第8話 白樺家事件

 小林恭介が失踪して三ヶ月が経った。行方は杳として知れず、耕五郎は事務所のホームページに「探し人」欄を作ったり、ブログ、ツイッターを開設したりして情報を待ったが、有力なものは一つもなかった。仕方がないので警察に捜索を依頼したが、お決まりのごとく、氏名不詳の遺体との照合ぐらいしかやってくれない。そのうち『怪盗紳士ラビット・ボールと怪人トエンティ・フェースが脱獄』というニュースが流れ、耕五郎は「日本の警察の実力とはこんなものです」と毒を吐いた。恭介のことは諦めた。「潔い父のことだ。もう、この世にはおるまい」耕五郎は一人つぶやいた。

 恭介がいなくなって困ったことが一つあった。美味しいコーヒーが飲めなくなったことである。恭介の隅の机の引き出しには、彼のオリジナルブレンドのレシピが残っていた。耕五郎はその通りコーヒーを淹れてみた。しかし、恭介の味は出なかった。渥美さんや佐々木さん、それに悦子も挑戦してみたが駄目だった。「豆を挽くときの力加減から、コツが必要なのでしょう」耕五郎はそう言って美味いコーヒーを飲むことを諦めた。

 ラビット・ボールとともに脱獄したトエンティ・フェースは意外なところでその名前をあらわした。『トエンティのジーニアススクール』という幼児、小学生向けの知能学習教室がそれである。当然、警視庁捜査一課は『トエンティのジーニアススクール』本部を強制捜査した。だがトエンティ・フェース本人が見つかるはずはなく、運営資金も花菱東洋UFО銀行と、みずこ銀行の融資を適正に受けていることが分かった。そして『トエンティのジーニアススクール』本部長は「我々は天才的な能力を持つトエンティの作った学習メソットを買い取って、それを用いて幼児、小学生を指導するだけです。トエンティ・フェースとは直接関係はありません」と言って捜査陣を黙らせた。

『トエンティのジーニアススクール』は最初のうちこそ「犯罪者のスクールなんて、子供を入れられないわ」とお母さん方に敬遠されていたが、「春の無料体験フェア」で体験入学した子どもが、新学期になって勉強も運動も飛躍的に伸びたのをきっかけにして、入塾する子供が一気に増えた。その学習法は、単に詰め込み学習をするのではなく、心身ともに活性化するためのトレーニングに重点が置かれ、勉強は学校の宿題を済ますくらいであった。なぜ、子どもの成績が飛躍的に伸びるのかというと、子どもの脳を活性化させるために、子どもの好きなことを好きなだけさせてあげるのである。お絵描きが好きな子には、お絵描きを、野球が好きな子には野球を。もちろん何も興味のない子もいる。そんな子のためには「探偵入門」「怪盗入門」などというおかしな教室がある。ここがトエンティメソットたるゆえんだ。子どもたちは好奇心いっぱいである。名探偵になったり、大怪盗になったりして遊ぶ。その時、どうやってトリックを破るか? どういうトリックを作ってお宝を奪うか考える。その時、脳が活性化するのである。他の遊びも同じだ。新たな技法、新たなテクニックを取得した時、脳が活性化される。スクールの最後の一時間になって、やっと勉強時間になる。ただそれは、先ほど述べた通り、学校から持ってきた宿題を解くだけのことである。教室に先生はいるが、子どもが質問をしない限り、手出しはしない。自分で考える。それがトエンティメソットである。

