第4話 トゥルーエンド

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  ある夏の昼下がり、どこにでも有りそうで実際どこにでも有る、いつものアパートの一室で、俺は目を覚ました。窓の外から飛び込んでくる日差しも、窓の外から実際に飛び込んでくる蝉の声も、変わらないいつもの夏の日そのものだ。

 ……だけど、この朝は、いつもと、いつかと、変わらなさすぎる気がする。何回も見た気がする。コタツの上に置いてあるペットボトルの位置も、俺が起きた時についていたテレビ番組も……そして、これからのことも。

 俺がこの夏のトレンドとしてヘビーに着こなしているコタツ布団を手で押しのけ起き上がると、俺の九十度隣から声が聞こえた。

「おう、起きたんか。もう昼やぞ」

 隣で定期購読している筋トレ雑誌『腹を割って話そう』を読んでいた竜二が、目線は紙面に残したまま声をかけてきた。

「知っている。なぜならここ数年間俺が昼より前に起きたことなど数えるくらいしか無い。確か半年前に夜中にいきなり足が攣って、激痛で飛び起きた時くらいだな。あの時はこの足はもう切断するしか無いと覚悟したもんだ」

 思わず口が動いていた。まるで、俳優が何回も稽古した舞台の台詞を諳んじるかのように。

「……なあ、孝太郎」

 竜二が頭を掻きながら口を開く。何故か竜二が言いたいことが分かった。

「やってるよ」

「……え?」

「俺ら、何回もこの朝を繰り返してる気がする」

 俺がそう言い放つと、竜二は頭を掻いていた手をそのままに、ぽかんと口を開けた。そうしていると痴呆にかかったオランウータンみたいだぞ。

「……今度は何の小芝居をしてるんですか?暇だから、僕も混ぜてくださいよ」

 ベッドの上で寝転びながら、俺らのやりとりを眺めていた久一が、会話に加わってきた。この流れも俺の頭のなかで開かれている台本通りだ。少し確かめてみる。

「……お前はそんな気しないか?この朝を何回もやっている様な、既視感」

「デジャヴってやつですよ。こいつは脳の誤作動で、そう感じてしまうだけですよ。普段から野良犬より頭が悪いって言われているのに、更に誤作動まで起こしてどうすんですか」

 ……この台詞も。それで、久一と俺がやりあって、

「うるさいぞ豆童貞。誰からも愛されていないからって、そうやってあちこちに噛み付いていると、狂犬として駆除されるぞ」

「僕くらい愛を知る人間は居ませんよ。この前だって、僕の携帯に、突き指をこじらせて不治の病に侵された少女のお父さんからメールがきまして、お金が必要だってんで言われた額面を口座に振り込んであげたら、今度はそのお母さんが交通事故に遭ってしまってお金が必要になったってメールがきました。いやあ、人に必要とされるって、本当にいいもんですね」

 細かいところはアドリブだけど、流れは同じで、

「……だから、お前そういうメールや電話が来たら、まず俺らに見せろって何回も言ってるだろ。詐欺だぞ、それ」

「違います!なんですか孝太郎。自分が街で輸血募集を呼びかけてる人にくらいしか必要とされていないからって、拗ねてるんですか!」

 最後は、竜二が場を閉めるはずだ。

「清き体と汚き心を持つ男たちよ鎮まり給え。諸君らは今とても無駄な時間を過ごしている」

 ……ほらな。


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 ……さっきからなんだこりゃ?俺の頭の中に思い浮かぶ通りに物事が進行している……。それで、これからもそれをなぞるのなら、俺がゼミの話題を持ちかけるはず。なら黙っていてやれば、どうなるんだ?

「そういやお二人さん、今日のゼミはどうするんです?行きます?」

 ……そうか。多少の枝葉の違いはあれど、大筋に収斂するように修正が働くのか?……このままだと過去三回と同じ流れだ。

……過去三回?

「パス一や」

 竜二の声が遠くに聞こえた。俺はこの朝が何回も繰り返しているっていう確信が何故かある。これを前提にするなら、繰り返す条件は何だ?もしくはそうならない条件は?過去三回の記憶が、おぼろげに今蘇ってきている。今四回目なら、

「……孝太郎?あんたはどうすんです?」

 ……俺はこの朝を永遠に繰り返すかもしれないのか?

「おい、どうしたんや黙り込んで。そんなに悩んでるんか?大学に行きたくないのなら寝ていればいいじゃない。それが俺たちじゃない」

 ……いや待て。思考が安直に過ぎる。もしそうなら、この四回目に今までの三回では引き継いでいなかった記憶を今回だけ持ってきているのはなんでだ?なにか条件を満たしたんじゃないのか?

 ……ブブブッ

 その時、俺の尻のポケットに入っていた携帯電話が、着信を知らせるため震えた。

「うひゃあ!孝太郎の百年に一度鳴るか鳴らないかの携帯が鳴ったぞ!明日は嵐や!」

「あんたの携帯にメールを送る人間なんているわけがない。これは心霊現象ですよ!あな恐ろしや!あな恐ろしや!」

 ……騒ぐ阿呆は無視する。見ないでも分かる。これは冴子さんからのメールだ。これを見てこれまではバイトに行ったり、行かなかったりして分岐していたんだ。

「……っ!」

 分岐、そうだ。条件を探すのなら、まずどこで、過去三回は文字通り三者三様の結果になったのかを探すのが手っ取り早い。……正直、俺の頭にさっきから少しづつ蘇ってきている情景は、どれもこっ恥ずかしいものばかりだが、今はあえて気づかない振りをする。……あれ?この記憶が本物なら、俺、童貞捨ててね?

