マグ猫
snowdrop
マグ猫
子供のころ、夏になると親戚の家へ遊びに出かけた。
毎年恒例の夏祭りである。
沢山の人が集まり、夜になると花火も打ち上がるのだ。
いつものように父からお金をもらい、花火がはじまるまでの時間、参道の両脇にある屋台を物色していた。
焼ける匂いに誘われて歩いていると、タコ焼きと焼きとうもろこしの屋台にならぶ行列にはさまれたその出店に客はなかった。
変だなと思って立ち止まり見上げると、かわいらしい字体で書かれた看板が目に飛び込んできた。
マグ猫、という聞きなれない店だった。
「どうだいお嬢ちゃん、近くによって見てみないかい」
声をかけてきたおじさんの前には、浅くて横長の木枠が置かれてある。
近づいてみると、枠内には色とりどりのマグカップがならび、生まれて日も浅そうな子猫がはいっているではないか。
身を乗り出してくるものもいれば、身を丸めて眠るもの、手招きしてるものまでいる。
たくさんの猫達が、ニャーニャーと声を上げ、わたしに注目していた。
「子猫だ」
つぶやくとおじさんは、一つ手に取り、こういった。
「いやいや、これはただの猫じゃないんだよ。ほら、ふつうはおおきくなると、尻尾が増えたり羽が生えたり、なかには百万回死んでも生き返る長寿だったりで莫大な餌代が必要になって大変だ。ところがだ、このマグ猫はちがうんだ。よくみてごらん」
おじさんの赤いマグカップの中をのぞくと、黄色い瞳の黒猫が眠たそうな顔であくびをした。
「こいつらは特別なマグに入っていてね、このサイズ以上に成長しないんだ。餌なんてちょっとでいい。寝起きするにもマグの中だから、ずっと君のそばにいてくれるし、いつでも愛くるしい姿を愛でることができるんだ」
「すみません、うちの子をあまりからかわないでくれますか」
振り返ると、わたしの後ろに父が立っていた。
「娘が信じ込んでしまったらどうするんですか、そんな話を」
そういうと、わたしの手を引っ張っていこうとする。
だけどわたしは父の手を振りほどいた。
「おじさん、いくらなの?」
「五百円だよ。どれにする?」
ぐるっとみわたし、目のあった青いマグカップを指さした。
「毎度あり」
父は何かいいたかったようだけど、わたしの顔をみて、頭を撫でてくれた。
いま思えば、これくらいいいだろうと、父は考えたのかもしれない。
※ ※ ※
その日から、マグ猫はわたしの自慢のペットになった。
名前はガランス。
選んだマグ猫は夕暮れ時にみられる茜色の毛並みをしている。
そこから名付けてみた。
みてるだけで癒されるとはこのことをいうのだろう。
手のひらに乗るほどちいさく、ふさふさとした手触り、つぶらな瞳で見つめられるだけで小躍りしたくなる。
餌は少しですむし、置き場所は取らず、とにかく最高だった。
指を出すと、ぺろっと舐めてくる。
ガランスの舌はザラリとして、くすぐったい。
喉を撫であげると、気持ちよさそうな顔をする。
そんなマグ猫を自慢したくなり、ガランスを学校へもって行く事にした。
先生が来る前の休み時間、ランドセルから取り出すと周りの子が集まってくる。
「マグ猫っていうんだ。このサイズのまま大きくならないんだって」
誰に説明するともなくいうと、クラスでいつも成績のいい子が、
「嘘つくなよ。小さいままなわけないだろ。生物はみんな成長するし、ハムスターやネズミみたいな小動物とちがって猫は大きくなるんだよ」
鼻で笑うような言い方が気に触った。
「これはならないよ、だってマグ猫だから」
「そんな猫いるかよ」
「いるもんっ」
「いねーよ」
成績のいい子は興奮したのか、ガランスを掴むと、マグカップから放り出した。
すると、どうしたというのだろう。
ガランスの体が突然、むくむくと膨らみはじめたのだ。
慌ててマグカップに押し戻そうとしたのだけれど、膨らみだしたガランスは収まり切らない。おまけに膨らみが止まらなかった。
もっと大きな入れ物を、と教室にあったバケツに押し込んだとたん、ガランスの膨らみは治まってくれた。
これではマグ猫ではなくバケツ猫だ。
その日はバケツにいれたまま授業を受け、連れ帰った。