「みんな生き生きと学習している。目が輝いている。彼らが将来、私のようになれば社会は平等になり、貧困はなくなる」本部長は一人悦にひたっている。もう、お分かりかと思うが彼がトエンティ・フェースの変装した姿である。トエンティ・フェースは幼児や小学生を教育することによって天才児を数多く作ろうとしている。天才は時に突拍子もないことを考える。このスクールから生まれた天才がどんな道に進んで、どのような新しい文化を作り出しても構わない。でも、その中の一人でもいいから自分のような義賊が誕生して、欲深な者たちから金品を盗み、貧困に苦しむ者に、ささやかでもいいから恵みを与えてくれればとトエンティ・フェースは思っている。そこに「本部長今日の授業が終わりました」と教師の一人が伝えにくる。「ああ、ご苦労様です」トエンティ・フェースはその年老いた先生をねぎらった。子どもたちが「さよなら」「さよなら、先生」と言って、帰っていく。生徒が増えすぎたようだ。早急に第二校目を作らなくてはならない。「その時はあなたに校長をしてもらいますよ」トエンティ・フェースは老先生に話しかけた。「喜んでお引き受けいたします」老先生は言った。「それにしても、よく私のスクールに来る気になりましたね」「本部長、あなたのメソットは子どもの可能性を大きく広げさせるものです。だから僕は協力しようとしたわけです」「はい」「それに僕は後悔しているのです。隠居するにはまだ早すぎた。僕はまだ何でもできる」「そうですね。では休憩室に行きましょう。あなたの淹れるコーヒーは絶品だ」トエンティ・フェースと老先生は歩き出した。


 恭介がいなくなってから、耕五郎は着々と名探偵の称号にふさわしい、仕事を成し遂げて行った。『上野動物園パンダ盗難事件』『阿呆内閣総理大臣誘拐事件』『東京スカイツリー爆破未遂事件』『名古屋城金鯱盗難未遂事件』『青森ねぶた祭り大量昏睡事件』『沖縄首里城偽二千円札事件』『札幌時計台盗難事件』など数え切れない難事件を北は北海道、南は沖縄でと解決して歩いていた。(実際には飛行機、電車、船舶を使っているが)今や、日本で名探偵といえば、深見照彦、五日川警部を抑えて、耕五郎がトップである。そして今日も難事件が舞い込んで来た。のちに『白樺家事件』と呼ばれるものである。


 白樺家は横浜市青葉区にあった。綱島から車で三十分くらいだろうか。耕五郎は相変わらず、悦子に運転させる。自分が運転する気はさらさらないようだ。今日は良雄を連れてきている。難事件になりそうな気がしたからである。白樺家は大豪邸だった。元は平安時代の豪族で鎌倉以降は庄屋として近在に君臨していたらしい。今でもこのあたりの住民は「白樺さま」と、その屋敷を拝む。多分、良き支配者だったのだろう。屋敷に着くと執事が出て来て、「小林様は本殿にその他の方は新館の方へ」と誘われた。「本殿? 神社ですか」耕五郎が聞くと「はい、そのようなものです。我が家の当主は代々、本殿と呼ばれる神殿に住むことが習わしとなっております」「なに神社って言うんですか?」「名前などありません。本殿です」執事は言った。耕五郎たちは二手に分かれた。悦子、良雄と離れ、一人本殿に向かう、耕五郎。執事が先導する。本殿には鈴も賽銭箱もなかった。執事は耕五郎に手水鉢で身を清めよと言う。それが決まりらしい。「はい」お返事をして口を清める。執事が白い半紙を渡してきた。口をそれで拭う。お相撲さんみたいだなと耕五郎は思った。本殿は固く閉じられていた。執事が「名探偵、小林耕五郎殿、入ります」と言って戸を開ける。「入られよ」女性の声がして耕五郎を招き入れた。本殿に入るということは生き神様か。耕五郎はとりあえず平伏した。その点は柔軟性があるのである。「小林殿、面をお上げください」女性の声がする。「ははあ」と耕五郎が顔を上げると「ハハハハハ」と笑い声がする。本殿の女性だ。「小林殿は時代劇の見過ぎですわ」と言ってまた笑った。「すみません」と耕五郎が謝ると「いいえ、わたくしこそ、笑って失礼いたしました。申し遅れました。わたくし、白樺家当主、白樺蘭子と申します」「探偵の小林耕五郎です」「耕五郎、珍しいお名前ね。これからは耕五郎さんとお呼びするわ」蘭子は言った。「蘭子さま! なれなれしゅうございます」執事が異議を唱えるが蘭子は無視した。「ところで耕五郎さん。あなたは三種の神器というものをご存知ですか」「はい。皇位継承の神具ですよね」「そうです。そして当家にも三種の神器があります。王家から受け継いだものです」「えっ? ということは、白樺家は王家なのですか?」「その亜流だということです。そして三種の神器も本物の形代です」「形代って何ですか?」「平たく言えばレプリカだということです」「はあ。それで私へのご依頼はどういったことでしょう?」「ええ、この三種の神器。これを奪うという書状が新館のポストに投函されていたのです」「この三種の神器のレプリカに金銭的な価値はありますか?」「せいぜい、百万円と言ったところでしょう。それほどの価値はありません。ただし、我々白樺家のものにとっては重大な価値があります」「それは?」「白樺家の全財産は三種の神器を持つものの物となり、白樺の人間はそれに膝まずかねばなりません」「たとえ盗んだ者であってもですか?」「そうです」「それはおかしな決まりですね。盗みが悪いことであるという概念が崩れてしまう」「ええ。でもそれだけ、三種の神器には力があるのです」「レプリカなのに?」「はい。剣には我が家を崩壊させる力があります。勾玉には我が子孫を掌握する力があります。鏡には我が家を現世から切り離す力があります」「どれもよく分かりません」「そうでしょうね。わたくしにもよく分かりません。ただ、三種の神器をむやみに持ち出せば天変地異が起こり、我が家の子孫は途絶え、現世とは違う異世界に飛ばされてしまうと、考えられております。ですからわたくしは本殿におり、三種の神器をお守りしているのです。それが当家の主人の務めです」白樺蘭子の長い説明は終わった。耕五郎は「家族構成などを詳しく伺いたいのですが?」と質問した。蘭子は「わたくし、少々疲れました。家族のことは執事の黄瓜に聞いてください」と言って奥の部屋に下がってしまった。執事の黄瓜は「それでは新館の方でお話いたしましょう」と耕五郎を誘った。

