協力、双子葉、裏路地。

「……しゅ、取材するんなら、俺なんかよりここの店主さんにダシの秘訣でも聞いたほうが、面白い記事が書けると思いますよ……っていう」

「洗馬くん。私はですね、最近、やれ芸能人の不倫疑惑や、やれ絶賛売り出し中のアイドルをスキャンダルで失脚させたりや、やれスポーツ選手の賭博疑惑や覚せい剤使用疑惑や……なんというかこう、『ドッロドロな記事』ばっかりを書いてるんです。おかげで私の心は社会の闇に汚れていくばかり、ほろろろろ」

「いや、元から『ドッロドロ』どころじゃなく汚れきってるでしょうよ、あんたのココロは……」

「褒め言葉として預かっておきます」

「勝手に預からないでください返してください訴えますよ」

「慣用句に対して揚げ足を取らないでください鬱陶しい死ねクソガキ。……まぁようするに。私としても、不倫とかのドッッロドロしたニュースじゃなく、明るいニュースでおまんまを食べれるようになったなら、それ以上のコトはないんですよ。芸能人サマの恋路を邪魔していることに、いつも心を痛めてるんですよ……」

「いやだから、ラーメン屋の食リポ記事でも作って毎週担当すりゃあいいじゃないですか……」

「『毎週高カロリーなラーメンを食べて、その分太らないように運動しないといけない』なんて制約を受けるくらいなら、玉の輿に乗って調子に乗ってるクソゴミカスブス女の詐称過去スッパ抜いて離婚にまで追い込んで『ざまあ見晒せ!』って心を痛める方がマシですよ」

「ゼッタイ心なんか痛めてないですね! ていうかあんたに心なんてないよ! 鬼か悪魔かラブクラフト世界の邪神の類だよ!」

「ようするに……」

「あと『ようするに』を1つの話で何回も多用しないでください」

「ようするにようするにようするにようするに」

「やっぱり邪神だよ……勝てる気がしねぇ……」

「ようするに、『記憶喪失とそれを回復するための研究』の記事なんかが書けたら、それはとても嬉しいなって……ね?」

「……その魔法少女のセリフを使って相手をここまで怖がらせてるヒト、初めて見ましたよ、はははは……」


 乾いた笑いを返しても、目の前で手を合わせて『オネガイ』してくる邪神の、明らかに目が笑っていない笑顔は1ミリたりとも崩れることはなかった。

 くっ……『偽薬聖会が実在するかもしれないから、研究機関にこのことを知られるわけにはいかない』とさっき自覚し直したところなのに、そのそばから研究機関に知られるどころか世間にバラ撒かれる危機に直面している。

 運が悪いというか巡りあわせが悪いというか。とりあえずこの悪しき邪神と自分を呪っておくことにする。

 いま俺が置かれている状況を一般人に伝えたところで、「は? 偽薬聖会? お前いつまで厨二病患ってるんだよ」ぐらいの反応だと思うが……だけど相手は、宣撫さん。情報収集のプロだ。万が一記事にはならず世間に公表されなかったとしても。本気で調べ上げて宣撫さんが偽薬聖会と接触してしまったら、何が起こるか分かったものではない。

 というか怖すぎて考えたくもない……スキャンダルと人の不幸を糧に生きてる『邪神』と、プラシーボ世界論を信じ世界を自分たちのものにしようと目論んでいる『狂信者』の邂逅。

 これが人狼なら、第一犠牲者発見を待たずに村が滅亡しているレベルの大災害だ。


 ……待てよ。

 ……か。


「……そうですね」


 しばし考えて答えを出し、席を立つ。

 宣撫さんも伝票を持ってついてきた。逃げられないようにするためかほとんどゼロ距離で背中をつけてきているのがウザい。


「お会計はよろしくお願いします。あと、詳しい話はこういう場所ではマズイので、さっきの細い通路で」

「了解しました。……ちなみに聞いておきますけど、その配慮は、ただの厨二病の『サスペンスドラマとかでよくある台詞を言ってみたかっただけ』じゃないですよね?」

「いや、割とマジでヤバイ話なんで……」


 …………まぁ。

 このセリフを言ってみたかったことは否定しないけどな!


