大団円 王女ルビー事件

 小林耕五郎は『小林探偵事務所』に元『東西リサーチ』社員の桑原という男を雇った。以前、家出をしていた悦子を見つけ、知らせてくれた男だ。『東西リサーチ』は怪人トエンティ・フェースに乗っ取られ、探偵社としての態を失い、悪の組織の下部団体になってしまった。そして“モナリガの怒り”事件で馬脚を現し、社は解散、社員のほとんどが逮捕されたのである。桑原は、トエンティ・フェースが会社を乗っ取ったと知ると、すぐに退職、フリーの探偵になったのだが上手く行かず、路頭に迷っていたところを耕五郎が見つけ出し、救ったのだ。「悦子のことでは世話になりましたし、腕は立つようです。当分は渥美さんの仕事を手伝ってもらいます」耕五郎は皆にそう紹介した。確かに桑原は腕が立った。『小林探偵事務所』の浮気発見件数は倍に伸び、新規依頼も増えた。もともと優秀な渥美の下に桑原が加わったことで相乗効果が生まれた。これはいいことだ。さて、一方の迷子のペット探しの方はどうだろう。佐々木さんはこれまた優秀だ。当然、良い成果を収めているが、所詮、一人で回しているから数に限りがある。こちらも増員したほうが良いのではないか? そう思って、佐々木さんに相談を持ちかけると「私がやる!」と悦子が手を挙げた。「悦子は動物には素人だから無理だよ」と耕五郎が嗜めると、佐々木さんが「知らない人とやるよりは悦子さんとやったほうが気楽」だというので、見習いとしてやらせることにした。悦子の抜けた庶務は耕五郎がやる。やることがなくていつもヒマな名探偵小林耕五郎はエクセル、ワードを駆使して事務仕事をしているのである。

 そうしているうちに、悦子には迷子のペットを引き寄せる能力があることが分かった。特殊能力である。なんでも悦子には動物の話す言葉が感覚的に分かるらしい。ドリトル先生みたいなものである。すごい力だ。羨ましい。耕五郎にその力があったら所員をみんな、いぬにして働かすのに。安くつくからな。だけど、ねこは絶対に駄目だ。寝てばかりいて役に立たない。なんて、冗談を考えていたら、ペット保護件数が三倍に上がった。それを見て、佐々木さんは「自信無くすわ」とぼやいている。それだけ、悦子の能力は高かった。これは『小林探偵事務所』のウリになる。ホームページに特集をアップしよう。

 それにしても気掛かりなのは父、恭介のことである。「お父さんは潔い人だから」と自決をほのめかしている耕五郎であるが、その実、ホームページの「探し人」コーナーは消去していないし、ブログやツイッターも継続している。情報はもはや皆無だが、まだ、諦めてはいないのだ。「またいつか、お父さんの美味いコーヒーを飲む」のが今の耕五郎の希望なのである。

 そんなある日、『小林探偵事務所』に一本の電話が入った。「はい、こちら小林探偵事務所、所長の小林です」と耕五郎がそれに出ると、それは意外なところからの電話だった。

——こちらイーストランド王国大使館、大使のロメロです。

「えっ? なんですか。イースト菌と卵黄多くして大したメロメロ?」

——いいえ、イーストランド王国の大使、ロメロです!

「ああ、外国の方ですね。私、英語もフランス語もしゃべれませんので、あしからず」電話を切ろうとする耕五郎。

——待ってください。今、日本語通じていますよね。日本語オンリー、OKです。

「ああ、そうですか。で、ご用件はなんでしょう?」

——それは、今言えません。この電話、盗聴されているかもしれません。どこかでお会いできませんか?

「ああ、それでしたら午後にでも横浜のニューグランデホテルの新館の喫茶室でお会いしましょう」

——分かりました。その時に詳しく。

「はい。では失礼いたします」電話は切れた。耕五郎はすぐにホームレスの良雄に連絡をつけた。「おそらく、厄介な事件の依頼が来た。源さんを連れて事務所に来てくれ」良雄は相変わらず、ベンツで源さんと一緒に来た。「兄貴、お待ちどうさま」「こんにちは」二人が事務所に入ってくる。「今、誰もいないんだ。好きなところに座ってくれ」「へい」「で、兄貴、厄介な仕事とはなんですか?」

「東ヨーロッパのイーストランド王国の大使が、用事があると電話してきた。内容はまだ分からないが、自分たちで解決出来ないことだろう。で、巷で話題の名探偵小林耕五郎の出番だ」「兄貴も出世したねえ」「ありがとう。おだてても何も出ないよ」「それより本筋を」「そうだな。今日の午後にニューグランデホテルの新館の喫茶室で大使に会う。良雄、悪いけれど、周りの客の様子を見ていてくれないか? きっと、おかしな行動を取る奴がいるはずだ」「承知しました」良雄が言った。「俺は何をすればいいんだい?」源さんが口を開く。「ああ、源さんには事務所の留守番を頼みます」「あいよ」源さんが陽気に返事をした。


 ニューグランデホテルの喫茶室は平日にもかかわらず、満員に近かった。耕五郎は事前に予約をしていたので席の確保は出来ていた。耕五郎がなんで、何かとこのホテルの喫茶室を使うかというと、こちらのアイスロイヤルミルクティが絶品で一度飲んだら、忘れられないからである。仕事上の利点は特に何もない。それより、この混み具合だ、良雄が上手く不審者を見つけられるかが心配だった。

