第5話 エピローグ


 その次の日、ゼミの作業分担を話し合いたいと、俺達は早苗に大学の少教室へと呼び出された。竜二はバイトがあるとメールを寄こし来なかったので、俺と久一の二人で馳せ参じた。

 早苗の様子を見ていると、どうやら記憶は完全に無くなっているようだった。俺との記憶に関する質問を幾つかしてみたが、首を傾げるばかりだった。……これでいいんだ。

 俺の記憶も、少しずつ薄れていくのだろう。この胸の痛みとも、それまでの付き合いだと思えばやりきれない事はない。そう思って、窓の外を見れば、入道雲が空を登る所だった。

               *

 その数日後、久しぶりに竜二がアパートに顔を出した。そしていつものように世界平和への思いを馳せながら床に転がっていた俺の深遠な思索を妨害した。こいつのせいで今、世界から争いが無くなる日が十年遅れた事を、こいつは知る由もあるまい。

「オウ孝太郎このアホボケカス。てめえこの前はよくもやってくれたのうおおん?ああん?ふうん?」

「なんだなんだ籔から棒に。鼻息荒すぎるだろ。……あれ、籔から棒にって何かエロくね?」

「そんな事はどうでもいい!てめえが冴子さんへの俺の気持ちをあんな形でバラしやがったから、おかげで俺が冴子さんを変に意識しちゃって仕事が手につかんやろ!」

「あんたの仕事が手についてないのはいつもでしょ」

 ベットの上で同じく寝転がっていた久一が加わる。

「久一は黙らっしゃい!さあ、孝太郎、年貢の納めどきやぞ」

「……俺そんな事したっけか?」

「このボケしらばっくれるのが上手いのう。まあ、これで冴子さんも俺の事を少しは意識するに違いない。塵も積もればちりめんじゃことも言うしな。そういう観点で見れば良くやったぞ、うん」

「お前は何が言いたいんだ……。ああ、言われてみればそんな事した気がしないでもないが、俺なんでそんなことしたんだ?ていうかお前が冴子さんを好きだったとか初耳なんだが」 

「まあまあいいじゃないですかどっちでも。どっちにせよフラれるのは目に見えてるし」 

「ハハハ!そりゃ言えてるな」

 その後俺と久一は、竜二に仲良く綺麗に折りたたまれ、ベランダから外へ投棄された。

               *

 そのまた少し後、フランスへ経つ咲の見送りに俺達は駅へと向かった。駅のホームにて、スーツケースを従えた咲と向かい合った。

「孝太郎、この前はありがとね」

「ん?」

「孝太郎が背中押してくれたお陰で決心がついたんだよ。やっぱ持つべきものは友達だよね」

「え、俺なんかしたか?」

「もう、この期に及んで照れなくたって良いじゃん。……じゃ、そろそろ行くね、ボク」

 味噌と醤油を大量に抱えた竜二と、珍妙な宴会芸セットを携えた久一をあしらいつつ、咲は旅立って行った。

 まあ、なんにせよ、あいつがなんか元気そうで良かった。

               *

  気が付けば花火大会の日がやって来ていた。山王神社の境内には、出店と蚊とカップルの群れが集まっていた。どこからともなく湧いてくるという点でこれらは似ている。そう考えれば、女に吸い付こうとしている男はほとんど蚊みたいに見えるし、女の方に手を回して何やらほざいている男は自慢のフランクフルトを売り込もうとしている屋台のおっちゃんと何ら変わりない。

 久一が提唱したこの新たな悟りを検証すべく、俺達は様々な音や匂いが祭りを盛り上げる境内をぶらぶら歩いていた。

 最近ふとした時に、知らない思い出が頭をよぎる。知らない筈のその記憶は、何故か奇妙な懐かしさで、頭の中に浮かぶ度、俺の胸を締め付けた。

 その記憶は、断片的で曖昧だが、もしそんな体験を俺がしていたのなら、それは青春と呼んで良いんじゃないか、そんなこっ恥ずかしい感想をもたらすようなものだった。そんな日はいつか俺に訪れるのだろうか。ヒグラシの声が混じる風が吹く中、そんなことを考えた。


