学からの手紙

 Hi,junn.How are you?

 結局あの後お前、実家に戻って教師やることになったってか。いろいろ揉めとったようだが、あの二人――篠宮充紀と五十嵐和也と、ちゃんと話ができたようだな。

 故郷の様子はどうだ? 変わってないか?

 そっちの学校で、うまく先生やれとるか? お前兄弟居らんし、あんまり年下の子と話するの得意じゃなかったやろ。少しは慣れてきたか?

 まぁお前は(普段不器用なくせして)そういうところだけは器用やし、何とか順応してやっとるんちゃうかと思うけど。


 おれは日本を出て、最近また別の国へ入ったところだ。

 今居るこの国は少々標高の高い場所にあるらしく、入国後しばらく体調がすぐれんかった。今は標高の低い場所に滞在していて、少しずつ身体を慣らしながら色んなところを歩いてみている。

 やはり、人間にはどうしても酸素が必要不可欠らしい。お前も、旅行などで来る時があったら気を付けねや。


 実は――まぁ、当たり前の話なんやけど――日本を出られるようになるまでには、結構金が要ってな。前にお前が暮らしてたアパートの管理人さんに世話になりながら、まともに働いてた時期があった。

 んー……でもおれにはやっぱり、あぁいう場所は向かんな。

 まぁ初めて就職した頃よりは大人になったつもりやし、何がよくて何がいけないのかってことくらいは何となく理解してたから、まだマシっちゃマシやったけどさ。

 おかげで、ある程度貯金もできたしな。

 人間関係やら何やらいろいろ難しかったし、もう二度とやりたくはないけど……でもまぁ、あれもあれでいい経験になったのかなっていう風には、今頃になってやけど思ってる。

 もともとおれは人見知りやったけど、これまで日本の色んな場所を旅して、んで金貯めるために働いて……そういうことしてたら、少しずつ人と接することが苦痛じゃなくなってきた。

 おれも、ちょっとだけだけど変わることができた。

 お前は、何か変わったか? 引っ越して、二人の同居人と出会って、何か得るものがあったか?

 お前の経験が、変化が、全てお前の糧になればいいと思う。全部ひっくるめて、お前の一部になって……お前がより良く人生を送れるように。


 ところで、話は変わるけど。

 道中、放浪画家だという不思議な女と会ったんだ。

 色素の薄い髪を異国の風に揺らして、ゆるりと微笑んだ彼女は、楽しそうに、そしてがむしゃらに、空を描いていた。

 よく晴れた、異国の青い空。

 話しかけてみたら、彼女は優しい声で「空が好きなの」と言った。

「空は永遠の憧れで、永遠の謎で――私たち人間を平等に繋いでくれる、架け橋みたいなものなの」

 彼女にもまた、大切に想う人たちがいて。時々日本に帰っては、その人たちと食卓を囲んで話をしたり、様々な色をした空の下で酒を酌み交わしたりするんだと、とても嬉しそうに語ってくれた。

