11. やばい、JK、やわい。

「あーぁ、また暇かよ。」

ユウリが出て行った扉を恨めしく見つめた。

この扉はノブが固そうだし、ノブに飛び移れる丁度いいものが周りにない。

ユウリの部屋とは違って開けるのは難しそうだ。

「ふん。」

改めて、休憩室とかいうこの部屋を見回してみた。見るもの全部灰色で、ちょっとした遊び心もなにも感じられない。

「だぁー!」

腹の底から出てくるものを出てくるだけ出してみたが、ペンキ塗りの白い壁で虚しく跳ね返るだけだった。

「だから…違うってそれは…だから!」

ところどころメッキの剥がれた扉の向こうで、聞いてるだけで眉毛がハの字になりそうな、情けない声がした。

どんどんこちらに近づいている。

「あれはバイトの子が…だから、悪戯なんだってば!」

「ははぁん。」

こういう会話は、〝俺の実家〟で何度か聞いたことがある。店主がこういう類のドラマが好きで、よく店のテレビで観ていたのだ。

「妙子、わかってくれよ…」

弱々しい声と共に、休憩室の扉が開いて、〝浮気野郎〟が入ってきた。

40代前半くらいに見える。髪の毛が後退して少し広くなった額に、ドロドロの脂汗が滲んでいた。 それがシワの隙間に入り込んで、さらに熟成されていく。

あまり清潔とは言えないワイシャツ姿の男だ。

俺は気付かれないようにこっそり、部屋の隅のパイプ椅子に乗っかった。

「本当だって…」

男は振り返って部屋を見渡した。途中俺と一瞬目があった。

「何度も言ってるじゃないか!やってないったらやってないんだ。」

数多くの昼ドラを観てきた俺の考えでは、この男は〝やってない〟。ただ、やってないことを証明するのは、難しいのだ。

「てんちょー…あっ。」

次に入ってきたのは、若い女だった。

店長…この男の事だろうか。男が電話をしているのを見ると、口を押さえた。

「じゃあ切るよ。仕事に戻るから…」

男がスマートフォンを耳から離すと、ヒステリックな女の、叫びにも似た声が漏れてきた。

「奥さんからですかー?」

電話を切って、女の声がしなくなった代わりに、黒くなった画面に付着した耳の脂が白く浮き出ていた。気持ちわりぃ。

「あぁ、笠井さん、どうしたの…」

隠しきれない動揺は、手に現れていた。

ガタガタと震えながら、スマートフォンをテーブルの上に叩きつけた。

「あー、店長、矢島さんがよんでましたよー」

「あ、あぁ、はいはい」

それだけ言って、店長は逃げるように部屋を出て行った。

スマートフォンの事は早々に忘れてしまったのだろうか、テーブルの上に取り残されている。

「あっ、店長、ケータ…」

笠井というエプロンをつけた女店員は、一瞬引き止める姿勢を見せたが、店長がもう既に近くにいなかった事、この部屋には今誰もいないという事を確認すると、スマートフォンに正対した。

「パスワードは、なにかなぁー」

顔と名前に見覚えがあった。確かこいつ、ユウリの学校のやつだ。

笠井が店長のスマートフォンを持ち上げた。これは面白い事になりそうだ。

「店長の、誕生日?」

隙を見て、スマートフォンの画面が見える所まで移動したい。

事務机の書類や、段ボールをうまく使えば、あのでっかい灰色の棚の上に登れそうだ。

「違うか。じゃ、私の…」

事務机の上には作成途中のシフト表の他に、店長の私物が乱雑に置いてあった。新品の袋に入ったままのトランクスや靴下、まだ湿っているゼリーの容器、5年前のカレンダー。

「…なわけないよねー。あ、結婚記念日…?」

このカレンダーが気持ち悪かった。新婚のノリで作ったものなのだろうが、カレンダーの横には店長と〝妙子〟らしき女性のツーショットが貼ってあり、〝Mikio&Taeko Forever Love 〟なんていうダサいロゴまでプリントされていた。

「あれ、なにこのクマ。」

「!!」

気づかないうちに、笠井は事務机まで移動してきていた。

咄嗟に固まった場所が事務椅子の上だったので多少は自然に見えただろうか。

「あー、ユウリのか。なんでこんな所?…ま、いいや。」

笠井は俺の首根っこを掴んで持ち上げると、空いた事務椅子に自らが腰かけた。

宙ぶらりんの俺はてっきり床にでも放られるのかと思ったが、なんと彼女はそのまま俺を膝の上に乗せて、両腕でガッシリとホールドしたのである!

