第21話 夢幻
気がつくと、そこには一面の雪景色が広がっていた。確か今は4月、明らかにおかしい光景だ。
しかし、そんな違和感を掻き消すほどの絶景を前に、自然と興奮が湧き上がる。サラサラのパウダースノー、開けた草原と思しき空間、背の低い木々にも美しい雪化粧が施されている。
「きれい……」
思わずそう呟く優花。そして降り積もった新雪の感触を確かめようと一歩を踏み出すと足は雪の中に深く沈んだ。その感覚が気持ちよくて、優花はさらに一歩、そしてもう一歩とどんどん歩を進める。踏み出すたびに、足は徐々に深く雪に埋もれていく。
「なに……これ」
優花が異変に気付いた時には、もう遅かった。すでに歩かずとも身体は徐々に雪に沈んでいく。
「誰か……助けて……」
雪に沈むたびに、優花は不安を感じた。雪の冷たさではない寒気を感じた。言い知れない恐怖を感じた。
私はこのまま沈んでいくのだろうか––
ぉぃ……おい……
どこかで声が聞こえる。私を呼んでいるのだろう。そんな大声を出さなくても、今すぐ行くというのに……
「おい!」
その焦燥がこもった声に、優花ははっと目を覚ました。見るとそこには、自分の顔を覗き込む景と早苗の姿があった。目を開けた優花を見て景はホッとした様子だ。しかし早苗はというと、優花が目を覚ましたことに安心したのか、その愛らしい目から大粒の涙を流し始めた。
「ゆうかぁ……無事で……ぐすっ、良かったよぉ……」
「ごめんね、早苗ちゃん。心配かけちゃったみたいで」
優花はそんな早苗を、姉のように優しく抱きしめた。まだ記憶があまりハッキリしていないため何がどうなっているのか分からないが、どうやら2人を心配させてしまったらしい。
そう思った優花は、景の方を向いて、
「片霧さんにも、ご心配をおかけしたようで申し訳ありません……」
そう言って頭を下げた。景はそれを見て、
「気にするな……と言いたいところだが」
いつもみたく素っ気のない返事を返すかと思いきや、
「正直、少し焦った。原因は霊力の過度な消費のようだが……同じ症状で倒れた橘も10分ほどで目を覚ましたからな」
そう言われて優花は服のポケットから携帯を取り出した。液晶画面には15:52の文字。どうやら優花は1時間以上眠りについていたらしい。
「私、そんなに眠って……本当にごめんなさい。なんとお詫びすれば良いか……」
「もう済んだことだ。それよりも身体は大丈夫か?何か変わったことはないか?」
「はい、特には……」
景の言葉に、優花は一瞬夢の話をしようかと思った。しかし、どうもぼんやりした夢で優花自身ちゃんとした内容を覚えていない。別にただの夢だろうと、優花は結論付けることにした。
「そうか、なら良い。まあ、今回のことに関しては俺より橘に礼を言ってやれ。起きないお前にいろいろ看病してやっていたからな」
「そうなんだ……ありがとう、早苗ちゃん」
「べ、別にお礼を言われるようなことはしてないわよ……」
景の言葉を聞いて、優花は驚きと嬉しさを感じた。泣き腫らした早苗は、優花の感謝が恥ずかしいらしい。目だけでなく頬も赤くなっている。
「まあとりあえず、危なっかしいが今日のところは合格だ。二人ともいいチームワークだった」
「あ、ありがとうございます」
「まあ当然ね」
景の賞賛の言葉に、フラフラながらも立ち上がった優花は丁寧にお礼を言い、目元を拭った早苗はまた上から目線な言葉を発する。
それぞれの対応に苦笑いをこぼした景は、いつも通りの平坦な口調で、
「じゃあ、帰るか」
そう提案したのだった。
× × × × × × × × × × × ×
「それにしてもあの悪霊かなり強かったね。一撃くらってたら重症だったよ」
「そうね、正直ギリギリだったわ。あなたのアシストがなければ勝てなかった」
「いやいやそんな、私なんかより早苗ちゃんの方が……ってそう言えば、最後ってどうやって倒したの? 速すぎて目が追いつかなかったんだけど……」
「それは俺も少し気になるな。あの力はどこから来ているんだ?」
「あぁ、あれね……」
帰る道中、早苗との会話の中で、優花は気になっていたことを思い出した。最後のあの一撃、あれによって悪霊が消滅したように見えたが、一体何だったのか?
