最終章 希望の陽だまり
「まあまあですかね」
閲覧済みの署名をしてフォルダーを閉じた弓弦羽は、それを神納に手渡した。彼女はこの午後二時からカウンセリングを日邦大三島で行なうが、大藪に頼まれて資料を届けに早めに訪れていた。
「進捗は?」
瀬織の問いに弓弦羽は首を横に振る。
「二ヶ月近く掛かって、殆どは検挙できたんだろう。その程度だよ。これからが長い。日本司法制度の最大欠点だろうね」
「織澤元代議士は?」
「なおも消息不明。ま、もう息をしていないだろ」
異病が世界を席巻してから旅客航空便は基本停止されている。織澤は日本と某国を往復する客船で逃亡した。発覚したとき既に船は領海の外に出ていた。船籍が日本であれば、停船させて逮捕できただろうが。
入港した某国からは、該当者は乗船していなかったと連絡が入っただけだ。日本が要請した捜査員の派遣は即拒否された。
「だろうね。もう利用価値はないし、亡命を認めたら侵略行為に荷担していましたって認めるわけだしね」
淡々と意見を述べた神納に瀬織はあっさりと納得した。
逮捕された岳下の私兵は当初黙秘したが、戦時捕虜的な立場で扱われた方がいいか、それとも警官を二八名殺害した犯罪者として処罰されたいかと問われて急に態度を変えた。自ら某国の現役軍人だと認め、国際条約に基づく捕虜の待遇を要求した。その情報を発表した日本政府は彼らを交渉カードとして温存するつもりなのだろうと弓弦羽は見ている。
某国は全てを否定して日本の謀略だと国連で主張しているが、国際社会の反応は冷ややかだ。現役の外国軍人が日本国内で違法に活動し、なおかつ警察と戦闘したので侵略的軍事行動と見なされた。それ故、内乱罪ではなく外患誘致罪を適用して被疑者は拘束されている。
外国と謀って日本に武力を行使させたり、外国に軍事上の利益を与える犯罪が外患誘致の罪、通称外患罪だ。未遂であっても処罰は死刑のみ。最も重い罪とされる。
共犯は七年以下の懲役または禁固だ。なので逮捕された連中は囀りまくって協力している。館と鷺山は罪をなすり合っているけれども。
「矢木隆行を匿っていた政治団体も、やっぱりあの国の影響下にあるのかな」
頷かれた瀬織の眉が一気に下がる。
「国民への搦め手担当だよ。いろいろ活動しているが、彼らの主張は何処の国の利益となるか、そう考えれば団体の背後は解る。根っこは同じで名称だけ変えているのもよくある話」
「国際社会はアナーキーだって滉はいったけど。酷すぎるよ」
弱肉強食だね、と神納も苦々しく頷く。
「CGOも信頼回復にどれだけ時間が掛かるか。頭が痛いよ」
弓弦羽の愚痴に二人は沈黙した。
全国の警護士中五人に一人強の割合で逮捕された。CGO総本部が見込んでいた人手不足の解消計画は泡と消え、十月になった今も弓弦羽たちは休み無しで任務に就いている。
「ま、准幹部が大幅に増えるから何とかするさ」
自衛隊員様々だと苦笑いする弓弦羽に、神納が真剣な目を向けた。
「命がけで頑張ったのに名前も発表されず、市民からは冷たい眼で見られて。二人は納得できるの?」
「いいんだよ。組織の不名誉なのは事実だもの。その一員なんだから後ろ指指されるのが当り前。それに有名になりたくて頑張ったわけじゃない。目立っていいことなんてなんもない。宣伝に使われるのも真っ平」
瀬織も頷いた。微笑んで弓弦羽を見た彼女が口を開く。
「ご褒美昇進で十分。俸給の号数が上がった分、二人で美味しい物を食べれるし本もより買い込める。平穏な生活が一番。ですよね、少佐」
「異論ございませんよ、准尉」
十月一日付で二人は昇進し、同時にCGO日邦大三島出張所は十一月に二人増員が決定された。外部出動はその二人に任せ、弓弦羽は出張所の責任者として瀬織と共に日邦大構内だけを担当だ。
「二人が納得しているなら、私は心の中に秘めておこう。ねえ、今後どうなると思う?」
少し考え込んだ弓弦羽が口を開く。
「日本人は先の大戦で懲りた。戦争中の熱意が敗戦で一気に反対に振れたのか、はた程程にが苦手な民族なのかは置いといて。平和を大事に護るのはいいことだ。でも国際社会はアナーキーだ。日本国憲法の前文はちょっと時期尚早に過ぎたんだろう。理想は遠いというか」
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、と神納が諳んじた。
「辛い思いをしたし、責任を誰かに押しつけなかったから逃避しちまったのかも。この辺は神納君なら合理的に説明できるでしょ。今度教えてよ」
神納が頷いた。専門用語をつかうから書類にしてくれるそうだ。