そう、あすなろだ!今、俺は、JKにあすなろ抱きされている!!

「えー、と、カレンダー…あった。ださ〜」

これでスマートフォンの画面はよく見えるようになった。そう、全ては計画通りだったのだ。

「はいはい、5月27日ねー。…わ。開いちゃった。」

笠井が0527と打ち込むと、スマートフォンの画面に茶毛のダックスフンドの写真が大きく写し出された。

なるほど、あの曜日と日付だけがぎっしりと書かれたカレンダー、結婚記念日だけハートの印が書かれていたわけだ。

「なにしよー。あ、そうだっ…」

パスワードが解けた事に興奮しているのか、笠井の抱きしめる力が強くなり、背中になにやら、やわいものが押し当てられた。

ああ、やわい!やわい!!

「えーと…んふふ、やばー。」

慣れたフリック操作で、文章がドンドン紡がれていった。文面は、ただひたすらに気持ちが悪い。

《はなこたん、昨日はありがとう。また来週も会えないかな?もちろん妻には内緒で… パパより》

タイトルは《はなこたん》、送り先は《妙子》と書かれていた。

「うん、我ながらちょーキモい。」

一言呟くと、彼女はなんのためらいもなく送信ボタンをタップした。

シュオーンという音がなって、はなこたん へ宛てられたメッセージは、送信者のちょっとしたミスで妻の妙子に送られて行った。

「あー、うける」

笠井はカラカラと笑った。笑うたびに俺の体は太ももと胸とを交互に行き来した。

頭にも尻にも、やわい!やわい感触が!

店長のスマートフォンは、その後しばらくチープな着信音が鳴りっぱなしだった。

笠井はその様子をニンマリしながら眺めていた。

俺はそんな彼女の身体に圧っされて、あぁ、とんでもなく〝やわい〟事に巻き込まれたもんだと途方に暮れていた。


「なるほど、今日はそっちだったか。」

一瞬下ろしたカレースプーンが皿の淵に当たって、チンと音を立てた。

「ん?それはどういう意味だ?」

対面に座ったクマは、それまで私が動かすスプーンを目で追っていたが、そのことをきっかけに、今度は私の方にピントを合わせているようだった。

話を聞くにクマは、笠井さんが出て行った後で、この休憩室を一望できるポジション…資料棚の上のダンボールの陰を見つけたらしいが、それっきりめぼしい出来事は起こらなかったらしい。

「今日は、笠井さんサイドだったんだなと、思って。」

多少の悪意を持って匂わすと、クマは前のめり気味に続く言葉を求めた。

「あの店長、まだ何かあるのか!」

私は、クマの口元から勢いよく放たれたツバ的なものと、鼻息が手元のカレールーにかかったのを見て、反射的にクマの顔面を手のひらで覆うようにして、奥の方へ押しやった。

「…私が店長ならとっくに諦めてるよ、〝夫婦〟。」

それでも腹は空いているので、スプーンを置くことはない。

「ユウリ、次のバイトはいつだ?」

懲りずに前に詰め寄ってくる。もう一度押しやってやろうか。

「えーと…。明後日かな」

休憩室の右隅の壁にかけられた子猫のカレンダーを見ながらそう答えた。このカレンダーにシフトの予定が書かれているとか、そういうことでは無いのだけど、スケジュールのことを聞かれるとつい視界に入れたくなってしまう。

「そん時は、俺も連れてけよ」

「そういうと思った。大人しくしてるならね。」

クマに向かってスプーンの先を向けた。念押しのつもりだったのだが、クマは挑発だとでも思ったらしく、

「上等ダァ。」

ととびきりブサイクな顔で呟いた。

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ざっかーあにまるず @soylatte

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