 イーストランド王国大使、ロメロは護衛二人に守られてやってきた。耕五郎のことを何かで見知っていたと見えて、まっすぐに、こちらに向かってきた。

「こんにちは、大使のロメロです」「護衛です」「同じく護衛です」生真面目な護衛だ。「それで、お話というのは何でしょう?」「今月の末に我が国の第一王女、ルビーさまが非公式に日本を訪れられます。その護衛をお願いしたい」「それは出来ません。私は探偵です。腕力はありません。護衛はガードマンに任せてください。ではさようなら」耕五郎が立ち上がった瞬間、「兄貴危ない!」と良雄の声。振り向くと一人の男が、今まさにピストルを放つ瞬間だった。耕五郎は慌ててしゃがみ込んだ。銃声二発。一発は耕五郎たちのテーブルに直撃。もう一発はロメロを守った二人目の護衛を撃ち抜いた。「キャー」と叫び声をあげて身を隠す客たち。男は発砲するとすぐに逃走する。「良雄、追え!」耕五郎は命令した。自分も走る。犯人は道に止めてあった車に乗り込み逃走した。「良雄、ナンバー覚えたか?」「バッチリです」ホテルに戻ると警察と救急車が来ていた。救急車はおそらく護衛二号を運ぶのだろうと思ったら違った。ロメロが抱えられている。どうしたんだ? 護衛一号に聞くと「ロメロさまは心臓に持病がある。発作を起こされた」と言う。「もう一人の護衛は?」と聞くと、「駄目だった。心臓を一撃だ」耕五郎は信じられなかった。さっきまで、自分の横に居た人間が死んでしまうなんて。許せない、仇は取ってやる。その時は興奮していて敵討ちしか考えられなかった。

 警察が来た。神奈川県警港署だ。見知った顔もいる。耕五郎はそいつに「これが犯人の車のナンバーだ。緊急手配してくれ」とわざとハードボイルド風に言った。するとそいつは「どうせ、盗難車だべ」とズーズー弁で答えた。雰囲気台無しである。それはそうと車のナンバーを教えたのと交換に、いろいろと話を聞けた。犯人はロメロや耕五郎の電話を盗聴していたみたいで、耕五郎が席を予約した後に予約の電話を入れてきたらしい。名前は鮫洲。偽名だろう。撃ったピストルはロシア製のトカレフ。プロの殺し屋の手口ではない。もしかしたら耕五郎をビビらせて、撤退させるのが目的だったのかもしれない。そうしたら護衛二号は死に損だ。二号の名はルードヴィヒ。若くして不幸に散った。耕五郎は花を買って、横浜港に投げた。異国の地で亡くなった青年の冥福を祈るばかりである。


 三日後にロメロが『小林探偵事務所』を突然訪問した。たまたま、桑原以外は在籍していた。「先日は怖い思いをさせました。申し訳ございません」「いいえ、それより心臓は大丈夫ですか? それと亡くなった護衛の方のご冥福をお祈りさせてください」「ありがとうございます。心臓は昔からの持病なのです。だから大使など出来ないと申し上げているのに内閣から辞任の許可がおりません。私が数少ないルビー王女派だからに違いないです。それはともかくルードヴィヒのことに心を尽くしてくれてありがとうございます。本人と遺族に成り代わって感謝いたします」「はい。それより、ルビー派とはなんですか? 他にどんな派があるのですか?」「身内の恥をさらすようですが、あなたには伝えておきましょう。現在の我が国の国王はオニール三世です。四十九歳。まだ壮健です。その第一王女が今月末に来日するルビーさま、王位継承権一位です。ところが、我が国には多少、男尊女卑の考えが残っています。王位を継承権第三位のオニオン殿下、つまり国王の弟に継がせようという動きが活発に行われています。今の所、内閣総理大臣のギンナーがルビー派なので両者は拮抗していますがギンナー内閣が潰れたら一気にオニオン派が攻勢を強めるでしょう。そんな時に、のん気に日本に来られる、ルビーさまもルビーさまです」「なんで王女は日本に来るのですか?」「それがですね、ペンパルに会うためだけにくるのです」「それは、ずっこけものですね。緊迫感がまるでない」「そうでしょう。しかもルビーさまは王家の宝、“女神の涙”を持参するということです」「“女神の涙”ってなんですか?」

「百カラットのダイヤモンドの周りにルビーをふんだんにあしらったブローチです。王女が生まれた時に作られた、我が王室の宝です。怪盗紳士と呼ばれるラビット・ボールなど、多くの盗賊に狙われております。これは絶対に盗賊に狙われます。だから小林さん、あなたに警固を頼みたい。暴力的な輩は我々でなんとかします。そのための武官もいます。怪盗との知恵比べをあなたにはお頼みしたい」「はい、わかりました。ここはルードヴィヒの弔いも兼ねて引き受けましょう。ところで王女はいつ来日しますか?」「二十五日に来日し、三十日に帰国します。六日間の勝負です」「よし、やりましょう」「ありがとう」ロメロ大使は帰って行った。「あんな大きいこと言って大丈夫なの?」悦子が心配そうに聞いてくる。「正直、自信はない。けれど亡くなったルードヴィヒの仇をとらなくっちゃいけないんだ」耕五郎は力強く言った。


