第4話 オオヘビのとぐろ

俺はこの森で一番大きくて一番強い大ヘビだ。どんなやつだってぱっくり一口で飲み込んじまうのが自慢さ。今日も木の上から森の連中を観察しているのさ。そろそろ腹も空いてきたし、どいつか食ってやろうと思う。さてさて、どいつかな。

「歳を取るといかん。しんどくていかん。何をしたわけでもないのにいつもどこかがイタイ、イタイ」

ぶつぶつと言いながら森の小道を一匹の白ヤギが歩いてきた。

「ヤギの爺さんか。こいつはここを通るたびに死にたいといっているな。しゃべることといえば文句ばかり。いい加減うんざりするぜ」

大ヘビのトグロは赤い舌を出して様子を伺っていた。

「昨日だって必死に探してありついた草といったら、硬くて不味くて、しかも少しだけ。ああ死にたい、死にたい」

タヌキがウサギを背負って通り過ぎて行った。

「ふん、まったく馬鹿な遊びをしおって」

「だいたいワシが年寄りだからといって皆して馬鹿にしくさって」

うろうろと歩いては食べ、歩いては食べしながら、ぶつぶつ文句を言っていた。

「わしだって若い頃は、トンガリ山の岩場をひょいひょいと渡っていったものさ」

「ああ死にたい。早く楽になりたい。神様、早く何とかしてください」

大ヘビのトグロは考えた。

「俺も歳を取ったら、あんな風に愚痴や文句ばかり言うようになるのかな。だったら嫌だなあ。俺は生きている者を食う。森の仲間の命を食っている。できれば食べたくないが、俺は俺のルールの中で生きていくしかないんだ。木の実しか食えない奴もいる。水の中でしか生きられない者もいる。俺のように生きている者を食って生きていかなければならない者もいる」

俺もいつか死ぬだろう。屍は鳥につつかれたり、虫に食われたりするのだろう。それはそれでいいのだ。それが自然のルールだからだ。

トグロは空を見上げた。高い空に大ワシが旋回している。奴も獲物を探しているのだろう。

あいつの所は子供が三羽生まれたばかりだという。自分の分だけではなく、子供の分も獲物を持っていかなければならない。それはウサギだったり、カエルだったり、ヘビだったりするだろう。もっとも大ヘビの俺は奴に捕まることはないだろうがね。

「ああ死にたい、死にたい。神様は何で願い事を聞いてくださらんのじゃ」

奴はいつも口癖のように死にたいと言っているが、本当に死にたいのだろうか。

いつも俺が食らう奴は死にたくない奴ばかりだった。

おれはそいつらを飲み込みながら、神様に感謝をしていた。今日も俺は俺が生きるために生きている者を食らいます。俺は俺のルールに従い、生きている者を食らいます。腹の中に入った奴らはしばらく暴れているが、五分もすれば皆大人しくなる。俺はルールを破らない。食べない者を殺さない。腹いっぱいになったら腹が減るまで絶対食べない。ちょっと質問してみようか。

白ヤギの前に音もなくトグロが現れた。

「ひぃぃぃぃぃ、大ヘビだあ」

白ヤギは恐怖で立ちすくんだ。

「おい、おまえ。いつも死にたいと言ってこの小道を通っているな」

「はい・・・・」

「そんなに死にたいなら食ろうてやろうか」

「死にたいと言っているが死にたくない」

やっとの思いで白ヤギが喉から搾り出すようにして言った。

「どういうつもりなのだ。この森で死にたい、死にたいと言って生きているのは、お前だけだぞ」

トグロが睨む。


「歳を取って、身体は思うように動かないし、節々は痛いし・・・それでつい愚痴を」

ヤギの爺さんは震えながら答えた。

「おれはお前が死にたいと言うなら、手助けしてやろうと思ったのだ」

「わたしはまだ生きていたい、お願いです食べないでください」

「ふん、ここの森の連中は小さな虫でさえ、がんばって生きている。そんな中でお前だけが、いつもいつも死にたいと言っている。俺は生きるためにこの森の連中の命を奪っている。そのことは悪いとは思わん。それは俺の決まりごとだからだ。ただ、死んでいく者は死にたい者の方が良いかとも思う」

「あわわわ、もう二度と死にたいとは言いません。命ばかりはお助けを」

トグロは食う者に対して、こんなことを話したのは初めてだった。いつもなら静かに近づいて、パクッとやってしまうことが決まりだった。何故かというと、いちいち食べていいか確認していたら、食べるものが無くなってしまうからだ。誰にでも平等に訪れる死に選択肢はないのだ。白やぎの弁明を聞いてしまったため、食べられなくなってしまったことをトグロは少し後悔していた。

「しかたがないか・・・」そういうとトグロは森の木にスルスルと登っていった。

「しかし、俺も充分空腹だ。次の獲物はパクッといっちまおう」

トグロは木の枝の上から、森の小道を通る獣たちを眺めていた。小さい者を何度も食べるより、大物を一度だけ食べてしばらくのんびりするのも悪くないな。

ふと空を見上げると大ワシが旋回している。

奴め、まだ獲物を探しているのか。

ざわざわの森に雨が降り出した。小さい動物や虫たちは雨に当ると痛いので、それぞれ近くの木の枝や石の下などに隠れて、雨が止むのを待っていた。森アオガエルは久しぶりの雨に喜び喉を鳴らしていた。