 

「白樺家は女系一家でございます」黄瓜は話し出した。先代の小百合さまは五年前に病で往かれました。その三年前に亡くなった、夫の柿乃助さまとの間に五人のお子をなしました。長女は現ご当主の蘭子さまですが、その上に蘭子さまと三歳違いの長男松太郎さま、一つ違いの次男竹二郎さまがおられます。松太郎さまは本殿に篭らねばならない、蘭子さまに代わり、家政を見られておりますが、竹二郎さまは二年前に出奔し、未だ行方不明でございます。蘭子さまの下には次女桃子さま、三女杏子さまがおられます。ともに今は高校生です。最後に三男梅三郎さまは小学六年生でございます」「そうですか。他にご親戚などは?」「この屋敷に同居されているのは小百合さまの妹桜子さまとご主人の蔓男さま。お二人の一粒種の三葉さまがいらっしゃいます。三葉さまは小学生でいらっしゃいます」「お伺いします。女系一族ということは、白樺家は女性しか継ぐことが出来ないということですね」「そうでございます」「ということは、継承権は桃子さま、杏子さま、桜子さま、三葉さまの四人でいいのですね」「はい」「でも、ずっと本殿に閉じこもって三種の神器を守っていなければならないなんて、普通やりたくないですよね?」「いえ、実はそんなに大変なことではないのです。本殿に篭るのは週に四日で、後の三日は自由に暮らせます」「えっ? そうなんですか。じゃあ、残りの三日間は本殿をどうするのですか?」「桜子さま、桃子さま、杏子さまが交代で篭られます。当主は白樺家の全財産を相続し、週に三日の休みを与えられた幸運なお人です。他の人がその座を狙ってもおかしくありません」黄瓜は正直なことを言った。耕五郎は「でも、来た手紙は三種の神器を奪うと書いているだけで、当主の座を譲れとは言ってないんでしょ」「三種の神器を持つことすなわち、白樺家の当主ということになります。だから自動的に当主の座を狙っていることになります」「ああ、そうか。でも黄瓜さん、三種の神器には恐ろしい力があるのでしょ。三種の神器を持ち出せば白樺家が滅んでしまうことになるでしょ?」「ハハハ、小林さん。神話やメルヘンじゃないんですから。三種の神器はただの神具。恐ろしい出来事なんて起きるわけがないでしょう」そうか、蘭子の話をまともに受け取ってしまった。この世に呪われた神具なんて存在することはない。だいたい、ここのはレプリカだった。耕五郎は頭をかいた。


