いきなり姿を見せて、船へ乗り込んできたナユ。


 彼は、

「オレも一緒について行くことになった」

と高らかに言い放った。


「え?」


 私とカイ、セイラの声が重なる。

 ナユはすっとこちらに四つ折りにした紙を差し出してきた。そこには……バムール皇帝とジェスティル騎士団長の命令を受け、各国視察任務を与えられたという旨のことが書かれていた。

 それだけではない。何と、私たちについてルルロへ行けとも記載があって。

 目を皿のようにしてナユが渡した紙に書かれた内容を読んでいたカイは、ふと顔を上げた。


「…………何故、バムール内の争いが絶えない中、貴方のような人材を出すのか理解しかねます」

「皇帝としては、マーエラ女王候補であるコトネを無事にルルロへ送り届けることで、教国に恩を売っておきたいのだろうな」


 あっけらかんと、ナユは言った。それに、と彼は海原を見つめる。


「女性が船へ搭乗すると、海が荒れることもあるし。オレは船での移動も慣れている。力になれるはずだ」

「なるほど……マーエラとの結びつきを確固たるものにし、戦に利用したい、と」

「そこまでは言っていない」

「…………」


 カイとナユは無言のままお互いの顔色をうかがっている。腹の探り合いだ。

 そんな彼らのことなんてどうでも良さそうに、セイラはハンドレールにもたれかかり、空を見つめていた。私も彼に倣って空を見上げる。

 澄み切った空。深い海の色が反射しているかのような、真っ青な空が視界一面に広がっていた。



 帆を張った船は、追い風を味方につけて順調に進んでいた。

 海上はコロコロと天候が変わると言うが、今のところ非常に穏やかなままである。……出航してから三十分くらいしか経っていないから、これから荒れるかもしれないが。

 ふと、船首で海を眺めているナユが視界にちらついた。私は、恐る恐る彼に近づく。気配を察したのだろうか。彼は振り向き、快活に笑った。

 豪快な笑顔は、降り注ぐ太陽のようだ。一片のかげりもない。

 ナユは私の頭にポンと手を乗せた。力は込められていないが、ずっしりとした重量感がある節くれ立ったかたさのある手。前髪が目に入るから、手をどけて欲しいと言いそうになるも、嫌悪は感じなかったので何も言わずにいた。


「キミが心配だったから、ついて来たんだぞ」

「え……」


 彼は少しだけ前屈みとなり、私と視線を合わせてくれる。幼子に諭すときのように。


「オレの妹は、キミと同じくらいの年だったから」

「………………」

「十六って、昨日言ってたよな?」

「はい」

「その年でなくとも、見知らぬところへ連れて来られたら混乱するし、誰に頼っていいのかもわからずつらいだろ」

「…………」


 信じたいという気持ちと、信じるなという気持ちが入り混じる。


「――というのは建前で」


 ナユはすっと私から離れ、船室の方を振り返った。


「セイラの剣の腕前を目の当たりにして、聖騎士としてもっと強くなりたいという欲が湧いてしまったから、ついて来た」


 きっと、その思いもあるだろう。でも、私を心配してくれたというのもきっと……嘘ではない。そう、信じたい。

 ナユの優しさは、私の疲れ果てた心に沁み込んだ。


「ありがとうございます」

「お礼を言われることは何もしていない。キミは恐ろしい目に遭いすぎたから、気が張っているんだろう。オレのことは、信用してくれ。ああ――信じろなんて言ったら、嘘くさいか」


 一体どう言えば良いんだ、と真剣に悩んでいるナユの様子に、私は少しだけ笑った。



 ◇



 船内には客室キャビンが十室ほどと食事室などがある。比較的、他の船に比べて広いらしいとナユは言っていた。乗組員は船長と船員三名。若い頃からずっと船に乗っているという彼ら。筋肉隆々の、黒光りするほど日焼けした肌を持つ彼らは顔のつくりも厳めしく。ナユも同じような体格をしているが、彼らはより強面で近寄りがたく感じた。

 しかし、話してみればどこにでもいそうな人たちで。むしろフレンドリーさがあって私の緊張はすぐに解けた。


「皆さんには、海の男の料理ってもんを、たーんと味あわせてやりますよ!」


 そう言って、食事番の船員はたくさんの夕食を作ってくれた。


 しかし……。


 私は食事室にあるテーブルに突っ伏し、ぐったりとしていた。

 カイやナユ、船長に船員たちは料理番が作ってくれた大量のご飯を掻き込み、早々に自室へ戻っていってしまったが……。用意されていたのは脂っこいものばかり。

 ローストチキンっぽいものに魚のようなものを焼いたものなど、船酔いに苦しむ私にはむごいものばかりで。


 と、そこに。


 私の前へスープが差し出された。スープを差し出した人が誰か、私にはすぐわかった。

 手の甲に包帯を巻いている人物など、この船に一人しかいない。


「……ありがとう、セイラ……」


 スープの入った木製の深皿に口をつける。すごく素っ気ない味だ。野菜の他には塩しか入れていないのだろう。しかし、船酔いしている私にとってはその素っ気ない味がありがたかった。ほっとする。