「……フッ」 

 急に目の前の男共が哀れに見えて、思わず鼻で笑ってしまった。こいつらとは、長い付き合いだが、やはり俺はどこか特別な存在だったらしいな。こんど神ラーメンでも奢ってや……

「……神社だ」

 神社に三人でラーメンを食いに行って、それでふざけたお参りして帰るまでは、どの記憶にも存在している。そして、そこから、それぞれの展開が転がり始めている。……正直、手がかりとしちゃ、蜘蛛の糸より細い気がするが、これしか当てはない。

「……俺はゼミには行かん」

「……じゃあ今日はどうするんです?竜二なら、さっきなんやらメール見た瞬間、あとは孝太郎に任せたからって、ベランダからどっか行っちゃいましたけど」

「俺はお参りに行く」


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 俺が廃神社の前にたどり着くと、この時間帯には珍しく神ラーメンの屋台が出ていた。

「おー孝太郎、どうしたんだこんな昼間から」

「あんちゃんこそどうしたんだよ、いつも夜中に出してるくせに……っと、俺ちょっと急ぐから」

 神ラーメンのあんちゃんへの応対もそこそこに、俺は神社へ登る石段に足をかけた。

 月の表面のようにデコとボコがあり、ひび割れた隙間から積極的な姿勢で雑草達が乱立する石畳の参道は、歩きづらくて仕方ない。その伸びる先にある、拝殿って言うんだよな、ここゼミでやったところだ!……の前に立つ。 

 そして、その記憶を呼び起こそうとした。確か、あいつらとラーメンを待つ間に、ここまで来て、そして何かしょうもない願い事をしたんだ。それは、確か……

「……時間を……戻してくれ?」

 ……おい、本気か?俺。神様に願って、それが叶って、今こうなってるって?稚拙で短絡で曖昧な考えが俺の頭を支配した。しかし俺には、何故か、これが正解だという奇妙な確信があった。

「……だけど、それが本当で、だからなんなんだ?それでどうしたらいいんだ?」 

 色んな生き物の集合住宅と化していそうな、金は入っていないが年季の入った賽銭箱に、俺は手を付いた。この俺の記憶が、考えが本当だとして、そして俺は何をすりゃいいんだ。解決の方法なんて、どこから捻り出しゃいいんだ……。

 重い頭を持ち上げると、サビで化粧した鈴が、鈴緒を垂らしてこっちを見ていた。俺にはそれが、天界からの蜘蛛の糸に見えた。片手で掴んで乱暴に振り回す。

「……神様よ、何でもいいから教えてくれよ。やるだけやって放ったらかしって、ちょっと放任主義すぎない?……なんとかしてくれ、頼むよ」

 ガラガラと鈴の鳴る音が、蝉時雨の中に溶けていった。鈴尾を掴んだまま、俺は脱力し項垂れた。

「おーい!呼んだー?」

 その時、後ろから声が聞こえた。思わず振り向くと、

「……へ?」

石段をこちらに登ってくる、神ラーメン店主がいた。


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「んで、何か用?」

 頭に「神」とプリントされたタオルを巻き、ジーンズにティーシャツとラフな格好で目の前に現れた男は、なんの変哲も無い、いつも俺らを美味くも不味くもないラーメンでもてなす神ラーメンのあんちゃんにしか見えない。

「……え?何で?」

「おいおい、なんでとはご挨拶だな。お前が呼ぶから来てやったのに」

「い、いや、え?なんのキャラだ?突然」

「キャラじゃねえよ。私が神だ。いわゆるひとつのゴッド。この神社の主、ピチピチの七百六十五歳でーす。あれ、八百九十二だっけ?いや、もしかしてそろそろ四桁いってるのか?うわー俺もとうとうアラウンドサウザンドの仲間入りかよー」

 何時もと変わらず飄々と何時と違う事を言っているあんちゃんに、俺の脳味噌の中は錯綜する思考の電気信号で大渋滞を起こした。ていうかアラウンドサウザンドってなんだよ。

 そんな俺を見かねたのか、あんちゃんは、

「んで、どうだった?時間旅行の感想は」

 なんて言い放った。大脳環状線の渋滞はピタリと止んだ。俺はさぞ驚いた顔であんちゃんを見たことだろう。

「……やっと信じる気になった?まあ立ち話もなんだし、そこら辺適当に座れよ。自分の家だと思って」

 ……こんなボロ屋に住んだ事ねーよ。


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 俺は、地面から若干浮いて建つ拝殿とそれをつなぐ木の段に座り、あんちゃんは賽銭箱の上に腰掛けた。俺が見咎めると、自分の家だから良いんだよと笑った。

「んで、何を教えて欲しいの?」

「何って言われてもな……。まず俺の身に何が起こってるのかもわからないし、そんで俺がどうしたら良いのかも分からないし……」

「んーまあそうか。んじゃあ順を追って話すかね。まずは歴史のお勉強だな。このボロ神社と、花火大会とかで盛り上がる方の見てくれだけのでかい立派な神社。この二つは祀っている神様は同じ、つまり俺だな。これは確かお前知ってるだろ?」

「知らんぞそんな明日から使えない無駄知識」

「……あーそうか。今のお前はまだ聞いてないもんな、その話。細部までは記憶が流石にないか。まあいいや、そんで、まあ見ての通りこっちの神社の方が古くてな、こっちから、あっちの小奇麗ないけ好かない神社に、俺のクローンを派遣して、祀る事になったんだな。ナメクジが分裂して増えるみたいなもんだ。お前らは勧請とか分霊とか呼んでる行為な」

「いやそれも知らんが……。てかさっきから言葉の節々に嫌味が混じってる気がするんだが」

「そりゃそうだろ。みんなしてあっちばっか行きやがって。そのお陰でこっちは商売上がったりだっつうの。こっちにくるのなんか夜中に盛ったカップルくらいだよ。御休憩料金取るぞバカヤロー。まあ神視点では生めや増やせやはいい事だけどな。そんな訳で、最近はシノギとして屋台なんか出してみたけど、来るのはお前らだけだし」

「え?神様なのに金稼ぎのために屋台出してたのか?それに、何回も言ってたが、あんたの屋台が流行らないのは味が微妙だからだぞ」

「いや俺も勉強したのよ?でも貢物なんて貰ってばっかで作った事なんでなかったからな……。あとな、神様なんて祀られて、要するにチヤホヤされてナンボなの。アイドルと一緒。屋台が評判になれば、神社の名物になって……って待てよ、神様をプロデュースするゲームとか、スマホで出したら売れるんじゃね?」