 二月二十五日、イーストランド王国のルビー第一王女がお忍びで来日した。お忍びとは言え超VIPなので、成田国際空港は厳戒態勢が敷かれた。ルビー第一王女は超のつく美人で有名で、世界的に人気が高い。何も知らないで居合わせた旅行客や、王女来日の情報を何らかの形で入手した熱狂的王女ファンで空港は一時、騒然となった。しかもお迎えのリムジンが来ているのにもかかわらず、王女は「成田エクスプレスに乗りたい」とわがままを言い、無理を通して乗車してしまった。「かなり、わがままさんだなあ」耕五郎は思い、先のことを考えて沈鬱になった。新宿駅で下車した王女一行は、ようやくお迎えのリムジンに乗り、渋谷区のイーストランド王国大使館に入った。耕五郎はその間良雄の運転するベンツに乗り、様子を伺っていた。あとをつけられている様子は、大有りだった。だがそのほとんどが熱烈なファンかテレビ局の車で、尾行している車はなかった。当たり前だ。王女が大使館に行くことは決まっている。何も慌てて、追いかける必要はないのだ。殺そうとしない限りは。“殺人”、その思いが耕五郎の脳裏にこだまする。今までの事件は幸い、死者が出なかった。だからすっかり忘れていた。事件には死が隣り合わせにいることを。今回、ルードヴィヒの死に直面して、耕五郎は改めて、自分の仕事の因業さを思い知った。かつて父、恭介が「人が死ぬのに嫌気がさして」探偵を引退した気持ちがよくわかる。だが、逃げられない。この事件ではもっと多くの人が死ぬ可能性がある。それをなんとか防ぎ、王女を無事に日本から帰国させるのが耕五郎の仕事だ。

 大使館にて行われる、レセプションに耕五郎と良雄は列席した。耕五郎はモーニングなんて持っていないので、良雄に借りた。良雄はホームレスのくせになんでも持っている。それだけ金を持っているのかと思ったが、先日の『白樺家事件』の時に耕五郎は見てしまった。ストレスをネットショップで爆買いすることで晴らしていた、当主の白樺蘭子から、物品を良雄がもらっているところを。もしかして、コツコツ、物品を拾い集めているのかしらと耕五郎は思った。それだったら、ホームレスの鏡だ。表彰してやろう。そう一人思って笑った。

 ロメロがルビー第一王女を連れて、耕五郎のところにやってくる。考えてみれば正式な挨拶、顔合わせをまだしていなかった。「彼は日本の有名な名探偵です」とおそらくロメロは言ったのだろう。それに対し王女は「わたくしのプライバシーを尊重して、余計な手出しはしないでください。あなたはわたくしの命を守ってくれればそれで良いのです」となんとも辛辣なことを言った。耕五郎は「仰せのままに」と片膝をついた。内心では(このガキが!)と怒りに燃えていたけれど。レセプションに王女は“女神の涙”を着けてきた。大きなブローチである。これならラビット・ボールじゃなくても盗みたくなるだろう。それにしても怪人トエンティ・フェースが予告状を出してこないのが不思議だ。何か他に仕事をやっているのだろうか? だとしたら今はそっちの捜査にはいけない。この仕事を引き受けてしまったから。

