後日談 臆病な彼
ああ、今、ここにクリスがいる。
あれから――大知が目覚めて半年以上経った今も、そんな風に思うことがあった。
大知との関係は未だに宙に浮いている。
ユウキの認識としては、クリスは恋人だった。だけど大知をそう呼んでいいのかどうかわからないのだ。
(だ、だって、一緒に物語を作ろうって言われただけだし、つきあうとかつきあわないとか、そういう話は全くしていないし)
あちらの世界で命がけの恋をした人。だから、この現実でも彼はユウキにとって大事な存在だ。恋は継続しているのだ。
……だけど、そう思っているのは自分だけだったら? 自分だけが恋に舞い上がっているのでは? そう思うと怖くて仕方がない。
入院中にずっと見舞いに行って、彼と《御伽噺を翔ける魔女》の続きを考えた。ルーカスや王妃様、ロシェルに、フリッツ王子、本物のオフィーリアやユーリアたちの物語。ああでもない、こうでもないと議論をして、たくさんの可能性を考えた。
たとえば、オフィーリアがラプンツェルで、フリッツ王子が彼女を塔にかくまっているなんてどうかな、とユウキが言うと、いやおれが塔にユウキを隠していたことがあるから、ユウキがラプンツェルだと大知が言ったり。
そんな話をしているとき、ユウキはあの世界に入り込んでいるような気持ちになる。不思議な感覚だった。
《御伽噺を翔ける魔女》の続きはいくら考えても終わらなくて――いや、いつまでもこの時間が終わらなければいいと思っているからかもしれない――退院後も時間を見つけては大知とユウキは会っている。
物語の作成以外にも、映画を見たり、食事をしたり。一見デートのように見えるかもしれないけれど(ユウキの母などはデートだと信じ込んでいるけれど)、この関係に未だ名前はない。
春が来てユウキは高校三年生になった。受験生だ。
そして大知はリハビリを経て、休学していた大学に再び通い出すことになった。現在大学一年生。
学年では一年違いだけれど、それでもこの一年の差はとても大きい。進路の決まった者と決まっていない者。同じ時を過ごすのは難しいはず。
だけど、大知はユウキより年上の余裕なのか、ユウキにずいぶんと合わせてくれている。
紙をめくる音、かすかな足音が響いている、図書館の自習エリア。休日のそこは、大学や高校の試験前だと満席だが、新学期が始まったばかりの今はまだ空いていた。
大知は机を挟んで向かい合って座っている。模試が近いユウキの勉強につきあってくれているのだ。
長いまつげが伏し目がちの目元に影を落としている。
クリスはとてもきれいな男の子だったけれど、大知もずいぶん整った顔立ちをしている。黒い髪はさらさら。眉はきりりときれいな形。目はクリスより切れ長で、しっかりした鼻が精悍な印象。そして唇は――
「ほら、ぼうっとしない。模試で結果出したいだろ?」
小声で注意されてユウキははっとする。見とれてしまっていたことに気づかれたかと思うと頬が熱くなる。ごまかすように問いかける。
「だ、大知は何を読んでるの」
名前で呼ぶようになったのはいつだったか。彼が最初からユウキと呼んでいたので、いつの間にかユウキの方もそう呼ぶようになってしまった。
彼は手元のコピー用紙を掲げた。縦書きの文章がびっしり印刷されている。
「文芸部の奴が書いた小説」
「文芸部……大知も入ってるんだっけ。自分では書かないの?」
「ああ。おれ、やっぱり編集やりたいから、読む専門」
そんな会話をしていると思い出してしまう。ユウキが物語を紡ぎ、彼がそれを本としてまとめた、あの出来事を。
時間が経つにつれ、あの冒険が夢だったように思うこともある。
それがさみしくて泣きたくなることもあった。なんだかクリスまでもが、いなくなるような気がして。
だけど……。
いつの間にか、大知が心配そうな顔でユウキを見つめている。心の中にまでも手を伸ばしてくれるような、真摯で優しいまなざしにユウキは覚えがあった。
ああ、クリスが、ここにいる。ちゃんと、いる。
安心すると同時に、彼の瞳に潜んでいる陰にぎくりとする。彼を、クリスを、探したことに気がつかれたような気がした。
「ユウキは」
何を問われるのだろう、少し構えたユウキに大知は言った。
「書かないの?」
「え」
意外な質問だった。
「小説。向いてると思うけど」
「……考えたこともなかった」
「そうなの? お母さん、小説家なのに?」
「だからこそ、だよ」
「そっか。それで物語を嫌ってたくらいだもんな。でも今は?」
「……」
心の中をのぞき込む。大知に蒔かれた種が、みるみる根付いて芽を出した。
クリスと旅したあの世界のことを綴ったように、これからも新しい物語を紡いでみたい、そんな欲求が急激に膨れあがったのだ。
あり、かもしれない。
「小説家になるためには、やっぱり文学部に行った方がいいのかな?」
「そうとは限らないかも。書きたいジャンルで専攻変わってくると思うし。だけど小説書くって決めてるなら一番の近道だろうな。っていうかお母さんに聞いてみろよ、その立場を生かさないのもったいない」
大知は笑う。その目にはもう陰がなくてユウキはほっとした。
日が暮れて、閉館の時間となる。ユウキと大知は図書館を出て歩き始める。
大知の家は病院の近くなのかと思っていたけれど、少し離れたところにあるのだそうだ。聞いたら高級住宅地。真山先生はぜひ遊びに来てくれと言ってくれたけれど、どんな顔をして訪問すればいいのかわからず、未だにお邪魔したことはなかった。
大知はいつもユウキを当たり前のように家まで送ってくれる。あまりに自然でスマートなので、これは王子様の血なのかも? などと考えてしまって自分にあきれる。そんなわけ、ないのに。
隣を歩いていると夕日が二人の影を浮かび上がらせる。その影の手と手が時折重なるのを見て、手をつなぎたいな、とユウキは唐突に思った。
クリスとしたことを大知とはしていない。手をつなぐことも、ハグも、そしてキスはユウキから一度だけ。
(だからといって、自分からは求められないし……っていうか恋人かどうかもわかんないのに!)