「いやに俗世間に詳しいんだな……」

「ターゲットのリサーチはマーケティングの基本だぜ?まあそんなピンチの中、お前らとか、来てくれる人の子の存在はまあ、素直に嬉しくてな、やっちゃった」

「……何を?」

「願い、叶えちゃった」

 ……何処のキャッチコピーだよ。


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「願いって、つまり……」

「お前らが、時間戻してくれ、って言うから、おう、と思って」

 ……流石に呆気に取られてしまった。今話している内容も、今話しているあんちゃんの正体も、全く現実感が無い。でも、だからこそ、俺の脳の皺の間から、今こうしている間も次々と湧いてくる、現実感のない現実だった記憶の存在を、真偽を証明できると思った。

「……そんなこと、出来るのか?」

 気がつくと俺は、そう尋ねていた。

「いや、本当はやっちゃ駄目なのよ?それに、手続き面倒くせえし。書類書いたり、届け出したりとかさ。でもさ、お前ら、ちゃんと作法を守って願い事したし、俺もずっと暇してて力持て余してたし、これは叶えるしかないと思って」

「……作法ってなんだ」

「お三度参り」

 あんちゃんはそう言って、右手の指を三本立て、ひらひらと左右に振ってみせた。

「……お百度参りじゃなくて?」

「お前あんなきついのやりたい?神的にもさ、そんな願い叶えたかったら百回来いとか、誰が何回来たなんかいちいち覚えてらんないよ。ポイントカードも無いんだし。……というのは後付で、本当の理由は別にある」

「それは?」

「……俺の事、もっと知りたい?」

 ……まがりなりにも神様に、俺はイラッとしてしまった。


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「俺が神様としてデビューしたのは、今から相当昔で、もうなんかみんなほとんど裸みたいな格好して暮らしてた。んで、俺はここら辺に住んでる奴等の三番目の神として生まれた。昔は、アニミズムとか汎神論とか言うんだったか?山とか川とか、そこらへんの石ころとか、何でも神様がいると思ってたのね。今でも、お前ら何かあったらすぐ神曲!とかなにこれ面白いマジ神ゲーとか言うだろ?俺トイレの神様とまだ会ったことないんだよね。まあ俺を考え出した奴らにしたら、神様とかいっぱいいたほうが良くね?って考えだったんじゃないかね。そんな人の思想というか思念から俺は生まれた」

「え?でもそしたら、なんでこの神社にいるんだ?」

「語呂合わせだよ。この業界じゃよくある事なんだが、まず、山王信仰っていう、滋賀だがどっかに本社がある派閥に俺は組み込まれた。山王、さんのう、三の、てな具合に。んで、次は大陸から仏さん達がいっぱい来て、仏教が日本の一大ブームになって、その中に飲み込まれた。中学校で習わなかった?その流れ。んで、天台宗、だったかな、仏教の一派で、そいつ等の三諦即一思想うんちゃらっていう考え方があって、それに山王っていう字の三本線に一本通ってるって所が目をつけられて、その守護神になった。そんな感じで、色んな人間の考えに乗っかったり振り回されたりして、今までやってきた」

 そこであんちゃんは、ふと息をついて、空を流れる雲海に目をやった。

「もう、俺が最初なんて呼ばれてたのか、何だったのか、分かんなくなっちまった。……昔さ、ここらへん全部田んぼだった頃、小さい女の子が神社に花を持ってきてくれた事なんかだけ、最近思い出すんだよな」


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「話も長くなってきたし、纏めよう」

 賽銭箱の上で、尻を起点に回転し、俺の方へ向き直ってあんちゃんはそう言った。

「お三度参り、三顧の礼、何でもいい。参拝は転じて三拝。山王これ三之王。三を三重重ねする事が、俺に願うトリガーになる」

俺はその言葉を頭の中で吟味した。

「お前らは、三人で、同じ願い事を、一人一円ずつ、三円の賽銭で願った」

 そのあんちゃんの台詞に、疑問を感じる。

「しかしそれじゃあ、三が一つ足りないんじゃ……」

「その世界ではな」

 そう言ってあんちゃんは賽銭箱の上から飛び降り、地面に降り立つと、木の枝を拾い、地面に線を一本引いた。その上にαとつけたす。

「お前らは、このα線上を今まで生きてきた。そして、ここで、時間逆行を願った」

 そして、その線の真ん中にバツをつける。

「その時、時間逆行が起こる可能性が生まれる。時間がある地点まで戻り、リスタート出来るのなら、同じ時間に別の可能性が生まれる。例えばお前が自動販売機でコカコーラを買ったとする。しかし、その時にペプシ、あるいはインカコーラを買っていた可能性だってある。その時、同じ時間上に、お前の可能性は少なくとも三つ存在するわけだよな」

 さらに、もう二本、α線と平行に線を引き、それぞれにβ、γの字を振り分けた。

「もちろんそれは可能性の話で、実際は選んだ選択の後に現実は続いていく。だが、時間逆行を願った瞬間、並行して存在するもしもの世界が生まれる可能性が出来た。そして、同じ時間にいるが、別の可能性の世界に生きるお前ら、β線上、γ線上で生きるお前らが、同じ時間に、同じ願い事をする可能性も生まれる」

 最後に、α線上に書いたバツから、β、γ線目掛けて垂直に線を引いた。そしてその線と線が交わった所に、それぞれバツをつけた。

「その可能性が三つ以上あれば、それは時間逆行の願いを叶える三つ目の条件を満たす。そうやって叶えられた時間逆行の願いが、別の可能性の世界の存在を確定させたわけだ。これがカラクリ」

「……そいつは、つまり、鶏が先でも、卵が先でもいいって、そういう事か?俺が過去三回ループした中で、三回とも神社に願う可能性があったから、時間がループして、結果神社に願って……」

「そういう事。まあ、俺の視点、文字通り神の視点からみたら、過去三回っていうよりは、三叉の道なんだけどな。無数の可能性の中から、神社にあの時間あのタイミングで願う可能性が三つ選ばれたわけ。お前は人間だから主観でしか世界を観測できないけど、俺は俯瞰できるから、こういう事もできた。後は、時間を超えて、同じ三人が同じことを願うっていう、より三重重ねを強化できるケースだったのも大きいな。普通にやろうとすると、時間逆行なんて奇跡俺は無理だ」