どうやら景も興味を持ったらしい。優花に続いて早苗に問いかける。
早苗は少し躊躇った後、ぎこちなく話し始めた。
「まず、私の器についてなんだけど、一つはこれ」
少し足を早め、二人の前に出た早苗は振り返り、自分のつま先で地面にトントンと叩いた。
優花が音の方を見ると、そこには当然だが早苗のつま先がある。しかし注目するべきなのは早苗の靴だった。一見普通の運動靴のようだったが、少し違う。どうやら陰陽術による加護が施されているようだった。
「この靴は、霊力を与えることでびっくりするくらいの脚力を得られるって代物なの。最初に悪霊を蹴飛ばせたのはこのおかげね」
なるほど、確かにそれならあの動きにも納得がいく。
だとしても、それを扱いこなせるだけの技術がある早苗は、やはり凄い。
優花はそう思い、早苗の努力に素直に感心した。
「そしてもう一つ。それがこれね」
優花が密かに感心していると、早苗はさらに何かを懐から取り出した。
それはどうやら手袋のようだ。革製の、黒いその手袋の甲の部分には、何やら幾何学模様が描かれている。
「これは私の二つ目の器。これはさっきの靴の手袋版ね。霊力を流すと強靭な腕力を手に入れることができる。私は二つを併用して、あの悪霊を倒したってわけ。……まあ、流石に消費霊力に耐えられなかったんだけど」
「だからあの時私に足止めを要求したんだ。手袋をつけるために」
「そういうことね。最初から付けてるとすぐ倒れちゃうから」
最後に自虐気味にそう付け足した早苗だったが、それは並大抵の技術ではない。普通の陰陽師なら二つの器を併用しようとした途端に気絶するだろう。
このことからも、早苗がいかに努力しているかが伝わってきた。
「流石は灯篭寺の娘。格闘術に関してはずば抜けているようだな」
「……あなた陰陽師でもないのに物知りね。まああってるけど」
景の言う通り、橘家が統べる灯篭寺一門は主に格闘術を主軸とした戦闘方法を磨く。そのため、早苗は素手で戦うことに慣れているのだ。
「……そういえば、優花の器ってまだ見てないわね。どんなやつなの?」
早苗は、ふと思いついたかのように質問を投げかけた。優花はギクッとした後、先ほどの早苗よりぎこちなく、言葉を紡ぐ。
「じ、実は……」
× × × × × × × × × × × × ×
「そんなことがあったのね……」
「それはさぞ辛かっただろう」
「はい……す、すみません。こんな話をしてしまって」
その後優花は、薄く夕日の差し込む森を歩きながら二人に全て話した。母親はすでに死んでいること、自分の器は母親の形見であること、その器を未だ見たことがないこと、木箱の蓋を開けるのが怖いこと。
優花はポケットから器の入った木箱を取り出し、それを見つめながら言う。
「でも私は、一歩踏み出さなきゃ行けない。前に進まないといけない。多分父も、そのためにこれを私に託してくれたんだと思います。私は、もっと強くなりたいんです。家族に胸を張れるように」
優花の少し思い詰め過ぎとも思われるその発言に、景と早苗は何も否定的なことは言わなかった。2人は優花の心中を察し、応援しようと決めたのだ。
「そうゆうことなら、いつでも私を頼りなさい。あなたは私のパートナー兼ライバルなんだから、もっと強くなってもらわないと困るしね」
「俺も最大限助力しよう。といっても、陰陽術はからっきしだが」
この2人の言葉に、優花は心底励まされ
た。自分の進む道を肯定してもらえた、そのことが優花の心を奮い立たせてくれた。
そんな話をしているうちに、いつの間にか3人は森の入り口に辿り着いていた。優花は最後に満面の笑みとともに、
「ありがとうございます、片霧さん、早苗ちゃん。正直なところまだ決心はついてないけど、きっと近いうちに答えを出します。だからそれまで、一緒にいてくれますか?」
優花にしては少し意外な、そんな頼みを口にした。その言葉に、早苗は少し恥ずかしそうに、景は微笑を浮かべながら、
「あ、安心しなさい。少なくとも高校卒業までは一緒にいてあげるから」
「ああ、俺もしばらくはこの街から離れることもなさそうだからな」
優花はその言葉に笑顔を浮かべ、そして小さな声で呟く。
「お母さん、私、もう一人じゃないよ」
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