 ラーメン屋の会計を済ませ(宣撫さんに奢ってもらっている俺を見て、レジの男性バイトが何やらやるせない目をしていたのが気に入らなかったが)、外に出る。

 相変わらず左手は、カッターシャツのスソをシワが出来てしまうほどギュッと力強く握られて、自由を奪われたまま。俺と宣撫さんは、来た道を戻っていた。


「ひとつぶどうぞ、ブレスケアです」

「ん、どーもッス」

「顔がキモイ上に口も臭かったら、もうどこも褒めるところがなくなってしまいますからね……。この度は本当にお悔やみ申し上げます……」

「………………………」


 坦々麺食ってパワー全開だな、このヒト。


「ていうか、ちゃんとお話しはしますけど……記事にはしないでください、宣撫さんの身にも危険が及ぶので」

「そ、そんな。聞いてるこっちが恥ずかしくなるような陰謀論はやめてくださいよ。リイカ、こわぁい」

「……オホン。えーと、それを真に受けないと言うなら、残念ですがお話しすることはできません。本当に突拍子もないハナシなので……」

「大丈夫です、『こんなの信じられるわけねーだろうが!! このウスラトンカチ一人ガリデブカスクソ野郎!!』とか、ゼッタイに言いませんから」

「え、ええ……それならいいんですが。うん……」



「こんなの信じられるわけねーだろうが!! このウスラトンカチ一人ガリデブカスクソ野郎!!」

「あんたホンット外してこないな! ちゃんと日常的に伏線回収してくるよな! さっき言ってたのと一字一句間違ってないもんな!!」


 午後1時、道頓堀の少し込み行った、小規模ビルの立ち並ぶ繁華街、そのほっそい裏路地。

 プラシーボ世界論、ニューロンレーザー、それによって引き起こされた記憶喪失、阿賀チミコ邸を調べに行ったこと、そしてその中で見つけた手帳の内容、ニューロンレーザーについて栄さんからアドバイスを受けたこと……。

 ところどころ、かいつまんで、ではあるが。だいたいの内容はいまの話の中で説明できたと思っている。

 その結果がこのリアクションでは世話ないわけだが。


「あのですねぇ洗馬くん。私はラノベの設定案聞きたいんじゃないんですよ……」

「ううん……。俺も手帳の内容については半信半疑なだけに、偉そうに信じろだなんて言えないですけれど…………」

「そりゃ私も専門外なので詳しいことは分かりませんけど。そんな偶発的に、ほとんど帳尻合わせのようなミラクルで記憶喪失が起きたんだよ、って言われても、信じろって方が無理なハナシです」

「プラシーボ世界論関連の話を疑うことはまあいいですけど、記憶喪失のことについては信じてもらえないと困ります」


 これが信じれないのに、偽薬聖会うんぬんを信じろなんていうのはさすがに段階ぶっ飛ばしすぎだからな……。ていうか実質ムリ。

 宣撫さんのつま先が、苛立たしげにアスファルトの地面をトントンとタップする音がこの狭い路地裏にはよく響く。心地よく小気味いいリズムの中、邪神にジトっと睨まれて、本当の気分的には居心地悪いことこの上ない。


「……そうですね、記憶喪失については信じましょう。だけど洗馬くん、栄さんには悪いですけど、私は『プラシーボ世界論』なんて最初から信じちゃいないんですよ。あのオフ会で話を聞いた時からね」

「はぁ。そりゃ俺だってまだ半信半疑ですけど、実際に幽霊というものをこの目で見てしまった以上は……」

「なぜ『幽霊を見た=プラシーボ世界論が正しい』ということになるんですか?」

「……そ、それは」


 ……そうだ。俺はプラシーボ世界論についても懐疑的だったはずだ。俺にプラシーボ世界論について教えてくれた栄さんでさえ、これは学会で正しいと証明されたわけではないと言っていたのに。

 それがなぜ、いつの間にかそれを信じてしまっていたんだ?

 偽薬聖会の存在については頑なに『半信半疑』としているのに。偽薬聖会の存在の方がまだ、そんな頭のおかしい宗教集団も世界にはあるかもしれない、という点で現実的だと言えるのに……。


「ところで洗馬くん。私に会うまでなにか考え事をしてたみたいですけど、これから何をしようと思ってたんですか?」

「……!!」


 心の内を覗かれて、的確に急所を狙い撃ちされた気分だ。


「……アカサを……。アカサがなぜ死んだのかがどうしても思い出せないことに気がついたんです、それで、調べようと…………」

「なるほど。たしかにさっきのお話が本当なら、記憶喪失を目の当たりにした上に奇妙な手記を発見して、そのすぐあとに『どうしても思い出せない』と来れば、状況的に考えて、自分が記憶喪失になってしまったのでは? と思うのも無理はないかと思います」

