣な笑い声をあげた。明らかに俺を馬鹿にする意図のこもった笑いだった。俺は黙り込んで、可能な限り彼らを、あるいは彼女らを無視する以外に、どんな態度をとればいいかわからなかった。


 アカデミー、という組織がある。

 その名のとおり、『学校』のことだ。勇者業界の健全化に血道をあげる、日本政府文科省が主導で作り上げた、勇者養成機関。そいつがアカデミーである。

 そのモットーは、

『正義、守護、名誉』。


 ――なめくさっている。

 この言葉を聞いただけで、《ソルト》ジョーはアレルギー反応を起こしてクシャミを繰り返すだろうし、イシノオのような邪悪な男は浄化されてしまうだろう。俺だって鳥肌がたちそうになる。

 このおかしな学校、アカデミーの開校は、いまから四年ぐらい前の話だっただろうか。


 当時は未成年に《E3》を扱わせるリスクや、殺人の訓練をすることについてバッシングも集まったらしい。が、メディアに大金をバラまいたおかげで、表面上は沈静化した。国際的な勇者支援団体、《円卓財団》の第五百七代目アーサー王が資金援助を申し出たことも効果的だった。

 一般に、男性よりも体内エーテル量の多い女子生徒を中心に、いまではかなりの数の生徒が在籍しているという話である。

 彼ら、あるいは彼女らのトレードマークは、白い制服に、《E3》常習者の注射痕。それと胸元に輝く、銀製の『翼の生えた太陽』の紋章だった。見落としていたのは、俺のミスだ――彼女を発見したときに気づくべきだった。

 おそらく、彼女らを眺める俺の目つきは、かなり不愉快そうなものだったはずだ。


「断る」

 と、俺はまず宣言した。

「どんな事情があろうと、そりゃ請け負えない仕事だ。俺は勇者であって、教師じゃない」

 可能な限り、付け入る隙を与えないよう、ビシッとした調子で言ってやったつもりだった。

「つまり、人殺しなんだ。わかるか? それ以外は専門外なんだよ。無理だ。それ以上に、やりたくない」

「はい!」

 だが、城ヶ峰亜希の返事は、ムカつくほど歯切れが良かった。

「ですが、我々が頼るべき相手は、師匠しかおりません」

 声には、己の行いへの確信が滲んでいた。

 どこか冷たく、硬質な印象を受ける彼女の顔つきは、俺のちょっとした誤解だ。こいつはただ『頑固』とか、『思い込みが激しい』とか表現すべきタイプだ。

「なんとしても、我々は今夜中に、とある魔王を討伐する必要があるのです」


「ああ。そりゃよかった。勝手にしてくれ」

 俺は手短に返事をして、遠巻きにこちらを伺う同業者たちに視線を向ける。

 エド・サイラスも《ソルト》ジョーもイシノオも、笑える見世物を見物するような状態になっていた。ニヤニヤしながら酒をのみ、こちらを見てヒソヒソと話していやがる――楽しそうじゃないか。俺も彼らの側に混ざりたい、と思った。なんとかここを抜け出して、アルコールとゲームとバカバカしい会話の世界に戻りたかった。

 だが、城ヶ峰亜希の演説するような口調は止まらない。しかも彼女は、手帳まで開き、それを読み上げているようだった。


「我々は本来、アカデミーにおいて、特成コースのEクラスに在籍しているのですが」

「待て」

「アカデミーの実戦研修は、三人で一組のパーティーを組んで行われます。まさに実際のプロの勇者と同じく、計画を立案し、魔王を討伐する形式です」

「聞こえないのか?」

「ですが今宵の作戦では、我々が未熟だったため、魔王の手勢に敗北。私はあの有様となり、パーティーの一人もさらわれてしまい」


 何を答えても、城ヶ峰の説明は止まらなかった。その顔つきは嫌になるほど生真面目なものであり、俺に言わせてもらえば滑稽なほどの真剣さを感じた。直視していると、いたたまれないどころか、吹き出してしまいそうだった。

