第4話 罠を仕掛けろ!

 生い茂った木々に覆われた長い下り坂は、深い森の底を貫くトンネルのようだ。ますます強まる風を受けて森はざわめいている。僕達の自転車はどんどんスピードを上げていった。

 土の道はでこぼこで、何度もハンドルを取られそうになる。くねくねと続く急カーブで路肩の茂みに突っ込みそうになる。

 先を行く僕は何度も振り返り声をかけた。

「ソウタ、しっかりついてこいよ!」

「わわわっ!」

 真ん丸い眼鏡を飛ばしそうにしながらも、ソウタは僕の後を追う。その後ろからワーゲンバスが、激しい砂煙を捲きあげながら追いかけてくる。

 道の出っ張りにタイヤが乗り上げてフワッと浮いた。その直後、急カーブがやってきた。黒い森が視界一杯に飛び込んできた。

「曲がれーっ!」

 自転車を思い切り傾けた。後輪が砂煙を巻き上げながら滑っていく。見事なドリフト走行でこの難所を切り抜けた。

 振り返ると、ソウタが「わーっ!」と叫びながら、僕と同じようにドリフトしていた。不恰好だけど見事なその運転に、思わずクスッと笑ってしまった。

 ソウタが曲がった直後、ワーゲンバスが急カーブに突っ込んできた。ものすごい勢いだ。曲がり切れるはずがない。

 案の定、車は森の中に突っ込んでしまった。草木をなぎ倒しながら、奥へ奥へと沈み込んでいった。

 僕達は自転車を停め、ハアハアと大きく息をつきながら、その様子を見ていた。

「やった!」

 僕達は顔を見合わせ、力強くハイタッチをした。


 どんよりとした雲が早い速度で流れていく。いつか行った遠足で、渓流のライン下りの船に乗ったのを思い出した。あの急流よりもこの雲の流れは早いんだろうかと漠然と考えていた。

