第49話宵闇の美学(11)

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 肉屋が解体屋のもとに運び込まれてから三日が経った。

 解体屋の経営する個人病院——診療所と言ったほうがいいか——そこに担ぎ込まれて、三日間丸々と眠り続けた。診療所は小さなつくりの割に、内装はしっかりとしていて、肉屋の眠るベッドも三桁万円はくだらない高性能を有していた。なんでも解体屋の古い伝手を使って仕入れたものらしかった。肉屋が眠り続けている間、妹である花屋は彼に付きっきりだった。普段年中無休で開けている店はここ三日ずっとシャッターが閉まり通している。生存している唯一の肉親だ。肉屋まで失ってしまったら彼女は天涯孤独になってしまう。

 幼い頃の記憶が蘇る。両親を事故(事件)で亡くしたあの日——あの日から肉屋が両親の代わりとなって幼い花屋を育ててきた。完璧とは言えないまでも、義務教育を受け、高校まで通わせた。何かあるたびに助け合ってここまでやってきたのだ。大切な兄にここで死んでほしくない。もっと一緒に過ごしていたい。普通な考えであるが、異常な世界を生きる花屋にもそんな普通な考えはあった。

 周りで甲斐甲斐しく世話をする花屋たちをよそに眠り続けている肉屋の心拍はいたって正常だった。峠はとうに超えている。危険だったのは一日目だった。全身の皮膚が爛れ筋肉が爆炎によって損壊するほどのダメージを負っていたのだから仕方ない。解体屋曰く、三度熱傷を上回っていたそうで、それが逆に功を奏したらしい。三度熱傷まで到達すると、人間の皮膚は壊死し、痛覚が失われる。その影響が好転し、彼はあの場を立ち去ることが出来たのだった。しかし、爆炎に巻き込まれ家屋が倒壊した際に木片が体のいたるところに突き刺さっていた。怪我の具合はそちらのほうがひどいくらいだった。けれども元より肉屋の体は頑丈だった。並みの人間では考えられないほどに。解体屋は眠り続ける肉屋に「いつか解剖させてほしい」といつものように軽口をたたいていた。

 それにしても、と解体屋は考える。肉屋が着ていた喫茶店の制服というのは彼の注文で特製になっていて、防炎性の極度に高いものになっている。現場の確認をしてきた葬儀屋たちからの情報によれば、家屋の倒壊具合から見ても、彼が巻き込まれた火災(人災、妖災)はせいぜい摂氏一千度ほどであるだろうし、彼の制服は消防隊員が身に着ける防火服と同等で一千二百度ほどなら耐えられるはずだった。さらに付け加えるならば、彼の制服は防火服が耐えうる時間の三倍は耐えられる。だというのに、静かに眠る肉屋は全身に大火傷を負ってしまった。

(やはり”人為的”ではねえわなあ)

 とうに寂しくなった頭をさする。表の顔で火傷を負った患者を診てきたこともあったが、ここまで酷い者はいなかった。まるで全身に榴弾グレネードを受けたような傷。

「起きて本人に聞いてみねえとわからねえわな」

 解体屋が誰にともなく呟いた。

 

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 葬儀屋が見舞いの品を持って的屋、情報屋と合流する。診療所まで的屋の車で向かうのだ。そうする予定を見越していたように的屋と合流する予定だった新宿の花園神社前で情報屋が待っていた。

