邪気眼、推定、最低。

 偽薬聖会が記憶改変装置を利用して行おうとしていることは、人の記憶及び認識を書き換えることによって『世界の認識』を変え、世界を書き換えることだ。

 当然その場合、世界を書き換える際に人々の記憶も書き換えられるので、誰も矛盾や変化に気付くことはできず、偽薬聖会はやりたい放題できるというわけだ。彼らの目論見を阻止する人間はおろか、彼らの目論見に気付ける人間がこの世界にいなくなるのだから。

 しかし中には阿賀チミコのように、世界の書き換えに対して抵抗力のような力を持っており、記憶を保持して『書き換わる前の世界』と『現在の世界』の違いを把握できる人間もいるらしい。


「その潜在能力を……俺が持っている……?」

「んなワケないでしょ」

「いだだだだだだだだだだ!」


 宣撫さんが俺のデコに突きつけた指を、ぐりぐりと押し付けてくる。

 ……裏路地の壁際に追い詰められているという現在の状況も相まって、なんというか、『ヤから始まる人』にタバコの火を押し付けられている錯覚を覚える。

 ニコヤカな表情のままにえげつない凄みを以て俺を睨みつけてくる宣撫さんの大きな瞳には、間抜けに口を半開きにした俺の顔が映っていた。


「何が潜在能力ですかバカなんですかバカでしたね本当にごめんなさい土下座すらやぶさかではない所存です」

「い、いやいや! そもそも、最初に俺に潜在能力があるかもって言ってくれたのは宣撫さんじゃないですか! 宣撫さんこそ厨二病ですよ、邪気眼電波女ですよ!」

「は?」

「本当にごめんなさい土下座すらやぶさかではない所存です!!」

「………………ふぬぅ……」


 鏡は見ていないが、おそらくデカいニキビみたいな赤い点が出来てしまっているであろう俺のデコから、ゆるゆると宣撫さんの指は離れていって、今度はご自分の眉根を揉んだ。

 『ふぬぅ』、とはどういう『ふぬぅ』なのだろうか……。

 俺の話した内容が全て本当だという前提で考えると、俺は世界の運命を握るような重大な特殊能力を備えていることになる。……のだが、普通に考えてそんなワケはないので、そもそもの前提が間違っている。つまり俺の話した内容は真っ赤なウソ、もしくは目を覆いたくなるような痛々しい厨二妄想だ。

 ……そんな意味のこもった『ふぬぅ』なのだとしたら、それはとても悲しいなって……。


「……オカルトと厨二病は違います。そんな特殊能力なんかないってこと、証明してさしあげますよ」

「え……じゃ、じゃあ!」

「ええ。何か私に調査協力をしてほしい事件があるみたいですね。超強力ながらお力添えさせてもらいましょうか」

「あ、ありがとうございます!」


 アカサの調査に超強力な助っ人を引き入れることができて、内心ホッとする。

 ずいぶん昔に死んだ人間の死因調査なんて、ほとんどの人間が全くの素人、そして俺もそんな素人の中の一人。

 アカサの死因を突き止めるぞと意気込んだものの、正直、自分一人で調査を行える自信が全くなかったので、『調べ物(と脅迫とヤバイこと色々)のプロ』である宣撫さんを味方につけられたのは、この上なく大きな第一歩だ。

 ……いつ裏切るか分からないどころか、いつ『裏切るよりタチの悪いことをする』か分からないってのが、タマにキズだけど。


「偽薬聖会、そして記憶を消す技術が現実にあるものだとして………。いま、俺の脳にはあるがあります。『アカサの死因について全く思い出せない、思い出そうとすると微細な痛みが生じる』というものです」

「…………倉科さんの死因に関する記憶を、。そう考えているんですね?」


 無言で、しかし大きく頷く。


「阿賀チミコの手帳によると、偽薬聖会は、記憶の書き換えによる世界改変についての実験を、既に何度か行っているようです」

「その実験の一環で、洗馬くんの記憶が消されたと?」

「……そんなワケない、って思いますか?」

「何度も言うようですが、質問に質問で返さないでください。……しかしまぁ、調査するまでは主観的意見で言い合いをするべきではありませんね。私大人ですから、その辺はクソガキの洗馬くんにも配慮して譲ってあげますよ」

「いや、俺の足をゲシゲシ踏みながら言われても、大人っぽさの欠片もないんですけど」


 素早くかつ的確に、骨の尖ってる部分により重圧がかかるように踏んできてやがる。10秒もやられていないが、痛すぎて正直ちょっと泣きそうだ。

 俺の足を踏んでリズミカルに圧力をかけたまま、普段仕事で使っているものとは別と思われる、ほとんど『ただの紙束』ってレベルの手帳を取り出し、宣撫さんは今までの情報を俺に確認を取りながら記録した。