「本当なんです! 思い出そうとすると、なんか、脳が痛痒くなるような違和感があって……」

「………………」


 宣撫さんは顎に手を当てて、神妙な面持ちで黙り込んだ。

 真剣に考えてくれているのはこの上なく嬉しいが、同時にその顔色はあまりいいものじゃなく、まだ俺の話を8割も信じてくれていないようで、この上なく不安でもあった。


「…………洗馬くん」

「は、はい」

「仮に今の話全部、本当に起きたことだとしましょう。阿賀チミコ氏の手帳の内容も含めて、全てです。あくまで仮定ですが」

「仮定、ですか」

「そうすると、1つ気になる部分が出てきます」


 宣撫さんの左手が顎を離れて、俺に近づいてくる。

 何の前触れもないその行動に緊張して強ばった俺の顔には何のリアクションも示さず、真顔で、人差し指を俺の額に押し付けた。


「……なぜあなただけが、クリコの看板のことを覚えているんですか?」

「………………あ……!!」


 ……なぜ今まで気付かなかったんだろう。

 そうだ。明らかにおかしい。


 他のみんなは『最初からあそこに飾られていたのはワシミグループの看板だった』という認識なのに、俺だけが『あそこにはクリコの看板が掲げられていたはずだ』と認識している。

 おかしいと思ってはいたが、『何かがおかしい』『偽薬聖会が本当に実在して、人々の認識を書き換えたのか?』などと色々考えたが、については全く考えもしていなかった。

 ……こんな時なのに愛想笑いのような息がこぼれた。なんて馬鹿なんだろう、と。


 まず9割がた、『俺の記憶だけが書き換えられた』というのはありえない。

 プラシーボ世界論に法って考えるなら、俺みたいなちっぽけな人間ひとりの認識を変えたところで、日本有数の大都市である大阪の名物、その中でもトップクラスに有名な『クリコの看板』の存在を書き換えることなんてできないだろう。

 じゃあ、なんで俺だけが取り残されてるんだ……?

 なんで俺だけが、『クリコの看板』という記憶を持っているんだ? グリコの看板とワシミホークの看板、どっちが正しい記憶なんだ? そもそもこの場合、正しいってなんだ? 書き換わる前も後も正しいと言えるはずじゃないか?


 混乱する頭に、宣撫さんはさらに次の質問を投げかけてきた。


「……洗馬くん。本当のことを答えてくださいね」

「…………」

「あなたは、他の記憶喪失者たちのように、記憶喪失の放電……ニューロンレーザーを、一度でも浴びましたか?」

「……いいえ、まったく、一度も。………………いや」


 ひとつ、頭に閃くものがあった。


 ヘリに乗って道頓堀の上空を飛行している時に見た、あの青い光。

 あれを見た瞬間、ものすごい痛みと幻覚症状のようなものに襲われて、気がついたら痛みは一瞬で消えた。俺以外は(といっても、聞いたのは蓮と、ヘリのパイロットの人だけだが)そんな光について一切知らないと言っていた。

 そして、そのあとにクリコの看板が変わってしまっていることに気付いたのだ。


 その体験を、あれがニューロンレーザーなのかどうかは分かりませんが、という前置きを付け加えて話すと、宣撫さんはさらに難しそうな表情になっていった。


「……阿賀チミコ氏は、何らかの形で記憶を消そうとされたハズなのに、結局記憶を失ってはいなかった。彼女の周りの人たちは薄情とも思えるほどに、彼女についての認識を大きく書き換えられていたのに……」

「阿賀チミコさんは、その『消されずに済んだ記憶』を使って、俺たちに向けた最後のメッセージを遺した……」

「本人だけが記憶を失っていなかった。不自然ですよね。つまり彼女は記憶改変に対抗できる、なにか潜在的な能力を持っていた可能性があります」

「…………つまり……?」


 生唾を飲み込む。

 宣撫さんはそこでいきなり冷めたように、目を半目にして、呆れた顔で言った。

 それはあまりにも露骨で、『私は信じちゃいないけどな』という意思表示を必死になってしているようにも見て取れて。


「洗馬くんも、阿賀チミコと同じように、『記憶改変が一切効かない』という特殊能力を持っているのかもしれませんね。…………なーんて、そんなことあるわけないですけどね、クソ厨二病じゃあるまいし」


 クソ中二病じゃあるまいし。

 すごく強いイントネーションが乗った言葉が、細い裏路地に反響して、宣撫さんの耳へと還っていくような気がした。

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