ユウキは頭に浮かんだ考えに真っ赤になる。
(ああああ、こんなこと考えてるとか知られたら、恥ずかしくて死ねそう!)
妄想を振り払おうと頭を振ったときだった。大知の手が、ユウキの手に触れた。
どきりとして引っ込めようかと思ったとき、大知は素早く手を握った。
そして一瞬のためらいの後、指と指が絡まる。全身の血が煮立ってくる。
(これは、このつなぎかたは……)
単なる友達や知り合いだったら、きっとこんなつなぎかたはしないと思った。
ユウキが確かめるように大知の顔を見ると、彼は不安そうにユウキを見つめていた。
「手……このままつないでていい?」
うなずくと、彼はほっとしたような顔をした。
しばらくそのまま黙って歩く。
「おれ、さ」
互いの手の体温が溶け合った頃、大知が切り出した。
「自信なくて。ユウキが好きなのって……クリスだろ。おれじゃない、って思うと……っていうかこういうこと考えてるおれがまずクリスらしくないって言うか……」
大知は焦ったように空いている方の手で頭をかいた。
「おれ、ユウキの好きなあいつでいないといけないって、あいつならどうするだろって考えているうちに自分がどんな人間なのかだんだんわかんなくなってきて……って、何言ってんだろ、……ごめん。忘れて」
そのまま口元を覆うと、指が離れる気配がした。
「待って」
ユウキは慌てる。今、大知はなんと言った?
(わたしが好きなのはクリスで、大知じゃない?)
ひどい誤解が横たわっていることに気がついて、そう誤解させたのが自分だと気がついて、ユウキは焦った。
「わたしが好きなのは、クリスだけじゃないよ!」
「え?」
「っていうか、それを言うなら、クリスはわたしのこと好きでいてくれたかもしれないけど、大知はわたしのこと好きかどうかわからなかったから……だから……えっと、あの、わたし」
なんて言えばいいかわからなくなって混乱する。もしかして、二人、同じようなことで悩んでいた?
「わたし?」
大知が待っている。ユウキの言葉を。
失敗したな、とユウキは思った。この言葉はもっと早くに、ユウキから言わないとだめだったのだ。彼から言われるのを待っていては、だめだったのだ。
だって彼は怯えていたではないか。目覚めたときに、言ったではないか。現実の俺は、多分君の思っているような男じゃない、と。
「クリスのこと本当に好きだったよ。だけど、わたしのことを尊重して臆病になってしまう大知のことも……好き。クリスも大知も、どっちも好きなんだよ」
恥ずかしくて顔は見れなかった。代わりに握った手に力を入れると、ぎゅっと握りかえされる。急激に照れが全身を覆う。手がひどい汗をかいている。拭いたくなったけれど、大知は離してくれなかった。
「手、いや?」
不安そうな声が聞こえてユウキは首を横に振る。本当に臆病な人だ。だけどそうさせたのはユウキだった。
「ううん。手つなげて、うれしい」
「よかった。いやがるんじゃないかって思って」
「……今更」
なんだか物足りなさが湧き上がったからか、口が勝手に恨みがましいことを言いかけて、
(えっ、今のなんだか催促しているみたいじゃない?)
ユウキは赤くなった。
取り消したくなったけれど、大知には意味するところが正確に伝わってしまっていたようだ。
「だから、あれは……あいつはおれの思い切りのいい部分っていうか」
つまり大知は思い切りが良くない。手をつなぐのに半年かかったことを思い、先を憂いたユウキの手を大知は引っ張る。脇道に入ったところで、唇にほんの一瞬柔らかいものが触れる。
「好きだ」
驚いて見上げると大知の真剣なまなざしとぶつかった。だが彼は、すぐに口元を覆って耳まで真っ赤になった。
その一連の表情に既視感があって、ユウキは思わず笑ってしまう。
十五歳のクリスが、十七歳のユウキを守りたくて背伸びをして届かなくて。
二十歳の大知が、クリスに追いつきたくて背伸びをして届かなくて。己を恥じている表情。
「大知さ、クリスと自分が全然違うって思ってるかもしれないけど……わたしから見ると、びっくりするくらいおんなじだよ」
どちらも同じように愛おしいと思った。
きっとこんなふうにクリスは大知に溶けていくのだろう。
疑いもなく思えてユウキは心からほっとしたのだった。
御伽噺を翔ける魔女 山本 風碧 @greenapple
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