 手が空いたのかロメロ大使がやってきた。開口一番「王女の言葉は気にしないでください」と気をつかってきた。「女性の高飛車なセリフには慣れていますよ。仕事柄」と耕五郎は返した。「ところで怪しい者は潜入していませんか? セキュリティは万全なつもりなのですが穴があったらいけません」「今日は大丈夫のようです」良雄が囁く。耕五郎がそのまま答えると、「名探偵の従者よ、今後は直答を許します」とロメロが言ってくれた。ありがたいことだ。良雄は頭を下げた。レセプションはつつがなく終わった。何事も起きなかった。だが会はお開きになったが王女始め多くの人数が会場に残っていた。耕五郎と良雄もいた。つらつらと考えるに、問題はやはり、ペンパルに会う、三日目と四日目だろう。王女の希望で、護衛は五メートル以上離れることになっている。しかも人数を三人に限定されている。ただし、耕五郎と良雄は員数外だ。二人はガードマンじゃない。事件を未然に防ぐのが役目だ。そのためにはもう少し、王女とお近付きになれればいいのだが、先ほどの態度を取られるようでは、王女の心は溶けるまい。映画だったら王女のピンチを果敢に救い、原宿あたりでクレープをつつきながら親密に話をするのになあと妄想に耽っていると、「兄貴、やつだ。ピストルを撃ったやつだよ」と良雄が袖を引っ張る。「なに」耕五郎が見ると、確かにあの男だ。「良雄、つけろ」と命令し、自分は何事もなかったようにトイレに行った。二十分後、良雄が帰ってきた。「あいつ、いろいろと遠回りしましたが、副大使の部屋に入りましたぜ」と良雄の報告。耕五郎は早速ロメロのところに行き「副大使は敵ですか? 味方ですか?」と聞いた。ロメロは驚いたように「副大使のコショーはルビー派です」と話した。耕五郎は正直に、ピストル男が副大使の部屋に入ったと伝えた。「なんですと、すぐに連行しなければ!」ロメロは警備兵住人を連れて副大使室を急襲した。すると、ピストル男の姿はなく、コショーが首の骨を折られて死んでいた。窓が開かれている。また犠牲者が出た。耕五郎は暗鬱な気持ちになった。「なぜ、コショーは殺されたのでしょう?」ロメロが効いてくる。「分かりません。たまたま逃走経路にいたので殺したのか? それともルビー派だから殺したのか?」男性の首を折るくらいだから犯人は相当な怪力だ。しかし、ピストルはトカレフ、腕も良くない。たぶん、脅し程度に使うつもりだったのだろう。それがたまたまルードヴィヒに当たり、彼は死んだ。不運だ。どうも、耕五郎はルードヴィヒの死にこだわっている。それは“人の死”というものに対する根源的な悩みだ。人の死は概ね、不条理にやってくる。人はそれを甘んじて受けなければならない。死後の世界というものを耕五郎は考えなかった。宗教にも興味がない。死はすべての終わりだ。残されたものの悲しみだけが残る。ルードヴィヒにもコショーにも家族、親族がいるだろう。悲しみは二倍になった。だからこそ、耕五郎は二人を殺した男を捕まえなければならない。王女については警備兵に任せればいいだろう。とにかく男を捕まえる。耕五郎は良雄を呼んだ。「良雄、窓の下の足跡を調べてこい。下は土だ。石膏で足跡が取れるだろう」「了解!」良雄は軽快に走って行った。ロメロが話しかけてきた。「犯人は外部の者でしょうか?」「いや、内部の者、もしくは関係者でしょう。失礼ながらイーストランド王国を知る日本人は少ない。王女の人気は別としてですがね。分からないのは、犯人の狙いがどこにあるのかです。王女を殺害しようとしているのか? “女王の涙”を強奪しようとしているのか? ルビー派の人間を殺していくのか?」耕五郎は悩んだ。「ところでコショーの死ですが、日本の警察には言わないことにしました」「治外法権ですか。それはあなたたちの権利ですから、私はとやかく言いません」「ご理解、感謝します。だからこそ、あなたに犯人を見つけ出して欲しいです」「分かりました。努力します」耕五郎は言った。そこへ、良雄が来て、「兄貴、犯人の男の特徴が分かりました」「そうか」「足跡から見て、犯人は右足を引きずっている」「よし、大使館を聞き込みだ。通訳をつけてもらおう。ロメロ大使!」耕五郎はコショーの前に跪いていた、ロメロに通訳の手配を頼んだ。通訳はすぐに来た。平田という日本人だった。耕五郎はまず、人の出入りが激しい、厨房に行った。コック達に話を聞いてみる。(これから先、イーストランド王国人が話す言葉は平田が通訳したものである)まずは料理長に聞く。「出入りの業者に右足を引きずったものはいますか?」「知らねえな」料理長は取りつく島もない。仕方ない、コックたちに同じことを聞いてみる。すると「いるよ」との返事。早くも見つけたかと思ったが、しかし「八百屋の熊さんは右足を引きずっているよ。ただし八十歳だからねえ。あんたたち殺人犯を探しているのだろ? 熊さんに人は殺せない。自分がお陀仏しそうなんだから」と言ってケラケラ笑った。それを料理長が「笑ってないで仕事しろ! あんたらも邪魔だ。こっちは王女さまにお出しする料理を作っているんだ。とっとと出て行け!」と耕五郎たちは追い出された。チッ、一から出直しである。「あとはどんな業者が出入りしているんですかね?」良雄が聞く。「家政婦の偉いのに聞いてみよう」耕五郎は広い大使館内を歩き回った。もちろん、通訳の平田くんも一緒である。尋ね歩いて、ようやく、家政長のマーブルさんに会うことが出来た。こちらも忙しそうで、とっつきにくい。「マーブルさん。こちらの大使館にはどんな業者が出入りしていますか? その中に右足を引きずった男はいませんか」「そうだねえ。ウチにはクリーニング、清掃、花屋、庭師、インテリアコーディネーターなんかが入っているよ。右足の悪い男ねえ。ああ、そういえば月に一度来る清掃の男は右足を引きずっていたねえ」「えっ? いくつくらいですか」「四十は超えてないと思うけど」「その業者の名前と連絡先を教えてください!」「えーと、ニコニコハウスキーピングだったかねえ。連絡先は事務所で聞いておくれ」「はい」耕五郎たちは慌てて事務所で住所を聞き、ベンツで大使館を飛び出した。『ニコニコハウスキーピング』は車で十分のところにあった。だが、この店回りは清掃業者のそれではない。完全な暴力団だ。そうだ、ニコニコって前にも聞いたことがあるな。あっ! ニコニコクレジットローン! 悪徳街金だ。暴力団ともつながりがあると言われている。その系列業者だとしたら、ろくなものではないだろう。「ここはひとつ、作戦を考えたほうがいいな」耕五郎は良雄に言った。「どうするんです?」「良雄、できる限り多くのホームレス仲間を集めてくれ」「はい。でもどうするんで?」「こうなりゃ、大量の人数で攻め込む。皆に足の悪い男の特徴を教えといて、そいつを捕まえたものを手柄一番にする」「はい。じゃあ、みんなに連絡を取ります」「源さんは年だから呼ぶなよ」「駄目ですよ。呼ばないとムクれます」「そうか」耕五郎は笑った。