 別行動になった時にメンドくさいからという理由で、阿賀チミコの手帳も、ページを捲りながらスマホでパシャパシャと写真を撮られた。


「よしっと……。じゃ、調査開始といきましょうか」

「まず調べるべきはどこだと思いますか?」

「人に聞く前に自分で考えるってことを覚えないと、いつまで経ってもサルから人間にはメタモルフォーゼできませんよ」

「…………………」


 19歳って少年法とか減刑とかあったっけ……などと本気で殺人を考えてしまうぐらいムカつくが、確かに宣撫さんはアカサのことなんて一切知らないだろうし、調査すべき場所を考えることができるのは俺だけだ。

 しばし、アカサの姿と数々の景色を思い浮かべて、幼少期のおぼろげなキオクに当てはめてみる。

 前の家の近くにあった、ちっさい公園。

 夏の数日間無料開放していた市民プール。

 ……ん、映画とかも行ったっけ? さすがに小学生だけで行かないよな?

 あと、なんか森っぽいところにも行ったような……。

 いや、今日び子供だけで森なんて、それこそ無理があるだろう。

 子供の頃にアカサと行った場所について思い出そうとしてみるも、なんせ10年以上前の記憶。ところどころ薄ぼけていて、たしかに行った覚えがあるが一緒にいたのがアカサかどうか思い出せなかったり、自信が持てなかったり。

 選択肢がいっぱいありすぎるし、どれも非確定的だ。

 それよりかは……。


「新聞記事などでアカサの死が取り上げられていないか、調べる価値は……?」

「……自信なさげに聞いてくるからバッサリ斬ってやりたいところですが。まぁ妥当なところではあるかもしれませんね」

「こんなこと言うと罰当たりかもしれませんが……。もし凄惨な事故・事件で死亡していた場合。そんなインパクトのある出来事、しかも幼少時の事件体験を綺麗さっぱり忘れているとすれば、やはり記憶を改変された疑いが出てきます」

「いいでしょう。それでは朝日奈新聞社の本部にでも問合わせてみましょうか?」

「えっ、そんなことできるんですか?」

「トモダチがいますからね」


 てっきり、新聞記事などを調査する場合は図書館などに行き、キーワード検索やら書類漁りやら、地道にじっくり調べていくものだと思っていたのだが……。

 朝日奈新聞社といえば、五大新聞のひとつに入る大手新聞社。そしてその本部に働いている人ともなれば、随分なお偉いさんなハズだ。

 宣撫さんは嘲笑するように……ていうか実際嘲笑しながら、スマホを取り出した。


「モノを調べる上で必要なことは、『最小の手数で情報を掴む』、です。図書館なんでちんたら調べてたら、とても毎週のゴシップ記事なんて書けませんからね」


 そもそも図書館にゴシップの手がかりはないと思うけど。いちいちツッコんでたら命がいくつあっても足らない気がしてきたので、ここはスルー。

 手まで垂れてきていた汗が液晶画面につくのを鬱陶しがっている宣撫さんに、もうひとつ気になっていることを聞いてみる。


「でも、そんなのってすぐ出来るものなんですか?」

「そんなの、とは?」

「全部の新聞記事を収容しているような本部を調べてくれ、ってお願いするワケですよね? そんな電話一本とか無料とかで引き受けてくれる仕事だとは思えないんですけど……」

「まあフツーは無理でしょうね。でも、私の声とを聞けば、大体の新聞社は冷や汗をタラタラ流して、必死に記事を探してくれますよ」

「いくつ弱み握ってるんですか、ホントに……」


 胡散臭い目で見る俺をその場にいないものとして、最悪の性悪悪魔……もとい宣撫さんは電話を耳に当てた。

 人が通り抜けるのもやっとな裏路地だが、当然その前後に出れば、道頓堀の街中どまんなか。車は排気ガスとエンジン音を吐き出してバンバン通ってるし、人もツバと笑い声を吐き出してベチャクチャ喋り倒してる。繁華街大通り歩行者天国、ヒューマンスクランブルまっしぐら。

 このうるささの中では、至近距離で宣撫さんが通話していても盗み聞きというワケにはいかないだろう……。脅迫のプロフェッショナルがどんな風に相手を脅しつけるのか、今後の参考のためにちょっと聞いておきたかったのだが。

 そんなちょっと不謹慎なことを考えつつ、宣撫さんの性格のキタナさに反比例した無駄に整った横顔を眺めていると。

 ……宣撫さんの口の端が、ニヤリと、うごめいた。


「お久しぶりですね、『虚偽広告』さん」


 いきなり随分な挨拶!