「理想を目指して現実を確り見据え、決定し行動する。価値観やモラルが違う相手もいるし、それを強要する相手もいる事実を認める。独立独歩で他国に干渉せず、他国の干渉も受けずに今後も存続したいなら何をすべきか。それをもう一度再確認する時期なんでしょう。そう思うよ」
神納と津佳沙が考え込むのに任せ、弓弦羽はおのれの心中で続きを呟く。代表制民主主義の怖さを国民も思い知った。これで目が覚めなかったら、日本は滅びるだろう。永遠に続くわけはない。でも自分はそれを見たくないと弓弦羽は思う。最高の国じゃない。けれどそれほど悪くもない。独裁はもってのほか。多くを望む者は全てを喪うからな、と心の中で纏めた。
「それだけ?」
頷いた弓弦羽だが、少し考えてから続けた。
「学生に考えてもらえる講義をしないとね。風呂敷広げすぎたか」
頬を掻く弓弦羽に二人が笑う。
先月末、日邦大の正式招聘をうけて、弓弦羽の非常勤講師派遣が決定された。大学院の入試を終えてからは、授業計画の草案作りに励んでいる。国際安全保障概論。これが弓弦羽の担当講義名で、二年生が対象だ。
「私も自主聴講させてもらおう。ねえ、何かいい話はないの?」
「あるよ。日本だけでなく、全世界で出生率が急上昇している。日本は中間報告だけどね」
瀬織が微笑む。
「人類はまだ滅びないよ」
弓弦羽も神納も明るい笑顔で頷いた。
「二人も数年後貢献するし。ほら、そろそろ時間だよ。行こう」
神納が壁の時計を指さした。二人は顔を引き締めて腰を上げる。フライトジャケットに腕をとおす弓弦羽を瀬織は緊張した面持ちで見守った。
正門脇の掲示板で脚立に乗った職員がガラス戸の鍵を開けていた。下で待つ職員は丸めた紙を手にしている。反対側となる守衛所前の陽だまりで三人は待つ。
十月第三土曜日の午後一時、行き交う学生は手を動かす職員に誰も興味を示さない。構内は来月頭の大学祭の準備で浮き足立っている。
急に落ち着きをなくした弓弦羽を神納が笑った。
「自信あるんでしょ」
「いやあ、忙しくて準備がね。正直あまり……いや、まったくない」
瀬織も落ち着きなく腕を前で組んだり後ろに回したりし始めた。神納が呆れたように頭を振る。
「ちょっと。私負けるのいやなんだけど」
弓弦羽の唇がひん曲がる。
「誰と幾ら?」
「カバさんに決まってるでしょ。レートは五」
「そりゃまた。今のうちに謝っとくよ。あ、貼り終わった」
掲示板のガラス戸が閉められた。歩き始めた弓弦羽と瀬織だが共に足元を見詰め、その足取りは重い。
先に到着した神納が真剣な顔で振り向いた。
「何番だっけ」
足を止めた弓弦羽は顔を上げられなかった。その左袖を掴む瀬織もだ。
顔を伏せた二人は、神納の顔芸に気づけない。
「三十七番だよ、美和ネエ」
博士課程後期の合格者は十月の一期と三月の二期、二回の試験を合わせて三人だ。
「三十七……あちゃ!」
沈黙が流れた。袖を掴んだ瀬織の指が白くなる。
「おい、これはどうしたことだ」
背後から掛かった大声に二人は振り向いた。苦い顔をした大藪と真面目な顔の田原が掲示板を見上げている。
「大佐! いや、ちょっと。落ちても報告しますって」
「私にとっても、そしてCGOにとっても嬉しい知らせだ。今後もしっかりやれよ」
顔を引き締めた弓弦羽が深々と頭を下げた。瀬織はまた俯いてしまう。
「申し訳ありません。実力不足でした」
「上級教育支援を辞退するのか? 学資ローンは大変だと聞くぞ」
眼を瞬いた弓弦羽に大藪は真面目くさった顔で頷く。神納が噴き出し、大藪と田原も身体を折って笑いだす。
恐る恐る振り向いた弓弦羽と瀬織が目を見張った。
「合格だよ、滉!」
「応援しているぞ」
弓弦羽の背中を叩いて大藪が祝福する。
腕を掴む彼女の手に弓弦羽は自分の手を重ねる。笑顔の彼女が頷いた。
「は、尽くします」
満面の笑みを浮かべる神納が両の掌を差しのべた。
「今日も私の勝ち。すみませんね」
内ポケットから封筒を取り出した大藪が重々しく笑う。
「神納君。私は人の不幸で金を稼ぐのは嫌いなんだよ。聡明な君だからもう気付いているだろうけどね」
「負け惜しみもお上手で。津佳沙、柴多ちゃん達に集合掛けて。十九時からお祝いするよ。お店を予約したからね、大佐の奢りだ!」
封筒を突き上げて愉しげに笑う神納に肩を竦めて見せた大藪も和した。
Badass! 了
Badass! 橘 哲生 @puccyo338
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