 セイラは私のはす向かいに腰を下ろす。


「僕も、よく酔うんだ」

「意外」

「……さっきも酔っていた」

「え、嘘でしょ」


 全く、そんな様子はなかったのに。

 無表情過ぎるから気づかなかった。きっと、私だけでなく他の誰も気づいていないに違いない。


「スープを食べ終えたら、デッキで風に当たるといい。今は波が少ない。気分転換になるだろう」

「うん、そうする」


 私はスープを飲みながら、そう答えた。セイラは微かに頷くと、踵を返してその場から去った。



 ◇



 三十分ほどが経過し、スープを平らげ終わった私はデッキへと続く階段をのぼっていた。

 重い扉を開け放つと、夜風と潮のにおいが鼻孔をくすぐる。

 穏やかな波音。私が住んでいたところは海の近くではなかったから、懐かしさなんて感じないはずだが……何故か、とても懐かしい。

 デッキには先客がいた。セイラだ。

 私は彼へ臆することなく近づいた。


「セイラも、また酔った?」

「いや」


 セイラは言葉少なに、じっと夜空を見つめている。彼はいつも空をぼんやりと眺めていることが多い。

 ……陸地もない海の上に、ぽっかりと浮かんでいる船。その船のデッキに佇んでいる私たち。

 風が心地良い。


「早く、帰りたいだろう」


 ぼそりと、セイラは唐突に呟いた。

 私はハッとして彼を見やる。セイラは静謐な瞳で、こちらを見つめていた。アメジストの瞳はとても美しい輝きを放っている。


「……君の力は現在、カイが掌握している」


 ひゅっと、息を吸い込む。


「マーエラ女王の力を借りているんだと思うけど。……君が秘めている力の源流を、“糸”で縛ってる」


 どうやら、セイラには“それ”が見えるらしい。魔術とマーエラの力は似たところがあるらしく、力が縛られていたりするのを肌で感じることができるとのこと。私には、よくわからない。


「やっぱり、カイは私の力を縛ってるんだね」


 やっぱりそうかという気持ちと、そんなことまでしているのかと落胆する気持ちが、心の中で交錯する。カイは私を信じていないらしい。すぐ逃げ出すと思っている。もちろん、その考えは間違っていない。こうしている今も、逃げ出せるものならすぐにでも逃げ出したいと、私は思っているから。


「多分、君が勝手に帰ることを防ぐためだと思うけど。これからもコントロールし続けられるはず」

「…………私、帰れないのかな」


 弱気な言葉が口から零れた。じっとデッキの一点を見つめる。そうしていなければ、涙が溢れてしまいそうだった。


「……君が帰る道は、僕が必ず開く」

「え……」


 セイラは外套の隙間から、腕を出す。そして、手の甲の包帯を、ゆっくりとほどいた。


 出てきたのは――――鈍色の爪と……大きな裂傷。


 記憶がフラッシュバックする。

 通学路でカイに連れ去られそうになった際、一瞬見えた錆色の爪。それを引き裂いた、カイの剣。

 私は思わず、口を両手で覆った。


「あの時、私に手を伸ばしてきたのは……あなただったの?」


 セイラは目だけで肯定する。


「あのとき、一度カイから引き離して……そのままあの世界に残すつもりだったんだけど」


 失敗した、とセイラは呟いた。

 ……本当だろうか。彼は、私を助けようとしてくれたのか。


 ――信じ、られない。


 不信感を募らせる私を尻目に、セイラは視線を水平線へ向けた。そして、すっと爪で空間を切り裂く。

 切り裂かれた空間の向こう側に見えたのは、慣れ親しんだ自分の居場所こきょう


「あ……っ」


 思わず手を伸ばすも、それはすぐに閉じてしまう。


「――僕は、紡ぎマーエラではないから。漂っている力を凝縮するくらいじゃ、少し道を拓くことくらいしかできない」

「…………でも、道を拓くことはマーエラしかできないって……」


 セイラは何も言わない。彼しか知り得ないことがあるのだろうか。


「……再び巡れば、また道は開く」

「意味、わかんないよ」


 うん、と低く言い、セイラは曖昧な表情を形成した。


「わからなくて良い」

「何それ」


 セイラは包帯を手の甲に包帯を巻き直し、視線を空へ向ける。


「……カイは何か隠してる。どうして今になって、初代マーエラの血を継ぐコトネをここへ連れてきたのかとか。理解ができない、――……彼には、あまり気を許さない方が良いかもしれない」

「…………」

「まあ、君にとってみれば、僕もまた気を許すことのできない相手だろうけれど」


 前にもこんな風に、皮肉げに言われたことがあった。あのときは、「たしかにそうだ」と思ったけれど。今は、ちょっとだけ……セイラを信じても良い気がしていて。

 彼は不思議な人だ。何を考えているのかわからないのに、私を安心させてくれる。


「悪し様に言い過ぎだろう」


 ――後ろを振り向けば、そこにはカイの姿があった。


「……盗み聞きとは、神聖なるマーエラ女王に仕える者としてあるまじき行為だね」


 セイラがそう言うと、カイは困ったように髪を掻き上げる。


「涼もうと思って出てきたら、勝手にそっちが話していたんだ」


 そして、彼は目を伏せた。


「クァーヴェラは、マーエラとは対極にある存在だと昼に言ったが……」


 カイは言葉を切った。……言って良いか迷っているのか、彼の視線が浮ついた。しかし――覚悟を決めたように、カイはぐっと唇を引き結んだ。


「“本物の”クァーヴェラが目覚めたのならば、“本物の”マーエラしか対抗し得ない」

「…………?」


 意味がわからない。


「コトネはもちろん……セイラ。博識なお前でも知らないはず」


 カイは遠い目をして言った。


「今いるマーエラたちは、女王含めて全て偽物だ」

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未来の空 音羽ヒカリ @otowahikari

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