「やっと来た」心底待ちくたびれたように情報屋が言った。

「なぜおまえがここにいる」

「見舞い行くんでしょ? 僕も行くっすよ。ほんでもって情報持ってきました」

「何か分かったのか」

「ええまあ、わかったって言っても名前と顔、飛び飛びになってしまうけどカッシェと一太刀の経歴くらいですけどね」

 情報屋が大きく伸びをしたところに的屋の運転するモーガンがやってきた。

「なんだ、また三人で乗る気かよ。だったらほかのにすりゃよかったぜ」

 的屋がそう言って吸っていた煙草を灰皿に押し当てた。

「お構いなくー、僕小さいから問題ないっすよ」

 ニコニコとしてそそくさと情報屋が助手席と運転席の間に座る。

「そういう問題じゃねえ。捕まんのは俺なんだよ」

 的屋がごつ、と情報屋の頭を一度殴った。

「いった! なんなんですか! この乗り方まずいんですか? どこが? あ、なるほど、ギアチェンジするときに僕の股間を触るかのごとく運転しなきゃいけないところか」

 ぎろりと的屋がにらんだ。

「じょ、冗談です冗談。そんな睨まないでよ。葬儀屋さんからもなんか言ってよ! 僕殺されちゃう」葬儀屋に縋り付くようにして情報屋が言った。

「屋号会は無駄な殺生はしない」葬儀屋が少しだけ口角を上げた。

「そういうことじゃない! もう、わかりましたよ、降ります、降りればいいんでしょ。なんなんだ全く。僕のおかげで楽ぅに仕事が出来てるっつうのに、冷たいなあ」

 降りようとした情報屋を制して、葬儀屋が持っていた見舞いの品——果物の詰め合わせを情報屋に持たせた。

「的屋、そのまま行ってくれ」

「お前はどうする? またここに迎えに来るのはめんどくせえ」

「久々に運動するよ。何、そんなに遠くない。車よりは遅いだろうが、呆れるほど遅れるわけでもないだろう」

「さいですか。じゃあまあ、先行ってるわ」

「え、的屋さんと二人? マジで?」

「降りてもいいんだぜ? お前が走ればいいだけだ」

「無理無理無理無理! 僕が運動できないの知ってるでしょ!」

 情報屋が頭を思い切り振って岩のように助手席に深く座りなおした。

 ぐだぐだと実は喘息持ちだとか、体があんたらとは違って繊細だとか、そんなことを延々と話す情報屋に「うるせえ」と一言言ったのち、「じゃあ、先行ってるぜ」と目くばせをして、葬儀屋が頷いたのを見て、的屋はアクセルを踏み込んだ。新宿の街をモーガンがけたたましい音を立てて走っていく。ふらふらと左手を振っていたのが見えた。ゆるやかなカーブの向こう、ビル群の向こう側に姿が消えていった彼らを見て、葬儀屋も進むことにした。

 一歩前に出し、また一歩、少しずつその速度が速まっていく。そして跳躍した。その動きはさながら忍者のようで、彼が常人から並外れていることがよくわかる。一つめのビルから前方にあるビルへ跳躍する。

 まだ大学生だったころを思い出す。今は亡き坂口とともに夜の街をこうやって飛び回っていた。そんなことを思い出したからだろうか。前方のビルの屋上に、人影があって、その人影は、坂口のように見えた。目を見開く。よく似ている。けれどもあいつは死んだ。ここにいるわけがない。

 他人の空似か。気にせず着地をしようとしたとき、そいつが笑ったように見えた。着地した瞬間。だつ、と腰を抱きしめられた。

「つうかまえた」

 にふふ、とそいつは笑った。瞬間的に見たその顔は確かに坂口の顔だったけれども、声がまるで違った。そしてその声はよく覚えている。全身の血が沸騰していく。怒りがくまなく葬儀屋の体を支配していく。こいつは殺さなくてはならない。葬儀屋の目に殺意が宿る。

「待って待って! 別にボクは殺し合いをしたくてここに来たわけじゃないんだよぉ」

 葬儀屋の腕がしなってそいつの首元めがけて伸びた。手刀を叩きつける。それをするりと躱してそいつは葬儀屋の後ろへ回った。がばりと振り向くと、そいつはもう坂口の姿をしていなかった。