「……理解は出来る気がするが、想像ができねえ。スケールが大きいのか小さいのかも分からん」

「まあ、俺、神だからな」

 ……それ理由になってるのか?後、いくら長い間不遇だったからって、所々で神アピールするの止めろ。分かったから。


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「ん、待てよ。時間が戻る理屈は分かったが、それがループする理由はまだ分かってないぞ。しかも三回って所も」

「お、良い所に気づいたな。孝太郎、お前意外に血の巡り悪くないんじゃないか?それともこの神社の思わぬ効用か?よし、次は学問成就で一発……それとも最近の脳トレブームに乗っかって脳トレみくじとか……」

「意外には余計だよ。あと脳トレみくじは流行らんと思うぞ。そういう相談は後で乗ってやるから、続きを頼む」

「後で……か」

 俺の言葉に、あんちゃんは顎の下を掻きながら呟いた。

「……ん、なんだよ、引っかかるな」

「いやすまん。少し脱線したな。続けよう。まあでも、お前も分かるんじゃないか?三回ループしてるって所に目をつければ」

「なんだ、話が見えないぞ」

「……あれ?やっぱお前血の巡り悪くね?なんだよ、知的系神社としての売り出しは断念かよ」

「……いいから早く教えろ」

「分かった分かった。三回のループの中で、一番違うところは何処だった?具体的に言えば、誰とそれぞれ親しくなった?」

 ……そんなの、答えは一つしかない。三人しかいない。

「早苗、冴子さん、咲……」

「その三人が、お前らみたいに、同じ時間の違う世界で、同じ願い事をしていたとしたら?」


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「……その願いってのは?」

「なにをすっとぼけてんだ。それとも恥ずかしがってんのか?もう分かるだろ。それぞれの世界で、時間が戻っていた切っ掛けを考えれば」

 そこであんちゃんは、というかこのボロ神社の神の野朗は、言葉を区切って俺を見つめた。……こいつ、俺の口から言わせようとしてやがんな……。

「……俺と、その、恋仲になる事……」

 てっきり神の野朗は、ボソボソ頭を描きながら呟く俺を笑いやがるつもりだと思っていたが、ただ頷くだけだった。

「ああ、そうだ。その事はちゃんと認識しとけ。まあ、三人共ピンポイントでそう願ってた訳じゃないけどな。プライバシーの守秘義務が有るから詳しくは言わんが、別にこの場合、目的さえ同じなら、同じ願いとカウント出来るし、結果としての相手は別にお前じゃなくても良い。まあお前になる確立が一番高かったし、実際そうなった」

 ……俺は想像した。早苗は、まあ、その、想像はつくが、恭次郎さんを失った冴子さんは、自分の行く末を悩んでいた咲は、どう願ったのだろう。俺なんかがその願い事を叶えてしまった……、いや、叶えることが出来た、そう受け取らせて貰いたい。

「お前らから受け取った時間戻しの願いと、彼女たち三人から受け取った願い。そのふたつは、一つずつ叶えようとすればとても厳しいが、同時に叶えようとすればとてもやさしい。だから俺はそうした」

「彼女たちの願い、俺との恋が成就した瞬間、俺達の願い、つまり時間が戻る……。そしてそれを繰り返せば、三人の願いが叶う」

「……そうだ。俺はそういうシステムを作ることで、お前らの願いを叶えた」

 理解した。理由も分かった。でも、

「……それで、俺がこのまま帰れば、今この段階で、神社に時間逆行の願い事をせずに、そのまま過ごせば、このループは終わるんだろ?」

 だけど。

「……終わらせていいのか?」

 あんちゃんは俺の目を見つめた。俺はその視線に絶えられず地面を見つめた。飴のかけらを抱えた蟻が、木の段の上を右往左往していた。

「このループを終わらせるってことは、時間逆行があった事も、彼女たちが願った事も無かったことになるってこと。つまり、お前と、彼女たちとの思い出も、全部無かったことになるんだぞ。ただ無くなるんじゃない。最初から存在しなくなるんだ。だからお前らは、時間がループしてた時にあったこと、全部忘れちまうんだぜ」

 ……わかってるよ。それくらい。

「……このループを続けるっていう選択肢もあるんだぞ。お前は、お前たちは記憶を無くしちまうけど、お前たちの青春は永遠につづく。それは幸せの一つの形かもしれないぜ」

「それ、死んでるのと何が違うんだよ」

 俺は、気がついたらあんちゃんの胸ぐらを掴んでいた。

「俺さ、今迄二十六年間、本当無駄に時間を過ごしてきた。あんちゃんから見たら人間の二十六年間なんて鼻くそみたいなものかもしれないけどさ、俺にとっては長くて退屈で、ずっと同じ内容のモノクロの4コマ漫画を繰り返す様な日常で、それこそ死んでるみたいなもんだった」

 俺の中で、なにか沸々と湧き上がるものがあった。

「でもさ、早苗もさ、冴子さんもさ、咲もさ、俺なんかの為に、泣いたり、喜んだり、笑ったり、すげえ一生懸命にやってんだ。それが生きてるってことで、人間ってそれのために生きるんだって分かったんだ」

 いつの間にか俺は声を荒げていた。

「そんなみんなの想いが無くなってしまうってことは分かってるよ!ループを終わらせるってのはそういうことだって、皆全部忘れて、忘れたことにすら気が付かないんだって!でも!その想いを嘘にしないために、その想いをなかった事にするしかないんだろ!なあ!」

 俺が眼前で吠えるのを、あんちゃんはただ見つめていた。

「……ああ、そうした方がいい。咲ちゃん、だったか?その子とお前が親しくなる世界で、お前の記憶は混濁してただろ。ループの中心点になってるお前は、他のやつより記憶を引き継ぎやすいのかもしれん。お前の脳がその情報量や性質に耐え切れるとも限らん」

