9. ひなちゃん、うざい。

小さい頃から、面倒ごとは嫌いだった。

特に、女子特有の群れる性質や、止まらない陰口のサイクル、終わりの見えない褒め合いや慰め合いが、それはもう大嫌いだった。

そのせいで、小学校の一年、二年と、友達という友達ができず、親や先生に気持ち悪いくらい心配された。

とはいえ、いじめられていたわけでもない。

必要があれば会話もするし、クラスの行事には協力した。

ただ、群れなかった。一人を楽しんだ。

クラス替えが行われた、3年生へ進級する春。

どうせ仲の良い子もいないのだから、クラスが変わったところで何も変わらないだろう。

そう思っていた。

「たはた、ユウコちゃん?」

「ちがう、ユウリ。」

ひなちゃんと私の、初めての会話はこんな風だった。

ひなちゃんには、染井ひな なんていう、ちょっとお上品な名前がある。

〝タ〟で始まる私と〝ソ〟で始まる ひなちゃんは、3年生の最初の学期、席が前後だった関係で、それはもう毎分毎秒しゃべり倒していた。

もちろん、その殆どが、ひなちゃんの ひとり言

だった訳だけど。

「ねね、やまうちくんって、ちょーかっこいいよねぇ!」

「そうかな」

「サッカーやってるんだって、すてきー!」

山内くんは、この話をすぐ隣で聞いていた。耳が赤くなってた。

「ねー、もり先生、はげてきてない?」

「かもね」

森先生は次の演習問題で、ひなちゃんを指名した。

「ねぇ大変!しいく委員のおねぇさん達がさわいでた!〝もか〟が にげたんだって!」

「ふーん」

渦中の〝もか〟はひなちゃんの腕に抱かれていた。

数ヶ月、ひなちゃんを見てきた私はある結論に至る。〝きっとこの子はこういうビョーキなんだ〟。

しかし、半ば強引に連れて行かれた染井家にて、はじめて 染井(母)に会った時、その説は間違っていたと気づかされる。

噂には聞いていた〝でぃーえぬえー〟の力を目の当たりにした私は、この日人生ではじめて白眼を剥いた。

夏休みが終わって、学期が変わると同時に席替えが行われた。私とひなちゃんは、廊下側と窓側、対極の位置に配備され、授業中のお喋りはもちろん、休み時間も話さなくなった。

私の代わりに贄となったのは、少し我の強い、白石さんだった。

ああ、お気の毒に、最初はそんな風に思うだけだったが、なんとなく、嫌な予感がしだした。

案の定、数日後からひなちゃんは無視されるようになった。

最初は白石さんにだけ。でも、〝無視の輪〟は1週間もしないうちにクラス全体へ広がった。

そして、ある火曜日、お昼休みの時間に、無視の輪は、〝陰口の輪〟に進化した。

「たはたさん、よくだいじょうぶだったねー。ひなちゃん、うざくない?」

〝ひなちゃんうざい〟 交換日記に挟んだままのあのメモ紙が頭に浮かんだ。

「無視しても、話しかけてくるし、ぶりっ子だしー、ほんとむりーうざー」

そう、ひなちゃんは、うざい。うざったくて、うざったらしくて、うざらしい。

「自分がウザイこと、わかってんのかなー」

でも…

「ねー、たはたさんも 〝ウザイ〟でしょ?」


違う。ひなちゃんは、〝ウザ〟くない。


白石さんを無視して、私は教室を飛び出した。

ひなちゃんが、資料室の方へ走って行ったのを知っていたから。

ひなちゃんが、今の話に聞き耳を立てていたのを知っていたから。

ひなちゃんが、ほんとは結構よわっちいことを、知っていたから。

…ひなちゃんが、〝うざい〟ことを知っているのは、私だけだったから。


「ギリギリ、キャッチー!」

「え?」

我に返って手元を見ると、食べていたはずの煮卵おにぎりから、主役であるはずの煮卵が消えていて、なぜかひなちゃんの手のひらに、ひっくり返って乗っかっていた。

「ユーリちゃん、何ぼーっとしてるの?煮卵落ちたよー。」

ひなちゃんは、いつものまん丸な目で、私と煮卵を交互に見た。

「あ、ごめん」

ひなちゃんは、あの時から何にも変わらない。

声が大きくて、話が長くて、甘ったるい声で、陰口をこそこそ叩けるほど器用じゃなくて、世渡りがすごく下手で。

『ユーリちゃん、ぶりっ子ってなぁに?〝ウザイ〟ってなぁに?』

電球の切れた暗い資料室の隅っこで、ひなちゃんはそう呟いた。

『ひなちゃんは 私と一緒にいなよ。』

半ば勢いだった。少しやけになっていた。

今にして思えば、随分面倒なことを背負いこんだもんだ。

「それじゃあこの煮卵はいただきまーす!」

「え?は、ちょっと待っ…」

私が止めに入った時には、半熟煮卵は、ひなちゃんの大きな口の中へすっぽり収まってしまっていた。

「んー!おいしー!」

金欠な私の、最後のエネルギー源だったというのに…。

やっぱりひなちゃんは変わってくれない。

ひなちゃんは、いつまでたっても




「〝うっざ〟。」

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