「げろげろげーろげろ」

森の空気も湿ってきて、カエルの肌もいい感じに潤ってきた。今日なんだか気分がいい。

ふと背中に気配を感じて振り返ると、大ヘビがいた。

「しまった、油断した」

もう駄目だと思って目を硬く閉じた。

「あれっ、どうしたのかな」

森アオガエルはそっと目を開けた。

「お前は死にたくないのか」

トグロが聞いている。

「死にたくありません。もっともっと長生きしたいです」

「ふん、強欲なことだ」

トグロが赤く長い舌をペロリと出して言った。

「あなたには分からないですよ。私のような小さく弱き者は、いつ何かによって死をもたらせられるか怯えてビクビクと生きているのです」

トグロに自分を食べる意思が無いことが分かると、森アオガエルは冗長にしゃべり出した。

「あなたはこの森で一番強いから怖いものなど無いでしょう」

森アオガエルは今度はおだて始めた。

「ふむ、誰かに命を狙われることは考えたことも無いな」

トグロはぞんざいに答えた。

「あなたと互角に戦えるのはとんがり山のクマのゴンゾウぐらいでしょう」

互角に戦えると聞いてトグロはカチンと来た。

「ふん、ゴンゾウなど恐れるに足りぬわ」

「さすが、トグロ様。やはりこの森の一番はトグロ様で決まりですね」

森アオガエルがもみ手でトグロに言った。

「お前の言い残すことはそれだけか」

トグロがお月様のように丸く黄色い目玉で、森アオガエルを睨んだ。

「うおっおお、やはり食べるつもりなのかい」


森アオガエルは枝から必死に飛び出した。間一髪でトグロの餌食にならないで済んだ。雨の降った、森の小道を泥だらけになりながら

逃げて行った。立ち止まったり、振り返ったらその時は死ぬ時だ。心臓が喉から飛び出そうになりながら、森アオガエルは森の中に消えて行った。

「調子の良いこといいやがって。いくら俺が大ヘビだってクマを飲み込めるはずが無かろう」

トグロは雨の降りが強くなり、誰も通らなくなった森の小道を眺めながら思った。

トグロが少し眠ると、近くの木の枝でピーチクパーチクとうるさい鳥が騒いでいた。

「お前は何が楽しくて生きているのだ」

眠っていると思っていたトグロが急に話しかけたものだから、ルリカケスは大いに驚いた。

しかし、トグロとの距離がある程度あることで、少し落ち着いてトグロの質問に答えることにした。

「私はこの私の綺麗な羽を皆に見せびらかすのが目的で生きているのよ」

そういうと、ルリカケスは羽をさっと広げてみせた。

「確かにお前の羽根は美しい。皆も羨むだろう」

「そうよ、だから一日三回の水浴びと、毛づくろいは欠かしたことはありませんのよ」

ルリカケスは自慢げに答えた。

「森の南に羽根の艶に良いという木の実があれば飛んでいくし、トンガリ山の中腹に出る湧き水が良いと聞けば飛んでいくわ」

「だから私がこの森で一番美しい羽根を持っているのよ。ちっとやそっとではこの羽根の美しさは保てないのですよ」

自慢をひとしきり終えると、ルリカケスは西の空に向けて舞い上がった。

「自分のことだけ考えて生きるというのも、良いかもしれないな。あまり生き方に迷いが生じなくて済む。もっとシンプルに生きていければ実は苦労しなくて済むのかもしれないな」

トグロはいよいよ腹が減ってきたので、誰かを食べなくてはならなかった。

「やはり、いちいち食べてよいかとか、何のために生きているのだとか聞かないほうが良いな。そんなことをしていたら飢え死にしてしまう。それは不味い。大ヘビのトグロが考えすぎて食えなくなって飢え死になんて笑えないな」

雨が上がった森の小道を誰かがやってきた。

「死にたい、死にたい、雨が降って体が冷えた。さっきは大ヘビに食べられそうになるし、ついてない。死にたい、死にたい」

さっきあった白ヤギの爺さんだった。

「あいつめ、死にたいなんて言わないと言っていたのに、相変わらずだな。その場しのぎで言い逃れの為に言ったのか。そいつはゆるせんな。このトグロを愚弄する行為だぞ」

白ヤギがぶつぶつ言いながら通り過ぎようとしたとき、木の上からトグロが襲い掛かった。

「あっああああ」

白ヤギの身体を半分飲み込むと、白ヤギは鳴きながら命乞いをした。

「ごめんなさい、ごめんなさい。生かされていることに感謝しないでごめんなさい。死にたいといってごめんなさい」

白ヤギの言葉に戸惑うことなく、トグロは飲み込み続けた。

「死は全ての者に平等に」

白ヤギを完全に飲み込み、腹の中で動かなくなったことを確認すると、トグロは目をつぶりイビキをかき始めた。

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童話を書いてみた @kawasakiz900rs

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