 あんちゃんはただ平静だった。俺の怒号などどこ吹く風といった様子に、俺は更に苛立った。

「じゃあ!なんでこんな形で願いを叶えたんだ!こうなっちまう事くらい分かっただろう!なんで願いなんかシカトしといてくれなかったんだ!」

「あまり勘違いするなよ人間」

 その瞬間、ラーメン屋の店主の顔から、神の顔に、あんちゃんの表情が変わった。俺は驚き、口をつぐんでしまう。

「何回でも言うが、俺は神だ。願われたら叶える、そういう存在だ。ただその存在意義に従っているだけだ。俺をそうしたのはお前らだぞ。頼って、祈って、祀り上げて。お前がやってることは、回っているミキサーの中に指を突っ込んで、怪我したといってミキサーに怒っているのと一緒の事だ」

 あんちゃんの声に少なからず怒気のようなものが含まれているのを俺は感じ取った。それは、人に依って生きてきた、人に依って生きてくるしか無かった、自分への、そしてその人間たちへの怒りだったのかもしれない。神様相手に、生きるという意味が通じるのかは知らないが。

 俺がその静かな気迫に押され、あんちゃんのティーシャツの襟元から手を離すと、あんちゃんは俺を見て寂しそうに笑った。

「……すまんな。俺は、お前らの感情や考えを、完全には理解しないし、出来ない。人間同士だってそうだろ、俺とお前らじゃ言わずもがなだ。俺がもうちょっと人間の事を知れてりゃ、この神社ももっと流行ってたのかもな」

「……ターゲットのリサーチはマーケティングの基本じゃなかったのかよ」

「……そう自分に言い聞かせるしか出来ねえんだよ」


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「それじゃあ、これで終わらせるんだな?」

「……ああ」

 俺はあんちゃんの目を見て頷いた。すると、あんちゃんは、少し微笑んだあと、すぐに顔を引き締めた。

「んじゃあ、お前もケジメつけないとな」

「……ケジメ」

「孝太郎、お前は一つ思い違いをしてる。このままお前がこの神社に時間逆行を願わないようにするだけじゃ、このループは終わらない」

「……どういう事だ?願わなければ、前提が崩れて、時間が戻ること自体起こらないんじゃないのか?」

「お前は、もう既にこことは別の可能性の世界で、時間が戻る事を観測している。それによって、時間を戻す願いを叶えるシステムの存在はもう確定している事になるんだ。そうして存在を許されたシステムは、時間逆行を行うために動く。たしかにお前がこの神社を出た後、願い事をするタイミングを回避すれば、今までの記憶は薄れていくだろう。しかしそれは、願った事が無かったことになったからじゃない。システムがその存在を維持させるためにそうするんだ」

「……つまり、何も知らない俺らは、放っておけば、自然にここにラーメンを食いに来て、同じ願い事をしてしまうってことか」

「そうだ。そして、俺もまた、そうするお前らを止める事は出来ない。寧ろ助長する。何故なら俺もそういう願いを受けている、そのシステムの一部であり発端だからな。……すまんがこればかりはどうしようもない」

「じゃあ、その願い自体を打ち消さなきゃいけないのか?」

「それも難しい。さっきも言ったと思うが、同一人物が同じ時間に三回願うなんて離れ業で、この願いの原動力は増幅されてる。これに対抗するために同じ状況を作り出せる確率は、死ぬほど薄いだろう」

「……手詰まりってことか?」

「手はあるぞ。あるというより、これしかない。……お前には酷だが」

 そこであんちゃんは、一旦言葉を区切った。次に繋げる言葉を言い淀んでいるようだ。

「なんだ、ここまで来たらあとには引けない。言ってくれ」

「……もう一つの願いなら、簡単に打ち消せるぞ」


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 流石に、そこまで言われれば、その言葉の意味するところが何なのか、そして俺はこれから何をすればいいのか分かった。……分かってしまった。

「早苗と、冴子さんと、咲が願い事をしないよう仕向ける……」

「ああ、そうだ。方法は何でもいい。まがりなりにも三人お付き合いしてたお前だ。その子達が何を願っていたか、目星は付くだろう?それを願わなくてもいいようにしてしまえ。……ケジメをつけろってのはそういう意味だ。言っとくが、三人のうち一人だけでいいやなんて横着はするなよ。他の可能性の世界の別の娘達と、同調しちまう可能性が有るんだからな」

「分かってる。そんな可能性なくても、俺は全員に会いに行くよ。……会って、ちゃんと話をするよ」

「……そうか。そうすれば、お前らの時間を戻してくれっていう願い事だけが単独で叶う。しかし、どれだけ戻して欲しいのか、っていうベクトルが指定されないようになるわけだ。そうなったら俺がコンマ一秒とか、誰も気が付かないくらい細かい時間を戻して終わりだ。お前らが最初に願った時より前まで戻さなきゃ、時間逆行の願いが発動する可能性は無くなる」

 俺は軽く頷いた。そんな俺を見て、あんちゃんはふっと微笑んだ。

「なあ、孝太郎。最後に一杯、食ってくか?神と人間っていう立場で話せるのも、これで最後かもしれないだろ。奢ってやるよ」

「……んじゃあ、焼き魚定食」

「……一杯っつってんだろ。醤油一つな」

               *

「そういや、なんであんちゃん、さっき俺が呼んだ時は素直に出てきたんだ?今までの話からすると、願い事が無いとあんちゃんは動けないんじゃないのか?」

 屋台に俺は腰掛け、あんちゃんの出してくれたラーメンを啜った。ラーメンの湯気があたりを包み、醤油の匂いがその薄靄の中を漂った。

 やっぱり、夜中じゃなくても、食い慣れたラーメン程旨いものはない。

「ああ、それ?お前ら、昨日も、昨日っていうのはこの世界での昨日な。俺のラーメン三人して夜中食いにきたろ?あれ、丁度お前らが三人で食った三百三十三杯目のラーメンだったの。それで、まあ願ったのはお前一人だったけど、サービスしてやった」

「……マジかよ。まあ、六年も通えば、そんくらいいくか」

「お得意さんってことでな。だから、お前が、今の状況をなんとかしてくれっていう願いの一貫として、お前が娘さん三人に話つけるまで、時間逆行のシステムがお前の記憶を薄れさせるのを防いでやる。アフターサービスだな」