「……そろそろ、迎えに行ってあげる頃合いなんやない?」


 だから、そう竜二が言った時、俺は咄嗟にその意味を理解できなかった。

「え?なんだ?迎えって、誰を?」

「やから、待たせちまっとるんやろ?今なら、あの三人が願い事をしちゃいけないタイミングも過ぎとるし、お前の思いの丈をぶちまける時やぜ」

「……は?お前、いきなり何言ってんだ?」

「あー、お前、もうそこまで忘れちまっとんのか」

 竜二は手首で額を押し上げながら、嘆く素振りをした。そして、俺に向き直り、話し始めた。

「んじゃあ、今のお前には何を言っとるかちんぷんかんぷんだろうが、俺も覚えていられるのが今しかないから、全部説明しちまうぞ。理解はその後してくれ」

「いやだから……」

 竜二は有無を言わせず、俺の両肩を両手で掴んだ。

「昨日の晩、お前はおらんかったけど、神ラーメンのあんちゃんがアパートに来てな。神ラーメン三百三十三杯目おめでとう!とか言いながら、俺と久一の頭を掴んだ。すると、まあ今回の事のあらましがだいたい分かったと言うか、思い出したんや。あんちゃんは三百三十三杯目の願い事は孝太郎のを代表して叶えちゃったけど、お前らにも適用するの忘れてたとか言ってたな」

 そのまま竜二は話し続けた。

「そんで、あんちゃんが言うには、あの三人が願い事をしちゃうとまずいタイミング、その一点を過ぎれば、もうお前と誰かがくっついても時間が戻る仕組みは発動しなくなる。やけど、そん時までお前の記憶が残っとるかどうかは分からん。そのために俺らを使ったんやと」

「ねー、あんたら、さっきからなんの話してんです?僕も混ぜてくださいよ」

 竜二は、割って入ってこようとする久一に、これでリンゴ飴でも買ってきなさい、と三百円を渡した。久一はわーいと声を上げて屋台に走って行った。

「ちなみに久一に記憶が無いのは、この記憶とマスターの話を辿る限り、孝太郎が選ぶ娘は大体検討がつくから、僕の分でその娘の記憶を戻してあげて下さいって言ってたからやぜ。その娘が俺は誰か知らんが……感謝しといてやれよ」

 そこまで喋ると、竜二は俺の肩から手を離し、自分の腰に当てた。

「そんで、今から俺の分の記憶もお前にやる。やりかたはあんちゃんから聞いといたから大丈夫や。その後どうするかはお前の自由やが、俺の分の記憶もあんちゃんの力でむりやり保たしとるだけやから、あんま長くは続かんぞ」

 最後に、あ、といって竜二は手を叩いた。

「忘れてた。最後にあんちゃんから伝言や。えーっと、お前の最後の願いをなんとか拡大解釈してみた、少しはお前の言う神様らしくなれたかよ?やとさ」

 その言葉を聞いた時、何故かは分からないが俺の目頭が熱くなった。

 そして竜二はそのまま、俺の手を掴んだ。

「俺からもひとつだけお願いや、冴子さんの所行ったら殺す」

 竜二はそう言ってにこやかに微笑んだあと、こう叫んだ。

「今週の、ビックリドッキリ神通力ー!」

 ……その瞬間、竜二の手から見えない熱い奔流が俺の中に流れ込み、俺の脳を満たした。すると、俺の中の記憶が呼び起こされ、生み出され、意味を成し、そして全てを思い出した。

 

……俺は、なんでこんな大切な事を全部忘れちまっていたんだ。


 感傷と後悔に倒れそうになるが、今はその時間も惜しい。俺の記憶は本来この世界には有ってはならないものだ。故にすぐに消えていくだろう。

 そこに、リンゴ飴を舐めながら口の周りを真っ赤にした久一が戻って来た。食べ方が下手すぎるだろ。おしゃぶりから練習をやり直せと言ってやろうかと思ったが、こいつにも助けられちまった事を思い出した。

「もう話は終わったんですか?」

「え、話?俺らなんか話しとったん?孝太郎」

 二人揃ってきょとんとする竜二と久一に、思わず俺は吹き出してしまった。

「ちょっと俺行かなきゃいけない所ができちまったから行くわ!お前らがダチで良かったよ!ラーメン奢るわ!今度は久一にもな!」

 そう言って俺は、ますますきょとん顔を加速させる二人を置いて、駆け出した。

            *

 俺は走った。喘ぐように呼吸する度、汗が滴り落ちるたび、俺の記憶もどんどん頭の中から零れ落ちて行く。でも、行かなきゃいけない場所と、言わなきゃいけない事。これだけ覚えていられればいい。

 見えてきた。その角を曲がって、登れば、ほら。


「……悪い、待ったか?」


「ううん、今来た所だよ、孝太郎」



   FIN

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青春は遅れてやって来る @wazennukio

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