マグカップの大きさには戻らず、ふつうの猫と同じサイズになってしまった。
親戚の家に電話して、マグ猫の出店を探してもらったのだけれど、夏祭りが終わった今となっては、出店の所在を知る方法はなかった。
たしかにあのおじさんは、マグサイズ以上にはならない、といってたのに。
父に相談すると、それ見たかといわんばかりの顔をむけてきたけれど、
「大きくなっても可愛がってあげなさい」
わたしの頭を撫でてなぐさめてくれた。
※ ※ ※
それからしばらくして学校から帰宅すると、ガランスがまた大きくなっていた。
母の話によると、部屋の掃除をしていたら机に置いてあったバケツをひっくり返してしまった、そうな。
そのとき、ガランスがバケツの外に出てしまった。
それだけなら問題なかったのだけれど、なんとまたしてもガランスの体がむっくりむっくり膨らみはじめたのだ。
あわててバケツに押し戻そうとしたのだけれど、一度膨らみだしたら止まらない。
家の中を探し、捨てるつもりだったりんごの空き箱にいれたのだ。
ガランスの膨らみは止まらなかった。
むっくり、むっくり、むっくり。
ダンボールいっぱいに収まると、ようやく膨らみが止まった。
中型犬なみのサイズとなると、もはや猫ではなく子熊といっても通用しそうなほど。
それでもニャンと甘えた声で啼かれると、かわいくて仕方がない。
問題は餌だった。
小さいうちは大したことなかった餌代も、子熊サイズになると、子供一人分の食費がかかってくる。
わたしのおやつを我慢するしかなかった。
かわいいガランスのためなら、我慢するくらい、なんでもなかった。
※ ※ ※
ダンボールは丈夫だけど、永久的な強度があるわけではない。
所詮材質は紙。
水には弱かった。
ガランスのおしっこにより、ダンボールが破れたのだ。
またも、みるみるうちに大きくなっていった。
そのときわたしは部屋にいたのだけれど、夜中だったため気がつかなかった。
なにか気配を感じて目を開けたときには遅かった。
ガランスは部屋いっぱいに膨れてしまっていた。
僅かな隙間をたよりに窓から外へ脱出したわたしだったけれど、象並の大きさになってしまうと、どうしていいのかわからなかった。
父と母に相談し、警察に連絡することにした。
かといって、警察が小さくしてくれるわけもなく、
「これ以上はご近所に迷惑をかけないでください」
と注意されるだけ。
「なんとかガランスを助けて下さい」
わたしは必死にお願いすると、同行していた保健職員が、
「三日ほど、様子を見ましょう」
といい、
「それまでは餌をやらないでください」
そう忠告された。
ここまで大きくなると、どれくらいの分量を用意しなくてはならないのか。
象の食事は数キロといわれている。
一日三食を考えただけでもうちでは無理。
かわいそうだけど、わたしはみていることしかできなかった。
お腹がすいたのか、吠えるようにニャーニャーと啼かれる。
近所迷惑にならないよう窓を閉めたけど、静かにしてくれない。
そのたびに、撫でてあげた。
できるだけ傍につきそい、撫で続けた。
三日過ぎると、ガランスは啼かなくなった。
同時に、風船から空気が抜けるように縮んでいくではないか。
しばらくすると、部屋の真ん中にありふれた大きさのガランスが横たわっていた。
「マグ猫とよばれるこの種の猫は、入れ物の大きさに合わせるように急激に成長するのです。ただし餌をたべないと三日のうちに死にます。ですからここまで大きくならないよう、購入者に飼い方のマニュアルを伝える指導をしているのですが、伝えず販売する闇業者が後を絶たないのです。なので法整備が整い次第、来年からは売買が禁止になります」
保健職員は、ガランスの亡骸を引き取っていった。
いまでは、出店やペットショップにマグ猫は売られていない。
だけど青いマグカップを見るたびに、ガランスと過ごした日々を思い出す。
マグ猫 snowdrop @kasumin
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