 夕食の時間になった。当主蘭子始め、全員が揃っているはずなのに一人足りない。すわ事件が起こったか? 第一の殺人か? と耕五郎が慌てて、黄瓜に一人足りないことを問いただすと、「杏子さまです。蘭子さまが食事の間、本殿を守っているのです」と答えた。「そうですか」ホッと胸をなでおろす。安心して食事が出来る。夕食は悦子と良雄の分まで出してもらった。今、ウチは二人暮らしだから、事件が長引くと食費が浮くなあと、一人耕五郎がニヤけると、隣で悦子もニヤついていた。考えることは同じようだ。良雄はといえば、綺麗なテーブルマナーで食事をしている。良雄の行儀の良さは、本当にこいつホームレスなのかといつも思わせる。仲間といえども謎だ。それはそうと、この家の人たちは食事中に話をしない。耕五郎のことも特に詮索する様子がない。食事中は話をしないのがマナーなのだろうか? 今日は様子見だ。こちらも黙って食事をしよう。耕五郎は豪華なディナーをぱくついた。

 食事が終わると、個室が用意してあると黄瓜に言われて、後ろをついて行った。この屋敷(新館)は増築増築を重ねたらしく、迷路のようだ。方向音痴の耕五郎は一人で外に出られる自信がなかった。地震が起きたら窓から飛び降りるしかないだろう。部屋は三階、幸い、耕五郎は悦子と同室のツインルーム。良雄はシングルルームだった。「事件の最中なんですから夜は頑張らないでくださいよ」良雄が嫌なことを言う。「お前の知ったことか。明日は働いてもらうぞ」耕五郎は良雄のおでこに軽くデコピンをした。

 翌朝。朝食の時間。やっぱり蘭子は上座に座っている。今朝は桜子がいない。本殿を守る当番なんだろう。そんなことを考えていると突然、蘭子が「耕五郎さん。昨日はよく眠れましたか?」と聞いてくる。会話禁止じゃないんだ。そう思った耕五郎は「ふかふかのベッドでいつもより良く眠れました」と答えた。「それは良かったわ。今日からは本格的な捜査ね。わたくしを含め、遠慮なく質問してください。今日はわたくし『一息の日』ですので、なんでも自由に答えられるわ」蘭子は笑顔を見せた。しかし、他の者の表情は硬い。皆、この中に脅迫状を送った犯人が居ると思っているのは明白だ。耕五郎も九分九厘そうだと思っている。今日明日で犯人は見つかるだろう。

 食後、耕五郎は良雄を呼んでこう命令した。「近所の人々にこの屋敷の面々の評判を聞くんだ。それによって見えてくるものがあるだろう」「承知しました」良雄は出掛けて行った。耕五郎はといえば、家のものにインタビューをしようと思ったが、皆、扉を固く閉じている。ここはとりあえず、蘭子の話をもう少し聞こうと思った。蘭子の部屋は旧館の一番奥だ。本殿を左に見ながら、長い渡り廊下を進む。入り口は障子貼りだ、ノックは出来ない。「蘭子さま」とこう五郎が声をかけると「蘭子さんでいいわよ」と答えが返ってきた。「お入りください」「はい」耕五郎は部屋に入って驚いた。部屋中ものでいっぱいなのだ。「驚いた? お姫様の部屋でも想像した?」「はい、ちょっと驚きました」「いくら週四日とはいえ、本殿にずっと座りっぱなしでしょ。ストレスがたまるの。わたくしはそれをネット通販で買い物することによって解消しているの。この部屋のものの半分以上はいらないものよ。よかったら少し、持って行って」「やあ、それは遠慮しておきます。ところで率直にお伺いします。今回の事件の犯人、これは、どなただとお思いになりますか?」