 こうもヒトを電話口で、罪名で、自信マンマンに笑って呼べる人間もそうはいないだろう。路地のザワつきのせいで通話口の向こうの声は俺の方まで届いてこないのだが、それでも、一切の情報なしに言える。

 ……電話の相手は、宣撫さんの声を聞いた瞬間萎縮しただろう。


「こないだ言いましたよねぇ? 私からの電話を『証明できる理由』なく無視することは許さない、って……」

『…………! ……!!』

「無視してない?ちゃんと出たじゃないですか、って? ……そうですね、私の設定したルールがアマかったようです。次からは、5コール以内に通話に出るように」

『……………………!?』

「ハァ? 仕事があるからムリ? 私の収入全体の半分の半分の半分の半分の半分ほども稼いでないのに? そんな程度の稼ぎ、私の常識の範囲内では『仕事』とも言いませんが?」


 で、電話の向こうから、語尾のちょっと強い発音だけが辛うじて聞こえてくる!

 なんだろう、自分で頼んでおいてなんだけど、すっげぇ可哀想になってきた。宣撫さん、出来るだけ優しく脅してあげてください……!

 つーか、宣撫さんの収入、朝日奈新聞の本部社員の何倍もあるのか……。たぶんそのうちキレイな金は、1割にも満たないのだろうけど。

 その後しばらく、電話の向こうの相手を、そんじょそこらの低レベルなマゾヒストでは悦べないくらいの罵倒で罵ったりなだめすかしたりしてサディスト欲求を満たしたらしい宣撫さんは、本題に入った。


「ま、ポッカリと空いた私の心の穴も満たされたところで」

『…………』

「は?」

『……!! …………!!』

「……今度余計なツッコミをした場合、アナタの体から首手首足首乳首、クビというクビ全部が飛ぶと思ってくださいね」


 こわいよぉ……。なんだよツッコんだだけで乳首飛ぶって。

 この悪魔を味方につけて、『心強い』だなんて平和ボケした不謹慎な感想を述べた過去の自分にパイルドライバーとかブチかまして、なんとしてでも一般良識を思い出させたい。


「頼みごとの内容はひとつ、今日中に『倉科愛紗くらしな あいさ』という少女の名前が含まれる記事を全て洗い出すことです」

『………………?』

「無かった場合はそう報告してください。ま、あとで『本当はありました』なんてほざいたりしたら、その時はアナタの体から乳首乳首、乳首という乳首全部が爆発すると思ってくださいね」

『…………!!』

「それじゃ、さっそく取り掛かってください。チャオ〜」


 ……こんなに不吉な挨拶を、俺は聞いたことがない。

 『別に私は何も悪いことしてませんよ』って感じのクソムカつくすまし顔で一方的に電話を切ると、宣撫さんは促すように俺の足を踏んだ。


「……暴力で意思を伝えようとしないでください」

「倉科愛紗の記事の調査結果に関しては、私のトモダチが調べてくれてるので待つしかありません。まさかとは思いますが、『何もせず待つ』なんて非効率の極みとも呼べる選択肢を取る気じゃないですよね?」

「当然でしょう。せっかく宣撫さんが同行するって言ってくれてるのに、無駄にするわけにはいきません。使えるものは全部使いますよ」

「人をモノ呼ばわりしないでくださいゴミ」

「……俺に指摘する前に、人をゴミ扱いしないでください」


 しかし……。

 宣撫さんの言う通り、このまま何もしないで報告を待つというのは最悪手だと思うんだけど、いまいち有効な調査対象や手段が思いつかない。

 子供の頃の記憶はおぼろげすぎてアテにならないし、かといってアカサにまつわる記憶で鮮明なものといえば、彼女の幽霊を見ただとか、調査のしようがないオカルティックなものなわけで。


「こんな早くから詰まるなんて……やれやれ、これだからシロートは。正直失望しました絶望しました、死亡を待望しております」

「最初からロクに希望もしてなかったでしょ……」

「私は遠回りは嫌いです。倉科愛紗の死亡の原因なんてミクロな要因からアプローチするより、もっとマクロに、全体を見て根本的要因を探るようなリサーチをした方が早いと思います」

「……高専生は英語苦手って知りませんでしたか?」

「自分の学がないのを高専のせいにしないでください。私が高専に肩入れしてる立場なら、この数秒で高専に対する名誉毀損容疑での起訴を行っているところですよ」

「聞いてから起訴するまで早すぎですよ! こんなしょーもない冗談を日本の司法に持ち込むことをちょっとは躊躇ってください!」

「……とにかく、あなたのアホ極まる学力のために、こちらから会話のレベルを落とすつもりは毛頭ありません。で、その『根本的要因』についてですが……」


 宣撫さんはそこで、おもむろに道の方に歩き出した。

 俺もそろそろ、この日陰でジメジメとした蒸し暑い空気に耐え切れなくなっていたので、ついていく。

 誰が使っているのかも分からないゴミ箱をこれみよがしに蹴り倒して、宣撫さんは振り向いた。


「私は、偽薬聖会の存在を調べます」

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