「……娘さんって。まああんたから見たらそんな歳か。冴子さん聞いたら喜ぶな。……あんがとよ。あ、なあ、神様」

「……なんだよ」

「俺の記憶が無くなっちまってもさ、俺らは性懲りもなくまた夜中、ぞろぞろラーメン食いに来るだろうからさ。そしたら、いい加減もう俺ら、立派な信者って言ってもいいんじゃないか」

「……馬鹿野郎。ケツの青いガキが、一丁前に気を遣ってんじゃねえ。それ食ったらとっとと行きやがれ」

「……ああ、じゃあな、神様」

「……おう」


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 おれはあんちゃんに別れを告げると、まずは一路アパートへ向かった。この時間なら、まだあいつは居る筈だ。俺はラーメンを消化している最中だという遺憾の意を、痛みという表現方法でしか俺に伝えることの出来ない、不器用な脇腹を押さえながら走った。

 果たして、アパートの建付けの悪いドアを軋ませながら開けると、そいつは久一と仲良くテレビゲームに興じていた。

「あ、孝太郎、久しぶりー。ねえねえ、ボク久一君に勝ちまくってるよ。二人でやっても案外楽しいもんだねえ」

「く、くそう……僕のピーチ姫の本当の力さえ開放できれば……。よし、咲さん。孝太郎も入れてもっかいやりましょう。こんなクソ暑い中外に出るのは絶対に嫌だ」

 ……咲の顔を見た瞬間、思わず出かけた声と溢れそうになった感情を飲み込んだ。……あいつは今、何も覚えていないんだ。でも今は、今だけは俺が覚えている、それでいい。

 平静を装い、俺は口を開いた。

「……な、なんだ。二人でパシリでも決めてたのか?久一、往生際が悪いぞ。諦めて行って来い。俺はコーラな」

「ボクはガリガリ君ねー!」

「ちくしょー!ガリガリ君のコーラ味買ってきてやるー!」

「……なんだその誰も損しないせめてもの反抗は……」

 久一は捨て台詞を残し外に広がる太陽光の海の中へ飛び出していった。案外簡単に二人きりになれたな。そう考えながら、俺も咲と同じくコタツに尻をおろす。

 咲の顔を見つめてみる。これはもう、フランス行きの電話があった後だな。……ちょっと前まで夫婦だったんだ。顔を見りゃ何か隠してる事くらい分かる。俺が迷惑かけっぱなしだったがな。その埋め合わせはもう、出来そうにない事が寂しい。

「……な、なに。人の顔じろじろ見て」

「お前、なんかあった?」

「え!?」

 咲の後頭部辺りからギクリという文字が飛び出たのが見えた気がした。……問題はここからだ。

「……なんで分かっちゃうかな……。まだ何も言ってないのに……」

「お互い赤ちゃんはコウノトリさんが運んで来ると思ってた頃からの付き合いだからな」

 そうだね、と咲は苦笑する。そして、ゲーム機のコントローラを所在無さげに弄びながら、漏らした。

「さっき会社から電話があってさ……、ボク、外国で働く……かも」

 今ならよく分かる。こいつ、こんな不安そうな顔してやがったのか。揺らぎそうになる心を押さえつけ、俺は驚きを装った。

「……外国で働くって……、何処で?転勤か?」

「フランス。ボクの会社、支社があって。そんな、あっちに骨を埋めろって話じゃないの。でも、明確な期限が決まってる訳でもない。急な話で、その、迷っちゃってて」 

 言葉を選びながら話す咲を見ながら考える。そう言って、頷く咲を見ながら考える。咲が俺への、その、恋愛感情をはっきりと認識したのは、二人で港を見に行ったあの時の筈。なら。

「……お前は、どうしたいんだ?」

「ボクは、その、多分……行ってみたいんだと思う。ボクに期待してくれる人の事も、ボクの責任もあるけど、なにより、やってみたいんだよね。あっちの支社、人が少ない分、大変だろうけど、色々なこと出来そうだし。でも……、ボク、ここを離れたくない気持ちもあるんだ。生まれたところだし、それに……」

 咲は言葉を紡ぎながら、両手で口を覆って、テレビを見つめた。そこでは、カーレースを終えたゲームのキャラクター達が、プレイヤーの操作を待ちながらぐるぐるコースを走り続けていた。そこに咲は何を見ているのだろうか。だけど、俺がこれから言うことはもう決まっている。

「……行って来いよ」

「……え?」

「行きたいんだろ?じゃあ行っちまえ。こんな何もない田舎で何もない一生を終えてみろ。閻魔様もお前を裁くとき判断材料に困ってずっと天国地獄の待合室で待たされるぞ。お前ならきっとなんかデカイことできるよ。俺らとは頭の出来が違うんだ」

「……孝太郎」

 寂しさと不安と驚きをない混ぜにした咲の表情を見ると、決めた事なのに揺らぎそうになる。

「……あっちでチーズばっか食わされて太ったりとか、日本語忘れそうになったりしたら何時でも電話でも何でもしてこい。どうせ俺の携帯電話の料金は親持ちだ。国際電話もどんと来いだぜ」

「……ねえ、孝太郎」

「……なんだ?」

「もしボクが何もかも嫌になっちゃって、フランスから逃げてきたら、その時は助けてくれる?」

「当たり前だろうが。だって」

 ……これで、咲は大丈夫だ。

「……俺達、ずっと、友達。だろ」

「……うん!……だよね。そうだよね。孝太郎に話したら少しすっきりしたよ。……ありがと」

 憑き物が落ちたかのような、透き通った笑顔で笑う咲は、とても眩しくて、とても愛おしくて、すごく胸が傷んだ。


               14


バイト先に忘れ物をしたのを思い出したから、取りに行ってくる、すぐ戻ると言い残し、俺はアパートを出た。裏に停めてある俺の相棒、ブラックヒストリー号に跨り、強烈な太陽光で充分に熱された黒いサドルが、俺の桃尻をじっくり弱火で焼き上げるのを感じながら、俺は蟹亭へとむかった。