「そうだ」

 僕は我に返り、ソウタに言った。

「電話しよう」

「あ、そうだね」

 ソウタはリュックを肩から下ろし、スマートフォンを取り出した。

「やっぱりさっきの電話、お母さんからだ」

 着信履歴に母親の名前が出ていたようだ。そう言ってちょっと気まずそうな顔をした。すぐに母親の番号にかけ直し、耳に当てた。

「あれ?」

 ソウタはスマートフォンの画面を見た。

「圏外だ」

 僕も自分のスマートフォンを取り出して確かめた。

「ホントだ。さっき電話かかってきたのにな」

「後ですごく怒られそう……」

 そんなソウタの肩を叩いて言った。

「さあ、行こう」

 二人並んで自転車をこぎながら、坂道をゆっくりと下り始めた。今度は安全運転だ。

「このまま坂を下りれば、バスの終点に着くのかな」

 ソウタの質問に答える術がなかったが、自分に言い聞かせるように言った。

「きっとそうだよ。おばあちゃんもそこに来る」

「うん、そうだね」

 そう考えたら、僕たちの気は軽くなった。おばあちゃんを見つけて、僕達も家に帰ろう。 

 自転車のタイヤが軽やかに回転する。ペダルから足を離して大きく広げ、僕達は笑いながら、長い長い坂道を下っていった。

 やがて道のずっと先の開けた場所に大きな白い建物が見えてきた。三角屋根の上には空を突き刺すように十字架が掲げられている。僕は嬉しくなった。

「あれじゃないか?」

「うん、そうかも」

 ソウタがそう答えた瞬間だった。

 突然、ガタガタッという大きな音とともに、右側の木々が裂けてワーゲンバスが飛び出してきた。

「うわっ!」

 車は僕の自転車の後ろをかすめ、道の反対側の茂みに突っ込んだ。衝突は危うく避けられたものの、思いがけない出現に僕達は肝を潰し、その場で凍りついた。

「やばい……」

 ワーゲンバスは車体の後ろにあるエンジンからモクモクと煙を巻き上げていた。オイルが焼けるようなキツい匂いがする。

 すぐにバックして茂みから抜け出し、車体を切り返して僕達に正対した。

「ソウタ、逃げるぞ」

「う、うん」

「それっ!」

 硬直していた僕は妙な掛け声を出した。僕達はいっせいに自転車をこぎ始めた。あの建物まで行けばきっと誰かいる。あそこまで逃げ切るんだ。

 猛スピードで山道を下り続け、やがて森は林になった。

「タ、タカシ! このままじゃ追いつかれるよ!」

 後ろを走るソウタが叫んだ。

「逃げ切れないならアイツを止めるしかない!」

「どうやって!?」

「罠を仕掛けるんだ!」

「罠!?」

「あの車に何かぶつけるんだ」

「何かって!?」

「わかんねえよ! なんかないか?」

 一瞬の沈黙の後、ソウタが叫んだ。

「自転車!」

「自転車!?」

「そう! 自転車を転がしとけば、あの車ぶつかって止まっちゃうよ!」

「よし! ソウタの自転車を罠にしよう!」

「ダメだよ! 買ってもらったばかりなんだ!」

 僕はソウタの即答に反論できなかった。

 ガタガタ振動するグリップを両手でギュッと握りしめた。この自転車といろんなとこに行ったけど、こんなところでサヨナラするなんて。お前のことは一生忘れないぜ。

「次のカーブ曲がったとこで俺の自転車を転がす!」

「ラジャー!」

 ラジャーってなんだよと思いながら後ろを振り返った僕の視線は、狂ったように追いかけてくるワーゲンバスを捉えた。砂煙とともに猛スピードで突き進んでくる。


 木立の向こうに左へ曲がるカーブが見えた。ソウタに目で合図した。

 曲がる瞬間、自転車を思いっきり内側に倒した。ザザザーッと大きな音と砂煙を上げながら、自転車は僕を乗せたまま横倒しになって滑って行った。グリップから手を離した僕は道の真ん中でゴロゴロ転がりながらも、足を踏ん張ってすぐに立ち上がった。

 ソウタは僕を追い越して、道の脇で待っていた。急いでソウタの元に走り寄った。

 自転車はうまい具合に道の真ん中に残された。後はカーブを曲がってくる敵がこの罠に引っ掛かるのを見届けるだけだ。

 ソウタが震える声で言った。

「上手くいくかな?」

「上手くいく!」

 敵の車はほとんどスピードを落とさずにカーブに差し掛かった。

 その直後、男の目は仕掛けられた自転車に気づいた。ギャギャギャッと激しくブレーキが唸った。ワーゲンバスの古い車体がぐにゃりと曲がったように見えた。それは横転しながら自転車のすぐ横をかすめて飛んで行った。一回転して木立に突っ込むと、一本の白樺に衝突してようやく止まった。


 僕達は言葉を失くし、呆然と立ち尽くしていた。

 強まる風が木々を揺らす。枝葉が擦れ合う音だけが世界を支配している。ワーゲンバスはじっとして動かない。

 恐る恐る足を踏み出し、僕達は男の様子を伺いに車に近づいていった。

 車の後ろから、プシューッと蒸気のような煙が出ている。エンジンは止まり、ワーゲンバスは息絶えているように見える。

 そっと近寄って、助手席側の窓から運転席を覗いた。そこにはハンドルに突っ伏した男の姿があった。

「うう……」

 男の呻き声が聞こえた。

「しばらくは動けそうにないな」

 ソウタにそう言った。

「うん、今のうちだね」

「うん、今のうちだ。逃げよう」

 お互いに頷き、僕達は自転車に向かって走った。

 僕の相棒はすんでのところで命拾いをしていた。自転車を起こしてまたがった。まだまだ長い付き合いになりそうだ。

「あの建物まで行くぞ!」

 僕達の視界には大きな白い建物が見えていた。

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