 二時間後、二百人のホームレスが集まった。耕五郎は以前の失敗を教訓にして十人ずつに分かれて路地裏に隠れさせた。それだって、住民が警察に連絡する危険がある。早いとこやってしまおう。「行け!」耕五郎は指揮した。各所から二百人のホームレスがニコニコハウスキーピング渋谷店に襲いかかる。玄関は蹴り破られ、窓ガラスは全てたたき壊された。「突入!」こう五郎の掛け声とともにホームレス軍団はニコニコハウスキーピングに突っ込む。「右足の悪い奴を捕まえるだ!」「あとは殴って気絶させろ」「おー」「わー」「きゃー」という、敵味方合わさった悲鳴が聞こえる。そして、「確保!」という声が聞こえ、バケツリレーで両手両足を縛られた男が出てくる。「一番手柄は源さんだぞ」「源さんが見つけた」「源さんが足を縛った」源さんコールが起こる。耕五郎は男を引き取ると、顔を見た。間違いない。この男だ。耕五郎はホームレスに退散命令を出した。そろそろ警察が来るだろう。その前に退却である。

 イーストランド王国大使館に戻ると、すぐに耕五郎はロメロ大使を呼んだ。「どうしましたか?」「ルードヴィヒとコショーを殺した犯人を捕まえました。そちらで拷問にでもかけて敵の親玉を教えてもらえませんか?」「あなたたちが尋問しないのですか?」「警察権は大使にあります。私たちはそのお手伝いをするだけです。それに他にやることがありますので」「そうですか。分かりました。この男の口を割らせます。どんな手を使っても」ロメロが言った。耕五郎がこの後やったことは大使館の全部の電話を調べて盗聴器が仕掛けられていないか探す事だった。本来ならもっと早くやるべきだった。五十八個の盗聴器が見つかった。ついでに、『小林探偵事務所』の盗聴器も外そうと思い電話をすると、桑原が出た。用件を伝えると「はい。分かりました。あとですねえ、所長。二十七日と二十八日有休もらっていいですか」と桑原が言う。「いいですけど、どうしたの」「友達が田舎から会いにくるんですよ」「このう、女の子だな」「ばれました? でも清い関係ですから」「本当かなあ。じゃあよろしく」と言って電話を切った。

 男はなかなか口を割らなかった。さすが暴力団、性根が座っている。「仕方がない。あれを持ってきてください」ロメロが言った。「はっ」部下が小走りに出て行く。そして戻ってきた。持っていたのは一本の注射器。「これは自白剤だ。君は耐えられるかな」男の額に汗が光り、初めて動揺した様子を見せた。

「小林さん、分かりました。オニオン一派の筆頭、ダイクン司法卿がルビー第一王女の殺害、ルビー派の殲滅を狙った模様です。私は急ぎ、このことを国王に知らせます。オニオン一派は掃討され、ルビー第一王女の身は安全になります」ロメロは走って行った。その時、「日本のディテクティブ、少しは役に立つようね」と言いながら王女が現れた。「お褒めに預かり、恐縮でございます」耕五郎は膝を折った。「フフフ、あなたなら信頼できるようね。わたくしの身とこの“女王の涙”守ってくださらない?」「はっ、命に代えてもお守りいたします」「ありがとう」王女は去って行った。

 国王の命により、大使館内のオニオン一派は強制送還された。人数が減って不便だが、王女の安全確率はかなり上がった。「これから問題になるのは“女王の涙”だ」耕五郎は良雄に言った。「はい。でもトエンティ・フェースからの挑戦状は来ていないんですよね」「うん、来ていない。でも日本にいる怪盗はトエンティ・フェースだけじゃない」「例えば?」「石川海老蔵、こいつは石川五右衛門の子孫だと自称している。それにHey!Say!ねずみ小僧。これは説明不要だな」「あんまり関わらないほうがよさそうですね」「それから女囚サジタリアス」「美人らしいですね」「青いイナズマ」「足が早そうですね」「黄色いさくらんぼ」「若い娘ですね」「私が知っているだけでもこれだけの大盗賊がいる。これに世界中の怪盗を揃えたら、怪盗オリンピックが出来る。我々は傍観者になるしかない」「そうですね」「それを防ぐためには!」「ためには?」「もっと価値のあるものを表に出せばいい」「そちらに目を向かすんですね。でも、何があります?」「宝物の大博覧会をやればいい」「そんな無理ですよ。準備期間もないし、だいたい品が揃わない」「へへへ、それが出来るんだな」「どうして?」

「私が昔から懇意にしている美術修復士がいる。彼の趣味は芸術品の贋作を作ることなんだ。その出来栄えは素晴らしくて本物と見分けがつかない。ただし、彼は贋作と分かるように、作品のどこかに、小さくFのマークを入れている」「フェイクのFですね」「そう、よく分かったね。それで、私は彼に貸しがあるから全部を借りることが出来る。会場は前に事件を解決してあげたクルリントさんに大会議室でも借りよう。イベントの名前は『大贋作見学会』だ。きっと怪盗たちは真作が少しは混ざっていると思って、一度は観に来る。その間“女王の涙”は安心なわけだ。だから期間は二十七、二十八日の二日だけ」「なんか、なんだか漫画か小説で読んだような話ですね」「大丈夫、設定が全然違うから」「本当ですか?」「もし文句が来たら、オマージュってことで」「良いのかなあ?」

