10. 4時間のバイト

「耐えたぁー…」

クマが仕事帰りの親父のような声を出したので、咄嗟にあたりを見回す。

暗い蛍光灯が差し入れのお菓子やら、作成中のシフト表やらを照らしているが、この休憩室に私以外の人影はない。

「急に大きな声出さないでよ。誰か聞いてたらどうすんの。」

私は制服のブレザーを脱いで、覆い隠すようにクマに被せた。

「わっ、ちょ、おい!」

「お願いだから、静かにしてて。」

「わかったから、これ取ってくれ!」

最初は個人ロッカーに押し込めておくつもりだったのだが、本人が暗くて狭いのは嫌だといって聞かなかったので、仕方なく貴重品を抜き取って休憩室に置いておくことにしたのだった。

よく考えたら女子更衣室の個人ロッカーにこの親父くさいクマの化け物を入れておくのは、危険すぎる。本人も嫌がったからとはいえ、我ながら良い判断をしたと胸を張る。

「喋れないのがそんなに辛い?」

「あー、無理。吐きそうだ」

ひなちゃんと喋る以外、基本的に無口な私にはその感覚はわからない。

「ま、明日も頑張って。」

無責任だが、こういうほかなかった。

「でもまぁ、休憩室って結構無人なこと多いから、学校よりは楽だと思うよ。」

「ああ、それは助かるぜ…もう高校生はこりごりだからな。」

なんていってるけど、クラスメイトの女子が〝カバン変えたの?かわいー〟なんていいながら寄ってきた時、口角が緩みきっていたのを私はちゃんと見ていた。

「何時間くらい働くんだ?」

「今日は21時までだから、4時間。」

「まじかよ…」

私としては、その反応が少し不思議だった。

「あのお店でずっと、商品だったじゃん。4時間待つくらい、楽勝でしょ。」

この問いに対し、クマは眉毛を激しく上下させながら力説した。

「ちげぇんだよ!あの商店街はな、いろんな人が通るだろ?人間観察のしがいがあって、退屈はしなかったんだ。」

毎日あの商店街を往来していた私も、知らぬまに観察されていたのかもしれない。

「だとしたら、4時間なんてあっという間だと思うよ。」

「ん?そりゃどういう意味…」

ちらっと腕時計を見た。1000円叩き売りの謎のブランド名が刻印されたものだ。バイトのある日はつけるようにしている。

「あ、そろそろ着替えなきゃ。じゃ、おとなしくね。」

最後にもう一度念を押して、休憩室を出た。

「あ、おい!」


「いらっしゃいませー 」

三科駅の北口は、商店街側の南口より幾らか近代的で、そのせいか若者も多い。

私の働くファミリーレストラン、「マニーズ」は、ゲームセンターの向かいにあるため、派手な化粧をしたギャル集団や、フィギュアかなにかをゲットしてきたらしいオタクや、なんのひねりもない、ただの小さなマスコットを大事そうに握りながら来るカップルで今日も賑わっていた。

「2名様、喫煙席、ご案内いたします。」

ダサいペアルックの〝アベック〟が入店したので席へ案内した。

働き始めて数ヶ月経ったが、未だにマニュアル通りの接客しかできず、先輩には「それじゃあビックになれない」なんて言われている。

別に、このファミレスを足がかりに、ビックになってやろうなんて思わないし、変なアドリブを入れて失敗するくらいなら、既定路線に乗っていた方が、人生楽だし結果幸せだと、私は思う。

アベックは席に着くなりドリンクバーを2つ注文した。

「あちらにございますので、ご自由にどうぞ。」

こういうカップルは大抵 適当なものを頼んで長居する。

たまに聞こえてくる会話から察するに、彼らは大したことを話してはいない。友達がどうの、旅行に行きたいだの、犬が好きだの。

店長は「回転率が下がるから迷惑だ」とまで言った。私も、こういう客には適当な惣菜でも出して、お通し代を徴収すべきだと思う。

「店員サァーン。」

窓際の多少距離のあるボックス席から、よく通る高い声で、呼ぶ声が聞こえた。

…ちゃんと呼び鈴があるのに。

「お伺いしまーす」

なんとなく声の主はわかっている。

テディベアみたいな髪色の、ミニスカートの女子高生だ。見た目は派手だが、メイクはナチュラル。もしかしたらイタリア系かスペイン系のハーフかもしれない。スレンダーなのもあって、二度見したくなる美人だ。

学校が終わるくらいの時間に1人で来て、軽食を食べながらスマホをいじっている。

基本的に静かだが、たまに電話をかけると、相手と喧嘩しているのか汚い言葉を叫び散らすので、私はひっそり〝騒音ギャル〟と呼んでいる。

「コレー。」

「チョコレートアイスクリームを、おひとつ…以上でよろしいですか。」

「んー。」

店に来る日はマチマチだが、夜勤バイトの人から聞いた話では、ほっておくと23時ごろまで居続けるらしい。

さすがに店が怒られるので22時を目安に退店をお願いしているらしいが、そんなにこの店にいて楽しいのだろうか。

この女子高生にも是非、お通しを出してあげたい。


「あがりまーす」

「お、おつかれユウリちゃん。今日はカレーね。」

「ありがとう、ヘイさん。」

本当は、〝平〟とかいてタイラさんなのだが、この店の人はみんな〝ヘイさん〟と呼んでいる。厨房のリーダー的存在で、まかない担当だ。

夕方シフトの高校生は、基本的にまかないを食べさせてはもらえない。

だけどヘイさんがいつも、〝なぜか〟多めにまかないを作ってしまうせいで、〝しかたなく〟高校生バイトにも食べさせているらしい。

私はそんなヘイさんも、それを容認しているユルい店長も、好きだ。

カレーを皿に盛って、休憩室に戻る。

人がいた形跡が見られるが、今現在は誰もいないようだ。

「クマ、おわったよー」

そろりと呟いた。彼は上手くやれたのだろうか。

「お、早かったな。」

思わぬところから声がした。

クマは資料棚の上の段ボールの陰に隠れていた。

「なんでそんなとこに。」

「いや!聞いてくれよユウリ!」

クマは勢いをつけて棚から飛び降りて、長机の端に着地した。反動でカレールーが揺れた。

「お前の言った通りだったぞ!」

随分と興奮している。鮭のムニエルを見せた時と同じ感じだ。

「そうでしょ。」

自然と上がった口角は意地悪そうに見えたと思う。

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