年賀状のマナーを知らずにいると

かつて若い女性に年賀状マナーの心得がなかった事で、お互いの気持ちに行き違いが生じ、交流が終わりそうになった、というテレビ放送がありました。


学校のバス旅行で知り合った運転手さんと女生徒の話です。

彼女は、優しく接してくれる高齢の運転手さんと別れるのが寂しくて住所を交換します。

毎年お互い年賀状を書き、元気でいる報告をしていました。

何年かして彼からの年賀状に「今年を区切りにしましょう」と書かれていてびっくり。「病気で辛いのかもしれない」と心配し、遠路、番組出演者と一緒に彼を訪ねていきます。

ところが彼は元気。ではどうして?

「彼女の年賀状は、毎年お正月を過ぎた6日ぐらいに届くので、てっきり私の年賀状が迷惑になっているんじゃないかと思っていた」と言います。


彼女は自分を振り返る良い機会になったでしょう。


冠婚葬祭と同様、手紙にも一定のマナーに縛られます。ここでは、年賀状の投函日のマナーについてでしたが、言葉遣いのマナーが煩わしいものです。

それでも、敬語は、相手へ気配りする心を育てていると思えます。


小学校から大学まで、作文は学習しても、改まった言葉遣いで相手に語りかける実践的な“手紙を書く”学習はありません。


社会人になれば、年上の人と交流せざるを得ません。

仕事のメールに手紙同様のルールや文の組み立て方が必要になり、文章も丁寧な言葉を選ばなければならない事は、誰もが先刻承知のはず。


煩わしい敬語ですが、もとはと言えば、お互い不愉快にならず快く円滑にコミュニケーションするための、世間で共有する心遣いの技です。

自己中心の言葉遣いに気づき、社会人になってからの人間関係づくりを、巧みにこなしていくことにもつながります。


言葉遣いは態度と連動し相手へ与える印象に影響します。易きに流れれば知らぬ間に他者とは雑な対応へと堕ちていきます。


そうであるなら社会人になる前、手紙を書いたり敬語を使って話す機会が必要な気がします。

残念なことに、人間は50歳や60歳になったからといって、自動的に人間性まで立派になるものではありません。

若い人には申し訳ありませんが、手本になる大人には巡り会えないものです。

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昭和サラリーマンの妻が書いた50の手紙『ご無沙汰しています お元気ですか』 kokekko @kokekko

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