 耕五郎と良雄はロメロに許可をもらって、大型トラックで群馬に住む美術修復士を訪ねた。そして趣旨を説明し、トラックに乗せられるだけの贋作を運び入れて横浜に行った。そして事前に了解を取ったクルリント本社の一階多目的ギャラリーを借りて、ホームレス仲間と贋作の陳列を行った。(あとはポスターと宣伝が必要ですね)と耕五郎が考えていると、クルリント秘書課長の風花さんがA0版の巨大ポスターを作ってくれた。そしてクルリントのホームページに広告を載せてくれるという。クルリントのホームページの読者は多い。感謝感謝である。「よし、ここの店番はホームレス仲間に任せましょう」耕五郎は満足してイーストランド王国大使館に戻った。


 二十七日を迎えた。今日と明日はルビー第一王女がペンパルと会う日である。相手は二十代男性である。当日は同じホテルに泊まるのだが、当然、部屋は別々である。(随分と派手に遊びますなあ)というのが耕五郎の考えである。さあ出発だ。王女は、ロメロと乳母メルシーを伴ってリムジンで出かける。次に警備兵十人を乗せたバンが出発し、最後に良雄の運転するベンツが大使館を飛び出した。車は敵に行く先を悟られないように高速道路は使わず一般道を走った。そして国道一号に入った。「あれ? どこいくのかなあ。近場じゃないんですねえ」耕五郎はうなった。よく考えたら今日の行く先を聞いていない。飛んだミスだ。「まあいいでしょう。ついていけばいいだけだから。それに発信器もついているし」耕五郎は気楽に考えていた。国道一号に乗ったリムジンはひたすら進む。耕五郎は焦った。まさか、横浜に行くのではないか。横浜には耕五郎の策略が当たれば、日本中の怪盗が集まっていることになる。耕五郎は会場に電話をかけた。「もしもし?」源さんが出た。

「源さん、会場の状況はどうですか?」

——そりゃあ、超満員ですごいことよ。でもお客さんみんな大っきなマスクして顔を隠しているよ。なんでだろ。

 それはみんな盗賊だからだよと耕五郎は言いたかったがやめた。リムジンが横浜で止まるのはまずい。盗賊の宝庫だ。頼むから静岡あたりまで行ってくださいとの、祈りもむなしくリムジンは国道一号を横浜で外れた。しかもクルリント本社のある、みなとみらい21地区に入る。インターコンベンションホテルに入るのだ。もうこうなったらずっとホテルにしけこんでくださいと耕五郎がまた祈ると、王女は装いも新たに水色のドレスを着て正面玄関に現れた。「キャー」という歓声が上がり、フラッシュが焚かれる。スマホや携帯でバシバシ写真を撮られる王女。その顔は笑顔ではち切れんばかりだ。こういうことのは慣れているようだ。やがて、警備兵が観衆を押し分け、王女は歩き始める。行き先はどうもランドマークタワーらしい。王女はランドマークタワーを見上げると「ワオ」と叫んだ。感情の起伏を見るのはこれが初めてである。そして律儀にチケット売り場に並び、展望フロアまでのチケットを買う。そしてどんどん行ってしまう。「我々もいかなくては」「でも千円払うのは痛いですね」「チケットは取っておけ。必要経費で別にもらう」耕五郎たちがチケット売り場に並んでいると、「所長。所長じゃないですか」と若い男性の声、「あれ、桑原さんじゃないですか。どうしたんですかこんなところで」「ええ、例の友達と展望フロアで待ち合わせなんですが寝坊してしまって」「ハハハ、仕事は出来ても私生活は駄目な人ですね」「参ったなもう」と言いながら四人で(忘れてもらっては困る。通訳の平田くんもいるのだ)チケットを買う。あとは高速エレベーターでスーイだ。展望フロアに着くと桑原はさっと出て行った。遅刻して平謝りだろう。一方、こちらはルビー第一王女探しだ。この間に何かあったら大変だ。あっ王女がいた。と思ったら二十人の覆面姿の男たちが現れる。警備兵たちが必死に防ぐが数的有利は覆面野郎にある。「良雄、いくぞ」「おう」耕五郎たちもやむなく参戦する。彼らは『質実剛健流』空手の使い手だ。必死に戦う。でもやっぱり数が足りない。覆面男の一人が王女に向かって行く。危ない。その時黒い影が跳んだ。覆面男の後頭部にドロップキックが炸裂。男は崩れ落ちた。続いて二人の覆面男が襲ってくるが、空手チョップと踵落としで華麗に相手を倒す。そして「ルビー大丈夫か?」と王女にタメ口。いいのか? 桑原。すると王女は「和麻、会いたかった」と言って桑原を抱きしめた。桑原の言う、『田舎から出てくる友達』とはルビー第一王女のことであり、ルビー第一王女の言う『ペンパル』とは桑原だったのである。