「わたくしは、少なくとも我が家の女性ではないと思っています」「それは何故ですか?」「だってみんな、わたくしを見ているもの。ストレスのたまる仕事だって分かるはずよ。それにわたくしが『一息の日』の時、代わりに本殿を守っていれば、何て退屈で無駄な時間だって分かるはずよ」「蘭子さん、本殿でお会いした時とは雰囲気が違いますね」「当たり前よ。本殿では一族の命運を賭けて三種の神器をお守りしているのだから」「そうですか。ありがとうございました。ところで、他の皆様にお話をお伺いしたいのですが……」「そう。みんなあなたに会いたくないのね。なら、私がついて行ってあげる」「助かります」耕五郎と蘭子は部屋を出た。

 まずは桃子だ。桃子は高校三年生だが、大学受験をする予定はない。家に入り、家事手伝いをしながら、蘭子に万が一何かがあった場合のリザーブ、つまり当主継承権一位の大事な身なのだ。「桃子、開けなさい」蘭子が戸を叩く。蘭子は桃子の三つ上の姉だ。「何、お姉様」「小林さんがあなたの話を聞きたがっているの」「私、話すことなんか何もないけれど……」「難しく考えないで結構です。私の聞く質問に答えてくれればいいのです」「は、はい」「あなたは白樺家の当主になりたいですか」「いや、絶対いやです」「では三種の神器の持つパワーを信じていますか?」「馬鹿じゃないの。そんなものあるわけないでしょう」「では最後に、男子にも当主継承権があってもいいと思いますか?」「うん、思う。松太郎兄さんなんて貫禄があって当主にぴったりよ。それに実際、お金の管理をしているのは松太郎兄さんなんだから」「ありがとうございました」続いて杏子の部屋に入る。年を聞くと十八歳、桃子と双子だった。性格も考え方も一緒らしく、答えは判を押したように同じだった。梅三郎と三葉はインタビューから除外することにした。まだ幼くて犯行を疑う余地がなかったからだ。今度は男衆、まずは白樺家を縁の下で支える松太郎に会う。「松太郎さん、お忙しいところ申し訳ございません。二、三質問をさせていただきます」「なんだ」「あなたは白樺家の当主になりたいと思ったことはありますか?」「馬鹿を言うな。当家の主人は女と決まっている」「誰がそう決めたのですか?」「知らん。昔からそうと決まっていたのだ」「それを変えることだって出来ますよね?」「出来るわけないだろ」「そうですか? 三種の神器を手にしたものが当主になるって伝承にあるじゃないですか。女系家族なのと三種の神器の伝承は別なものだと思いますよ」「そ、それはそうかもしれないが、俺は当主なんかになる気はない!」「そうですか。では最後に、三種の神器には不思議なパワーがあると信じていますか?」「ある。あるさ。だから下手に触れてはいけないし。言の葉に乗せてもいけない」「ありがとうございました」あとは桜子と夫の蔓男だけだが、桜子はお篭り中、蔓男は仕事に出ていて留守だ。耕五郎は蘭子に竹二郎のことを聞いた。「竹二郎は心の優しい子でした。でも頭がちょっと鈍いというのかおかしなところがあって『あたいが白樺家の当主になる』と騒いで死んだ父に殴られていたわ。でも高校を卒業する頃には変なことを言わなくなって、『白樺家、発展に寄与するよう勉強します』と言って大学に行ったの。でも三年生になる時に突然、失踪してしまったの。友達の話だと、恋人にフラれたのが原因みたいなんだけど、よく分からないわ」「その友達の名前や連絡先、分かりますか?」「たぶん分かると思う。部屋を探しておくわ」蘭子は言った。耕五郎は蘭子のあの乱れた部屋で見つけられるのかと不安になった。その時である。「キャー」という叫び声が聞こえた。本殿の方からだ。耕五郎と蘭子は走った。本殿では桜子が恐怖に震えていた。「どうしました?」「変な女が突然本殿に入ってきて……」「それで?」「三種の神器はどこだって。あたし知らないのよ。だから知らないって答えたの。そしたら、髪を引っ張られて、顔を畳に打ち付けられて……女のくせに凄い力で……」「顔は見ましたか?」「マスク姿で分からなかったわ」「分かりました。蘭子さん傷の手当てを」耕五郎が指示をすると同時に、松太郎と黄瓜が飛んできた。「松太郎さん。これは暴行傷害です。警察を呼びましょう」「そ、それはいかん。警察に本殿を踏みにじられたらかなわん」「桜子さん、それでいいんですか?」「白樺家の尊厳を守るためなら」桜子はか細い声で話した。