 なので、俺はもう黙って天井でも見つめているしかなかった。

「なんとしても、彼女を奪い返さねばならないのです。我々の事情は切実であり、一刻の猶予も許されません」

「――わかったぞ」

 俺はそのあたりで、城ヶ峰亜希の意図を完全に見破った。これはよくある手口というやつだ。


「さてはその勢いで、なし崩しに話を進めようって魂胆だな」

「はい!」

 彼女は再び歯切れ良く返事をした。正直すぎる。正直が美徳である世界で生きていれば、さぞかし聖人扱いされたであろう。

「私は一度、師匠に命を救われた身です」

 城ヶ峰の口調は力強いが、それ以上に、その言葉の内容はまったく文脈がつながっていないように思える。

「よって、こちらには不退転の覚悟で参りました。必ずや私の一念を理解していただけると」


 なんとかして彼女を追い返したい。このままではまずい。しかし、どうやって? 俺は慎重に言葉を選んだ。

「要するに、お前らがヘマしたんだろう。仮にも勇者なら自分でどうにかしろよ。それかアカデミーに頼め、生徒なんだろ? 俺は極めて忙しいんだ」

「はい!」

 さっきから返事だけは良い。城ヶ峰の応答は、まるで軍隊のような調子だった。問題は、その次に続けられるセリフである。

「無礼は承知の上ですが、しかし」

「忙しいんだよ! 無礼者め。これからビール飲みながら、ゲームで遊ぶところだったんだ。邪魔するならタダじゃおかねえぞ」


「――アキ」

 不意に、城ヶ峰の背後から、静かな声が聞こえた。怒りを押しとどめているような声だった。そういえば、彼女の背後には、あの小柄な少女がいた。

「もういいよ。その人、ダメそう」

 その言葉にはイラッときた。小柄な少女は、ゲロを吐きそうなほど不機嫌な顔で俺を睨んでいた。アマチュアに舐められて、腹を立てないプロがいるだろうか?

「なんだって? おい、もう一回言ってみろ」

「ああ――失礼。申し訳ない」

 俺が小柄な方の少女を覗き込もうとすると、機先を制するように城ヶ峰は謝罪した。ついでに、背後に隠れるようにたたずむ少女を、手のひらで示す。

「こちらは、我がパーティーの一員。印堂雪音と申します」

 名前を紹介されても、少女、印堂はなんの反応も示さなかった。ただ、俺を睨んでいる。なんらかの恨みすらこもっているように感じた。単に、そういう目つきのやつなのかもしれない。


「印堂? 誰がダメそうだって? この凄腕の一流勇者に向かって」

 俺は怒りをこめて宣言してやった。背後で忍び笑いが聞こえた。こっちを見世物のように見物している《ソルト》ジョーやイシノオのことは、この際無視しておこう。俺は印堂雪音を正面から睨みつけた。フリーランスの勇者稼業は、舐められたらやっていけない。

「《死神》のヤシロを知らねえな? おい、二年前、池袋での《BFE》抗争を覚えてるな? 聞いて驚くなよ。なんと俺はあの抗争で、あの有名な――」


「あなたが誰か知らないけど」

 俺のありがたい名乗りを、印堂雪音は迷惑そうに遮った。城ヶ峰の腕を引く。

「行こう、アキ。こういうタイプのひとは、どうせ口だけだし」

「雪音。あまり失礼なことを言うな。この方の実力はさきほど拝見し、なおかつもう少し押せばどうにかなりそうな気配もある」

 城ヶ峰はたしなめたらしい。が、あまり意味のあることではなく、ついでにやや失礼な言い方だった。

 印堂雪音は首を振った。

「私たちは急いでる。この人がセーラを助けられるの?」

「挑発しても無駄だ」

 俺は印堂に対して、できるだけ冷静になろうと努めた。こんなのは、交渉の方法のひとつだ。相手を怒らせてその気にさせる。これもよくある手口だ。

「できる、できないじゃない。やらないって言ってるんだ」

「怖気づいてるんでしょ」

「なんだと」

 ここまで言われて、暴力的な行為に及ばないのは、俺の人格がクソ野郎なりに良くできているということだ。


「人をヘボ呼ばわりするな。ムカつくんだよ。誰が怖気づいてるって? 俺は無敵だよ」

「相手が《琥珀の茨》卿でも?」

「相手がどこのどんなクソ野郎でも、だ。《琥珀の茨》卿だって?」

 俺は鼻を鳴らした。

「魔王としては三流どころだな。最近、この渋谷界隈で勢力を伸ばしてるらしいが、ただのヤクザの商売の域を出ない。やってることも大体同じだ」

 そこで俺はどうしても、仕返ししたくなった。よくもこの俺に対して、あんな強引な交渉を仕掛け、挑発して思い通りにコントロールしようとしてくれた。俺はしっかり根に持つタイプだ。


「たとえば麻薬とか、人身売買とかな。その攫われたトモダチだっけか? クスリ漬けにされて、玩具扱いされてる頃かもしれないぜ。野郎の眷属も、チンピラと大差ないやつらばっかりだしな」

 これだけ脅せば十分だろう。とどめのセリフも決めていた。こういうプライドの高そうなやつは、罵倒よりも同情が効果的だ。

「かわいそうにな」


「……アキ」

 見るからに、印堂雪音の顔つきが変わった。

「やっぱり、私は行く。こんなダメそうな人に頼むのは、時間の無駄」

「雪音。しかし、状況は」

「アキのいうことでも、無理。時間がない」

 印堂雪音は、首筋に何かを押し付けた。円筒型の、小さな注射器。《E3》。すぐに、彼女の気配が変わった。常日頃から、エーテルという見えない力になれている俺にはわかる。最初に感じるのは、静電気で皮膚を撫でられるような気配だ。

 俺は無意識に、ポケットに手を伸ばした。癖だ。そこには《E3》がある。

「私がセーラを助けて、帰る」

 印堂雪音は短く告げて、一歩だけ後退した。動きとしてはそれだけだった――しかし直後、その姿が唐突に消えた。ほんの一瞬、風が緩やかに渦を巻いた気がした。


「おっ? すげ」

 カウンターの隅でにやにやと眺めていた、《ソルト》ジョーが少し感心したような声をあげた。どうやったのか。同じ勇者、商売敵として興味深かったのだろう。イシノオもまた、視線を素早く左右に向けている。