 覆面男たちは石川海老蔵一味であった。大使館から、あとをつけていたという。耕五郎、不覚である。ロメロの見る目も冷たい。それでも夕食には耕五郎と良雄も誘われた。(平田くんも忘れないでやって欲しい)「二人っきりでなくていいんですか」桑原に尋ねると、「イーストランド王国では夕食はみんなで食べるものなのです」と答えた。「二人はどうやって知り合ったの?」こう五郎が聞く。「はい。僕は父の仕事の関係で、イーストランド王国で生まれました。幼稚園に入った時、一緒になったのがルビーです。二人は考え方が似ていたので、すぐに仲良くなりました。以降小学校、中学校とずっと同じクラスでした。多分ルビーの仕業です。彼女の権力なら、それくらい簡単に出来ますからね。そして中学三年の時、僕は日本に帰ることになりました。ルビーは泣いて止めましたけれど、僕は祖先の地である日本に郷愁を感じ、帰ってきました。あとは所長の知っている通りです。三流の大学を出て、ひどい探偵社に入り、フリーになって失敗し、所長に救われたのです」「そうすると、君はイーストランド王国にずっといたら国王になっていたかもしれないね」「それはないですよ。イーストランド王国は保守的な国で、アジアの人間を蔑みます。ルビーが変わっているんです」「ふーん」耕五郎がため息をつくと、王女が、今何話していたの? という顔をする。桑原が通訳すると、ルビーは真っ赤になった。

 一行は一泊すると、「今日くらい二人っきりにさせてあげよう」ということになり、耕五郎と良雄は一旦ねぐらに帰り、夕方『贋作大見学会』を覗くと、いつの間にか神奈川県警港署の私服刑事が来ていて、来店してきた大物怪盗をじゃんじゃん捕まえている。そして「小林さん、こういう催しをするときには署に一報をください」と怒られてしまった。でも捕まえても、すぐ脱獄されちゃうじゃんと耕五郎は思った。

 桑原はルビー第一王女をしっかりイーストランド王国大使館まで送り届けた。明日は大使館で休養、明後日が帰国である。我々は少々油断していたのかもしれない。


「ない、“女王の涙”がない」とルビー第一王女が叫んだのは、帰国当日の朝である。「本当にないかお探しください」とロメロが促す。「ないわ、本当にないわ。昨日の夜は確かにこのジュエリーボックスに入れて鍵をかけたもの」「ということは盗まれた?」「衛兵に夜からこれまでの人の出入りを聞いてきます」ロメロが走った。王女は泣き崩れ乳母のメルシーに慰められている。「こ、これでわたくしの王位継承はなくなったわ」ルビーが泣きながら言う。「何故ですか?」と耕五郎が聞くと「高い税金で作ったブローチよ。それだって批判があったの。今度は盗まれたなんて言ったら暴動が起きるわ。だからわたくしが落としたことにして、王位継承権を放棄するの」「そうならないために、私たちがいます。時間がありませんが最後まで全力を尽くします」耕五郎は大使館員全員を集合させ、ボディチェックを行った。女性はルビー第一王女に頼んだ。皆シロだった。その時、ロメロが帰ってきた。「昨夜から今朝にかけて正門を出入りした者はありませんでした」「そうですか。では私たちは門扉以外から飛び出た跡がないか調べてきます」「我々は室内を徹底的に探します」ロメロが言い、耕五郎たちは庭に出た。必死に足跡を探す。しかしない。いくら探しても跡は見つからなかった。「ねえ、良雄」「なんですか?」「お前が犯人なんてオチはないよね」「冗談じゃない。僕は潔白です。そんなこと言うと怒りますよ」「そうだよね。ごめんごめん。でもさあ、なんか味方が敵のような気がしてしょうがないんだよね」「まさか、桑原さん?」「この間の桑原さんが偽物だったとは思えないなあ」その時、一つの影が動き出したのをこう五郎は見逃さなかった。「お前が犯人だな。トエンティ・フェース!」耕五郎が捕まえたのは通訳の平田くんだった。


「私たちが通訳の平田くんを味方だと思い込んでしまっていた。つまり、トエンティ・フェースの策略に引っ掛かってしまった。本当に、私のミスです。申し訳ございません」耕五郎はルビー第一王女に深々と頭を下げ、陳謝した。「いいのよ、“女王の涙”は無事だったのだから」通訳しているのは本物の平田くんだ。彼はトエンティ・フェースに睡眠薬を飲まされて、なんと良雄のベンツのトランクに閉じ込められていたのだ。「平田くんにも怖い思いをさせて申し訳なかった」「い、いえ」平田くんは、はにかむ。「さあ皆さん、旅はまだ終わったわけではありません。イーストランド王国にたどり着くまでが肝心ですよ」ロメロが手を叩いた。