 本殿の騒動で桜子は療養することになり、蘭子が急遽、本殿に篭ることになった。またストレスが溜まるのだろう。それにしても、桜子は三種の神器のある場所を知らなかった。前当主の妹がそのありかを知らないのだ。今、三種の神器のある場所を知っているのは蘭子だけなのであろうと耕五郎は考えた。一休みするため、耕五郎は自分の部屋に戻った。良雄が帰ってきていた。「どうだった?」と聞くと「まずは白樺家、凄い信仰の対象になっているようです」「ミニ王家みたいなものだからな」「はい。それで、個別の評判なんですが、蘭子さんは今でこそ、深窓の令嬢ですが、昔はやんちゃしていたみたいですよ」「さもありなん」「桃子、杏子の二人は、それに比べておとなしい」「ふうん」「松太郎は律儀で義理堅いと好評判。桜子は逆に、お高くとまっていると評判は良くありません」「蔓男は?」「なんだか、どんな仕事しているのか分からないやつだそうで、良くフラフラ散歩しているそうです。金は持ってないなあ」「なあ、竹二郎の話は聞かなかったか?」「聞きましたよ、幼い時は情緒不安定で近所迷惑なこともしたそうです。けれど大学に入る頃にはすらっとして優しい顔立ちのイケメンで女生徒に人気があったみたいです。でも本人はそんなに女に興味なかったみたいで、特定の女子と付き合ったりはしていなかったようです。もったいないですねえ」

 ピースは揃った。あとは蘭子さんに頼んだメモを手に入れればいいだけだ。だが、蘭子さんは怪我をした桜子さんの代わりにお篭りに入ってしまった。当分会えない。耕五郎は切羽詰ってきたので、黄瓜さんに蘭子さんから頼んだものをもらってきてほしいと懇願した。蘭子さんは簡単に承諾したのだが、黄瓜さんが「えー、あの汚部屋に入るのですか?」と渋った。耕五郎は「私も一緒に入りますから」と宥めすかしてようやく、蘭子さんの部屋に入った。当然、すぐに見つかるものではない。こりゃあ、大掃除だ。耕五郎は悦子と良雄、それからヒマそうにしていた梅三郎と三葉に「楽しい遊びをしようよ」と騙して手伝わせた。おかげで部屋はきれいになったが、肝心のブツが出てこない。全ては徒労に終わったと耕五郎が嘆いていると、黄瓜が「頼んだものとばかりおっしゃいますが、なにを頼まれたんですか?」と聞く。あれ、言ってなかったっけ。「竹二郎さんの友達の連絡先です」耕五郎が言うと、黄瓜は忌々しそうに「それなら、私が持っています。蘭子さまからお預かりしていたのです。どうして早く言ってくれないんですか!」とかなり怒られた。しかし、ブツは見つかった。あとは調べるだけだ。

 耕五郎は吉祥寺駅前に来ていた。竹二郎の友達とここで待ち合わせをしたのだ。耕五郎は目印の『週刊門松』を右手に持っていた。やがて、「小林さんですか」と竹二郎の友人、南小路金太氏が現れた。「早速なんですが、竹二郎さんが失踪する前に、大失恋したのは本当ですか?」「本当ですよ。でも禁断の恋ですから上手くいかなくて当たり前です」「禁断の恋? 大変なご令嬢とかヤクザの組長の娘とか?」「そういうのとは根本的に違います」「では、その人の連絡先ともしあったら写真なんか見せていただけますか?」「連絡先は向こうがアドレス変えちゃったんで分かりません。でも写真ならあります。かっこいいでしょう」耕五郎は写真を見た。その瞬間全てがわかったような気がした。