 咲の願いは、フランス行きへの不安と、それから生じた俺への気持ちをはっきりさせたいというような内容だろう。……なら、もうこれで大丈夫だ。咲が神社に願いに行く可能性は低くなった筈だ。

 やがて蟹亭につき、店入り口のドアベルを鳴らすと、今にも弾け飛びそうな制服の胸ボタンでこちらを威嚇しながら、一人の大男が俺を出向かえた。

「いらっしゃいませ裏切者。当店では貴方のように友人を自分の自由のために代わりに労働させるような方向けの特別なサービスを実施しております。奥へどうぞ」

「……なんでそんな制服ぴちぴち何だ?というかお前ベランダから逃げたんじゃないのか?」

「商店街歩いてた冴子さんにとっ捕まった。ていうかお前が居りゃ俺が働かなくて良かったんや!後この制服は俺用サイズのが無かったからや!さあ一緒に働こう!今日は帰さないわよ!」

「愛が重いよ……」

 俺は竜二に首根っこを捕まれ、力強い男らしいエスコートを受けながら入店した。

               *

「そいつが脱走者か。竜二隊員、発砲を許可する」

「イエッサ!フン!」

 カウンターに居た冴子さんがそう命じると、竜二は両腕を曲げ無駄に発達している大胸筋を更に膨らませた。制服はその膨張した豊満なボディを抑え込めず、弾け飛んだ制服のボタンが俺を襲う。

「いて!いって!地味に痛いぞ!」

「アハハ!大丈夫?孝太郎。というかわざわざ来てくれたのにごめんね。今日は竜二一人で足りるから大丈夫よ」

「……冴子さん、開店までの僅かな時間を俺のような若いツバメと楽しみたい気持ちはよく分かるけど、か弱い俺はそんなに働かされたら萎んじゃうよ」

「今日みたいな客入り少なそうな平日に一人バイト増やす余裕無いわよ」

 笑ったり、眉間に皺を寄せたり、冴子さんの変わる表情を俺は見つめてしまっていた。もう長い間会っていない気がする。記憶の中では実際にそうだが、現実の時間の中ではそうではないのに。

「……どしたの、孝太郎。ぼうっとして」

 冴子さんの事を考えていた。いつも、一人でこの店を切り盛りして、俺らの面倒を見てくれて、強く見えるけど、本当は凄く弱い女性なんだ。彼女が俺達を今までこの店で包み込んでいてくれていたように、彼女にもそんな存在が必要だ。……そしてそれは俺じゃいけない。

「本当は、働きたいんやろ?な?孝太郎、その労働意欲、今こそ解き放つ時!立てよ国民!ジーク」

 やっぱりちょっと、いやかなり悔しいが、あとはお前に任せた。

「……なんだ竜二。そんな心にも無い事言って。緊張してんのか?今日こそ冴子さんにアタックするって、息巻いていたじゃないか」

 お前なら、冴子さんを支えてくれるだろ。

「な、な!こ、こ、こ!お前一体何を!」

「……え?孝太郎?」

 俺の言葉に、冴子さんはぽかんとし、竜二は対照的に赤面し慌てふためいた。幼馴染の大男がもう少しではわわとか言い出しかねない状態に陥っている様子をみると、精神が汚染されそうになったが、俺は微笑んで、店の入り口へ走り出した。

「そんじゃ、冴子さん、俺今日は帰るわ!……さよなら」

 二人が何か言っているのが聞こえたが、俺はそのまま店を出て、振り返らず、ブラックヒストリー号を蹴たぐり走り去った。

               *

 冴子さんの願いは、享二郎さんを失った事の不安と、このまま流されるままに店を続けていけるのかという不安、その解消を目的とした、何らかの拠り所を求めるものだった可能性が高い。……なら、俺がその相手となる可能性が高かっただけだ。……俺でなくてはいけない道理は無い。

 これで、竜二とくっついてくれてもいい、そうでなくても、何らかの変化が二人の関係性に起こる筈。そうして、願い事に神社へ行かなくなればベスト、そうでなくても、その願い事の内容がぶれてくれればいい。

 ……こうやって人の心情を分析して、知ったような顔して、処理を行う。心が、針のたくさん浮いた黒い水に漬け込まれている気分になる。

 あと一人だ。あと一人で、俺の記憶も消えてなくなる。

               

                15

 

 俺が大学の駐輪場に乗り付けると、学生達が丁度門から三々五々出て行くところだった。丁度、ゼミの終わる時間に間に合ったようだ。俺のゼミが開かれている教室が属する、研究棟の前に急ぐ。

 その建物から出てくる、見知った小柄な人影を見つけた。

「……よう、後輩。奇遇だな」

 そいつは、俺の姿を認めると、そのくりっと大きな目玉が零れ落ちんばかりにこっちに向かってひん剥いた。

「ああー!こらー!そこのサボり魔ー!」

 その声を聞くと、愛しくもなったし、切なくもなったけど、何よりとても懐かしかった。

「奇遇だな、じゃないでしょ!もうゼミ終わっちゃいましたから!私散々言いましたよね!発表もうケツカッチンでお尻に火がついてて教授からもお尻叩かれてるどころか半分諦められてるって!なんでそんなに一人で勝手に余裕なんですか!」

 俺の主観では、まずこいつから始まった。俺の為に怒って、泣いて、喜んで。その事に、他の可能性の世界で、とても助けられた気がするんだ。

「……悪い悪い。んじゃ、この後時間あるか?イライラする時は糖分だな。詫びとして、茶でも奢ってやろう」

「……え?」

 早苗……いや、後輩は、何故か少し驚いた様な表情で、俺の目を見つめた。

「……ん、どうした、なんか用でもあるのか」

「い、いえいえ、それでは遠慮無く……ゴチになりやす」

               *

 俺と後輩は、連れ立って商店街の喫茶チェリオに入った。

「ほら、お前そっちに座れよ」

「……あ、はい」

 後輩に木の椅子を進め、俺は座り心地のいい久しぶりのソファ席に座り、メニューを見ながら考えた。最初から俺を好きでいてくれた後輩は、願い事もピンポイントで俺との関係の成就を願っているだろう。なら、解決も簡単だ。俺が嫌われるなり失望されるなりすればいい。このテーブルの上にあるお冷やでも頭からぶっかけてやろうか。……想像するだけで気分が悪くなる。