 ルビー第一王女は、帰りは大使館からリムジンに乗って成田国際空港まで行った。そして厳重に守られて帰路についた。

 耕五郎の仕事は終わった。はずだったが、一つ大きな宿題が出来てしまった。トエンティ・フェースの処遇である。その解決のために耕五郎はまだイーストランド王国の大使館に居る。ロメロはじめ主要な館員はルビー第一王女を見送りに行って留守である。良雄には二時間経ったら迎えに来るように頼んである。だから今は耕五郎とトエンティ・フェースの二人だけで大使館の一室に入る。ここの部屋の名前は処刑室である。この前捕まったオニオン派の殺し屋もこの部屋に入れられた。彼がどうなったのかを耕五郎は知らない。恐ろしくて聞けない。だがたぶん、処刑されたのだろう。ルードヴィヒとコショーの敵討ちとすれば、それも良いと思っている。ところでトエンティ・フェースである。いま彼はSAS直伝の拘束方法で固められており、身動きひとつできない。生殺与奪は耕五郎の手にある。耕五郎はトエンティ・フェースを警察に渡すつもりはなかった。どうせ、脱獄してしまうからである。全く意味がない。だからといっていつまでも拘束具をつけているわけにもいかない。何せこの拘束具は全く身動きが出来ないので、トイレにも行けないし、寝返りも打てないのである。二時間が限度だと耕五郎は思う。だから、良雄に二時間後にくるよう頼んだのだ。最後の選択はイーストランド王国の大使館に丸投げしてしまうことである。これが一番簡単だ。しかし、イーストランド王国の法律、特に刑法は厳しい。日本で言えば百円盗めば、死刑である。値段の付けられないものを盗んだのだからトエンティ・フェースはたぶん、八つ裂きの刑である。本当の話である。トエンティ・フェースは八つ裂きにされるほどの悪か? 人を傷付けず、殺さず、盗んだ金を恵まれない人に分け与える。ひねくれてはいるが、いいこともしている。そんなやつを殺していいものか? 今回の事件では(たぶん)三人死者が出でいる。これ以上、死者を出すのはどうも、心が許さない。

「トエンティ・フェース聞こえるか」「ああ」「ここの国のルールに従えばお前は死刑だ」「……」「お前は死にたいか? 死にたくないか?」「……」「どうなんだ!」耕五郎はイラついた。するとトエンティ・フェースが「取引しないか?」と言ってきた。「何の取引だ?」「お前のお父さんの消息だ」「父さん? 父が生きているというのか」「そうだ。そして俺はその場所を知っている」「何だって!」トエンティ・フェースは笑った。主導権を握ったからだ。だがそれは甘かった。「トエンティ・フェース、私は父が健在と知って満足した。この取引はもう成立しない」耕五郎は冷たく言い放った。「卑怯だぞ。情報を聞きながら!」「私は話してくれとは一言も言っていない」「くそっ」「じゃあ、私からも条件を提示しよう」「なんだ?」「もし君が私の探偵事務所で働くというのなら、その戒めを解いてやろう」「えっ?」「聞こえなかったのか? 助かりたければ、我が小林探偵事務所で働けと言っているのだ」「探偵事務所で何をするんだ? お茶汲みか、事務仕事か」「その仕事はな、所長だ」「所長? お前はどうするんだ」「私は事務所の隅に座って、君たちの仕事ぶりを眺める。そして、美味しいコーヒーの淹れかたを研究して、父の味に近付ける。あとはミステリー小説を読んで暮らす」「若隠居をして楽をするつもりなのか」「いや、今度の事件で二人の死に立ち会ってしまった。それがどうしても許せない。なぜ防げなかったのだと思う。もう人の死には立ち会いたくない。だから私は引退の道を選んだ」「お前にはお前なりの苦悩があったんだな」「そうだね」「分かった。所長の仕事引き受けた。お前を苦悩から解いてやる」トエンティ・フェースは言った。「よろしく頼む」と言いながら耕五郎は拘束具を外した。

 二時間後、良雄が来た。トエンティ・フェースの戒めが解かれているのを知り「大丈夫なんですか?」と聞いてきたが耕五郎が「大事ない」と一言言うと納得したのかベンツの後部座席にトエンティ・フェースを乗せた。耕五郎とトエンティ・フェースは探偵のこと、犯罪のことをいろいろと話し合った。二人は気が合った。元は対決していたとはいえ、憎み合っていたわけではない。ともに真剣に考え、時に間違え、ミスをして痛い目にあって、ようやく答えを見つけていくタイプだったのだ。「トエンティ、君はいい探偵所長になれるよ」「うん、努力は惜しまない」「ところで所長をやる上で、トエンティ・フェースの名前ではまずい。名前を変えて欲しい」「そうだな。本名の団太郎はどうだろう」「同じ発音で作家がいるがいいだろう。団所長、よろしく頼みます」「こちらこそ」


『小林探偵事務所』は名前を変えないまま、所長に新しく団太郎を迎えて、再スタートを切った。浮気調査のエキスパート渥美喜代志、フットワークの軽い桑原和麻、ペット探しの名人、佐々木希望、動物の話がわかると言い張る小林悦子、そして電話番専任となった源さんに、調査情報収集の名人良雄と『中年探偵団』これらを束ね、自らは難事件、怪奇事件を解決する元トエンティ・フェースの団太郎所長。素晴らしいメンバーだ。耕五郎は隅の青年となって彼らの活動を見守っていた。美味しいコーヒーはまだ作れない。


 そんなある日、電話が掛かってきた。電話を取る、団所長「もしもし、小林探偵事務所、所長の団です。えっ? なに、トエンティ・フェースから予告状が届いたって。そんな馬鹿な」


 悪はしぶとく生き残っている。二代目トエンティ・フェースを生み出した。

 我々の戦いはまだまだ続くのだ。私は隅で美味しいコーヒーの研究をしながら、それを見守ろう。

 

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