 翌日、耕五郎は白樺家の主だった面々を集めて、真実を発表した。名探偵の最もカタルシスを得る瞬間である。「もったいぶらずに言いましょう。犯人は白樺竹二郎氏です」早速反対意見が出る。「私が見たのは女よ」桜子だ。「でも力は強かったでしょ。それは男、いや元男だったからです」「元男?」「そうです、竹二郎氏は『性同一性障害』だったのです。だから高校時代、イケメンで持てていたのに、特定の女子と付き合わなかった。興味がなかったからです。そして、大学時代、イケメンの男性に恋をした。禁断の恋と言っては現代では差し障りがありますがね。とにかく男性に恋をするというマイノリティな感情を持った。しかし、その男性は竹二郎氏の求愛に答えなかった。自暴自棄になった竹二郎氏は失踪し、お金を稼いで、性転換手術を行った。だから、桜子さんには竹二郎氏が女性に見えた」「でもなんで、三種の神器を強奪しようとしているんですか?」蘭子が聞いた。「だってそうでしょ。白樺家の当主は女性にしかなれない。自分は性転換手術を受けたから女だ。女なら白樺家の当主になる資格があると」みんな黙った。「蘭子さん。あえて聞きます。三種の神器はどこにありますか?」「やあね、人の部屋、勝手に掃除しちゃって。三種の神器は私の部屋にあります」「ええっ?」驚く一同。「でも、これって代々のしきたりなのよね」「そうだったんだ」「威厳ありませんね」耕五郎が言った時、一陣の風が吹いた。日本刀を持った女? が呆然と座っていた三葉の首にそれを這わす。「『三種の神器』をよこせ。さもなくばこの女の子を殺す」桜子と蔓男の顔が真っ青になる。しかし蘭子は「いいよ。ちょっと待ってて」と言って自分の部屋に行く。そして大きな箱を片腕に挟んで持ってきた。乱暴な扱いだ。そして、女? の目の高さまで持ってくると、思い切り床に叩きつけた。鉄製の何かと鏡の割れる音がする。「こんなもの、いくらでもあげるわ。教えてあげる。この家には三種の神器の形代があと五つあるの。そんなものに力がないことくらい、竹二郎兄さん、あなたには分かるわよね」一瞬の沈黙。竹二郎は三葉を解放し、地に伏して泣きだした。耕五郎は竹二郎にきちんと手続きを踏めば、あなたは女性になれる。男性と恋をし、結婚も出来ると諭した。「ただその前に、怪我をさせた桜子さんと日本刀で脅した三葉ちゃんに謝りなさい」と静かに伝えた。


 白樺家は竹二郎を訴えなかった。そして、医師と裁判所に行き、竹二郎が『性同一性障害』であることを証明し、竹二郎は女性になった。新しい名前は柚子である。


「先生、名探偵がまた手柄を立てたようですな」「そうですか? 新聞には出てませんでしたよ」「特殊な、デリケートな事件だったので警察沙汰にはしなかったようです。でもネットの世界では情報が飛び回っています」「調子に乗らなきゃいいのですが」「その時は我々でギャフンと言わせましょう」「でも、本部長はあいつに勝ったことないですよね」「そこで先生の力が必要なんです」「僕にあいつを倒せと?」「いえいえ、ギャフンと言わせてくれたらそれでいいのです」「本部長、ところでコーヒーをもう一杯いかがですか?」「ああ、やめときます。美味しくて飲み過ぎちゃうから、カフェインのせいで、夜、眠れなくなってしまいました」「ノンカフェインのコーヒーもありますよ」「いやあ、コーヒーからカフェイン抜いたら背徳のゾクゾク感なくなりますよ」「そうですか。ではまた明日ということで」老先生は後片付けをすると帰って行った。怪人トエンティ・フェースはまた何か、悪事を働くつもりのようだ。彼の配下には老先生がいる。相当な切れ者のようだ。果たしてどのような戦いが起こるのか。今は誰にもわからないのである。

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