 少女と言えば少女のようで、少年と言えば少年のような、いずれにしてもまだあどけなく幼さの残る姿をした、化け物。

「……万屋」奥歯をかみしめていった。

「死んだとは思っていなかったが、ずいぶんと五体満足そうだな」

「まあね、健康だけがボクの取柄だから」にふふと笑う。

「それにしてもひどくない? ボクはただお話がしたかっただけなのにいきなり襲い掛かってくることある? 普通は抱きしめられたら『おい、なにすんだよ、どきっとするだろ』とか優しく言うもんじゃないの?」

 頬を膨らませた。

「ちょっとー、シカトは寂しいんですけどー。あ、そっか、ボクが掃除屋さんに化けてたのがむかついちゃったの? ごめんね、喜ぶと思ったんだ」

 こいつはどこまで神経を逆なですれば気が済むのだ。

「過ぎたことは過ぎたこと、覆水盆に返らず、なんだっけ、英語で言うとミルクがなんちゃらかんちゃら。それはさておき、肉屋さん元気?」

「元気には程遠いが、生きている。お前らは殺し損ねたな」

「そっかそっか、ならよかった。ボクとしても不本意だったんだー。確かに誰か殺してもいいかもなーと思っていたけど、よくよく考えたら大切な親友を殺されたって日和っているような葬儀屋さんが、また誰かひとり仲間を殺されたってこちらに出向いてくるようなことはないかもなあ、って考え直したんだ」ニコニコと万屋は話し続ける。

「そこらへんの伝達がうまく行かなくてさあ。カッシェってば携帯電話持ってるのにほとんど使わないから。ひどくない? ラインとかちょー便利なのに見てくれないし、たまに見ても返事はいっつも短いし。一応と思って付かせた一太刀も全然ライン見てくれないし。そしたら二人仲良く電話してたんだって。ボクのラインより電話ですよ、ひどい話」

 万屋が眉間にしわを寄せた。

「でもよかったよかった。生きているんだね? だったら今回に限って言えば怨恨はないね。ある? あるならあるでも構わないんだけど、要は肉屋さんが生きているなら問題ないよ。ボクらが全力で戦争したら面白そうだなあと思ったんだよね。化け物対化け物——殺し屋対殺し屋。片方はその世界じゃ名前を知らないものはいない完璧な殺し屋集団。そしてそれと組み合うのはボクたち人ならざる集団。にふふ、どうどう? 面白そうじゃない?」

「面白いだのつまらないだの、そんなことに興味はない」

「まあでも、結局殺しあうんだから面白いほうがいいでしょ? 葬儀屋さんはボクを殺したい。ボクは葬儀屋さんに殺されたい——あ、今はダメね。全力でやりあって殺されたいんだ。命をかけて戦って、それでやられる分には最高に幸せだけれど、こないだみたいな不意打ちはちょっと嫌だなあ。あれはあれでよかったけど、やっぱりちゃんとやりたいな、って思うんだ」

 というわけで、と万屋は手を叩いた。葬儀屋の息が止まる。

「来る年明け一月一日。その日に殺し合おうよ。一年の計は元旦にあり——っていうんでしょう? その日まで百鬼夜行組合は静かにしておくから、準備しておいてね。場所はまた追って連絡するよ。大丈夫、来なかったらちゃんと迎えに行くから」

 にふふ、と笑った。

 と手を振って万屋は飛んでいく。追いかけたかったが、葬儀屋は息が詰まって、胸が苦しくて、飛んで行った万屋の姿を追いかけられなかった。視線が飛び立つ前に万屋の顔があった場所から動かない。声が声にならなかった。開いた口は言葉を話そうと動くけれど、ついて出てきてくれなかった。もう五年も経つというのに、いまだに心に根強く残っている。勇者にしか抜けないその痛みの切っ先は葬儀屋には抜けそうもない。

 万屋が最後に化けたあの姿は——

「三浦……先輩……」

 どうにか振り絞って出た声は、葬儀屋の鼓膜を揺らして五年前へと意識を引きずりこんでいく。

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彼方の終に鎮魂歌を 久環紫久 @sozaisanzx

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