出会い

 訪問者の到着を告げるメッセージに、リィザは深く呼吸をする。それは、ケアが客人を出迎え個人照会をし、リィザのいる部屋へ連れてくるまで続く。

「初めまして、ジンです、ジン佐川。リィザスミスさんですね? お会いできる日を心待ちにしていました」

「初めまして、リィザです。えっと……お茶は飲まれますか?」

ジンの返事を待って、リィザはティカップに紅茶を注いだ。

「いただきます……紅茶はどれほどなんですか?」

ジンは紅茶に口をつけた。

「紅茶に限らずですが……ここ十年ほどお茶を続けています。まだまだ始めたばかりです」

「いやあ、なかなかの味です。毎日飲みたいくらいだ」

「ご自宅の近くに紅茶を出すお店はないんですか?」

このご時世、店なんてみかけることもすくないじゃないですか。ジンがそう言うと、二人で静かに笑った。

「今回は『Q』のことについて、ということでしたが」

リィザが尋ねると、ジンは深呼吸をしてから訪問の理由を語り出した。


 私は、仮想現実を使って過去を再現し、体験できるようになりたいのです。タイムマシンはいつできるかわかりませんしね。大げさかもしれませんが、かりそめでも世界を作ったほうが早いと考えたのです。ご存知ですか?今では爪の先ほどの大きさで、200テラバイトのデータ容量を確保することができます。開発は現在停滞してしまっているようですが、日本にはスーパーコンピューター『凱・三 GAI3』があります。しかも現在貸し出されているんですよ。いまはそれを借りながら開発を進めています。まあ『Q』のおかげでよく眠り込んでしまうのでなかなか進みませんがね。とりあえず過去の歴史や建築物、自然、つまり「場所」は色々な人が既に作っていて、それならばその時代にあった価値観や人間関係を体験できないようにできないかと考えまして、まずは人間の欲求の調整をしていこうと考えました。それでできれば『Q』の開発者と、睡眠欲について掘り下げることで、つまり仮想の世界に命を吹き込むことはできないかと思いまして……


「すみません、よくわかりませんよね。実は他人に会うのは本当に久々で……こんなに緊張するとは思いませんで」

ジンは呼吸を落ち着けようと、紅茶を飲んだ。

「いいえ、気にしないでください。それになかなか面白そうな話だと思いますよ」

 実は私も祖父以外の人と会うのは久しぶりで緊張ちょうしています。というリィザの言葉に、だんだんとジンも落ち着いていった。

「おじいさま、というと川島レンジロウ博士ですか?」

「ええ、そうですね」

「あの、レンジロウ博士ですか」

「そう、なりますね。呼びますか?」

「えっ……あ、いえ今回は、遠慮させていただきます」

リィザが思いのほか真面目そうな顔をしたのでジンは慌てて返した。

「そんなに驚かれるとは、緊張も行き過ぎでは?」

リィザは柔らかい微笑みを向けた。人の緊張する姿は人を落ち着かせる。

「驚きもしますよ、培体の生みの親ではありませんか」

「正確にはメンバーの一人ですけどね」

「いえいえ、十分ですよ、十分すぎます」

なんせわたしもこの体ですから……。ジンは腕をさすりながらつぶやいた。

 思いついたようにジンは問いかけた。

「そういえば、家族関係は続いてらっしゃるんですね」

「そう、ですね……」

ジンは踏み込み過ぎた、と謝罪の言葉を口にした。

「いいえ、気になさらないで。珍しいですよね家族なんて。実際数年に一度会うくらいなんですが、しかも私が呼び出すばかりで……」

「そうですか、私は親の顔も思い出せませんから、三頭身以上となるとどうも現実味がわかなくて」

わかります。リィザはそういうと紅茶を注いだ。


 2000年代前半、人口の増加はゆっくりと進んでいった。70億、80億と増加は止まらず、その後もゆっくりと増え続け2070年には100億人に達した。そして増加したのは人口だけではなかった。

 まず増えたのは気候災害だった。地震から始まり、台風、自然火災、雷と大雨……ある時期までは温暖化だとか砂漠化だとか、人間が原因だという説を叫ぶもの多かったが、科学技術の発展により、人間社会が原因の温暖化はそれ以上悪化せずー結局温暖化は進むのだがー砂漠も簡単に緑化ができるようになったことで、人間がとにかく悪いという輩は自然と消えていった。代わりに声を大きくしたのは宗教団体だった。増えすぎた人間を減らすため神が行っているのだと。その声は思いの外広がっていった。ほぼすべての人間が「培体」に夢中になっていたからだ。死を克服するという考え方自体を受け入れたくないというのが本音だったとおもわれる。しかし結局はそんな声も今ではすっかり消えてしまった。それはそうだ、培体を受け入れない人間は死んでいったし、受け入れたものは今も生き続ける。ただそれだけのこと。

 『人口培養代体』が生み出されたのは人口が90億人に届こうかという頃だった。はじめは数名の科学者らが、試しに自分たちのクローンを作った。そしてそれはあまりにもうまくできていた。最初のうち、見た目だけで、なかなか長持ちするクローンはできなかったが、そのうちに何十年も、つまり人の一生分を耐えることができるクローンができるようになった。それだけでなく自由な年齢のクローンを短い期間で作れるようになったり、細胞のガラス凍結やミトコンドリアの制御により、クローンのストックができるようにもなっていった。人類は自分たちが考えるより科学技術を発展させていた。

 

「でもそれではただの自分に似た体ができただけ。第一記憶がない」

「そうですね。そこで脳みそだけを移し替えようとしたんです。まあ肉体的記憶はやっぱり失われるのですけどね」


 川島レンジロウ、彼自身はクローン開発には関わってはいなかった。しかし彼は、友人らの話を聞くうちにその研究がどこで行き詰まるかを理解した。まずプラナリアのような生物と違い、人間はたとえ本人の細胞からクローンを作ったとしても、記憶は反映されてはいなかった。つまり同じ見た目をしていても、そのクローンはクローン。別の物質だった。そのことを指摘すると、「どこまでクローン技術が進化できるかやって見たいだけだからそんなことはどうでもいい」と一蹴されてしまった。だから、彼は個人的に試行錯誤を重ねていった。そして彼は、培体実用化の第一人者の一人となった。彼にはきちんと市場が見えていた。

 まず自分のクローンを作る。そして頭を開くと生命時を機械に任せ、脳を、抜いた。科学者たちが、自我の成立の過程をつぶさに観察している間、彼はとにかく自分の脳みそをどうやってクローンに「植え付ける」かだけを考えていた。そして来る日も来る日も悩み、娘が見ていた昔のサイバーパンクアニメを見たことで、「装着する」という発想に至った。オリジナル の脳を完璧に保護すると、クローンの体の、脳みそのない、がらんどうの頭蓋骨にはめ込んだ。もちろんただはめるだけではだめだ。整体樹脂で成形された、脊髄と脳をつなぐジョイント、頭蓋骨の強化、そして視覚や嗅覚をつなぐためのプラグ。彼はそのー少々複雑だがーおもちゃに電池を取り付けるような作業を完全無人化することによって、培体の全世界普及に大きく貢献した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

the last lunch 七兵衛 @hooky

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