 俺は姿を消した印堂の影をさがすより、より詳しいやつの反応を見るべきだと思った。城ヶ峰亜希に対して、できるだけ悪党ヅラで睨む。

「ひとりで行っちまったぜ、あいつ。どこに消えた?」

「はい」

 やや辛そうな顔だったが、城ヶ峰は素直にうなずいた。


「雪音のエーテル知覚には、空間の『隙間』が見えるそうです。その隙間に入り込むことで、ある程度の距離を瞬間的に移動できると」

「そうか」

 俺は呆れた。とんだ素人だ。いったいアカデミーではなにを教えているのか。同業者の情報をこれほど簡単に喋るやつがいるか。だが、城ヶ峰の言うことが本当なら、印堂雪音のそれは強力なエーテル知覚の部類ではあると思う。俺の無敵のエーテル知覚ほどではないが、強い。かなり便利なやつだ。

「お前は追いかけないのか?」

「はい。師匠のご指導が必要です」

「そんな暇があるか? いまごろ、お前のトモダチが――」


「それは嘘です」

 城ヶ峰は断定する。その断定の鋭さに、俺は少し違和感を覚える。なんだ、こいつ。

「実際のところ、彼女――我々の仲間は、どのように扱われるのでしょうか? 正確な事情が知りたいと思っています。師匠はこうした、学校では教えていない部分の知識をお持ちです」

「攫ったのが、アカデミーの生徒だからな」

 城ヶ峰の鋭さに免じて、俺は少し喋ってやることにした。

「傷物にはしない。価値が下がる。《茨》もいちおうプロの魔王だからな。『身代金』としての価値を無意味に下げたりしねえよ」

「身代金?」

「アカデミーは世間的に評価が微妙な組織だ。知ってるだろ。殺し屋養成学校だぜ。俺が魔王だとして、もしも生徒を捕まえたならな。事実の公表と引き換えに、身代金の交渉をする。そっちの方が儲かる」


 とはいえ、これも八割くらいの推測に過ぎないものではある。《茨》のやつが、そろばん勘定もできない間抜けという可能性もゼロではなかった。

 だが、それは城ヶ峰にとって、大きな救いとなったようだ。

「なるほど。まだ猶予はあると。やはり、なんとしても助けなければ。師匠!」

「そうやって押し込んできやがって、図々しいんだよ。救助なら学校に頼め!」

「学校には頼れないのです」

 城ヶ峰は深々と頭を下げた。下げすぎているくらいに深く下げた。

「事情は、すべてお話します。どうか、我々にご指導を! 今夜中に、《茨》の魔王を討伐しなければならないのです!」


「無茶なタイムスケジュールだ」

 喋りながら俺は店の隅に目をやった。エド・サイラスと《ソルト》ジョー、それからイシノオまで、カウンターの上に紙幣を載せている。こちらを指差してなにか喋っているが、たぶん、俺のことで賭けをしているのだろう。賭けの内容も想像がついた。

「お前らにご指導するのは俺の仕事じゃないし、慈善事業で勇者やってるわけじゃない」

「ですが師匠のお力ならば」

「蕁麻疹が出るからやめろ。そういう口上は」


 俺は店の隅の同業者たちに対して、中指を立てた。下劣な男たちの笑い声があがる。

 一方で、城ヶ峰は怪訝そうに俺のジェスチャーを眺めていた。こいつに俺の気持ちがわかってたまるか。俺はすごくイラついている。たまに俺だって、『最低のクズ以下』という身分を甘んじて受け入れてもいいのではないか、と思う瞬間がある。しかし、それは最後の砦だ。

 これは生きるやり方の問題である。俺には俺の趣味とか、やりたいことがあって、俺はクズ以下のやり方で生きるつもりはない。


「指導はしない。だが、単なる勇者としての依頼なら受ける。勇者は先生じゃなくて、殺し屋なんだよ。まずお前はそれを理解しろ」

「と、言いますと」

「身代金の五分の一で受ける。二千万くらいか?」

 俺の同業者たちが一斉に笑い声をあげるのがわかった。俺はあえてそれを意識の外に締め出した。どうせ『馬鹿が賭けにのってきた』とでも思っているのだろう。クズどもめ。俺の命で賭けをしやがって。一人勝ちしてやる、と思った。

「二千万だ。少しは待ってやるが、どんなことをしてでも用意しろ。それから、これ」


 俺はコートのポケットから、二つの布の塊を取り出した。テーブルの上に放り出す。そいつは銀行強盗が使うような、ニット製の目出し帽だ。俺が普段使う分と、念のための予備である。

「これは」

 案の定、城ヶ峰は目を細めたり、開いたりしてみせた。こんな基礎的なことも、学校では教えていないらしい。

「いったい?」

「覆面だ。かぶれ。勇者なんだから、万が一のことも考えないとな。しくじって魔王を逃がしたとき、顔を見られてみろ。身元を探られて殺される」

「そうですか? まるで犯罪者のようでは――」

「大差ねえよ」

 俺は吐き捨てた。

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