「……あの、せんぱい」

 考え事をしていると、後輩がおずおずと声を掛けてきた。

「なんだ?」

「……私達って、こうやって二人でこのお店でお茶するのって初めてですよね?」

「そうだと思うが。まず俺が誰かに物を奢るってこと自体かなり珍しいらしいぞ」

「でも私、前もこんな事あった気がするんですよ……。せんぱいが誘ってくれるなんて珍しいなって思ってたから……」

「……!」

「せんぱいが、屁理屈言ってソファとっちゃって、二人でコーヒー飲んで、それで……」

 これは、早苗にも記憶が残っている?若しくは戻り始めている……。

 ちょっと待て。神のあんちゃんは、可能性としての世界は平行に、同時に存在していると言った。しかし、俺達はあくまで時間をループしてその可能性を作り出しているからこそ、俺にも主観として記憶が残っているんだ。だとすれば、他の奴らにもその可能性が無いと、どうして言える?……朝の竜二のように。

「あ、あれ……?それで、私、せんぱいにその、こ、こく……」

「おい、待て早苗。落ち着け……」

「そう、せんぱいが名前で呼んでくれて……。え?」

「……っ」

「せんぱい、変な事聞いてもいいですか?」

「……なんだ」

「……私と、その、花火大会に行った事、覚えてます?」


               16


「あれ、孝太郎。何戻ってきてんだお前。折角なんかドラマティックな別れを演出できた感じになってたのに。……あれ?その娘、確か……」

「……あんちゃん、テイク2頼む」

 早苗の記憶はほぼ戻りつつある。俺と咲の時のように混乱させてしまうのは酷だ。……早苗にとっては、一番残酷な仕打ちかも知れないが、全て話してしまうしか、こうなれば方法は無いだろう。俺は早苗を伴い再び廃神社を訪れた。そしてあんちゃんに引き合わせ、事態の説明を頼んだ。

                *

「……」

 あんちゃんと俺から、事のあらましを聞かされた早苗は、俯き黙り込んでしまった。話始めこそ半信半疑だったものの、早苗の中に残る記憶と俺達の話との奇妙な符合、そして極めつけにあんちゃんが今週のビックリドッキリ神通力とやらで神ラーメンの屋台をミニチュアにして尻のポケットに仕舞ったことで、信じざるを得なかったようだ。

 俺達は尻のポケットにいつも入ってる屋台でラーメン食ってたのかというクレームは、今は置いておく。

「……なーんだ。そう言うことだったんですか」

「……早苗?」

「そうならそうと早く行ってくださいよもう!分かりました!物分りのいい女でお馴染みの私です!せんぱいとの関係は一時の夏の火遊びとして、火だけに水に流しちゃいましょう!」

 顔を上げた早苗は、笑っていた。そして、顔に笑みを貼り付けたままそう続けた。早苗の良く通る声だけが、蝉の鳴く音と混じって境内に響いた。

「……なんて言える訳無いじゃないですか」

 しかし、その笑みはすぐに剥がれ落ちて、その目は鈍く曇った。

「ねえ、ラーメンの神様さん」

「……それ、俺の事か?えーっと、なんだい、早苗ちゃん、だっけ」

「私がここで、分かりました。願い事はしませんって、言った場合、これからどうなるんですか?」

「君や孝太郎の生活に特に変化は無い。ただ、さっきも説明したとおり、君達が神社に願い事に来てくれたタイミング、この一点を過ぎれば、何も無かったことになり、君のその別の可能性の世界で体験した記憶は無くなる。……それに、その記憶を保ち続けるのも良くない。人間の脳にどんな負担がかかるか、俺には分からない」

「……そんなの、嫌だ」

 早苗は、あんちゃんの話を聞いた後、そう呟いた。

「嫌だ!せんぱいに好きだって言ってもらえた事、私がせんぱいに好きだって言えた事、ちゃんと伝えられたのに!別に頭がおかしくなったっていいよ!何も分からなくなったって、ただそれだけ覚えていられればいいのに!無くしたくなんかない!」

 早苗は叫んだ。その叫びは、境内のどんな音も掻き消して響いた。しかし、早苗はすぐに顔を覆って、俯いてしまう。

「……無くしたくなんかないよ……」

 声は震えて掠れて、その肩はとても小さく見えた。ともすれば油照りに揺れてぼやける夏の空気に、溶け込んで消えてしまいそうだった。

                  *

「ねえ、せんぱい」

 早苗は、少しの間、涙を拭い続けていた。そして、軽く頭を振ったあと、俺に向き直った。

「せんぱい、お話を聞く限りですと、バイト先の店長さん、冴子さんとか、後、幼馴染の方とも宜しくやってらしたそうですね」

 早苗に少し笑顔が戻った。しかし、何故だかその笑顔を見ていると背筋が寒くなった。

「い、いやほら、その時の俺は、また違う話というか、仕方が無いというか」

「……浮気野朗」

「……うぐ」

 そう言って、早苗は軽く笑った。俺もそんな早苗を見ていると、自然と笑顔になれた。そして一段落つくと、早苗は改めて俺を見つめた。

「最後に、ひとつだけお願い、良いですか?」

 止んでいた風がふいに彼女の髪を撫でた。

「……なんだ?」

「今だけ、下の名前で呼ばせてください」

 俺に駆け寄って、そのまま俺の首に手を回すと、耳元でこう囁いた。

「ずっと好きだよ、孝太郎」

 そのまま俺の唇に口づけて、早苗は目を閉じた。風が早苗の匂いを運んで、俺の鼻腔をくすぐった。

「私はせんぱいとの思い出忘れちゃうかもしれないけど、せんぱいの事を好きな気持ちだけは、わ、忘れませんからね!……なんちゃって」

 早苗のその微笑みだけは、俺も忘れられないだろう、そう思った。




     ぐNiヨん



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