第5話 おばあちゃんの探しもの

 白い建物は塀に囲まれ、大きな木の扉で閉ざされていた。僕はドンドンと叩きながら叫んだ。

「誰かいませんか!」

「タカシ、インターホンがあるよ」

「なんだ、早く言えよ」

 ソウタが指差したところにあるインターホンを僕が押した。するとチャイムのような音が聞こえてきた。

 しばらくしてインターホンから女性の声が聞こえてきた。

「はい、お見舞いの方ですか?」

「え?」

 予想外の言葉に僕達は返事に困った。

「ご家族の方ですか?」

「えっと、おばあちゃんがここに来たと思うんだけど」

「お名前は?」

「タカシ」

 僕に続いてソウタもインターホンに乗り出して答えた。

「ソウタ」

 すると、インターホンの向こうでクスッと笑ったような声が聞こえた。

「ああ、ごめんなさい。そうじゃなくて、あなた達のおばあちゃんのお名前」

 なんだそういうことかと思ったのも束の間で、よく考えたら僕達はおばあちゃんの名前を知らない。

「えっと、チカのおばあちゃんがバスに乗って一人でここに来たと思うんだ」

 インターホンの向こう側が一瞬沈黙した。

「ちょっと待ってて」

 女性のその言葉を残して、インターホンは途切れた。


 黒い鉄製の蝶番がギイッと軋んだ音を立てた。そしてゆっくりと大きな木の扉が開いた。

「あなたたち、おばあちゃんのご家族?」

 そこにいたのは白い服を着た若い女性だった。強い風に煽られて、きちんとまとめあげられていた彼女の髪が乱れそうになった。慌てて彼女は髪を手で抑えた。

「違うんだけど、チカのおばあちゃんを探しに来たんだ」

「チカさんのおばあちゃんね。来てるわよ」

 その言葉に嬉しさがこみ上げてきた。僕達は顔を見合わせ、力強く肩を組んだ。

「やったな、ソウタ!」

「うん、やったね!」

「ここは裏門なんだけど、入っていいわよ」

「ありがとう!」

 女性は僕達を招き入れ、再び蝶番を軋ませながら、大きな木の扉を閉めた。

 門の中で見上げた白い建物に僕達は圧倒された。間近で見たらずいぶんと大きな建物だった。おばあちゃんはここに何をしに来たんだろう。

 女性は建物のドアを開け、僕達を連れて中に入った。

「ここって何?」

 変な質問だなと思いながらも、先を歩く女性に聞いた。静かな廊下に僕達の足音だけが響いている。

「ここ? ホスピスよ。知らないで来たの?」

 振り向いた女性は笑っていた。

「ホピスピって何するところ?」

 言った瞬間にしまったって思ったけど、こんな静かな場所で皆が聞き逃すはずがなかった。ソウタがクスッと笑って言った。

「ホスピピだよ」

 それも違うだろと言おうと思ったら、白い服の女性がこらえきれずにアハハッと笑ったもんだから、僕もソウタも黙ってしまった。

 女性は自分を落ち着けるためにフウッと大きく息をつくと、微笑みながら僕たちを見つめた。

「ここはね、人が最期の日々を過ごすところ」

 そう言うと、再び前を向き歩き始めた。

 やがて大きなドアの前に着いた。そして彼女は言った。

「死ぬときが近づいた人が命を永らえる治療をするんじゃなくて、心穏やかにその日が来るのを待つ場所なの」

 そしてドアを開けた。そこは天井が高い広い部屋で、一番奥の壁には大きな十字架が掛けられていた。窓はステンドグラスになっていて、風に吹かれた木々の枝葉が時折りノックしていた。

「おばあちゃんの旦那さんはここに入院してたの。重いガンにかかっていて、もう治る見込みはなかった」

 整然と並んだ長椅子の間を彼女は歩き出した。僕達はその後についていった。

「おばあちゃんはおじいちゃんに会うために、毎日バスに乗ってここに来てた。とても仲良しの二人だったわ」

「おじいちゃんはどうなったの?」

 彼女の背中に問いかけた。彼女は前を向いたまま答えた。

「亡くなったの。一年前に」

 十字架の下にある祭壇の前で彼女は歩みを止めた。祭壇の近くの長椅子に、十字架を見上げるおばあちゃんの姿があった。


「おばあちゃん、かわいいお友達があなたを探しに来ましたよ」

 おばあちゃんが振り向いて僕達を見た。僕達は恐る恐る声をかけた。

「こんにちは」

 するとおばあちゃんは優しい目で僕達に答えた。

「こんにちは」

 そしていつものように続けた。

「君達は誰?」

 僕達は心から嬉しくなった。ああ、いつものおばあちゃんだ!

「タカシだよ!」

「ソウタだよ!」

 僕達はおばあちゃんの手をとって、ブンブン振り回した。おばあちゃんはそんな僕達を見ながらにこにこ笑っていた。


 やがて連絡を受けた警官達がホスピスにやってきた。パトカーにはチカも乗っていた。

「二人とも本当にありがとうね! まさかバスに乗ってここに来るなんて思わなかった」

「おじいちゃんに会いに来たのかな?」

「きっとそうなんだと思う。ここに来ればおじいちゃんに会えるって思ったんだろうね」

 そう言ったチカの目から涙がこぼれた。そしてかすれた声で続けた。

「おばあちゃんはおじいちゃんを探しに来たんだね」


 僕達はチカの元を離れ、年配の警官に近づいた。

「おまわりさん、不審者がいたよ」

「えっ!?」

 中古車屋にいた男に車に乗せられたこと、そして札束が入ったカバンのことを話した。事の顛末を聞いた年配の警官は目の色が変わった。

「犯行を見られたと思って、お前達を誘拐したんだな」

 そう言うと若い警官の腕をつかみ、飛ぶように外に向かって駆け出した。すぐにパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。それはあっという間に遠くに消えていった。

「悪い奴やっつけたから、俺達ヒーローかな?」

 ソウタがニヤニヤしながら言った。自分のTシャツにプリントされたヒーローを指差している。

「ああ、俺達、恐いものなしのヒーローだよ!」

 そう言うとソウタと肩を組んだ。勢いよく組んだものだから、ソウタの真ん丸い眼鏡がずり落ちた。

「うん! 恐いものなしのヒー……」

 ソウタの威勢が突然ダウンしたので顔を見ると、その目が真ん丸く見開かれていた。その視線の先を見た僕は凍りついた。

 開かれたドアの向こうで、仁王立ちになってこっちを睨んでいる二人の女性がいる。それは僕とソウタのお母さん達だった。

「やばい……」

 僕達がヒーローになるにはまだまだ時間がかかりそうだ。


 翌朝、台風一過の真っ青な空が広がっていた。道はまだ濡れていて、吹き飛ばされたたくさんの葉っぱが落ちていた。心地よい真夏の風が吹き抜ける。蝉がけたたましく鳴いている。

 僕達はいつものように自転車でおばあちゃんの家の前にやってきた。

「こんにちは!」

 大きな声で挨拶をした僕達におばあちゃんは穏やかな声で答えてくれた。

「こんにちは」

 僕達はすかさず言葉を続けた。

「タカシだよ!」

「ソウタだよ!」

 そしたらおばあちゃんは優しい目をしてこう言ったんだ。

「知ってるよ」

 予想外の言葉に僕達は思わず顔を見合わせた。


                                                              了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おばあちゃんを探せ! 月生 @Tsukio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