「一人きりで旅をするのは、自由を感じられて好き。でも、少し寂しい時もある。そんな時に、空を見てね……ふと、目を閉じるの」

 大切な人たちの笑顔を、真っ白な雲に重ねて。

「この同じ空の下に、彼らも存在している。今、自分がそうしているように。同じ時間を、生きている」

 そう思うだけで、離れていても寂しくなくなる。私たちはずっと繋がっているんだって、確固たる自信が持てるから。

 ――彼女の話を聞きながら、おれは真っ先にお前のことを思い出したよ。

 お前にとっての故郷での友達も、大学で出会った学友も、ルームシェアで出会った二人も……そして、おれも。

 みんな、お前と同じ空の下に生きてるんだ。離れていてもずっと、お前の仲間たちはお前とともに、お前と同じ時間を過ごしている。空を通じて、今も繋がっている。

 どうだ? それだけでなんだか、元気が出てくるだろう。

 お前がもし、ふとした時に寂しさを感じることがあったら。会えない大切な人に、無性に会いたくて悲しくなることがあったら――このことを、思い出してほしい。

 お前は、一人じゃないんだ。


 彼女にもらった空の絵を一枚、一緒に入れておく。

 お前が安らかな日々を送れるように、同じ空の下から、おれはいつでも願っている。


 Manabu Onodera


    ◆◆◆


 注文前の居酒屋のテーブルに広げられたエアメールを、充紀と和也は身体を寄せ合いながら読んだ。

 二人揃って顔を上げ、お冷をちびちびと飲みながら様子を見守っていた淳に一言。

「意外とロマンチックな奴だな」

「意外とロマンチック思考だね」

 第一声がそれかと、淳は思わず吹き出しそうになってしまった。

「二人とも、意外とか言うてるけどさぁ」

 かつて一緒に暮らしていた時からすっかり元に戻ってしまった、独特のイントネーションで、淳はのんびりと反論した。

「がっくんは、いつもこんな感じやざ」

「「マジで!?」」

 そんなに意外だったのか、今度は二人が揃って身を乗り出してくる。きっとぶっきらぼうだけど不器用で優しい、そんな彼の一面しか知らなかったからなのだと思う。まぁこればっかりは、淳のように長い間深く付き合ってみないとわからないことだから、仕方がないけれど。

「しかし、学も相変わらず心配性というか」

「淳ちゃん大好きだねぇ。あの頃もそうだったけど」

 『あの頃』――淳がまだ大学生で、就職先について悩んでいた頃のことは、未だに鮮明に思い出せる。「懐かしいねぇ」と顔を見合わせる二人を、淳は首を傾げながらも、しかしどこか楽しそうに眺めていた。

 最近淳のもとに届いたエアメールは、現在世界各国を気ままに旅しているという学からのものだった。今回久しぶりに三人で会う機会ができたので、せっかくだから二人にも見せようと思って持って来たのだ。

 お世辞にも綺麗とは言えない字で書かれた便箋とともに添付されていたのは、澄んだ水色を基調とした風景画。日本とは違う、異国情緒たっぷりの街並みが細かく描きこまれている。

「写真みたいだなぁ」

 折り畳まれた小さなそれをしげしげと眺めながら、充紀が感心したように言う。その横から覗きこむ和也も、「そうだよねぇ」と嘆息した。

「オレ、絵のことなんてわかんないけど、これは……なんていうか、すごく気持ちを持ってかれちゃう感じだな」

「あー、わかる」

「生徒から聞いたんやけど、朝倉あさくら妃芽ひめさんっていう放浪画家らしいよ。日本にも画集売ってんやて」

「へぇ、そりゃすごい」

「今度本屋で探してみようかな」

 あれこれ話していると、店員さんがメニューを持ってやって来た。

「御注文の方はお決まりでしょうか」

 淳がテーブルに広げていたエアメールを片付け鞄にしまい込むと、充紀が率先して口を開く。

「俺は生かな……おまえらはどうする?」

「オレも生!」

「俺は……うーん、どうしよう。とりあえずウーロンハイにしとこ」

「おつまみは適当に、充紀くん決めていいよ」

「ん、分かった」

 充紀が言葉通り適当にメニューを指して手早く注文を告げると、店員は「かしこまりました」と一礼し、出ていった。

 間髪入れず、既に少し酔っているのかと誤解するようなテンションで、和也が「よぉしっ」とテーブルを叩く。

「久しぶりに三人揃ったことだし、今日はとことん飲んじゃうぞぉ」

「お前な、頼むからキス魔にだけはならないでくれな」

「だぁいじょうぶだって。最近スタッフさんとかと飲む機会増えてきたからか知んないけど、その癖もだいぶ鳴りを潜めてきたからさ」

「地味に不安や……」

 和也の自信過剰な一言に淳が表情を引きつらせたところで、早々に三人分のアルコールがやって来た。店員がつまみ物を持ってくる間に、三人はそれぞれ自分の注文したジョッキを掲げる。

 こういう時の盛り上げ役と言えば、やはり和也だ。立ち上がらんばかりの勢いで、高らかに告げる。

「ではっ、三人の再会と……あと充紀くんの結婚と、オレのライブ成功と、淳の初担任を記念して」

「無駄に多いな」

「まぁ、長いこと会ってなかったからの」

「いくよぉ、二人とも。いい?」

「はい、いいよ」

「いつでもどうぞ」

「じゃあせーの、かーんぱーい!」

「「乾杯!」」

 カツン、と三つのジョッキが当たる音を皮切りに、三人による数年ぶりの飲み会が幕を開けた。

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